2011年7月シンポジウム報告
《尊厳死問題》
7/3「尊厳死法案をどう考えるか~賛否両方の立場からディスカッション~」開催される
障問連事務局
7/3、東京弁護士会主催により表記のシンポジウムが開催された。コーディネーターとして立岩真也さん(立命館大学先端総合学術研究科教授)、シンポジストとして、推進する立場として、日本尊厳死協会常務理事の長尾和宏医師が参加、反対の立場で尾上浩二さん(DPI日本会議事務局長)、橋本操さん(日本ALS協会長)、川口有美子(さくら会)らが参加した。下記に尾上さんの当日配布された資料を紹介します。尾上さんによると、尊厳死協会の初代会長太田典礼氏は、実は優生保護法の発議者であり、1980年代に至るまで強固な安楽死思想の持ち主であり、今回のシンポジウムで、尊厳死問題を、改めて優生思想の問題として位置付けたこと、そして和歌山のALS裁判にあったよう、長時間の介護保障がない中で「家族に迷惑をかけられない」と、「選ばされる」現実、社会的背景を抜きに「自己決定に基づく尊厳死」のおかしさを中心に話された。また、行政が推進した優生思想の事例として、この兵庫県の「不幸な子どもの生まれない運動」について資料提示されたので、私たち障問連も受け継ぐべき歴史的資料として、尾上さんの当日レジュメと共に、以下に掲載します。
「尊厳死法案」をどう考えるか
DPI日本会議・事務局長
1.「尊厳死法案」をめぐって相次ぐ障害者団体からの反対声明
DPI日本会議声明文→別紙 「尊厳死」法制化に反対する緊急アピール」2012年2月29日
以下、障害者や家族の立場からの懸念、反対理由が端的に記されている部分を抜粋
■人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)
法案では、「適切に治療しても患者が回復する可能性がなく、死期が間近と判定された状態を『終末期』と定義」されているようですが、人の命とは、専門家といえども簡単に推し量ることなどできないことをバクバクっ子たちが証明しています。
バクバクっ子のほとんどは、当初、医師より生命予後不良との宣告を受けたものの、それらの予測を大きく覆して、それぞれの地域で様々な困難に直面しながらも、年齢に応じた当たり前の社会生活を送りたいと願い、道を切り拓いて来ました。医療によって命を救っていただき、サポートしていただいたからこそ、彼らの「現在」があります。
■社団法人全国委脊髄損傷者連合会、NPO 日本せきずい基金
「…怪我をして当初の急性期に3度、医師からあと数時間の命ですからと家族・親戚に集合命令がかかった。また、怪我をして1週間後に、気管切開をされて人工呼吸器を装着されていた。
このような、私事と照らし合わせたケースを想定すると、途中で医師が「適切な治療をした」また「回復の可能性がなく、かつ、死期が間近」と判断したとして、怪我する以前に私が「延命措置の差控えを希望する意思を書面」にサインしていたら今の私は存在しない」
l 他にも、日本ALS協会、日本脳性マヒ者協会・全国青い芝の会、精神「病」者集団声明、全国遷延性意識障害者・家族の会、TILベンチレーターネットワーク「呼ネット」、神経筋疾患ネットワーク、日本自立生活センター等々から続々と反対意見が表明されている
2.ますます広がる疑問・懸念
-第十三条で言う「障害者等」とは?、「生命を維持するための措置」と「延命措置」(五条2)は区別できるのか?
l 「第十三条 この法律の適用に当たっては、生命を維持するための措置を必要とする障害者等の尊厳を害することのないように留意しなければならない」
3.「尊厳にふさわしい生活を保障される権利」と「尊厳死」法制化
l 2009年12月から進められてきている障害者制度改革の議論を受けて、2011年成立した改正・障害者基本法には、「全ての障害者が、障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人としてその尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい生活を保障される権利を有する」(第3条)とある。
しかし、現実は、「尊厳にふさわしい生活を保障される権利」とは程遠い現状にある
l 2012年4月に確定した和歌山ALS訴訟の過程で出された仮の義務付けの動きを見た、(他の)ALS患者が人工呼吸器をつけることを選択されるようになった→【ALS訴訟・日弁連会長談話】
-「自己決定に基づく尊厳死」というが、現実には24時間介護サービスをはじめとした必要な支援を得られない中で、家族への負担等を慮り「選んでいる(選ばされている)」状況が厳として存在している。
l 法律制定や裁判の結果は人の生命を大きく左右する。逆に言えば、尊厳死の法制化がなされることによって、「尊厳にふさわしい生活の保障」どころか、その存在を危うくさせかねないことを、障害者は、これまでの歴史的経験から受け止めている。
4.障害者運動は「障害者=あってはならない存在」とする価値観(優生思想)との闘い、医学モデルからの脱却の中で「自立」という言葉を使ってきた
l 1970年前後から障害者自身が担い手となる自立生活運動、差別からの解放運動が取り組まれてきた。
l 障害者殺し・無理心中事件が続発する中で、「障害者=あってはならない存在」とする価値観(優生思想)との闘いが不可避であった。
l また、同時に、医学モデルに基づく障害概念により、障害の克服による「身辺自立」が強調され、専門家が様々な訓練プログラムをはじめその生活のあり様まで決めてしまう「専門家支配」がまかり通っていた。
そうした「あってはならない存在」と決めつける社会に対して立ち向かうべく自己を確立するとともに、医学モデルからの脱却を図る際に、使われた言葉が「自立」「障害当事者の自己決定」だった(「身辺自立、職業自立」から「支援を得ながらの自立」論へ)。
つまり、「自己決定」という言葉が社会的文脈と無関係にではなく、「障害者=あってはならない存在」とする価値観との拮抗関係、医療モデルからの脱却の中で使われてきたことを押さえておきたい。
5.政府の機関で障害者の「優生思想」に関した事件が取り上げられ始めたのは障害者制度改革推進会議発足(2010年)以降
4.で述べたことは決して「過去」のことというわけではない。
l 「第1条 (目的) この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに…」で始まる優生保護法(太田典礼議員等により提出、1948年)は、障害者運動からの長年に渡る抗議に加え、国際的な批判にさらされて、ようやく優生条項が廃止されたのは、20世紀末の1996年のこと。
l 1960~70年代に各地の自治体で「不幸な子どもの生まれない県民運動」等が取り組まれたが、そうした運動を背景に成立し、また運動を促進したのが障害者基本法の前身である「心身障害者対策基本法」(1971年)の「障害の発生予防」(後に障害の予防)条項。2010年の障害者制度改革推進会議において、これらの「不幸な子どもの生まれない県民運動」等の問題点が報告された。その後、この「障害の予防」条項改正を含む障害者基本法改正がなされたのは2011年である。
→【2010年9月27日 第20回障がい者制度改革推進会議 尾上提出資料】
l 上記、優生保護法の時代において行われてきた優生手術、さらには優生保護法にすら違反して行われた不法手術の問題が、2012年5月の推進会議・差別部会で取り上げられた。未だに、国連人権委員会勧告に記された国家による謝罪や補償を日本政府は行っていない。
→【2012 年5月11 日 障がい者制度改革推進会議 第18 回差別禁止部会資料より】
7月 7, 2012