優生思想

「新型出生前検査について」藤原久美子さんからの投稿

この間、ニュースでお伝えしている「血液検査により胎児の障害(ダウン症)の有無が分かる」とされる問題について、昨年秋の「日本産科婦人科学会」による公開シンポジウムの開催、そして同学会によるパブリックコメントと矢継ぎ早に事態は動き、限定的とはいえ実施の方向で動き出します。

ご自身、視覚障害を持ち出産経験があり、DPI女性障害者ネットワークでも活動される藤原久美子さんより、この問題について投稿していただきました。

 

新型出生前検査について

藤原久美子(NPO法人Beすけっと)

昨年秋にマスコミ等で「出生前診断でダウン症がほぼ100%わかる」といった報道がなされました。これにより広く一般的に「出生前診断」というものに関心が高まったと感じます。

出生前診断と言われるものには、超音波検査、母体血清マーカー検査、侵襲検査(羊水、絨毛検査)といったものがあり、超音波検査に関してはエコー検査として一般的に知られていますが、出生前診断として行われるのは、胎児の首の弛みや厚みで染色体異常が分かるとされています。

血液検査は従来のものは、血清マーカーによる検査ですが、特に35歳以上の妊婦には精度が低く、また陽性と出たとしても、確定するには侵襲検査が必要というものです。しかしお腹に針を指して絨毛や羊水を取り出すため、流産の可能性があります。よって、これが容易に検査を受ける抑止力ともなっていました。

今回アメリカより導入されようとしている「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」(以下、NIPTと略)は、母体血の中にわずかにある胎児のDNAを調べて、染色体異常がわかるというものです。妊娠早期の段階で調べることができ、また血液を取るだけという簡便さ、しかも流産の危険性もないということで注目されました。

しかし実際には、染色体異常は21・18・13トリソミーという3つの染色体異常がわかるのみであり、このうち21トリソミ―がダウン症候群であることから、ダウン症だけが名指しされることとなってしまいました。また、99%の高い精度という中にもトリックがあり、染色体異常のあるこどもを産みやすいと言われる「ハイリスク」とされる妊婦においてのみ、そのような高い精度が保たれるのであって、低リスクの妊婦に実施した場合、ほとんど検査をする意味がない。よって、ハイリスクとされる妊婦しか受けられないようにすると、日本産科婦人科学会は、昨年12月に作成した指針案において書いています。指針案を読む限り、検査上の都合でというよりは、妊婦を限定することでマススクリーニング化することを避けているのだというように書かれてあります。すべての妊婦に行わないという事で、妊婦が安易に受け、誤った判断をしないようにということのようです。

(参考:日本産科婦人科学会が出した指針案については下記を参照)

http://www.jsog.or.jp/news/pdf/FinalProposalForNIPT_20121215.pdf

 

この指針案全体を通して、この検査が障害者の存在を否定するものではなく、慎重に対象妊婦や医療機関を限定的に行うように書いてあり、99年に厚生労働省が出した血清マーカーに対する見解を踏襲している部分も見受けられます。認定医療機関には、常時遺伝に関する知識を持った医師や看護師がいること、遺伝カウンセラーを置くことなど義務付けられています。学会のスタンスとしては別に広めようとしているわけではないし、それどころか非常に抑制的に慎重に行おうとしている。が、医療技術の発展や海外での動きを考えると、この検査が国内でも導入されることは仕方のないこと。ただその検査を受けるかどうか、受けて陽性だった場合にどのような判断をするのかは、妊婦およびそのパートナーが決めることであるという、かなり無責任な文章であるように、私は感じました。

私も約8年前に妊娠した時、出生前診断を医者から知らされた経験があるからです。当時はこの検査はなく、羊水検査のことを言われました。非常につわりがひどく、水も飲めないフラフラの状態でしたが、私とパートナーは医者に呼び出されました。そして「母体が35歳以上のカップルにのみに知らせている」との前置きをして、羊水検査のことを知らされたのです、

この時には、『まだこんなこと言ってくるのか』という思いでいっぱいになりました。というのも、最初に妊娠が分かった時、同じ病院の医者から中絶を勧められたからです。

理由としては私に難病があり、母体にも胎児にも影響があること(特に胎児に障害のある可能性があること)を言われました。

出生前診断を言われた理由とは違っていましたが、それでも私にとって障害があるないに関わらず産みたいこと、自分は障害をもってからの方がよほど充実した人生を送っていることなど伝えてきたのに・・・と思うと、病院としては何とか障害児が生まれることを阻止したいのだな、と感じずにはいられませんでした。私にとっては出生前診断を「知らされた」というよりも、「勧められた」という印象が残りました。

医者に「もし陽性という結果が出たら、どうなるのですか?」と聞くと、「それはそれぞれのご判断にお任せします。人によっては妊娠を継続されますし、中絶をする人もいます」とのこと。ただでさえ肉体的にも精神的にも不安定な妊娠初期に、このような重大な決断を迫られ、しかもそれはすべて「自己責任」と言われてしまう。しかも今回の指針案で言えば「妊婦が動揺・混乱のうちに誤った判断」をすると言われてしまうのです。

また指針案では「十分な説明」と「遺伝カウンセリング」があることとしていますし、私もそのことは重要だと思いますが、ただあの時の自分のことを思えば、そんな説明をされてもきちんと聞ける体制にない状況であったと思います。寝ているのさえしんどい時に、難しい検査の話やカウンセリングをしっかり受けることなどできるのかと思います。

私たちは現在、障害に対してはとても否定的な考えの社会の中に居て、妊娠となると自分の考えだけでなく、パートナーやその他の家族からもいろいろ影響を受けます。

つまり、どんなよい指針ができようと、世の中の「障害があると大変、不幸」という意識が変わらなければ、指針を守らない医療関係者はいくらでも現れるし、検査技術もどんどん進んでいくのです。もっと安全で、100%確実な検査方法ができる可能性も否定できません。

障害とは社会との関係で「障害」になるのだという社会モデルの考え方は、国連の障害者権利条約で謳われ、また改正障害者基本法でも書かれています。しかし現在の医療の現場で、医学モデルという機能障害にのみ注目するところから脱却することは不可能なのか、と悲観的になってしまうのです。

しかし、この新型検査の登場が、これまで障害者問題に無関心だった人たちへの気づきになるのではないかと期待もしているのです。実際、障害に関係のないと思われる人たちの中にも、この検査には危機感を感じている人たちがいます。妊娠したことのある、また特にこれからするかもしれない女性たちにとっては、大変大きな関心事です。

この検査の存在は、「ハイリスクとされる人は障害者を産む」といったレッテルを貼ることになったり、「障害児を産んではならない」というプレッシャー、そして障害児を産んだ時に「なぜ検査を受けておかなかったのか?」といった非難を受けるのではないかという危機感。そして理由は何であれ、中絶というのは女性の体と心に非常に重い傷を残すからです。中絶までしなくても、検査を受けたというだけで「胎児を調べてしまった」という罪悪感がつきまとうという人もいるのです。

この検査の存在は、決して女性を幸福にはしないということです。

海外ではすでにこの検査を導入し、高い確率で中絶が行われていると残念な調査結果を聞きますが、もちろん倫理観の違いがあるとはいえ、それは本当に女性たちが望んでいることなのかと疑問を持ちます。例えば英国において、国の経済事情により、障害者にかかる費用を考えれば、検査を受ける費用を無料にし、中絶したほうが安くつくという、対経済効果といった見方でしか書かれていないのです。

昔の「産めよ、増やせよ」ではないですが、国の事情で女性が出産する、しないを迫られるというのでは、これは女性の自己決定権、「性と生殖の権利」を脅かし、時代を逆行させるものです。

女性達もまた、こどもに障害があろうがなかろうが出産を祝福されたいし、母親が一人で子育てを担うのでなく、いろんな支援が必要だと思っているのではないか。そんな気づき始めた女性達も一緒に活動していけたら、と思います。

 

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