差別禁止条例 障害者春闘

3/30(土)障害者春闘2013「差別禁止法を巡る情勢と条例制定の取組み」

障害者春闘2013

差別禁止法を巡る情勢と条例制定の取組み

障問連事務局

 

国会では自公民による障害者差別禁止法案作成の動きがみられる中、すでに条例を制定した熊本県とさいたま市から当事者である議員を招いて、制定までの取組みと現状についてレクチャーしていただきました。参加者は約65名となり、質疑応答も活発に行われて、時間が惜しまれる中でシンポジウムは閉幕となりました。

つづいて、三宮の神戸市勤労会館から旧居留地・大丸前までデモ行進を行いました。参加者は約50人で、障害者の教育、労働、地域生活、介護保障、そして差別禁止条例づくりを訴えかけました。

以下に、シンポジウムの主な内容を記載します。

 

司会:野橋順子(生活支援研究会理事長)

条例制定までの取組みと現状についてお聞かせください。

 

条例制定の取組みと現状 ①

障害のある人もない人も共に生きる熊本づくり条例

熊本県議会議員 平野みどり氏

 

きっかけとなったのは小泉政権下で骨抜きにされる形でできた障害者自立支援法でした。この負担軽減を求める運動が全国的に展開される中で、熊本では本当に超党派で行われました。きょうされんの方々も普段は連携することのない団体と協調して取り組んでいました。これは今は内閣府の障害者制度改革担当室長である弁護士の東俊裕さんがいたことが大きかったと思います。当事者運動として一つになることの重要性、世界でいうと差別をなくすための権利条約ができた、そして日本でもという中で、彼が当事者の弁護士として活躍していたということ、熊本にその足場があったことが大きかったと思います。大きく障害者運動が一つにまとまれたっていうことが、条例をつくることの基礎になったということになります。

条例づくりにあたって、ちょうど知事選挙がありました。クマモンを生み出した蒲島さんは自民党が見つけてきた候補でした。ただ、この人はとてもリベラルな人で、川辺川ダムについても反対の意志を内心もっていました。自民党も前の選挙では散々だったので、リベラルな人を候補に立てたいというのがあったんだと思います。熊本の自民党は自民党が見つけてきた候補者に相乗りするのは嫌だと言ったんですが、蒲島さんに賭けました。すごく苦学して農業研修生としてアメリカに渡って、最終的にはハーバードを卒業して、政治学者になるんですけど、すごく厳しい生活苦にも遇っているし、差別にも遇っているところに賭けました。その知事選挙で私は蒲島さんを応援しました。民主党の方からさんざん言われましたけど、結果的にはよかったと思います。蒲島さんが選挙に出る中でマニフェストに差別をなくす条例をつくると書かせたんですね。

 

平成20年2月 蒲島郁夫マニフェスト

「障害者の権利条約が採択され、世界的な差別禁止の取り組みが動き出し、国内法整備作業も進んで行きます。国の動きを見ながら、本県でも差別を無くすための条例制定に向けて準備を進めます。まず障害のある皆さんや関係者、一般県民の声を聞く場づくりの取組みを始めます。」

 

自民党は結局何も言いませんでした。選挙に勝つことを優先したんだと思います。このマニフェストが重要であると私が切々と伝えていたこともあって、これは残りました。このマニフェストがあることが後ろ盾で、当選後の熊本4か年計画の中にも、条例制定が具体的に書かれましたし、私たち当事者の差別禁止条例をつくる会の意見も県議会で通っていきます。「障害者への差別をなくすための条例検討委員会」は行政がつくった委員会です。私たちの差別禁止条例をつくる会は熊本で24団体がいっしょになってつくっていますが、まず県内各地に行って、「あなたの受けた差別の経験を話してください」というようなワークショップをずっとやってきました。もちろん地域でつくる会が主催してやることもありましたし、育成会の勉強会とか、身障連の勉強だとか、あるいは熊本県ろうあ者福祉協会が主催したり、自閉症協会が主催したり、24団体に入っている団体も独自に勉強会を開いて、差別事例を出し合い、分類する、ということをやっていきました。やっていると、たとえば、同じ障害種別の障害者の中では想像ができることも、違う障害の人にはぜんぜん想像もつかないような差別もあると、ワークショップをやることで知るわけです。この24団体+施設協会も入っている、そういったところの人たちが、自分のことだけじゃなくて、他の人が受けている差別に関しても知るきっかけをつくっていったということが、結束していくことの大きな要になったと思います。こうして約800もの差別事例が集まりました。それを分類して、条例の案文づくりに生かしていくということをやりました。

それを差別禁止条例をつくる会がやっていくのと同時に行政では「障害者への差別をなくすための条例検討委員会」が平成21年度に了承されて、平成22年度から開催されています。この委員会を構成するのは16人の委員ですが、うち数人が差別禁止条例をつくる会24団体の関係者です。委員長の良永彌太郎さんは元は熊本大学法学部教授で法律・条令制定に詳しい方です。行政もつくる会の動きを尊重していたことになるかと思います。

関係団体との意見交換会は行政がやってきました。タウンミーティングが3回だけというのは少ないと思いますが、教育、福祉、商工等関係団体(20団体)との意見交換というのは、私たちが集められない団体にも啓発したり、意見交換をしたりしていくわけです。

検討委員会から条例の素案ができます。それに対して経済団体から要望が出ました。「条例素案には、合理的配慮など新しい概念が含まれていたことから、県民への周知を十分図り、県民の理解を得たうえで、条例づくりを進めて欲しい。」というものです。要するに、事業者にとって負担になるから、いいかげんにしときなさいよ、厳しい内容にしてはいけませんよ、ということです。この要望書の原文は県議会の自民党がつくったものです。県議会は、当初は蒲島さんがマニフェストに書いたんだから仕方がないだろうという感じでした。しかし、差別禁止条例をつくる会24団体が県内各地で啓発をやっている中で、施設協議会の中でも差別に対してゆるいところがこれでは困るなと思ったのでしょう、自民党もしだいに警戒を強めました。私たち差別禁止条例をつくる会からみると条例素案もどうかなというものですが、それでも差別を禁止する旨が書いてあるからまあいいという感じです。ところが、県に条例をチェックする機関があるんですけど、そこと自民党の影響で、条例素案がさらにトーンダウンしていって、条例案が出されます。

平成22年12月の議会でこの条例案が通るはずでしたが、自民党がごねるなどして、継続審議になりました。そして、翌年3月にまた知事選になります。蒲島知事は一期目で条例をつくっておきたかったんですが、自民党にも配慮せざるを得なくなり、自分が当選した後の平成23年6月の議会でこの条例を制定しますと言いました。

 

平成22年 11月議会一般質問

知事答弁

「事業者をはじめ県民及び市町村に条例の趣旨が十分理解されるよう丁寧な説明を行い、十分意見を伺ったうえで、23年6月議会に条例案を提案する。」

 

さらに、障害者基本法改正案が平成23年3月ころに出たんですが、それがひどい内容で、熊本県の障がい者支援課も、基本法がこんな内容だったら、条例も書き換えないと・・・と躊躇しはじめたので、我々は粘り強く働きかけました。本当に残念だったのは、県が出した条例案に差別という言葉が一言もなかったんですよ。合理的配慮とか不利益取扱いというのは書いてありますが、差別という言葉がない。熊本だけではなく、自民党には差別という言葉に非常にアレルギーがあります。

そこで、平成23年4月7日~5月6日にパブリックコメントの募集がありましたが、差別という言葉一つ出せないような条例であっては困るということで働きかけたところ、文言等で対応可能な意見について条例案に反映することになりました。その結果、条例の全文に「差別をなくし、社会的障壁を除去する取組を促進し、共生社会を実現しなければならない。」という一文をやっと入れることができました。第2条の障害者の定義においても、国の障害者基本法を超えるような表現にはなかなかならりません。差別禁止ということにしたかったんですけれども、第8条の不利益取扱い禁止ということで、①福祉サービス、②医療、③商品販売・サービス提供、④労働者の雇用、⑤教育、⑥建物等・公共交通機関の利用、⑦不動産の利用、⑧情報の提供等まで、こういうことが差別だと書いてあります。でも一つ最後にいつも「合理的な理由がある場合を除きます」と書いてあります。これに逃げ込まれたらいけないなといういうのはあったんですけど、一応8項目書きました。その他というのも入れて幅広く、それは差別だとしたかったんですが、それはできませんでした。

合理的配慮というのがわからんと皆さん仰るわけですよ。やっぱりわかりにく概念だと思うので、具体的にどういうことが合理的配慮なのかは、これから条例を運用していく中で積み上げていきましょうというかたちになりました。条例ができる前の段階で明示的に県の方で出しているのが、第9条「社会的障壁の除去のための合理的な配慮」のこういった合理的配慮の例です。

 

行政が条例について啓発するためのパンフレットを作っています。その中に特定相談件数というのが載っています。県庁の障がい者支援課の中に広域専門相談員を4人配置して、週4日間勤務で交代で相談を受け付けています。その相談の内訳が載っているわけです。平成24年4月1日から施行されていますので、平成25年2月28日までのデータですが、98件の相談がありました。そのうち、私が知っている精神障害者からの電話があって1件とされていますが、実際に電話した回数は140回くらいあります。ですから、件数の背後にはものすごい数の電話がかかって、何度も対応をしているという状況らしいです。ですから、98件となっていますが、実際の電話対応数は相当数に上ると思われます。

 

相談内容 件数(対応回数) 終結件数 継続中
不利益取扱いに関する相談 10(295) 5 5
合理的配慮に関する相談 15(97) 15 0
虐待に関する相談 9(58) 7 2
その他 64(547) 53 11
合計 98(997) 80 18

 

98件のうち終結したのが80件、継続中が18件となっています。終結80件というのも、ご本人が十分納得して終結したのかどうかは定かではありません。広域専門相談員に対して十分納得いってないけれども、一応終結させましたという方もおられます。継続中の方は、調整委員会というのにかかっている最中であるとか、調整委員会から裁定が出たけれども、それに不服で、知事に勧告をしてほしいと申し入れている方もいます。

 

 

「不利益取扱いに関する相談」の分野別件数

分野 件数
福祉サービス 1
医療 2
雇用 3
教育 1
建物等・公共交通機関の利用 2
不動産 1

 

「その他」の内容別件数

内容 件数
①    差別的な発言等を受けた 13
②    障がいに関する質問等 5
③    各種手続に関する問合せ 10
④    障がいのない人からの障がいに関する相談 2
⑤    条例の普及、啓発の要望等 2
⑥    施設に対する要望、不満等 4
⑦    その他生活に関する相談 28

 

条例に基づく電話相談にあたいするかどうかわからないにしても、これはうちじゃありませんからなどと言わずに、とにかく全部受けて、必要なところにつなぐなりしますけれども、たらいまわしにされたという感覚ができるだけ起きないようにそこではきちんと解決をできるようにはしているそうです。一番たいへんなのは、精神疾患の方で、対応が十分にはできないと行政からも聞いています。本人からも、この条例ではぜんぜん役に立たないと、私のこの辛さはどうしてくれるんだというようなことを私にメールでくださったりしています。条例でできることの限界はもちろんありますから、国の法律改正を待たなければいけないのか、あるいは司法の場で争っていくしかないというケースもあるようです。

熊本での取組みは、24団体がしっかりまとまりました。しかし、お互い初めていっしょにいろんなことをするっていう部分もあるので、お互いがうまくチームワークをつくって条例づくりをするぞっていうのが一番メインの私たちの目標だったので、一般市民の方たちも巻き込んで広く啓発をしようっていう点がまだまだ足りないと思います。私たちがやってた時もまず私たちが固まってとにかくやっていこうということで、そちらに主眼が置かれていたので、いろんな業界、団体に出向いていくっていくとが出来ていませんでした。話をしに来てくれと言われれば行くんですけれど、話をさせてくれっていうのは、熊本商工会だけでした。ここが一番ネックになるところでしたから。やっぱり、一般市民の方への啓発は十分ではないかなと思います。新聞広告やテレビを使って啓発はしていますけれども、まだまだ足りていません。

 

○熊本県「2012県民アンケート」における条例の認知度

①よく知っている 5.9

②名前だけは知っている 24.1

③全く知らない     67.1%

④無回答         2.9%

○千葉県「平成23年 県政に関する世論調査」における条例の認知度

①よく知っている     2.2%

②多少知っている    16.8%

③知らない       78.4%

④無回答         2.6%

○さいたま市「平成23年度 市民意識調査」における条例の認知度

①内容を知っている    3.3%

②名前は知っている   20.6%

③知らない       72.8%

④無回答         3.3%

 

熊本県のアンケートでは、全く知らないが67%もいるんですね。千葉県も78%、さいたま市も72%です。この条例はまだまだ県民の方に広く活用されていたり、認知されている状況とはいえないということになります。このことは県も十分認識していて、平成25年度の予算にも啓発のための予算をかなりとっているようです。

 

 

 

条例制定の取組みと現状 ②

さいたま市

誰もが共に暮らすための障害者の権利の擁護等に関する条例

さいたま市議会議員 傳田ひろみ氏

 

さいたま市にはヌゥというゆるキャラがあるんですが、私はくまもんのぬいぐるみを車イスにつけてます。くまもんの認知度はすごいですね。条例の認知度アップのために、くまもんにタスキか何かかけて、広めてもらいたいです。条例の正式名称は非常に長たらしいのでノーマライゼーション条例と呼んでいますが、これも言いにくいので、ノーマ条例と呼んでいます。熊本も千葉も、はじめはその地域の障害者団体が声を挙げて行政を動かしたっていう経緯があるんですが、さいたま市の場合ははじめから市長が市長選のマニフェストにノーマライゼーション条例をつくるという文を入れました。といっても、まったく市長一人で考えたんじゃなくて、私たちがどうしても入れるように言ったというのもあります。市長選に関して言えば、政治的にいろいろあるんですけど、話がとても長くなるので割愛させていただきます。

市長がマニフェストに入れて、その市長が当選しました。マニフェストっていうのは、やっぱり実行しなければいけないんですね。マニフェストの中にも、すぐに実行するもの、2年先のものとか、もっと長期にわたるものとかあるんですけれども、ノーマライゼーション条例というのは、すぐ実現するというところに入っていました。

2009年5月に市長選があって、市長がマニフェストの一つにノーマライゼーション条例を掲げ、めでたく当選しました。11月に市長がこれを実行するということになって、障害者施策推進協議会に諮問し、翌2010年1月に障害者施策推進協議会に条例検討専門委員会が設置されました。それが11月まで10回開かれます。さいたま市の特徴として、いろんな団体から声があがってできたものではありませんので、いろんな障害者団体からそれぞれの意見を聞かなきゃならないということになって、条例検討専門委員会は十数名で成り立っていますが、さらに「100人委員会」というのを設置しました。これは委員が100人いるというわけではなくて、誰もが入ることができて、なるべく大勢の人でということで、その代名詞として「100人」という名前をくっつけました。その「100人委員会」にはいろんな障害をもったみなさんはもちろん、障害をもった人だけじゃなくて、市民なら誰でも入れる委員会でした。そういう委員会から出てきた意見を、吸い上げて、条例検討専門委員会で交通整理をして、条例として形づくっていきましょうということで始まりました。

「100人委員会」については、「さいたま市 100人委員会通信」というのがあります。表紙の見出しに「ノーマライゼーション条例づくり 誰もが共に地域で暮らせるさいたま市を目指して」と書いてあります。表紙の下の方に「今後の予定」があって、第1回から第10回までの日時と会場が案内されています。いろんな人が参加しやすいようにということで、夜の時間帯になっています。土曜日に開くことも多く、各回だいたい3時間くらい開きました。結局10回では足りず、11回開くことになりました。本当に誰でもその場で申し込んで参加できるというかたちでした。私もこの「100人委員会」全11回を全部傍聴したんですけど、最初は何が何だかよくわからなくって、来た方々が不満を吐き出す場になっていたという感じですね。これどういうふうに収集つけたらいいのかなあと、みなさんそう思ったんじゃないかと思います。それでも何回か開くうちに、だんだん統一がとれてきます。結局いろんな障害の方がいましたから、さまざまな団体に所属している方が、その場でいろんなグループ分けをされるので、たとえば、視覚障害の方と聴覚障害の方、知的障害者の方、精神障害者の方、いろんな方が入り混じったかたちで、障害のない方も交じっていましたので、そこでお互いの障害のことが初めてわかったと。障害者どうし、お互いにわかんないことってありますよね。そういうことが感じられて、お互いによくわかったということがありました。そうやって整理されていって、回を重ねていくごとに、じゃあ今回は教育について話そうとか、就労について話そうとか、暮らしについて話そうという感じで、それぞれ分けたテーマに沿って話し合いをしました。だいたい10~12くらいに分けて、それぞれ10名くらいずつ分担しました。必ずファシリテーターすなわちリーダーを置いたのと、書記さんは行政にかかわってくるので、障害福祉課の職員が必ず参加して、書記さんになってもらいました。そこで出たいろんな意見を、今度は当事者たちが入っている条例検討専門委員会が交通整理して条例づくりをしていくというかたちで進めてきました。

2009年11月に市長は障害者施策推進協議会に諮問しましたが、2010年12月に今度は障害者施策推進協議会が市長に答申します。1年くらいですから、けっこう短期間のうちに行われたわけです。その間、条例検討専門委員会の委員たちが手分けして、いろんなところにヒアリングに行きました。たとえば、交通関係では、JR東日本・埼玉高速鉄道・埼玉新都市交通株式会社・埼玉県バス協会・埼玉県タクシー協会です。雇用・生活関係では、埼玉県経営者協会・埼玉中小企業家同友会・さいたま商工会議所・埼玉県銀行協会・埼玉県旅行業協会・県雇用開発協会。福祉サービス関係では、さいたま市介護保険サービス事業者連絡協議会・埼玉県精神福祉士協会・障害者支援施設・市社会福祉事業団に出向きました。教育については、実際に市立の小学校に行ったりしています。そいった意見をすべて吸い上げ、なおかつ「100人委員会」でやってきたいろんな言葉、思いを反映して答申を上げました。

いよいよ答申が出たわけですが、そのまま条例にするわけにはいかないんですね。条例にはいろんな難しい決まり事があって、たとえばカタカナを使ってはいけないとか、様々な制約があるんです。さいたま市はさすがに、「差別」という言葉は入れないというのはなかったんですけど、かなり手を入れられてしまいました。この答申そのままの条例だったら本当に素晴らしいものだったと思いますが、法制課というところが様々に手を入れて、ズタズタでもないんですが、ずいぶん変わってしまいました。それでもなんとかある程度の形ができてきます。条例というのは、議会を通さないと完成できません。1年かかって作り上げた条例案も、議会で否決されたら、みんな水の泡になってしまいます。なんとか議会で通さなければいけないということになります。

この条例案は2011月2月の議会に議案として上程されました。出てきた議案はそれぞれ専門の常任委員会に振られます。このノーマライゼーション条例案は保健福祉委員会に付託されて、私がたまたまその保健福祉委員会の委員だったので、まともにかかわることになりました。通すまでに本当にたいへんでした。4月には統一地方選があったので、2月議会で通さないと、もしかしたら廃案になってしまうかもしれません。なんとか通したいという思いもありましたが、やはり自民党さんが最初はいい顔をしませんでした。

最初に市長選の話をしましたが、そのマニフェストが思わぬところで政争の具になっちゃったんですけれど、市長がどちらかというと民主党が立ててきた方だったんです。自民党はその時、民主党を目の敵にしていたわけですから、民主党をバックにして出てきた市長のマニフェストにあったこの条例はやっぱり通したくないという気持ちがあったと思われます。保健福祉委員会でも、普通だったら議案に対する審査はそんなに時間はかかりません。

ところが、この条例の審査では、傍聴者がものすごくたくさん来てたんです。普通は傍聴者は5~6名しか入れないんです。ところが、条例の審査の当日は、傍聴者が70~80名来ちゃったんです。事前に議会の事務局から私に「何人くらい来ると思う?」って聞かれたんで、たくさんくると思いますよ、もしかしたら数十名来るかもしれないって答えました。それを聞いた事務局はちょっと気を利かせまして、普段の委員会室では入りきらないと思ったのでしょう。全員協議会室っていう大きな部屋がありまして、傍聴者を全部入れました。70名くらいいたと思います。その傍聴者はほとんどが、障害者と障害者にかかわっている人たちだったわけです。そんな中で審査するので、自民党もうっかりしたことは言えなくなります。4月の選挙前という時期がかえってよかったのかなと思います。やっぱり障害者団体を怒らせちゃうと票につながらないという思いもあったのかもしれません。それで、自民党も真向から反対というわけではなく、それなりの質問をいろいろしたりしましたが、結局1日では収まりませんでした。朝10時に始まって、午後2時になっても終わりませんでした。途中で打ち切るわけにはいかないので、もう1回やることになります。もう1回審査日をつくって、この日は2月で雪が降る寒い日でしたが、その日も同じくらいの傍聴人が来ました。やはり大きな全員協議会室で話をして、それで通るかと思ったんですけれど、そこで自民党が修正案を出してきました。賛成はするけれど、この部分を替えて欲しいという修正案を出してきたのです。たとえば「通報」については、修正前は「虐待を受けたと思われる障害者を発見した時は、速やかにこれを市長に通報しなければならない」という義務規定だったんです。修正案は「市民は、虐待を受けたと思われる障害者を発見した時は、これを速やかに市長に通報するものとする」となっています。ずいぶんニュアンスが違いますよね。私たちは「通報しなければならない」という義務規定にすべきだと思っていました。一番ひどいなと思ったのは、就労支援のところです。「事業者はそれぞれの障害の特性を理解し、障害者に対し雇用の機会を広げるとともに、就労の定着をはかるよう努めなければならない」というのが修正前です。たとえば、車イスを使ってる人が働くようになった時には、それなりに合理的配慮を、誰でも使えるトイレにするとか、スロープをつけるとか、そういうふうに努めなければいけませんという規定です。この部分がすっぽり抜けてしまいました。なくなっちゃったんです。この修正案を見た時に私たちは、これでもいいものかどうか、すごく迷っちゃいました。たぶんその日に可決しないと廃案になっちゃうという状況だったんです。それで、私は傍聴の方たちに修正案でもいいかどうかを聞いてみました。そしたら、修正案でもいいからとにかく可決してほしいという意見がけっこう多かったので、じゃあがんばりませんねと言っていいことにしようと思ってたんですけれど、昼休みが終わる直前にどういうわけか?自民党がこの修正案を引っ込めたんです。なぜ引っ込めたのか未だにわかりません。たぶんあの大勢の傍聴者を前に方針を変えたのかもしれません。それに、議会が始まる前に障害者団体の人たちが保健福祉委員の一人一人に、自分たちがどんなに不当な扱いを受けてきたかとか、ありのままの意見を書いて、ファックス・ハガキ攻勢をかけていました。やっぱり自民党の議員さんにも心ある方が多かったか?選挙前だからか?あとは、いろんな障害者団体による自民党への積極的な働きかけがあったのかもしれません。そういうことで土壇場のところで、自民党は修正案を引っ込めてくれました。それでうまいこといきまして、その委員会では全員が賛成し、保健福祉委員会では可決となりました。

議会というのは、その委員会で出た意見について、今度は本会議で全員の議員さんの賛成・反対を問うことになります。保健福祉委員会ですべての会派が賛成してるから、たぶん本会議でも成立すると思っていました。その時も80席の傍聴席がいっぱいで入りきれない傍聴者が別室で聴くという状態でした。その時に条例を可決するかどうかというところで、残念ながら議長1名と議員59名の中に、ちょっとへそ曲がりの無所属議員が1人いて、その人が反対しました。それから自民党議員が5~6名退席しました。退席というのは、自民党議員は今20名くらいいますが、保健福祉委員会で自民党は賛成しましたから、会派としては賛成の立場をとるわけです。それでも従えない場合は、同じ会派の場合は退席するわけです。こうして全体の残り五十数名が賛成してくれました。賛成の議員が立ち上がり、私は立てないので手を上げました。その時、傍聴席から、おおー!というどよめきがあり、私も感動しちゃったかなと思います。

こうして条例が可決されましたが、その後やっぱり市民に知られていないわけです。市長が自分のマニフェストに入れたので、けっこう責任を感じています。さいたま市でサッカーのJ1リーグに入っているチームを2つも持っています。浦和レッズと大宮アルディージャです。そのJリーグの試合の時に市長自ら、ノーマライゼーション条例が制定されましたという横断幕を振って会場を一周したり、ろう学校の生徒さんたちが中心になって手話応援をしたり、市長自らマイクを持って大宮駅で街頭演説をしたり、区民まつりというお祭りでノーマライゼーション条例ができましたというティッシュペーパーを配ったり、いろいろな宣伝はしています。福祉部門はこの条例のことをよく知っているんですけど、他の部門がぜんぜん知りません。たとえば、建築とか、総合政策とか、それぞれの局があるわけですが、庁内の職員が知らないというのはあってはならないということで、横断的にすべての部局の人が参加する庁内横断検討会議というのを市長自らが先頭に立って作り上げました。去年の夏は、局長とか課長とか上級職の人を集めて車イスの体験をしたり、疑似体験みたいなことをしたりしています。結局、障害者団体が中心になって盛り上げてつくった条例ではないので、肝心の障害者の方々がまだ知らなかったりします。一番気になっているのは、さいたま市は政令市ですから、区の窓口の職員がよく知らないでとんでもない言葉を投げつけちゃったりとか、いろんなことがあるので、まずは職員に知ってもらう、そんなところからやっていかないといけないと思っています。まだまだ課題はいろいろあるんですけれど、ようやく進み始めたかというところです。

さいたま市の条例はけっこう国連障害者権利条約に近い条例だと思っています。障害を社会モデルとして捉えているところなどがそうです。条例の文章ってなんであんなにわかりにくいんでしょうね?条例検討専門委員会の座長を務めてくれた宗澤忠雄さん(埼玉大学教育学部准教授)が、条例をとってもわかりやすくした書き下し文をつくってくれました。それがまだ日の目を見ないんですが、小学校や中学校で、条例を簡単にした文章を教材として使ってほしいと言い続けているのです。私は本当の条例が、そのやさしい文章のものそのままであってほしいと思いますが、法制課というのがあって、すごくややこしくしてしまうのです。本当に一般の方々が見たら条例ってわかりにくいですよね。ですから、教育のところで小さな子どもから条例がわかるようになっていくことで、だんだん本当のノーマライゼーション条例になるのではないかと思います。

 

 

司会:野橋順子(生活支援研究会理事長)

どういうふうに条例づくりを広めていきましたか?

 

平野みどり氏

育成会とか日身連系とか、自閉症協会とか、いろんな団体自身が条例の必要性を感じていました。それを実現するためには他団体との連携がまず必要だと。それは障害者自立支援法の負担軽減を求める大きなうねり、自分たちのやってきたことが国の政策を変えることにつながった達成感が、次の目標に向けて動き出し、大きなモチベーションになっていったと思います。

神戸では、きょうされんとはやりにくいという団体もあるとのことですが、熊本ではコロニー印刷というのがあって、きょうされんの運動の中心になっています。この団体は、障害者独自の行事をいろいろとやっています。それはそれで独自にやりつつ、条例をつくる会とか、負担軽減を求める会にも入っていて、共産党さんといっしょにやったことがない人たちは、自分たちの運動をこちらに持ち込んでイニシアティブを彼らがとっちゃうんじゃないかと思いました。そこは正直、警戒はしていたんですが、彼らもそう思われたら元も子もないと思ったようなんですよ。すごくいいスタンスで責任をお互いに分かち合いつつ、自分たちが今まで接したことのない障害者団体との接触にも積極的に意欲的にやっていたと思います。それはやはり中央レベルで、東俊裕さんという私たちのカリスマ的リーダーがいると同時に、障害者制度改革推進会議にも入ってる藤井克徳さんという、きょうされんのボスがいますよね。彼らが中央と連携して同じ方向に向かって、その時は民主党できたけど、差別禁止法に理解のない議員が自民党を含めてまだまだたくさんいる中で、あれだけは功績として認めていいと思うんですけど、鳩山さんがつくってくれて、中でいろいろ協議をしているという国の動きをみていたので、県レベルの条例づくりで連帯しようと思えたのが連携できた大きな要因かと思います。と同時に、いわゆる県身連ですね、日身連系の、今まで自民党にずっとお願いをしてきて、自民党とつながっておけば自分たちの要求は実現していったという人たちが、裏切られたっていう思いと、福祉予算の削減という動きがある中で、今までのような自民党とのつきあい方じゃいかんという思いがあると思うんですよ。当事者としても同じ障害をもつ仲間と連携をして、自分たち自ら自民党に今の流れはこうなんですよと世界の流れはこうなんですよと言っていかないといけないというふうに県身連の人たちも思ってます。育成会ももちろんそうです。

県議会の議員にも理解のある人が少ないんです。私のように差別禁止条例が必要だと思っているのはごくわずかで、民主党系の議員でも条例はあったらいいよねっていう程度で、どこがどう重要であるかとか社会の中でいろんなつらい差別を受けてきた人たちが、何を求めてこの条例づくりにかかわっているかを十分わかっている議員はほんの一握り、5本の指で数えられるくらいしかいないので、その人たちに対して今こそ啓発していかなければならないという思いがあったと思います。県議会に請願を出していったり、要望書を出したり、ことあるごとにいろんなタイミングで差別禁止条例をつくる会がつくった条例案を説明させてくださいとお願いしたり、県が出した素案が問題があるということで整理して議会に持って行って。これも、私が、平野がいるから平野に任せとけばいいというのではなくて、私は議会の中ではそういう動きはまったくしませんでした。その時の厚生常任委議長とか委員長に、差別禁止条例をつくる会事務局がアポイントメントをとって、各会派をまわって、議員に説明させてもらう場をつくってきました。私もメールなどで、いついつ誰議員に会うんだなと知っておりました。それはもちろん、いつにどうしろと平野が作らせてる条例とか、平野のための条例であっては絶対にいけないので、それを言わせないような動き方でした。差別禁止条例をつくる会の会員として、私は議会の様子などをお知らせして、動き方のタイミングは伝えたんですけど、すべては事務局の方でやりましたので、それがよかったという気がします。

そうして各地でこの条例ができるとなった時に、条例に基づいて罰則なんか設けられてはたまらないとか、たとえば環境整理をしないといけないとなるとコストがかかるということで団体がアレルギーをもったとか、心配したとか、あるいは障害もっている人を雇用している事業所も、自分たちの対応の仕方を差別だとか言われるんじゃないか、糾弾されたら困るという心配はあったと思うので、彼らに対して県も説明会をもって説明させてくださいっていったし、差別禁止条例をつくる会も独自にアポイントメントをとって話をさせてもらう機会をつくってきました。特に大きいのは経済界ですね。経済界が一番大きいところですので、一般県民に対する啓発というのは、私たちが勉強会をやったりするのに広報活動をして一般の方も参加できますと言ってきたんですけど、一般の方たちがそんなに多くなくてもあんまり気にしませんでした。むしろ、自分たちの内部で条例をつくるんだという意志を最後まで強くもっていることの方が重要だと思っていました。ですから、条例をつくってそれを啓発していくとか、実際に運用しながら理解を求めていくとか、たとえば、合理的配慮とはどういうことをすることかと事例を積み重ねていくこと、それを事例集というかたちにしていくことになると思います。一般県民に対する説明は、私たち差別禁止条例をつくる会の責任とは考えませんでした。行政がやらないといけないことですよね。まだまだ条例の浸透は進んでいないので、行政に対しては条例の浸透を求めていきたいと思います。

 

傳田ひろみ氏

さいたま市の場合は障害者団体が盛り上がってできたというよりは、市長のトップダウンみたいなかたちでできたので、障害者団体の横のつながりはそれほど感じてはいないんですけど、市長の諮問先が障害者施策推進協議会ですよね。そのメンバーには育成会の人もいるし、きょうされんの方もいるし、いろんな方たちがいます。ただ、さいたま市の育成会の会長をしている人が、育成会の普通の方とはちょっと違って、きょうされんの方たちとうまくやっていってくれてるということもあって、障害者団体間でどうのこうのというのはまだありません。条例検討専門委員会にはきょうされんの方が2人いらっしゃって、お二人とも中央の制度改革推進会議にも顔を出していらっしゃったし、ちょうど中央の制度改革推進会議と同時くらいに、さいたま市の条例づくりが行われたわけです。中央の情報をいち早く伝えてくれました。結局、障害者団体が盛り上がってはじめたのではないので、逆に障害者団体をどう巻き込んでいくかと、そういう課題があったわけです。きょうされんのお二人が中心になって、障害者団体に声をかけながら、学習会を何度かやりました。中央の状況を説明してもらったりとか、私たちが望むノーマライゼーション条例ってどんなものかな?というような学習会を何回か積み重ねてきました。

それとは別に「100人委員会」というがあって、障害者の団体というよりも、個人で参加してる人も多く、個人として意見もたくさん出されたので、対立というか、いろんなことが起こったりもしましたけれども、団体間ではそれほどではなく、みんなでいっしょに条例をつくりあげていこうという感じだったかなと思います。

« »