加盟団体

【加盟団体(事業所)紹介】 第1回  NPO法人生活支援研究会

【新コーナー 加盟団体(事業所)紹介

障問連に加盟する団体(事業所)紹介のコーナーを新たに設けます。別項で報告されるよう「障害者の地域生活を支援する事業所連絡会」も立ち上がり第一回交流会が開催されました。兵庫県下、各地域で日々障害者支援を行う事業所の実情や抱える課題を紹介する事を通じて相互交流を深めると共に、現場の声として行政要望へとつなげていきたいと思います。加盟団体機関誌からの転載、訪問取材により紹介します。第一回は障問連事務局・連絡先でもある、神戸市東灘区の「NPO法人生活支援研究会」です。『生活支援研究会ニュース』53号から転載させていただきます。

 

第1回  NPO法人生活支援研究会(神戸市東灘区)

所在地:神戸市東灘区  2004年設立  実施事業:居宅介護/重度訪問介護/移動支援

利用者:知的障害者35人 身体障害者23人

兵庫青い芝の会の神戸の拠点として設立された「六甲デイケアセンター」(現在はえんぴつの家・生活介護事業所)に係る障害者・支援者らにより設立。どんなに障害が重くても施設に行かず自立生活の実現を目的に、ヘルパー派遣の他、障害当事者スタッフによる「ピアサポート部」がピアカウンセリング等の相談支援活動を行っている。その他、季節ごとの交流企画やヘルパー養成研修も実施。

 

「生活支援研究会10年目を迎えるにあたって」      野橋 順子(生活支援研究会理事長)

新年度がはじまりました。生活支援研究会も今年の12月で設立して、10年を迎えようとしています。皆さんのおかげで10年を迎えることができて、本当に感謝しています。思い返せば、この10年間色々なことがありました。私が生活支援研究会の理事長になったのは、29歳の時でした。あっ歳がバレる(笑)。理事長に就任した時は、プレッシャーと自分はできないという自信のなさで押しつぶされそうになり、よく泣いていました。私の理事長のイメージというのは、キラキラしたゴージャスなアクセサリーを付けた威厳のある怖いおばちゃんのイメージだったので・・・。全く自分に自信がなかったです。
そんな私を支えてくれたのは、今は亡き、澤田さんの『何かあればオレが責任を取るから』と言って副代表になってくれたことや、「野橋は障害者の中で人徳があるし、理事長は野橋しかいない、きっと大丈夫」と励ましてくれた田中事務局長や色々な人の励ましの中、頑張ることが出来ました。
生活支援研究会ができて良かったことは、色々な人と出会うことが出来たことです。当初介護派遣部門生活センターの利用者は、20人程度でした。現在は60人ぐらいになり、仲間が増えました。支援研究会が立ち上がったきっかけは、六甲デイケアセンターの利用者の親がお亡くなりになり、介護体制がなかったら、施設に行くしかない。しかし、デイサービスは昼間の支援しか出来ない。それならば、自分達で、介護派遣の事業所を作って支援しようというものでした。

デイケアセンターに係る有志達が集まり、私もデイに関わる利用者で将来自立したい障害者の一員だったので、仲間でかかわり支援研の立ち上げ当初の一員でみんなで考えました。どんなに重度な障害者も施設に行かず、みんなと同じように地域でイキイキと生活できる事を支援するをモットーに支援研は立ち上がりました。10年前の介護制度の状況は今と比べて、介護派遣できる事業所が少なく、障害者が親元から離れ、自立するのは大変な状況がありました。学生のボランティアや介護制度を活用して、何とか障害者が地域で生活するのを支援するというものでした。かくいう私も15年前に親元を離れ自立したのですが、自立当初はヘルパーがいなくて、福祉が紹介してくれるおばちゃんヘルパ-を短時間使うか、身近なヘルパー事業所を使うかしかありませんでした。自立生活がしにくかったです。今は生活センターがあり、本当に良かったと思っています。

障害者の視点に立ち、障害者の声を聴き派遣できる事業所がある事は、本当に大切だと痛感しています。でも10年前の立ち上げ当初は派遣の職員は女性1名男性2名しかいなくて、事務所には扇風機しかなく、その段階に比べると今は職員は女性5人、男性4人と増えて本当に喜ばしい限りです。しかしここまでくるのには、紆余曲折の日々が有りました。当然ながら、職員が体調を壊し、休職や別の道を選び退職などの局面もありました。その度に生活センターの派遣ができなくなったらどうしよう・・・と心痛める理事長の野橋がいました。でも何とか求人をしたり、職員が残ってくれたり、ヘルパーとして関わってくれたりして、派遣を続けることができています。職員だけではなくヘルパーも1ヶ月実働60名近く動いてくれていて、本当にみんなに助けられている事を痛感しています。当然の事ながら、障害者の自立生活はヘルパーがいなければ、やっていけません。それを支えてくれる人たちには、本当に感謝しています。私も親元から離れる事ができ、ヘルパーに支えられ自立生活ができ、自分らしい生活ができるようになりました。自分で決め、自分で責任を取る大事な事ができるようになりました。

1人でも多くの人が障害者に関わるようになり、みんなと同じように生活できるように切に願います。そのために生活支援研究会を作ったので・・・。

10年目を迎え、支援研は次のステージにいく時期にきていると思います。中長期計画を立てる必要性を感じています。今まで(今もですが)は日々の仕事に追われ、目先の事しか見えない傾向が有ります。変えていかなければと考えています。例えば事務所が狭いので引っ越しの話を考える。今いる障害者が歳を取り親が介護できなくなった時に、施設に行かずに地域で支援出来る介護体制を作るのには、人手が必要です。その為にも、新しい職員を増やすなど・・・。次の新しい展望に向かい、しっかりと将来に向けて、計画を立てていく2014年度にしたいと思います。

また支援研は介護派遣だけではなく、障害者が地域で生きて行くために、色々なイベントや企画をしてさまざまな人に関わってもらったり、障害当事者が自ら活動して兵庫県で差別禁止条例を作ろうと活動したり・・・様々な活動もしています。その活動も大事にしていきたいです。障害者が地域で生活しやすくなる事は、誰しもが暮らしやすくなる事に関わることだと思います。皆さんも人事ではなく、自分たちの問題としても一緒に考えて貰えたら嬉しいです。いつも応援ありがとうございます。これからも支援研へのご協力をよろしくお願いいたします。私は障害者に寄り添い支援できる理事長になれるように頑張りたいと思います。

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