【教育】『季刊福祉労働』から~「個別最適化された学び」で能力主義が進む~
栗山和久(障問連事務局)
■発刊から42年目を迎える『季刊 福祉労働』
現代書館発行の『福祉労働』、私は40年愛読している。その創刊号は1979年養護学校義務化の問題、厳しい就学闘争の報告が主であり、その後も一貫して共生共育にこだわり続け発刊されてきた。また「福祉労働」の名の通り、福祉現場での職員の労働条件改善と障害者の隔離施策や劣悪な処遇を撃ち「共に生きる」を志向する労働組合の闘いの報告、発刊当初はそれらが主たる内容であった。
それから42年を迎え、最新の170号には、読者宛に今後について、以下記されている。
「・・・『季刊福祉労働』は、1979年12月養護学校義務化阻止運動の中で創刊されました。『施設や養護学校はもうイヤだ。どんなに辛くても皆と一緒に地域で生きたい』。誌面づくりの根底には、いつも重度障害のある人たちからの痛切な叫びがありました。・・・しかし、残念ながら、昨今の障害のある方々を取り巻く状況は、私たちの目指すべき方向に近づくよりもむしろ、後退しているように思えます。2016年7月26日に起きた相模原障害者殺傷事件を筆頭に、特別支援学校・学級の増加、新型出生前診断の広がり、コロナ禍におけるトリアージ必要論の噴出など、枚挙に暇はありません。
みなさまへ、大切なお知らせがございます。
この度、『季刊福祉労働』はリニューアルをすることといたしました。これら『障害の有無によって生きる場所・命に線引きされる風潮』に抗い、声をあげる『当事者』を一人でも増やすべく、誌面の刷新および充実を考えたからです。それにともない、来年度(次号)より、刊行頻度を従来の年4回から2回へと変更させていただきます。定価は現在協議中でございますが、1400円を予定しています。
今後も障害のある人たちと地域の中で共に生きていくことのよろこびを伝え、『変わるべきは私たちでない、社会だ』と投げかける媒体として新たな可能性を探りつつ、次の世代に向けた出版活動を切り開いてまいります」
紙媒体の雑誌が次々と廃刊される中、極めて少数者である共生を志向する障害者問題~教育・入所施設問題・人権・優生思想・国の施策、諸状況への掘り下げた分析・・・など多岐にわたりブレずに年4回発信され続けられた編集者の方々に敬意を表し、私も誌面から多くを知り学ばせていただいた。
■結成から40年を迎える障問連の活動
先の文章は、発刊の縮小が主な報告だが、同時に今後について「共に生きる喜び」「新たな可能性」「次の世代に向けて」そして「声を上げる当事者を増やす」ことも視野に入れたリニューアルに向けた志が示されている。
障問連は「福祉労働」発刊の翌年、1981年12月に結成された。40年を経ようとする私たちにとっても、今後どうしていくのかの課題にも示唆を感じるものであったので、少し長くなったが引用させていただいた。
障問連も加盟団体の多くが事業体となった現在、「障害のある人たちと地域の中で共に生きていくことのよろこび」を、私も含めた事業所職員が語れているのだろうか。事業所交流会を立ち上げ、世代間の理念の共有、かつて小規模作業所時代には共に県要望を行い交流し合った横とのつながり、運動に関わる支援層を厚くしよう、そんな模索はなかなか継続していない。そして、障問連事務局として「声を上げる当事者を増やすこと」、その戦略が求められるが、答えは出ず、模索は続いている。
別項の平本さんの報道にあるが、医療的ケア児童が地域の学校に入学できず校門からは入れず、通学だけ共にする姿は、全国闘争に至りマスコミでも取り上げられた40年前の故金井康治君の花畑東小学校への自主登校と重なる。「どんなに辛くても共に生きる」闘いが今も強いられている。しかし私が関わる西宮の保護者等との就学の会では、日々無理解な教員から支援級へと誘導され、ふんばり闘わなければ普通学級が継続できない、その厳しさに「もう、しんどい」と涙する親の姿に直面する。今も40年前も親子の思いは変わらない。しかし、次に報告するよう、学校・教育を取り巻く環境がいかに変わってしまったのか。「辛くても共に生きる」地域生活の営みもまた、障害者制度の進展拡大により大きく変わった。
教育も地域生活も、取り巻く環境が変化し、さらに国内・国際的な様々な情勢の変化の中、ITの進展はコロナ禍によりさらに進み、今後の変化はさらに加速度的に進められようとしている。それらも見据えての運動の在り方、人とのつながり方、私たちもまた「新たな出発」が求められるのだろうと思う。
■「個別最適化された学び」で能力主義が進む~GIGAスクール構想の陰で
最新の『季刊福祉労働』の特集が表記である。この1年半以上続くコロナ禍の中、様々な場で「オンライン」が普通になり、学校でのタブレット配布についても疑問を深めることがなかった。しかし、この特集の文章を読み、事態の深刻さを感じた。ぜひ『福祉労働』を一読いただければと思う。以下、掲載された文章の一部を紹介したい。
〇GIGAスクール構想がもたらす教育現場の混乱 (宮澤弘道 東京都小学校教員)
〈本来であれば分けて考えるべき『コロナ対応』と『GIGAスクール構想』が一緒くたになっている。性急にオンライン授業を取り入れ、駆け足で教科書の全単元を終わらせることで、こぼれ落ちる子がいないか。学ぶ権利は全ての子どもたちにあり、全ての子どもたちに学べる環境を提供することが公教育の役割ではないか〉
〇「GIGAスクール構想」に子どもたちの未来を託せるか?
~透けて見える学びの自己責任化、朽ち溶ける公教育~ (児美川孝一朗 法政大学教授)
〈Society50時代の教育として、『公正に個別最適化された学び』の実現が目指されている。子どもたちがPCやタブレット等を前に、『1人1人の能力や適性に応じて』AIが提供する学習プログラムに取り組む。これらは能力主義に基づく学習を、自己責任原則ですすめようとするものだ。ここには、教育の公共性の思想が完全に欠落している〉
→ 「GIGAスクール構想」の政策決定の過程と背景が詳しく記されている。
・「長期の経済の低迷にあえいできた『財界の欲望』が強い推進役となり政権の思惑と合致」
・「近年の文科省が、もはや教育政策の自立的な決定主体たりえず、政策決定は首相官邸や教育再生会議に吸い上げられ、官邸を通じ経産省の影響を受けている」
・「経産省の省内に『教育産業室』が立ち上げられ、教育産業・IT産業など民間企業を学校教育に参入させていく道筋ができた」
・「・・・子どもたちを育てることより前に、公教育の『市場化』を推し進め、教育を企業の営利活動の舞台として開放するための『改革』である。同時にそこで育てようとするのは、経済界や産業界に奉仕する『人材』・・・」
■大阪市立木川南小学校久保校長の提言~その後
政治の右傾化による教育基本法の改悪、教員の組合運動や主体的な教育活動への抑圧、それらを通じ戦後教育が変質していく事は認識していたが、上記のよう、経済危機を煽っての公教育の在り方自体の具体的な崩壊へと進められる動向を知り愕然とするしかなかった。さらに政治の意思が更に補完している典型が大阪である。前々号で紹介した久保校長の大阪市長への提言、それに対し市教委は処分を行った。松井市長は「子どもたちは競争する社会で生き抜かなければならない」と言う。
次頁に9月30日毎日新聞の記事を掲載します。ぜひ一読ください。(割愛)
10月 1, 2021