教育

2013年度~障問連教育集会~報告

 

2月24日教育集会の写真

2013年度~障問連教育集会~報告

障問連事務局

 

昨年度に引き続き、「親のネットワーク兵庫」の定例会に合流する形で開催しました。淡路の「ぶったぁ福祉会」からは、1979年養護学校義務化当時に「みんなの中に居させて欲しい」と親の強い願いで普通学校に行った人を含め障害当事者メンバーも多く参加され、西宮からも3名の親、北播磨の特別支援学校の先生、私立保育所に勤務する男性保育士さん、そして親のネットワークにいつも参加される親も含め、約30名弱が集い話し合われました。

一通り参加者全員からの自己紹介を終え、口火を切ったのが、今回ゲストでお招きした全国教研集会でもレポート発表された川西の今西先生。特別支援学級の担任として6年生の肢体不自由生徒との関わりを話していただきました。4年生の時には原学級担任として関わった経緯もあったが、ある時、どうもその生徒が「お客さん扱い」されているのではと疑問に感じたが、それはその生徒の傍にずっといる自分が他の生徒との壁になっていたのだと気がついた事、また他の生徒がドッチボールをしていても平気で歩行器を押して行こうとするが、それまで自分が先回りして危ない事を回避してきたために、危険認識の力も育ってこなかったのだと気付かされた事、「先生! 放ったらかしやで」と言われても、あえて距離感を持って関わり始めると、自然な形で他の生徒も関わるようになった事、また自然学校の時には、その生徒が嫌そうな顔で「先生もここで寝るの?」と言われ、教師である自分よりも他の生徒との関わりを求めている事を実感させられた・・・など熱を込めて話しして頂きました。

しかし、今西先生も親も、周囲の生徒との関係が深まっていった事に喜びあいながらも、4月からの中学の進路は特別支援学校になったという。その理由として、子どもの身体的なケアを考えたい親の思いと同時に、市教委の対応、そして進路先の中学校の説明会の際に「修学旅行や校外学習には親に付いてもらう事になります」と言われたという。集会の後段では、「なんで先生がそんな中学の対応はおかしいと組合に持ちこむなりして闘わなかったのか」と厳しい指摘もありましたが、障問連の昨年の神戸市とのオールラウンド交渉でも、修学旅行に親の付き添いを強要し、おまけに旅費等全額自己負担させられたことが大きな課題になり、神戸市教委は「あってはならない事」と回答しましたが、市が違うとはいえ、堂々と入学前の説明会の時点で当たり前のように「付き添って下さい」と言われる現状に、とっても腹立たしく思います。

けれど、このような学校のひどい対応はいくらでもあり、次々と発言が出ました。勉強もできないし言葉も発せられないけれど友達の輪の中に居る事が大好きな西宮の小6年の子を持つお母さんから、正月時点まで中学も当然普通学級と思っていたが、市教委から「子どもが可哀そう、訳も分からず机の前に縛り付けるのですか」と脅され、特別支援学級を選んでしまった事。

神戸の中学2年の知的と肢体不自由重複障害の子を持つお母さんからは、トライやるウィークの時に、「5日間の全日程参加させて欲しい」・・・これって当たり前な事をわざわざお願いしても、「学校の都合で3日しか無理です」と言われ、それでも何とかお願いしたいと言うと、それまで信頼してきた先生から「行って、何ができるんですか?」と明らかな差別発言を受けた事、さらにマラソン大会でも参加させてもらえず見学になってしまったが、その話し合いの中でも「こういう子、他に居ますか? ここまでのお子さんを地域でお預かりしていないでしょ!!」と言われたと報告されました。

また、神戸の知的障害の中学2年のお母さんから、特別支援学級に在籍していたが、できる限り原学級との交流時間を作って欲しいといくら頼んでも聞いてもらえず、えんぴつの家の松村さんや障問連の人に学校に来てもらい市教委立ち会いの中で話し合った結果、交流が実現できた事、事情があり転校する際に普通学級へと要望するとすんなり認められたと報告され、みんなびっくり。

また、西宮の知的障害の小6年の女の子を持つ、とっても元気なお母さんから、中学も普通学級籍でと伝えた途端に、次々と「もったいない! 個別指導すれば伸びるのに!」とやんやと言われ、迷ってしまう事。みんなの中で行かしたいといくら言ってもなかなか理解されないが、「何か良い殺し文句はありませんか??」との質問も出されました。

このような学校の対応、報告を聞いていて本当に憤りを覚えます。修学旅行の付き添い問題でも市教委が「あってはならない」と回答し、障問連の交渉でも県教委も神戸市教委も「親の希望は尊重する」と毎年回答していますが、全くの虚偽でデタラメな回答である事がよく分かります。上記のような事がもし公になれば、とても許されるものではありません。しかし、特別支援教育が本来インクルーシブ教育のためとされながらも、「支援」がより一層分離を押しすすめているのです。報告を聞き、このような場に出て来れない、つながり得ていないもっと多くの親子が学校・専門家に包囲され沈黙やあきらめを強いられているのかと思わざるをえません。生徒が抱える生活背景、親子の暮らしに教師はまず出会い、知って行く中でしか教育は成立しないと、障害児教育もまさに過酷な親子の暮らしに対面する中で、教師自らが学んでいく事で普通学級運動は推し進められ、阪神間の就学闘争、対市教委交渉の前面に多くの教師が、かつて闘ってきました。公務員や教師へのバッシングが強まり、教師自身が管理され分断される中、かつてのようにはいかない現実を前提としながらも、「良い殺し文句」はないが、親がわが子との暮らしの中から言葉を紡ぎ、一人ひとりの教師と向かい合い、必ずどうしようもなければ誰かが飛んで来てくれるんだ、そんな繋がりあいの中に障問連がしっかり存在し続ける事だと肝に銘じました。

淡路では1979年当時には毎月、障害児の親、教師、支援者が集まり、今回の集会のような話し合いが延々と持たれてきた、しかし今は開催できていないが、やらなければ・・・・と「ぶったぁ」の人が話されていましたが、後日談として先月「親のネットワーク」に初めて参加された川西「あかねはうす」の富田さんは、「各地域で、親のネットワークを開催しよう」との松村さんの言葉に、早速、若い親たちを集め、「何かあれば24時間何でも相談に乗るよ」と励まされたと、嬉しい報告を聞きました。西宮でも元気な親の会があり、お付き合いが始まりました。諦めず繋がりあって行く事と同時に、障問連として、個別の取り組みを通じた組織化と教育委員会への要求交渉への道筋をつけていく使命を再度認識させられた集会でした。

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