差別問題一般

【在日外国人障害者問題】 生活保護問題を巡る動向

【在日外国人障害者問題】 生活保護問題を巡る動向

栗山和久(障問連事務局)

 

8月22日、毎日新聞に小さいが、以下の記事(要約)が掲載されていた。

「石原慎太郎氏らが1日に旗揚げした『次世代の党』が早速、保守色を前面に押し立てて動き始めた。生活保護の給付対象から外国人を除外するための生活保護法改正案を秋の臨時国会に提出することを決めた・・・(中略)・・・生活保護法改正案の提出は、7月に最高裁が『永住外国人は生活保護法の適用対象ではない』と初判断したことが理由だという。同法では保護の対象を『生活に困窮する国民』と定めているが、運用で外国人も支給対象にしている。改正案には、こうした運用を廃止する狙いがある・・・。」

同記事にはその他、米国の保守強硬派「ティーパーティー(茶会)」との意見交換をするため平沼党首らが9月にも訪米し、「米国草の根保守の運動論」を聞き、「臨時国会で我が党らしさを打ち出していく」とされている。

この記事を読み愕然とした。ネットを見ると、上記の最高裁判決に係り読むに堪えない意見が噴出している。私はすぐに十数年関わりのある在日韓国人障害者のTさんの事が頭をよぎった。

 

兵庫の地で約25年間取り組まれてきた障害年金の国籍条項撤廃運動の中で私はTさんと出会った。この十数年、Tさんが入所する姫路の施設を年に何度か訪れ、一時であれ外食や買い物など、Tさんの「うさ」を晴らすために一緒に外出している。Tさんのお父さんは日雇い仕事に従事、しかし若い時から病気がちで代わりにお母さんが焼肉屋等を営み一家を支えてきた。当時、養護学校に就学するためには親は付き添わなければならなかったため、Tさんは学校には一度も行く事ができなかった。22歳の時に現施設に入所、以来31年間の施設生活。施設に入って初めて職員に文字表を作ってもらい初めて字を学ばれた。「知らんかったらバカにされるから」とテレビのニュースは欠かさず見られ、見出しや読める字から想像して新聞を読んでいる。選挙権のないTさん、入所施設の中で行われる選挙の度にいたたまれない思いを抱き、他の入所者から心ない言葉にも耐えながら生活してこられた。私と一緒に外出する度に、「外の景色はいいなぁ!!」といつも言われる。狭い4人部屋で周囲の物音に寝付けず、身辺介護は自分でする事が入所の条件とされていたため、自力でのベッドから車いすへの移乗にも労力が必要なため頻繁にはできず、寝られない時は夜中に車椅子に乗ると朝までそのままでいる。好きなコーヒーを飲むために必要な電気ポットを落下させ壊れてしまい、1カ月も我慢して、先日やっと一緒に買いに行けた時、とっても喜んでおられた。毎日朝から夕方まで施設内で箱折等の仕事をして工賃が月6000円、しかも無年金。それでも何とかお金を貯めて外出をとても楽しみにされている。

 

私は過酷な施設生活の話を聞く度に、施設から出て介護者を使って自立生活をしてはどうかと話しする。しかしTさんから明快な答えは無い。もちろん経験のない生活への不安も強い事はあるだろう。しかしそれよりTさんにとって「できない」理由がある。Tさんの家族が生活保護であることだ。自分が施設を出て世帯分離すればそれだけ家族の保護費は減額される事を彼は心配しているのだ。最近、弟が精神的な病気になり仕事も辞め家に帰って来られた。Tさんなりに自分が支えなければと、わずかな工賃の中から病気の弟と年老いた親に時折仕送りまでされ、必死で家族を守ろうとしているのだ。

私は何もできず、付き合い続け話しを聞くだけだ。しかし、こんなTさんや家族から、外国人だからと生活保護を剥奪するような言動を絶対に許す事はできない。

詳しく論じるつもりはないが、7月18日最高裁判決は高裁判決を破棄し歴史を踏まえない内容上の問題点はあるが、判決内容には「外国人に生活保護適用はおかしい」と論じているのでは決してない。不服申立て等、権利としては認められないとしているのだ。さらに、歴史的に言うなら、1946年に成立した旧生活保護法には、「生活の保護を要する状態にある者」の生活を、国が差別的な取り扱いをなすことなく平等に保護すると規定し(同法1条)、その適用対象を日本国民に限定していなかったのである。その後、日本国憲法(第25条「生存権保障」)の施行により、生活保護受給者の範囲を日本国籍者に限定したのであるが、新法施行直後に、「放置することが社会的人道的にみても妥当でなく他の救済の途が全くない場合に限り」外国人を保護の対象として差し支えない旨の通知がされている。

さらに、1976年国連の社会権規約および自由権規約への日本政府による批准、また1981年の難民条約への批准に際し、国際的にも内外人平等、国籍要件の撤廃が求められた。とりわけ難民条約の批准に際して、国民健康保険法、国民年金法においては国籍要件は撤廃されたのだ。しかし、生活保護法では撤廃されなかった。その理由を国会では、以下のように政府と答弁されている。

 

「生活保護につきましては、昭和25年の制度発足以来、実質的に内外人同じ取り扱いで生活保護を実施いたしてきているわけでございます。去る国際人権規約、今回の難民条約、これにつきましても行政措置、予算上内国民と同様の待遇をいたしてきておるということで、条約批准に全く支障がないというふうに考えておる次第でございます」

 

これが一貫した政府見解である。遅くとも難民条約への批准に際して国籍要件を撤廃することが、本来であったが、戦後、「内外人、同じ取り扱い」をしてきたから、あえて撤廃する必要はないとされてきたのだ。そんな戦後培われてきた歴史を無視、否定する言動が堂々と跋扈する日本の現状。「ヘイトスピーチ」だけでなく、最後の砦としてある生活保護制度からも排除する施策は、まさに「外国人は出て行け」と言うに等しい。障問連として生活保護問題を障害者の問題として取り組んできたが、このような問題もあることを、私は書かずにはおれなかった。

 

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「人権保障の質は広がりと深さを増しています。外国人だからとか、在留資格の有無や種類という入管法上の形式だけで、人間として当たり前の生活を無視したり軽視したりするのは、人権保障の質を低下させてしまいます。国際人権規約等の進展はめざましいのですが、日本は社会権規約(A規約)違反がかなり多いのになかなか修正しようとしていません。外国人にとって生きにくい状況が日本社会にたくさんあります。これは日本人にも生きにくさをもたらしています。いかに人権保障の普遍性を高めるかを考え方の出発点にし、外国人を隣人・住民と認め、互いに相携えて誰しも不安なく豊かに生きられる社会を築いていきたいものです」(p.162、「外国人と生活保護」より)。

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