優生思想

「不幸な子どもの生まれない県民運動」についての資料

障害者基本法・第三章「障害の予防」関連

「不幸な子どもの生まれない県民運動」についての資料

 

第19 回推進会議の推進会議で指摘した通り、現行・障害者基本法の第三章は、前身の心身障害者対策基本法の第二章・障害の発生予防の条文を踏襲した内容となっている。

そして、1970 年の心身障害者対策基本法成立と前後して、自治体レベルでは「不幸な子どもの生まれない県民運動」といった、「障害=不幸」と決めつけた上で、障害者を「あってはならない存在」とみなす行政主導の啓発や取り組みが繰り広げられた歴史的事実があると指摘した。その一つの例として、兵庫県において展開された「不幸な子どもの生まれない県民運動」の資料を紹介させて頂く。

【兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」の経過】

1966 年4月 兵庫県衛生部が中心となって同運動スタート

同年 6月「不幸な子どもの生まれない施策を進めるために」(兵庫県 医第556 号)策定。以降、各種施策とともに県民大会等を展開。

1970 年8月 兵庫県「不幸な子どもの生まれない対策室」設置

1974 年4月 障害者団体の抗議を受けて、「不幸な子どもの生まれない対策室」廃止、運動の名称も変更される

【同運動における「不幸な子ども」とは】

『不幸な子どもの生まれない施策―5か年のあゆみ―』(1971 年10 月)によると、「この施策の対象となる”不幸な子ども”とは、どのような者を指すのか、分類すると次のごとくである。

1 生まれてくることを誰からも希望されない児

人工妊娠中絶胎児

2 生まれてくることを希望されながら不幸にして周産期に死亡する児

流・死産児、新生児死亡、乳児死亡

3 不幸な状態を背負った児

遺伝性疾患をもつ児、精神障害児、身体障害児

4 社会的にめぐまれない児

保育に欠ける児

【同運動の背景にある「障害=不幸」とする障害者観】

上記に分類された「不幸な子ども」の中でも障害児の存在が相当意識されていたことは、次のような当時の県行政担当者の文章からも読み取ることができる。

★『不幸な子どもの生まれない施策 通ちょう集(第一輯改訂版)』1967 年より

しあわせを求めて(当時の兵庫県知事)

ひとりで食べることも

歩くこともできない

しあわせうすい子どもが

さみしく毎日を送っています

「不幸な子どもだけは生まれないでほしい」

母親の素朴な祈りそれはしあわせを求める

みんなの願いでもあるのです

あすの明るい暮らしを創造するために

「不幸な子どもの生まれない施策」を/みんなで真剣に/進めてまいりましょう

★『不幸な子どもの生まれない施策 2カ年間の歩み』1968 年より

はじめに(当時の兵庫県衛生部長)

「次代を背負う子どもたちが心身ともに健やかに生まれ、かつ、育てられることは、すべての“しあわせ”の根元であり、みんなの切なる願いであります。

しかし、このような願いにもかかわらず、知恵おくれや身体障害など薄幸な子どもの生まれる率は案外に多い現状です。」

このように、障害=不幸、あるいは「あってはならない存在」とする障害者観がまかり通っていた時代の中で、心身障害者対策基本法 第二章・障害の発生予防の章が設けられたことは、紛れもない事実である。また、自治体レベルでのキャンペーンだけではなく、国レベルでは1973 年には優生保護法の改悪(反対運動にあい廃案)も進められようとしたことも。忘れてはならない歴史的な経過である。

※本資料を作成するに当たって、大阪人権博物館職員の松永真純氏の論文『兵庫県「不幸な子どもの生まれない運動」と障害者の生』を参考にさせて頂くとともに、同氏からの貴重な資料提供を頂きました。この場を借りてお礼を申し上げます。

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