「長期入院」の話し
【精神障害】 「長期入院」の話し
高瀬建三(いこいの場ひょうご)
「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討の論点(素案)」(以下「検討」)なる資料(資料1)をもらった。その〈基本的考え方〉として①長期入院患者本人の意向を最大限尊重しながら検討する。②地域生活に直接移行することが最も重要な視点であるが、新たな選択肢も含め、地域移行を一層推進するための取り組みを幅広い観点から検討する。さらに〈検討の進め方〉とある。
美辞麗句だが何と冷たい文章だろうと思った。「長期入院」に至ったそもそもの原因はどこにあるのか。勝手に生まれ、芽生え、育ったのか。資料2に「精神保健福祉関連年表」がある。多くの資料を読んで私が作った。65年のライシャワー事件、83年の宇都宮病院事件、そして「年表」にはないが01年の池田小事件がそのターニングポイントだ。精神障害者を狩り込み、殺し、そしてより厳しく閉じ込めるための医療観察法(予防拘禁法)が出来た。こうして精神障害者の社会との隔離は陰湿に地下に潜行していった。
前置きが長くなってしまったが私の自己紹介を。私は65年北播州の中学を卒業後、零細企業を渡り歩き34才で精神障害者となった。縁あって40才を過ぎて障問連に入り、今に至っている。私には忘れられないことがある。同年代の永山則夫死刑囚の事だ。「独りで誕まれてきたのであり独りで逝くのだ」と言い、「キケ人ヤ」と言った。『無知の涙』を抱いた者は「孤立」しか「友」が無かった。どこまで行っても独りだったのか。
話を変えよう。「長期入院」であり「検討」だ。しかし、不思議なのはいつ社会的入院という言葉が「長期入院」に「勝手に」変わったのか。やはり「コノ邦(クニ)ノ」人は言葉を変えるのも上手いのか。私の文通相手、東北のAさんがある会場で(Aさんは30年間の社会的入院者だ)社会的入院の問題点について質した所、担当者が「今は社会的入院とは言わない」と言ったそうだ。言葉を変えて問題の本質まで変えたいのか。ごまかすのはやめろと言いたい。
「検討チーム」には我が仲間、広田和子さんが入っている。その広田さんの言葉だけでこの原稿は終わりにしたかったが長文なので一部だけ引用させてもらう。――「なんで厚生労働省は65歳以上にこだわるのか。全年齢を対象にすべき。(略)精神科も他科と同じようにお見舞いに行けるべき。病院が変わるべき」「一に住宅、二にホームヘルプ(相談ではない)、三つ目に医者・看護師と対等に話できるように(略)精神障害者だからということではなくて、人としてどうかということを基本に考えるべき」そして最後に「今一番行うべきは「住宅」対策」と言っている。一方で某病院長は次のように語っている。「本人の判断能力をどう観るかということとの関係で、本人が自宅に帰りたいといった時に若かりし頃のなんでも自分でできた時とのイメージギャップ。(略)判断が難しい方々を医療の必要性が無くなったので出てくださいと言いにくい(略)」。この病院長の、歴史から何も学びとらない、家族の責任にしてきた、精神障害者を食い物にして来た者の不遜な態度はどうだ。こんな発言がまかり通っている「検討」って何だ?
最後に、「議事メモ」を録ってくれたDPIの尾上さんと、執筆の機会を与えてくれた障問連のみなさんに謝辞を述べたい。そして仲間の皆さんと今後も共に歩みたい。 以上
資料1「長期入院精神障害者の地域移行に向けた具体的方策に係る検討の論点(素案)」
資料2 「精神保健福祉関連年表」(作成:高瀬)
【精神保健福祉関連の歴史】
精神病者監護法…1900年(明治33年)治安の要請の強い「私宅監置」を中心とした立法
精神病院法…1919年(大正8年)道府県が精神病院を設置し(病院の設置は十分進まず)、
地方長官が精神病者を入院させる制度
精神衛生法…1950年(昭和25年)・都道府県に精神病院の設置義務
・自傷他害の恐れのある精神障害者の措置入院と、保
護義務者の同意による同意入院
・措置入院の経路として一般人や警察官等の通報
・私宅監置の廃止
1965年(昭和40年)の一部改正・ライシャワー駐日米軍大使の刺傷事件を契機に、通報や入院制度の強化など保安的色彩の強い改正
・通院公費負担医療の創設等により、在宅患者の治療促進
*精神病院収容主義の時代
・薬物療法も未発達で、収容隔離が主たる対処方法
・社会防衛的機能に重点が置かれがちだった時代背景
*1960年代~70年代(昭和30年代~40年代)にかけて精神病院の大増設
・施設整備費と運営費に公費補助を導入
1955年(昭和30年):4万4千床⇒1970年(昭和45年):25万床
・措置入院も低所得者の「経済措置」として幅広く適用
1970年(昭和45年)には措置患者は7万6千人(現在の10倍)
○薬物療法を中心として、精神医療の技術的進歩
○人権思想や、開放処遇の考え方の広まり
精神保健法…1987年(昭和62年)・1983年(昭和58年)、看護職員の暴行により入院患
改正 者が死亡した宇都宮病院事件を契機に、精神医療審
査会、入院時の告知義務、退院請求、処遇改善請求、
処遇の基準、定期病状報告の審査など、入院患者の
人権保護の制度を整備
・社会復帰施設の制度を創設し、法律の目的や責務規
定等に、社会復帰の促進を加える
1993年(平成5年) ・地域生活援助事業(グループホーム)の法定化
改正 ・精神障害者社会復帰促進センターの創設
・大都市特例(1996年(平成8年))4月施行
・栄養士、調理師等の5資格の絶対的欠格事由を相対
的欠格事由に改める
○障害者基本法が成立(精神障害者が基本法の障害者として明確に位置付けられ、
福祉対策の対象として明記された)
○地域保健法が成立(地域保健推進の新たな枠組みが定められた)
○強制的入院は減少(措置患者は6,400人)したが、入院患者数は33万人となお多
く、数万人は保健福祉施策が整えば社会復帰が可能
精神保健及び …1995年(平成7年)・福祉施策を法体系上に位置付け、法律の目的に「自
精神障害者福祉 改正 立と社会参加の推進のための援助」を加える
に関する法律 ・手帳制度の創設
・社会復帰施設の4類型、社会適応訓練事業の法定
・正しい知識の普及や相談指導等の地域精神保健福
祉施策の充実、市町村の役割の明記
・指定医制度の充実、入院時の告知義務の徹底
・公費負担医療の保険優先化
2014年(平成26年)・患者に治療を受けさせる等の保護者の義務を廃止
改正 ・病の自覚がない患者の入院は、3親等内の家族のい
ずれかの同意でOK
・3親等内の家族は、退院の請求ができる
映画のお知らせ 精神病院をなくした国 イタリアの物語 「むかしmattoの町があった」
自主上映会&講演会&フリートーク&フリータイム 「自由こそ治療や!」byちゅうぶ
日時:2014年5月17日(土) 場所:大阪市立阿倍野市民学習センター講堂 あべのベルタ3階
12:00~ 開場、受付
12:45~ 挨拶
13:00~17:00 映画上映会(途中30分フリータイムあり)
17:30~20:00 講演会&フリートーク 講師:三田優子氏(大阪府立大学地域保健学域准教授)
定員:80名(事前申し込み制、介護者を除く) / 資料代:1,000円(介護者無料)
申込み方法・問い合わせ先
氏名、連絡先(以上必須)の他、できれば所属先及び手話通訳が必要な方、交流会ご参加ご希望の方はその旨をお申込み時にお知らせください。
電話:06-6704-2455(NPO法人中部障害者解放センター内・担当 吉本)
FAX:06-6700-7955、メール:yoshimoto@npochubu.com
5月 6, 2014