【ミニ特集/精神障害者の地域移行問題】 「病院は地域じゃない」~病棟転換型居住系施設は権利条約違反!!
【ミニ特集/精神障害者の地域移行問題】
「病院は地域じゃない」~病棟転換型居住系施設は権利条約違反!!
〈はじめに〉
2004年に厚生労働省は「精神保健医療福祉の改革ビジョン」を提示し「入院医療中心から地域生活中心へ」との基本的方策を打ち出した。そして障害者自立支援法の下でも地域移行を推進する事が、市町村計画においても数値目標として掲げる事など初めて明確化した。そして障害者制度改革の中でも、とりわけ精神科病院の社会的入院については重点課題として上げられ、それらを踏まえ、2013年6月に精神保健福祉法が改正され、国は「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」を策定するための検討会が始まった。
しかし、本来の方向とは逆行した動きが始まっている。同検討会において、今ある精神科病院の病棟をそのまま介護施設などの「居住系施設」という看板にかけかえる「病棟転換型居住系施設」の導入が一部委員から公然と主張され、近々その可否を検討する検討会が設置される事になっている。
それに対し「病棟転換型居住系施設は障害者権利条約違反!!」との緊急反対集会が、5/20に衆議院議員会館で開催された。また、各紙報道の社説等でも問題点が指摘されている。以下、東京新聞の社説を転載する。
■精神科病院 暮らしの場ではない (東京新聞社説、2014年5月19日)
精神病床が多すぎるというなら、その一角を住居に転換してはどうか。入院患者は効率よく“地域”に移ることができる。厚生労働省の検討会でそんな構想が議論されている。人権意識が疑われる。
日本の精神病床は三十四万床を超え、人口当たりでは先進国平均の四倍近い。心の病の多発国なのか。答えは「ノー」である。
在宅で療養できるのに、多くの患者が病院生活を送っているからだ。人間らしさを奪う社会的入院の蔓延(まんえん)は、国際的にも批判されてきた。
最近の統計では、入院患者は三十二万人。二十万人は一年以上入院している。そのうち三割は十年以上に及ぶ。高齢化も進み、年間二万人が病院で最期を迎える。
十年前、厚労省は病院から地域へと患者の生活の場を移す方向性を打ち出した。しかし、この間の統計は、改革の失敗を物語る。
そこで、去る四月、地域移行の手だてを考える検討会を新しく立ち上げた。最大の論点は、精神科病院の病棟を居住施設に転換するという構想の可否である。
病院側は推進の意向を示す。精神科病院のほぼ九割が民間経営という事情を抱えているからだ。
入院患者は主要な収入源だ。病床を安易に減らすと、経営が傾きかねない。既存の病棟を退院先の受け皿として生かせば、利点は大きい。そんな思惑がうかがえる。
裏返せば、そこに社会的入院の原因が浮かぶ。財政難を言い訳にして、精神医療を民間に任せ、患者の隔離と収容をせきたてた戦後の国策が背景にある。それを後押ししたメディアの責任も重い。
この構想の根底には、患者の人権より病院の営利を優先させる危うい発想がある。看板を掛け替え、患者を囲い込むトリックではないか。障害当事者や支援者側がそう反発するのは当然のことだ。
「いつ病気やけがをしても安心です」。そんな宣伝文句で、病院内のマンションが売り出されたとしよう。普通の感覚では遠慮したい物件だろう。障害者にとって便利なはずと見なすのは差別に通じる。
退院患者を病院内に押しとどめるような環境づくりは、障害者の自立と社会参加を保障する障害者権利条約の理念を損ねることになる。地域から切り離す行為に変わりはないからだ。
診療報酬も退院を促し、在宅医療を手厚くする方向になった。精神科医や看護師ら専門職の方こそ病院を出て、地域に分け入り、患者を支えて回るべき時代である。
〈インフォメーション〉
■6月10日火曜日 ハートネットTV Eテレ 午後8:00~8:29
「60歳からの青春~精神科病院40年をへて~」
(以下、ハートネットTV/ブログより転載)
日本では、ひとたび精神科病院に入院すると、退院して社会復帰するのが困難な時代がありました。今、この時点でも、症状がよくなっているのに病院の他に居場所がなく、長期入院を続けざるを得ないという人たちがいるのです。いわゆる「社会的入院」と呼ばれる実態です。
ここで一つ、驚くべき事実を紹介します。先進諸国では、精神科の在院日数は平均20日程度。症状が落ち着くと、社会に戻り、コミュニティーの一員として、普通に地域で働き暮らすことが当たり前となっています。しかし―日本では、精神科病院に入院してそのまま退院できず、1年以上の長期入院を続けている人が、20万人以上もいるのです。この20万人以上の人たちが、本当に入院が必要なのか、どんな“治療”が行われているのか、「ブラックボックス」でわからない状態が続いてきたのです。
こうした実態は世界的に見ても異常であるとして、1980年代には、国際法律家委員会(ICJ)と国際保健専門職委員会(ICHP)との合同調査団が日本に派遣され、WHOの報告書では、“人権保護や治療の観点からきわめて不十分”と指摘されていました。しかし、状況はすぐには改善されませんでした。
いま、国は、消費税の増税分で確保した904億円を使って、「精神科長期療養患者の地域移行」を考えています。地域移行の具体的方策について、専門家や有識者からなる検討会が開かれ、6月17日には、今後の方針が定められる予定です。
しかし、その方針をめぐり、論争が巻き起こっています。国や病院側は、「社会的入院」を解消するために、新たに「病棟転換型居住系施設」をつくり、ここで、退院とスムーズな「地域移行」を促すとしています。一方、精神疾患の当事者たちや、地域で当たり前に暮らせる「地域移行」を目指してきた関係者たちは、病棟を住居に転換した施設では、単なる“カンバンの掛け替え”に過ぎず、これまでの精神科病院のあり方の、根本的な改善にはならないと危惧を抱いています。
今年、「障害者権利条約」の批准国となった日本。本人の意思を置き去りにした「社会的入院」は、権利条約違反です。これからの日本で、誰もが人として当たり前の暮らしができる社会を、いかにしっかりと作り出していけるか。世界も注目しています。
私たちは、いま、40年もの長期入院を経てきた、ある男性を取材しています。男性は、いま、退院し、地域での暮らしを始めています。症状は入院中からすでによくなっており、周囲の方々は、「なぜこの人が人生のほとんどを、病院の中で過ごさねばならなかったのか?」疑問に感じているといいます。
みなさんはどのように思われますか。コメントをお待ちしています。
また、ぜひ6月10日の番組をご覧いただき、ご意見をいただけたらと思っています。
〈世界的な流れ/動向〉
○隔離収容・格差の中にある日本の精神科医療
○世界の5分の1の精神科病床が日本に!!(世界の精神科病床は185万床、そのうち日本が35万床)
○先進諸国の精神科在院日数は20日前後、日本では1年以上入院者が20万人!!
○少ない医療従事者の配置。医師の配置基準は一般医療の3分の1!!
上記のように国際的な流れと大きな格差のある日本の精神医療。イタリアでは1960年代から苦難な中でも精神医療改革が推進され、1978年には全国の精神病院を廃止する「法律180号」が成立している。法成立に至るまでを映画として製作された。5/17、NPO法人中部障害者解放センター等の主催により大阪で上映会が開催された。以下、報告です。
■ 映画『むかしMattoの町があった』を観て
高瀬建三(いこいの場ひょうご)
久しぶりに釜ヶ崎(大阪市西成区)へ行った。近くで表記の上映会があったので寄ってみた。あべのハルカスがそびえる、その西へと迷路を進んだ。わずか数年ぶりの訪問なのに街並みは驚くほど変貌していた。だらた゜ら坂を下り、懐かしい「お好み焼き・はやし」で340円の美味しい焼きそばを頂き、同行のKさんと飛田新地から動物園前、萩之茶屋、三角公園へ。その陽の高く昇った一角に所在無気な人々がひと群れになっている。近くには「釜ヶ崎支援機構(日雇労働者・野宿者等の支援団体)」そしてシェルターがある。私はKさんと、そこから上映会場へと折り返した。
会場に着いた時に、すでに主催者側の挨拶が始まっていいた。席に着きしばらくすると上映。映画『むかしMattoの町があった』のパンフレットから少し引用させてもらう。「180人のMattoの会代表」大熊一夫さん(ジャーナリスト)と同副代表の伊藤順一郎さん(精神科医)の対談形式となっている。
(映画パンフレットより)
私たち「バザーリア映画を自主上映する180人のMattoの会は、イタリア精神保健改革を描いた映画『『むかしMattoの町があった』の上映運動を、イタリア国営放送RAIから許可されました。『Mattoの町』とは精神病院の事です。映画は1961年にフランシスコ・バザーリアがゴリツィア県立精神病院長に赴任するところから始まり、1978年の精神病院廃止法(180号法 別名バザーリア法)の成立で終わる。」
【大熊】
バザーリアが、「僕も含めて、誰も精神病について何もわかっていないんだよ」って、最初の方で言いますね。(略)僕は、精神病って何も分かっていないのに分かったように扱われる病気じゃないかと、昔から思い続けているのですけれど。
【伊藤】
そういう風に素直に言える彼はすごい。分かっていないことを分かっていないと言える強さ。今でも多くのことが仮説です。精神病は脳の病だということ自体仮説だし、そこの生物学的背景についても多くが仮説。その仮説の上で僕らは仕事をしているのであって、これは明確な事実だと分かっているのは実はすごく少ない。
【大熊】
『人間の苦悩』こそ、この3時間の映画の大テーマ。バザーリア達は『病気』を押しださないで、努めて、苦悩する人々の『苦悩』と格闘する。
【伊藤】
バザーリアは言っています。程度の差こそあれ、我々の中に内在しているものが、彼らの中にもあるに過ぎないのだって。
【大熊】
映画でしつこく出ているのが、アッセンブレア。「全員集合」とでも訳すんですか。それで患者たちが成長していく。バザーリアも職員に言う。「とにかく彼らの話を聞け」と。
【伊藤】
収容所では言葉自体が禁じられる。反抗することも、意見を主張することも。だから何も言わない、希望が無くなる。アッセンブレアはそれをもう一度取り戻すための空間。(略)彼らを信じる。彼らにも力があるんだと。
最後に私見を。この映画の副題「自由こそ治療や!!」にまず魅かれた。ヅル・シュミット著『自由こそ治療だ』から・・・さらに某精神病院の壁に大書きされていたという「自由こそ治療だ」からのものだ。この映画を観る前は、「イタリアだからできたことだ・・・日本では・・・」と思っていたが、バザーリアや支援者、何より障害当事者の視線の先に「現状を変えたい!」という強い思いがあった。それが国を動かし180号法(バザーリア法)となった。それならこの国だって可能だ。壁は厚いし意識の変革から始めなければならないが、それはイタリアだって同じだった。話しは元に戻るが、釜ヶ崎の人々は「自由こそ人生だ!」と叫んでいるように思えた。私たちは主張すべきだ。この映画を観て強く、そう思った。
今一度、「自由こそ治療だ!」
6月 8, 2014