教育

2011年8月 教育集会 松村敏明さんからのアピール

同じ校歌を歌える一つの学校に

 

松村敏明(社会福祉法人えんぴつの家理事長)

『阪神地域の新しい多部制単位制高等学校および高等特別支援学校の実施計画』を見た。

「生徒の興味・関心や多様な学習ニーズに応じて主体的に学ぶことができる」多部制単位制高校と、「知的障害のある生徒の社会的・職業的自立を支援するための職業教育に重点を置く」高等特別支援学校を同一敷地内に設置するという。

そして、「両校生徒が、同じ教室や施設で、共に学ぶ学習に取り組み、共に助け合って生きていくことを実践的に学ぶ機会を設定することにより、豊かな人間性を育むとともに、社会におけるノーマライゼーションの理念を進展するための礎となる学校を目指す」という。

待てよ、変だ。それなら、なぜ同じ学校ではなく、知的障害を持つ生徒はもう一つの学校でなければならないのか。同じ学校で、知的障害生徒の興味・関心や多様な学習ニーズに応じた教育をすればいいではないか。まるで、最初から『身分』の違いを付けているではないか。

「可能な限り2つの学校を一つの学校として運営」すると宣言しているけれど、『身分』の違いをはっきりさせなければならない入学式や卒業式などの儀式的行事は別々に実施することになっている。同じ校歌を歌ってはならないのだ。

そもそも、なぜ高等特別支援学校を同一敷地内に設置しなければならないのか、その背後を考えると、「ノーマライゼーションの理念を進展するための礎となる学校」などという虚言が見え透いてくる。

1979年の養護学校義務化以降、障害児や親たちの取り組みによって、地域の小・中学校で学ぶ障害児が増えてきた。折しも1984年の国際障害者年と、それに続く世界規模でのノーマライゼーションの動きの中で、養護学校に籍を置く児童生徒数は、少子化の動きもあって、急速に減少していった。

ところが、特別支援教育という制度が生まれてから、知的障害児の特別支援学校だけが爆発的に肥大化していく。児童生徒が教室からあふれる程になる。原因は何か。

一つは、発達障害の概念が登場したこと。しかも早期発見と早期教育が叫ばれたこと。さらに「個別支援」という言葉が障害児の親たちに幻想を与えたこと。その結果、肥大化した知的障害特別支援学校を適正規模にすることと、親たちに与えた幻想を「企業就労」(既存の高等特別支援学校において、あまり実績が上がっていない)という夢へとつなぐ必要が出てきたのである。「企業就労」と言っても、現状では特定子会社への就職が、ほんの少し可能となったくらいである。

これらの課題を解決するために、同一敷地内に二つの学校を作るという発想を、既にかなり以前から実施している滋賀県などから学んだのだ。食堂、図書館、体育館、グラウンド、特別教室等を両校で共有すれば安くつく。そこに真の狙いがある。

「原則分離の教育のままでは、障害者権利条約で規定しているインクルーシブ教育は実現しない」(障がい者制度改革推進会議第二次意見)

『身分』の違いをなくし、同じ高等学校の生徒として、同じ校歌を歌える学校であることを強く求める。

 

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