<抗議声明>大谷レディスクリニックによる着床前診断に見られる生命操作に抗議する
抗議声明
誰にもある存在の価値 優生思想に基づく命の選別を許さない
大谷レディスクリニックによる着床前診断に見られる生命操作に抗議する
障害者問題を考える兵庫県連絡会議
代表 福永年久
【はじめに】
「年々、異常児の出産が減りつつあることは喜びにたえない」。これは1973年、当時の兵庫県知事であった坂井時忠氏が語った言葉である。かつて兵庫県では対策室までも受け、「不幸な子どもの生まれない運動」を全国に先駆けて推進してきた。障害児施設を視察した先代の知事の発案により、障害のある子どもを「不幸な子」と定義し、「不幸な条件を持って生まれると、本人や家族の苦悩はもちろん、社会の負担は計り知れない」と、羊水検査の県費負担や先天異常のある胎児の中絶推進を打ち出したのだ。その後、「われわれは不幸なのか。生まれてきてはいけないのか」と、兵庫青い芝の会を中心とした障害者団体の強い抗議を受け、1974年、同対策室は閉鎖された。
この「不幸な子どもの生まれない運動」は、優生保護法(第2条「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」)を背景として実施された。しかし、この優生保護法も1996年に母体保護法に改正され、優生学的思想に基づいて規定されていた強制断種等に係る条文が削除された。
このように障害者の存在を否定する優生思想は一見、法改正され消え去ったかのように見えるが、実は医療技術の進展と共に、ますます強化されているのが現実である。その端的な事件が、7月11日一斉に各紙で報道された「大谷レディスクリニック」による129例もの着床前診断である。世界的には国連における障害者権利条約の成立、日本においても障害者制度改革が推し進められ、障害のある人とない人との平等を基礎としたな共に生きる社会の実現が求められているにも関わらず、障害者は生まれてくるべきではないと根本的に障害者の存在を否定する流れや風潮が強まる昨今の状況に対し、私たち「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」(以下、略/障問連)は強く警鐘を鳴らすものとして抗議声明を表明するものである。
【着床前診断とは~国際的な動向】
着床前診断とは、「ウィキペディア」によると、「受精卵が8細胞〜胚盤胞前後にまで発生が進んだ段階でその遺伝子や染色体を解析し、将来起こりうる遺伝疾患や流産の可能性を診断すること。遺伝子解析により遺伝子が特定されている遺伝病や、染色体異常等を発見することができる」とされている。
世界で最初の着床前診断は1990年に英国で『ネイチャー』誌に公表されたが、元々遺伝疾患を回避する目的で実施され、その後「染色体異常を原因とする流産の回避」が可能であることも判明し、流産予防を目的とする着床前診断も多数実施されている。国際的には宗教的立場や生命倫理の観点により国レベルでの対応は様々である。「ウィキペディア」によると、「・・・推進派の医師は羊水検査などの出生前診断に比し、受精卵診断によって人工妊娠中絶の可能性を回避できるなどの利点があると主張している。ただし、ことに人間の場合、優生学を継承した生命の選別・選民思想などの生命倫理的な問題があるとする意見もあり、その是非については議論が分かれる」とされている。
【日本の状況~今回の問題】
日本においては、日本産科婦人科学会により「着床前診断は、重い遺伝性疾患に加え、染色体構造異常が原因とみられる習慣流産も対象に、個別に審査した上で認める」と指針が示されているが、新聞報道によると大谷レディスクリニックは同学会に申請しておらず、うち97例は指針の対象外、しかも同クリニックは2002年にも申請せずに3例実施し2004年に発覚し同学会を除名されている。2009年「指針を守る」との誓約書を出し、同学会に再入会したにも関わらず、再び指針を逸脱した行為が大きく報道された。私たちは大谷レディスクリニックの同学会の指針を逸脱した行為という側面で批判をする気はない。むしろ同学会が示す「重い遺伝性疾患なら着床前診断を認める」という指針自体に、私たちは重大な問題性を認識しており、優生保護法から母体保護法への改正により「優生学的思想に基づく規定」は削除されたにも関わらず、医学の進展と共にますます巧妙に生きている現実こそ重大な問題だと受け止めている。
【これまでの障害者団体の見解】
1998年2月に厚生科学審議会先端医療技術評価部会により着床前診断も含めた出生前診断等の「生殖医療」に関し、多くの障害者団体・関係団体からの意見聴取が実施され、日本ダウン症協会、全国精神障害者家族会連合会、全国青い芝の会をはじめ多くの障害者団体から反対の意見表明が提出されている。下記に抜粋して紹介する。そして、鹿児島大学に始まった「デジュンヌ型筋ジストロフィー」を対象とした受精卵診断について、2008年、筋ジストロフィーや脊髄性進行性筋委縮症の患者で作る「神経筋疾患ネットワーク」により「着床前診断に反対するシンポジウム」が開催され、「重篤な遺伝性疾患」とされる当事者による新たな反対運動が始まっている。
全国精神障害者家族会連合会
「・・・出生前診断により胎児に特定の疾患の存在が予測された場合、その結果は、第一に胎児治療に、第二に、出生した後の子供あるいは家族も含めた医療・福祉的なケア態勢のプランニングに用いられるべきものです。その他、胎児・母胎の状態等を考慮したより適切な分娩方法を選択するために用いられるべきであります。換言すれば、出生前診断は、障害をもつものの生命の尊厳を守るためのものでなければなりません。・・・出生前診断の普及により胎児の選別につながり、優生保護法の復活にもつながりかねない」
日本ダウン症協会
「・・・出生前診断技術が胎児条項の導入とからめて議論される点について、私たちは、胎児条項には明確に反対であることを述べたいと思います。 胎児条項は、これまでにも人工妊娠中絶が認められていた期間内に、新たに胎児の障害を理由とした中絶を合法化しようという側面と、これまで人工妊娠中絶が認められていなかった時期においても胎児の障害を理由として中絶を可能にしようとする側面をもつものと理解しています。この条項は、いかなる論拠をもって正当化しようとも、胎児の先天的な疾患や障害に応じて積極的な絶命処置を選択可能にし、それを合法化するものであると考えます。文字通り生命を奪う行為に対して、子どもの先天的な疾患や障害をその理由として容認することは、障害や疾患を理由として生命の価値を測ることそのものであり、とうてい許容できない障害者差別の制度化であると考えます。・・・私たちにとって、胎児条項や出生前診断技術に関する議論は、決して心地よく聞くことのできるものではありません。障害をもって生まれてくることを本人にとっても家族にとっても『不幸』であると規定する価値観にさらされることは、日々、喜怒哀楽をともにしている子どもたちを否定され、障害の告知を受けた時の戸惑いや混乱から立ち直り、彼らが居て当たり前の日常生活を送っている家族全員の人生までも否定されてしまうのです。」
全国青い芝の会
「・・・出生前診断の医療技術に関しては私たち素人にはわからない。従って出生前診断の医療技術の不確かさや危険性についてはここで言及はしない。しかし、少なくとも人間の生命の質そのものを母体の中から診断し、選別する、これは絶対許されるべきではないはずだ。人類はその発生以来常に確かなもの、完全なものを追い求めて様々な変遷を行ってきている。しかし、本当に完全なもの、本当に確かなものの存在がこの世にあるだろうか。むしろ、確かでないもの、完全でないものを抱え込むことによって人類は幅広い精神を持って存在することができるのではないだろうか。」
【着床前診断~大谷レディスクリニックの主張】
日本産科婦人科学会の「慎重運用」に対して、大谷レディスクリニックは、「障害児等の命の選別ではない、生まれてくることができる赤ちゃんを選ぶ診断だ」とし、「高齢出産の増加」「女性が高齢になると染色体に異常が増え、着床しにくく流産を繰り返す可能性が高い」という理由で「申請には時間がかかる」と学会の指針を無視してでも、「女性の母体を守り」「カップルの要望に応える」との正当性を強くアピールしている。私たちは、不妊に悩み流産を繰り返す母体の苦しみは解決されるべきであり、こうした最新の出生前診断技術を含めた生殖医療技術の受益者が現に存在することも否定するものではなく、個人の出産行為の選択肢の拡大につながるものであるという側面も理解する。しかし、大谷レディスクリニックは、着床前診断は「優生思想や命の選別にはあたらない」としているが、その危険性は同クリニックも関わる「着床前診断ネットワーク」のホームページに掲載されている。長くなるが下記、引用する。
「・・・羊水検査は特にご年齢の高い妊婦さんを中心に大勢の方が受けておられ、現在日本では年間約10,000例が実施されています。また、国内のアンケート調査では、ダウン症児の次の子を妊娠した52人中37人(71%)が出生前診断を受けておられます 。ただ、羊水検査の危険性についてはあまり知られていないのではないでしょうか。・・・(中略)・・・もっと重要なことは、出生前診断の結果が意に沿うものでなかった場合、お腹の中で大きく育った胎児の妊娠中絶を選択される女性が少なくないということです。カウンセリングの整った欧米でも胎児にダウン症があると診断された女性の92%は中絶を受けています。また、上述の国内のアンケート調査ではダウン症児の次子のとき出生前診断を受けた37人のうち、76%が『出生前診断は障害をもつ子の中絶が前提』と答えておられます。中絶は女性の心身を大きく傷つけることはいうまでもありません。また、羊水検査や絨毛検査などの出生前診断は胎児の約0.5%が流産してしまう(200人に1人の赤ちゃんが死んでしまう)検査であり、『産むための心の準備のため』に軽々しく受けるべき検査ではありません。
着床前診断なら、妊娠が成立する前に検査するわけですから、中絶の可能性を考える必要がないので、女性の心身への負担はずっと軽くなります。着床前診断は胎児を殺し、母体の心身を傷つける妊娠中絶の可能性を排除できるという意味で出生前診断よりはるかに人道的な検査なのです。着床前診断を受けることで、染色体異常や遺伝子疾患の可能性を考えて避妊されていたカップルが妊娠の決断をされることが容易になります。出生前検査の結果としての選択的中絶が自己決定権に基づいて殆ど何の制限もなく実施されている日本の現状で、着床前診断についての自己決定権を厳しく制限する事は倫理的な倒錯だと言わざるを得ません。
日本国憲法13条は『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』と規定していますが、着床前診断を受けて流産を回避したり、体外受精の妊娠率を向上させることは、憲法 13 条で保証された基本的人権です。」
【受精卵なら選別しても良いのか】
大谷レディスクリニックは、「着床前診断は流産を繰り返さないための不妊治療であり、不妊症や習慣流産で悩む人が新しい命を育むための技術」「流産防止のための受精卵診断は、もともと染色体異常で着床できなかった受精卵、流産する運命にあった受精卵を調べて、胎児として発育できる受精卵だけを子宮に戻すだけであり、優生思想や命の選別には当たらない」としている。
しかし、歴史的に見るなら、そもそも出生前診断は「生命の選別」「優生」という目的のため実施され、受精卵診断・着床前診断も国際的にも「生命の選別技術」と捉えられてきた。しかし、1990年代後半から不妊治療の場に組み込まれ「生命の選別」から「胎児として発育できる胚を子宮に戻す技術」へとその位置付けは表面的には変化し、さらに技術の向上と共に2004年頃を機に「流産防止のための受精卵診断」という言説が大きく取り上げられ、「流産防止」「不妊治療」が女性(カップル)の強い要望に応えるものとして普及し始めている。この普及に大きな役割を果たしているのが大谷レディスクリニックである。
しかし、引用したホームページにも書かれているが、実態として多くのカップルが「出生前診断は障害をもつ子の中絶が前提」としている。仮に、同クリニック自らが「優生思想」を背景として「命の選別」を積極的に志向していなかったとしても、出生前診断の結果が「意に沿うものでなく~障害胎児の可能性」がある場合には「着床しない」=「産まない」という結果になる事を承知しているなら、結果的に「命の選別」に加担している事になる。
また、同クリニックの問題以前に、日本産科婦人科学会の「重篤な遺伝性疾患」なら容認するという指針自体、何を持って「重篤」と言うのか、さらに重篤であれば、なぜ、生まれないようにして良いのか、まさに「命の選別」のあり方自体に障害者団体・女性団体や社会的なコンセンサスや生命倫理の観点からも十分議論は尽くされていない。胎児を殺し、母体の心身を傷つける妊娠中絶が排除できると着床前診断の「人道性」が主張されているが、「受精卵なら何故許されるのか」といった根本的な問題と同時に、受精卵であれ「命の選別」には何ら変わりはないと私たちは考える。冒頭でも述べたが、優生保護法から「優生学的思想」は排除され、母体保護法に変革されているにもかかわらず、なぜ「障害児は望まれない命」とされ堂々と「命の選別」が行われているのか、私たちはまさにこの風潮を問わざるをえない。
多くの障害者団体の見解にあるよう、「カップルの自己決定~自発性」の中に潜む差別性、すなわち、今なお障害者が当たり前に地域社会で生存するための諸施策の脆弱さ故に「障害=不幸・生活の困難さ」という社会のありようの中で、「自己決定」に委ねる差別性が指摘されている。カップルが子どもを産むかどうかの選択は、多様なライフスタイルの中で当然、自己決定に委ねられるだろう。しかし、「子どもの質」を選ぶ事は自己決定権によっても正当化されない。「障害者は生まれてくるべきではない」との意識や風潮は、今を生きる障害者の存在を脅かし否定することにつながると、私たちは考えるものである。
さらに、このような人間としての「誕生」時点での選別が進む一方で、終末期医療においては「尊厳死」問題が、国会議員連盟の強い働きかけの中で法制化が進められており、「死」を巡っても優生思想の動きが強まっている。「安心社会」「社会的なセイフティーネット」を掲げた民主党政権の行き詰まりや生活保護世帯の増大、先行きの見えない雇用の不安定さといった社会の危機意識が強く煽られる中で、様々な形で優生思想の動きが急速に浮上する社会のあり方に、私たちは強く警鐘を鳴らすとともに、誰もが存在の価値を尊重され、命を大切にされ、人と人とのつながりの中で互いに生き、生かされる社会の実現こそ求められるものであると強く訴えるものである。
(※この声明文の作成に当たっては、「優生思想を問うネットワーク」の諸資料を参考にさせていただきました。)
10月 1, 2012