教育

【追悼】 平本歩さんが残してくれたもの

障問連事務局先月に引き続き、平本歩さんが私たちに残してくれたものを振り返りたいと思います。

下記は、神戸新聞の記事です。『バクバクっ子の在宅記』(現代書館)は歩さん自身の著書、『バクバクっ子、街を行く』(本の種出版)は歩さんの後輩たちの奮闘記です。ぜひ、ご一読を!

 

■人工呼吸器で通学「寝たきり行動派」のパイオニア

神戸新聞NEXT 2021/2/10 07:00

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202102/0014068996.shtml

 

遺影の上に「平本歩 在宅30+1周年記念パーティー」というカラフルな文字が並び、アンパンマン体操やエイサー踊りが場を盛り上げる。兵庫県尼崎市で開かれたその通夜も、人柄を表すように型破りだった。人工呼吸器をつけ、移動式ベッドで地域の小中学・高校に通った平本歩(あゆみ)さん(35)=同市=が1月16日、敗血症のため亡くなった。アクティブに行動する寝たきりの障害者の先駆者として全国的に注目を集め、生きざまや魅力あふれる性格は多くの人に影響を与えた。(鈴木久仁子)

全身の筋力が低下する難病の歩さんは自力で呼吸ができず、生後半年で人工呼吸器を装着。「装着したままの幼児で家に帰るのは全国初」と言われたが、強く希望し4歳で退院した。

小中学、高校には、父親の弘冨美さんが仕事を辞めて付き添った。待機し、30分ごとのたんの吸引や移動などをサポート。障害児学級籍だったが、すべて普通学級で過ごした。通夜には、一緒に遊んだ同級生らから「ぼくらより、ちゃんと前を向いていた」などのメッセージが寄せられた。

生前、歩さんは「地域の学校に通って良かった」と話し、小学校の友人と大人になってもメールを交わした。パイオニアとして呼吸器をつけて通学した姿は、病気や障害の有無に関係なく、地域の普通学校で学ぶ「インクルーシブ教育」を体現。後進に道を開いた。2017年度には、医療的ケアを受けながら、858人の児童生徒が全国の小中学校に通った。このうち、歩さんと同様の人工呼吸器の人も50人含まれる。

歩さんも発足当初からの会員で、人工呼吸器をつけて暮らす当事者らの「バクバクの会」(大阪府箕面市)の新居大作会長(49)は、「10以上年下の息子は普通校に通ったが、歩さんに出会わなければ、まったく違う人生になっていた」と振り返り、「歩さんは大きな道しるべ。同じように勇気をもらった人はたくさんいる。その存在は大きく、影響力は、計り知れない」とたたえる。

「自立に向かってまい進せよ」とまな娘に言い残し、父の弘冨美さんが亡くなったのは歩さんが20歳の時。泣き暮らす母の美代子さんに「私が付いているから泣かないで」と声を掛けたという。歩さんの通夜で美代子さんは「守らなければと思っていたのに、天地がひっくり返るような衝撃を受けた」と振り返った。

歩さんは25歳で1人暮らしを決行。24時間ヘルパーの介護を受けながら、舌と機器を使ってパソコンでコミュニケーションを交わし、講演会や旅行にも出掛け、保育園でも働いた。

通夜を仕切ったのは、そのヘルパーたちだ。パーティーは昨年5月に歩さん自身が計画し、コロナ感染予防のため延期になっていた。エイサー踊りやアンパンマン体操も歩さんの計画だった。ヘルパーらは「通夜でパーティーというのも悩んだけれど、きっと喜んでくれている」と述べ、最後は涙声になった。この日は同じ人工呼吸器をつけた友人らも多く駆け付け、早すぎる別れを惜しんだ。

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