新聞記事から

【報道】 精神障害者が国賠訴訟に / 相模原事件被害者が一人暮らし

「隔離で入院40年」賠償求め国を提訴 群馬の男性 東京地裁に 毎日新聞2020年10月1日

 

国が精神障害者に対する隔離収容政策を改めなかったことで地域で暮らす機会を奪われ、約40年の長期入院を強いられたとして、群馬県太田市の無職、伊藤時男さん(69)が30日、国に3300万円の損害賠償を求め東京地裁に提訴した。 訴状などによると、伊藤さんは統合失調症と診断され、1973年に福島県内の病院に医療保護入院した。2011年の東日本大震災でこの病院が閉鎖するまで、意思に反して病院で過ごすことを余儀なくされた。現在は投薬治療を受けながら、太田市のアパートで1人暮らしをしている。 欧米諸国は、隔離収容政策は人権侵害に当たるとして、55年ごろから地域生活・地域医療へ転換を図った。さらに、日本の精神科医療を調査した世界保健機関(WHO)の顧問が日本政府に出した68年の勧告によって、入院が必要でない人にも入院を継続していることや、地域医療に転換する必要性を認識しながら放置したとしている。 伊藤さんの代理人の長谷川敬祐弁護士は30日の記者会見で「欧米諸国が入院医療から地域医療・福祉への移行を具体的に検討し、政策転換してきたのに、日本は政策・予算いずれも実効的な転換を行ってこなかったために、構造的に長期入院が生じる状態となった。国が放置した不作為を問いたい」と語った。

 
◆退院諦める患者「なくすために」 原告の男性

 

原告の伊藤さんは30日の記者会見で「約40年入院して、退院を諦める患者を見続けてきた。たまらなくて、つらくて。そういう人をなくすために立ち上がった」と提訴に込めた思いを語った。 仙台市出身の伊藤さんは地元の高校を中退後、東京都内のレストランでコック見習いをしていた16歳の時に発症した。都内の病院に入院し、人生の大半を各地の精神科病院で過ごした。中でも入院が長かったのは、1973年から2011年まで生活した福島県内の病院だった。 転換は東日本大震災。福島県内の病院は被災して閉鎖され、茨城県内の病院に転院した。主治医が「グループホームに行かないか」と声をかけてくれた。知人も「時男さんなら大丈夫」と背中を押してくれた。 この病院を12年に退院し、グループホームでの2年間の生活を経て、1人暮らしを始め、今は群馬県太田市のアパートで暮らす。投薬治療もあり生活に支障はないという。

 
※国賠訴訟を提訴された伊藤さんのことは、2014年6月10日放送された「ハートネットテレビ」、【60歳からの青春~精神科病院40年を経て】で詳しく描かれています。番組ホームページに掲載されていますので、是非ご覧ください。 同ホームページの中には、退院され、グループホームの職員に頼んで故郷の福島県に行かれ、子どものころから会っていなかった弟さんと対面、一緒に訃報も知らされずお葬式にも行けなかった父親が眠る墓参りをされたことも写真入りで紹介されています。そして伊藤さんはこう語られています。
「退院してよかった。こんなにいいと思わなかった。だから俺は幸せだ、うん」。
生きる平凡な幸せと  相模原殺傷 重傷の男性が1人暮らし 毎日新聞2020年9月19日

 

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人が殺傷された事件で重傷を負った尾野一矢(かずや)さん(47)が施設を出て1人暮らしを始めた。生死の境をさまよった事件から4年。仮移転先の施設で暮らしていたものの、父の剛志さん(76)らが「平凡な幸せを感じてほしい」と独り立ちの背中を押し、準備を進めてきた。表情が豊かになり、意思もはっきりと伝えられることが増え、新しい人生に踏み出した。

 

◆一時は意識不明

「はい、ご飯だよ」。8月中旬、神奈川県座間市のアパートで、座椅子に座ってくつろぐ尾野さんのもとに、介護福祉士の大坪寧樹(やすき)さん(52)が食べ物を運ぶ。カレーライスやコロッケなど、尾野さんがスーパーで自ら選んだ好物ばかりだ。「ソース、もっとかけようか」と大坪さんが問いかけると、「やめとくー」と尾野さん。リラックスした表情で食卓を囲んだ。

自閉症と重い知的障害がある尾野さんは4年前、生活しているやまゆり園で植松聖死刑囚(30)に腹部や首を刺され、一時は意識不明の重体に陥った。公判では血を流しながら職員の110番通報を手助けしたことが明らかになっている。回復後、横浜市にある仮移転先の施設に戻っていた。

 

◆施設と違う生活

家族が重度訪問介護サービスを知ったのは17年5月。重度の身体・知的障碍者に対する制度の1つで、ヘルパーによる食事や入浴などの支援を最長で24時間受けることができる。

「他の入所者と同じ空間、決められた時間で生活する大規模施設とは違う暮らしができる。介護者と楽しく暮らして普通で平凡な幸せをかんちゃん(尾野さん)にも味わわせてあげたい」と思い申請した。

尾野さんは18年8月から、担当になった大坪さんと週に一度交流を重ねた。それまで自分の意思を示すことは少なかったものの、次第に好きなものを指でさしたり、したくないことを「やめとく」 と訴えたりと変化が表れた。

自閉症の人は環境の変化に不安を感じやすいため、ゆっくりと新しい生活に慣れるよう準備した。大坪さんは今年3月からアパートで尾野さんと2人で昼食をとるようにした。その際に「ここはかんちゃんの家だよ」と伝えることを忘れなかった。

 

◆笑顔と表情増え

8月11日、初めての宿泊に臨んだ。周囲の心配をよそに昼食を済ませた尾野さんは居間でリラックスしていた。大坪さんは「自分の家って感じでくつろいでいるね。最初の頃とは全然違う」と胸をなで下ろした。

宿泊は4日間を予定していたが、「ここに残りたい」という尾野さんの強い気持ちを感じた大坪さんと両親は15日以降も続けることにした。

現在は大坪さんら8人のヘルパーが交代で支援している。9月14日にはやまゆり園の退所手続きをし、正式に一人暮らしとなった。

剛志さんは8月11日、妻のチキ子さん(79)とアパートを訪れた。「お父さん、一矢の家に入ってもいいかな」と声をかけると、尾野さんはうなづき、剛志さんは「そうかあ」とうれしそうに返した。息子の笑顔が増え、表情も豊かになったように思う。

「平凡な幸せ」を手に入れたのは本人だけではない。帰り際、今度は尾野さんが尋ねた。「お父さん、また来る?」「もちろん、また来るよ」。何気ないやり取りに息子の成長を感じられる。両親もまたその幸せをかみしめている。

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