【加盟団体(事業所)紹介】
【加盟団体(事業所)紹介】
8月18日(月)、夕刻に生活介護事業所「飛行船」にお邪魔して、理事長の宗保さんにお話しをお伺いしてきました。(取材=栗山、文責=野崎)
第3回 生活介護事業所 飛行船(神戸市灘区)
――設立のきっかけは?
子どもに重度の障害があり、阪神・淡路大震災前年より大阪で障害児も受け入れる学童保育をしていた。親の会代表として、運営にもかかわっていた。そこで事故が起こってしまい、毎日のように親がスタッフを責めていた。しかし、運営にもかかわっている以上、親にも責任があるのではないかと考えた。解散の危機に追い込まれたが、仲間の支援もあり、利用者30人(うち障害児10人)、スタッフ6人で再開できた。当時、図書館司書として働いており、毎土曜日と、日曜出勤の代休としてプラス週1回はかかわっていたが、運営にたずさわるためにも、現場をまわすことが大切と考え、仕事をやめた。
縁あって神戸に引っ越してきた。最初は仲間づくりに苦労した。子どもが中学まで普通校に通っていたので、高校も楠高校を受験したが、合否判定わずかの差で不合格、青陽東養護学校へ。養護学校に通わせる親は、わが子のことで頭がいっぱいにならざるを得ないため、自分の子どもと他の子どもとの障害を比較し、そこで分断されてしまう。軽度の子を持つ親からは「重度の子と同じにしないでくれ」と言われたりもした。学童保育から出発したが、養護学校卒業後の行き場所を求めて、2005年、メンバー6人と共に小規模作業所からスタートした。
――現在までの経緯は?
自立支援法に変わって、神戸市に2008年に生活介護事業所の認可を受けた。2013年、80㎡の第2事業所を入手し、もとあった75㎡の第1事業所と合わせて、メンバー19人が昼間の生活場所として過ごす。スタッフは職員14人、パート5人。メンバーの年齢は高校卒業~37歳。20代後半が多い。
――理念は?
「どんな重度の人でもひとりの人間としてコミュニケーションの可能性を探る」をモットーにやってきた。いわゆる自傷他害行為を行う人たちが多いので、1対1に近い支援が必要。他のところでは受け入れることが難しそうな、より困難な人たちを受け入れてきた。今後もそのつもり。そこで実感したのは、「人はコミュニケーションによって変われる」ということ。人はていねいなつきあいで、コミュニケーションの可能性を探れば、どんな人であっても変われる、その人をひとりの人間として認め、つきあっていけば、そのことによって変わることができると実感し確信している。
――今後の課題は?
とくにこだわりの強い人たちの夜の生活の場所、グループホームの喫緊の必要性を感じるが、財政的に困難。障害者を受け入れるごとに一人あたりの単価が下がる制度に疑問。支援学校等から卒業後の通所希望がくるので、選んでくれるのはうれしいことだが、より広い昼間のスペースも欲しい。
9月 3, 2014