教育

【報告と抗議】 地域の学校で学びたいとのK君親子の希望を踏みにじり、教育委員会の決定を追認し、インクルーシブ教育に何の認識も示さない横浜地裁判決に強く抗議する!!

障問連事務局

相模原事件の判決から2日後、同じ横浜地裁で、重度障害を理由に希望する地元の川崎市立小学校への通学を認めず、県立特別支援学校を就学先に指定したのは差別に当たり違法だとして、人工呼吸器を付けて暮らす光菅和希君(8)と両親が市と県に小学校への就学を認めるよう求めた訴訟の判決が、3月18日に下された。

判決を聞き「なぜ、この時代に・・・」愕然とすると共に強い憤りを覚えた。私たち障問連は医療的ケアが必要なG君の高校入学の闘いに全力で支援してきた。そして兵庫県下ではMちゃんが、K君が、そして神戸市でも数人の児童が、和希君と同様に人工呼吸器をつけて暮らす子どもたちが地域の学校で学んでいる。看護師の確保が不十分であったり保護者の負担が強いられている現状はあるが、何より子ども本人の意志、みんなと一緒に学びたい、生活したいとの何より本人の希望を下に、困難な中でも実現されている。そして現在親元を離れて自立生活されている尼崎市の平本歩さんは、看護師が全く保障されずお父さんがずっと付き添うという苛酷な状況にありながら、約30年前に地域の小学校そして高校への就学を実現されてきた。30年も前に実現でき大阪府下では何人もの医療的ケアが必要な障害児が小学校、中学校で学んできた。障害者権利条約に批准し課題かせありながらも共に学ぶインクルーシブ教育を目指すべき方向とされている今日、なぜこんな判決が出るのか、強く抗議するものである。

今回の横浜地裁判決は、困難な中で生きる親子の意思や希望を司法によって否定、踏みにじるものであり、まさに今地域で学ぶ障害の重い子どもたちの存在を否定するものである。

3月23日、光菅和希君と両親ら代理人弁護士は、「満腔の怒りをもって控訴した」との一報が寄せられた。障問連として共に抗議し、東京高裁での勝訴判決を強く願い

 

■川崎市の就学裁判 3月18日判決に対する抗議

凪裕之(障問連事務局次長)

川崎市で2年前、障害のあるK君と両親が地元の小学校を希望していたにも関わらず、川崎市教委と神奈川県教委は特別支援学校への就学通知を出した。しかし、K君と両親は、特別支援学校でなく地域の小学校へ行きたいという思いを持ち続けている。障害児者が特別支援学校(養護学校)に分けられてきた長い時代から、障害のない子どもと分けられず同じ地域の学校で生活を送っていくことが、どんなに大切なことなのか、数多くの障害者たちがその願いを持ち続け、実現してきた道のりは長かった。その中で、少しずつだが、障害のない子と分けられない学校生活を実現し、様々な経験しながら生きてきた障害者が増えてきた。私自身も周りの障害者の多くも、地域の学校に通い、障害のない子と綺麗事だけでなく色んなことに揉まれながら生きていくことがどんなに大切か実感してきた。K君と両親もその希望をずっと持ち続けている。小学校に行きたいという望みだけのために、就学通知の取り消しを求めて裁判を起こされた。しかし、3月18日、横浜地裁で、K君ら原告の全面敗訴の判決が出た。障害者がみんなと一緒に学校に行きたいだけの当たり前なことを踏みにじるもので、私たち障害者にとっても到底納得できない内容だった。

判決は、教育委員会が本人たちの意思を全く無視し、主治医の意見でもない専門家の意見だけで特別支援学校が適当と総合判断したことが不合理でないとした。これは、医療的ケアが必要な子(K君の場合、人工呼吸器)を小学校で受け入れた前例がないから、小学校の受け入れはできない、特別支援学校への就学が適当だと教育委員会が判断し、裁判所も同様に判断した。それなら、障害者本人らの意思はどうでもいいのか。本人の意思を全く考えず、合理的配慮でもって判断したのだからいい、問題なしとする裁判所は、本末転倒ではないのか。裁判所は、インクルーシブ教育の考え方や障害者差別解消法、様々な法律などを誤って使って判決を出している。障害者権利条約の理念、それを踏まえ本人や保護者の意見を「可能な限りその意向を尊重しなければならない」(文科省学校教育法施行令)の意義に全く触れられず、教育委員会の都合のいいように読み替えている。判決は、原告K君の意思に全く触れていない、障害者の人権を全く無視した一方的なものだ。教育委員会行政の判断もさることながら、この司法判断を到底許すことはできない。

昨年、神戸で医療的ケアが必要なG君が神戸市立と兵庫県立のそれぞれの定時制高校を受験し、いずれも定員内であったが市立高校は不合格、県立高校は合格だった。彼は一昨年も市立高校を二度受験し、三度、市立高校を不合格とされたが、障問連は、彼の特別支援学校でなく高校に行きたいという思いに一緒に取り組んできた。神戸市教委は不合格の判断を点数でなく「総合的判断」という言葉だけで不合格にし続けた。明らかに障害による差別により入学を拒んでいるだけだと私たちは思っているが、県立高校に合格し、様々な課題がありながらも高校生活を送っている。市立高校と県立高校の違いは一体何なのか、県立高校も医療的ケアが必要な生徒を受け入れた経験がなく、本人が入学してから手探りながら支援を行ってきている。小学校と高校の違いはあるが、支援体制を入ってから考えていくことは小学校でも同じだ。入口で「今までに前例がないから」と拒めば、合理的配慮も何もない。障害者がいつまで経っても、健常者と同じ学校、社会で生きることができなくなる。権利条約の理念や法律は、何の意味もなくなるように思う。障害のある人が障害のない人や色んな人と同じ場で学んだり、生活していくことで初めて気づくことが多いはずなのだ。

折しも、3月18日の横浜地裁のこの不当な判決が出た同じ法廷で2日前の16日、相模原障害者殺傷事件の被告に死刑判決が出た。「重度障害者は生きていても価値がないから」と、多くの障害者を殺害した被告に対して、司法でもって殺害するということにやりきれない気がする。裁判所も、特定の人間が行った特殊な事件として片付けたのだ。この事件の被告の卑劣さばかりに目を向け、背景にある問題に触れようとはしない。誰もが被告のような気持ちになりはしないか、障害者の命は軽いのか、施設のようなところに障害者を社会が一方的に押しやっているだけではないのか、死刑判決はそういった問題を社会の側で考えようとせず、闇に封じ込めるものでしかないように思える。障害者が学校や社会で分けられず、施設でなく地域で生きることが本当に社会に浸透していければ、相模原事件のような事件は起こらないと思うが、そういうふうには現実の社会はなっていない。

今回の就学通知の判決も二度とあってはならない。このままだと教育委員会の都合で全国でみんなと一緒の学校に行きたいという当たり前なことがどんどん踏みにじられ、私たち障害者の生きる権利、障害者の人権そのものが、さらに否定されていく。それを許さず、多くの障害者、地域の学校へと取り組んできた関係者と手を携えながら、より多くの障害者が分けられた学校に行かないよう、様々な取り組みを広げていく必要がある。K君も両親も勇気を出して控訴を考えている。またK君が1日も早く地元の小学校に通えることを切に願い、今回の判決が二度と許さぬよう、抗議する。

 

支援学校への就学決定取消しを求める訴訟・横浜地方裁判所判決に対する抗議声明

2020年3月23日

認定NPO法人DPI日本会議

議長  平野みどり

DPI日本会議は、障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会を実現するための取り組みを進める全国95の加盟団体からなる障害当事者団体です。私たちは障害当事者の立場から「障害のある者とない者が、地域の学校へ通い、ともに学ぶ教育を行うこと」を、結成当初から主張しています。

地域の小学校への就学を希望していたにも関わらず、支援学校へ就学決定された川崎市のKさんは、支援学校就学決定の取消し・地域の小学校への就学決定を求め、県教委・市教委を相手に訴えを起こしていました。

しかし、3月18日に横浜地方裁判所(河村浩裁判長)が、訴えを却下する不当判決を出したことに対し、DPIとして抗議声明を表明するものです。

障害者権利条約では、障害のある人が他の者との平等を基礎として、障害のある者とない者がともに学ぶ、インクルーシブな教育を行うことが明記されています。また、文部科学省は、障害者権利条約批准に先立ち、2013年に学校教育法施行令の就学の仕組みを改定し、それまでの障害程度による基準ではなく、総合的な観点から判断し就学先を決定する仕組みとしました。その中でも特に本人・保護者の意見については「可能な限りその意向を尊重しなければならない」とされています。

ところが、今回の判決では、障害児だけが集められる支援学校も「インクルーシブ教育」と言い切り、障害者権利条約については全く触れず、またその視点からの考察も全く行われていません。また、就学決定の総合的な判断は「専門家の意見の聴取も求めて」いるのであるから、本人・保護者の意向は、判断材料の1つに過ぎず、それをもって支援学校への就学決定を取り消すという原告の主張は認められないとしています。極めて一方的で偏りのある差別的な判断になっていると言わざるをえません。

さらに、本人が人工呼吸器を使用する極めて重度な障害を持つ児童であり、たとえ他市で同様の児童の小学校への就学事例があるとしても、「当該市で今まで小学校への受け入れ事例がなかった」ので、不合理な差別とまでは言えない、としています。このような判断が全国に広がれば、より重度な障害をもつ児童の就学は一切進まなくなります。今回の判決は、障害者権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法等を全くわきまえないものであり、断じて許すことはできません。

また、図らずも、裁判官など司法関係者の「障害者の権利に関する意識向上」(国連・障害者権権利委員会の日本政府への事前質問事項)がいかに必要かを示したものと言えます。

この判決の2日前に、同じ横浜地方裁判所の大法廷で「津久井やまゆり園事件」の判決が出されました。差別のない共生社会を実現するためには、障害のある者とない者が場を分けられることなく、ともに学び育つことにより、幼少期から相互の理解を深めていく必要があります。

今回の判決に決して怯むことなく、Kさんの地域の小学校での学びを実現するために、また希望するすべての障害児の小学校就学を実現するために、改めて今回の判決に抗議の意を示すとともに、これからも、加盟団体をはじめ関係者とともに力強く取り組みを進めることを決意します。

 

【報 道】

呼吸器利用の重度障害児 地元小通学認めず 地裁判決

神奈川新聞  2020年03月19日

重度障害を理由に希望する地元の川崎市立小学校への通学を認めず、県立特別支援学校を就学先に指定したのは差別に当たり違法だとして、人工呼吸器を付けて暮らす光菅和希君(8)と両親が市と県に小学校への就学を認めるよう求めた訴訟の判決が18日、横浜地裁であった。河村浩裁判長は「就学通知は適法で、裁量権の逸脱や濫用(らんよう)があるとはいえない」として、原告側の請求を棄却した。(報道部)

訴えによると、2018年度から小学生になる和希君の就学先を巡り、両親は市や県の教育委員会と複数回協議を重ねた。その際、地元の小学校への通学希望を伝えたが、市教委は「特別支援学校の方が専門家が多い」などと説明。18年3月末に県立特別支援学校への就学が決定された。両親側は、両教委が特別支援学校ありきで就学相談を進め、小学校で学べるよう「合理的配慮」の検討すらしなかったと主張していた。

河村裁判長は判決理由で、学校教育法施行令で定める期限をすぎて両親に就学通知を行った県教委の対応について、「合意形成のために時間を要し期限を守れなかったにすぎず、手続き的な瑕疵(かし)とはならない」と指摘。両親側が「本人や保護者の意見を尊重すべきだ」としていた点には、「施行令では保護者の意見だけでなく、専門家の意見の聴取も求めている」と述べ、専門家の意見を聴取した上で最終判断した両教委の姿勢を容認した。

両親側は、和希君の主治医の診断書や通っていた幼稚園への聴取を待たずに就学先を決定したことが不適切な手続きに当たるとも訴えていた。河村裁判長は「市が把握していた和希君の障害の状況に重要な事実誤認はなく、障害者に対する合理的な配慮が欠けているとは評価できない」とし、この主張も退けた。両教委とも「今後詳細は確認するが、主張が認められたと受け止めている」とコメントした。

 

「本人の意向を軽視」家族落胆

同世代の子どもたちと共に学びたいと、地域の小学校への通学を望んだ光菅和希君(8)と両親の願いは、頼みの綱とした司法にも退けられた。「差別的な判決だ」と肩を落とす父親。間もなく3年生になる和希君の行く末に不安を募らせた。

家族の落胆はあまりに大きかった。判決後に予定されていた会見を急きょ欠席。父の伸治さん(51)は神奈川新聞の取材に「本人と保護者の意向は就学先を決める上で関係ないと示されたに等しい。和希は意思疎通ができないと一方的に決めつけた差別的な判決だ」と言葉少なに語った。

弁護団は会見で、重度障害の子の就学先を原則として特別支援学校とする旧来型の枠組みを判決が容認していると批判。団長の大谷恭子弁護士は「障害者権利条約で保障されたインクルーシブ教育を理解しておらず、本人と保護者の意向を軽んじている」と涙ながらに話した。16日に判決が言い渡された津久井やまゆり園事件にも触れ、「共に学ぶ教育が保障されない限り、(障害者の存在を否定する)優生思想が生まれてしまう恐れがある」と訴えた。

呼吸器利用者が地域の学校に通う先例は既に全国にいくつかある。名古屋市立中学2年生の林京香さん(14)はそのうちの1人で、小学1年生から通常学級で学び続けている。

父の智弘さん(44)は「地域の学校で学ぶのを原則とする障害者権利条約を踏まえない判決」と怒りをあらわにし、今回の司法判断を憂えた。「障害を理由に学ぶ場を分けることは、共に生きる機会を子どもたちから奪う。互いに知り合わなければ差別意識が生まれる恐れがあり、判決はその傾向を助長しかねない」(成田 洋樹)

 

文科省は政策転換を

インクルーシブ教育に詳しい一木玲子・大阪経済法科大学客員研究員の話

「いつの時代の判決かと憤りを感じる。このままでは障害者はインクルーシブ教育を受ける権利を侵害され続け、障害によって学ぶ場を分けることを差別と思わない人を育ててしまう。今回のような事態が生じる最大の要因は、障害を理由に学ぶ場を分け続けている文部科学省の政策にある。国際的な潮流を見ると、小中学校のみならず高校や大学でもインクルーシブ教育が進められている。障害者権利条約の批准に際して文科省は分離教育からインクルーシブ教育に転換しなかった。どの子も地域の学校の普通学級で学ぶのが権利条約のうたう本来のインクルーシブ教育であり、文科省はいち早くかじを切り替えるべきだ。」

 

(解説) 共に学ぶ教育 流れ逆行

重度障害を理由に就学先として特別支援学校とした行政の「総合判断」を、判決は裁量権の範囲内と認めた。本人と保護者の意向は必ずしも優先されない実態を司法が追認した形となり、同じ境遇の他の家族にも影響を与える恐れがある。

就学手続きを定めた学校教育法施行令は、本人・保護者の意向を最大限尊重し合意形成に努めることを就学先指定の前提としている。今回の判決は原告側が主張していた教育委員会の不手際を認めず、最終決定権は行政側にあると定めた同施行令の枠組みを重視し、原告の訴えを退けた。

だが、呼吸器を利用する子が地域の小中学校に在籍する事例は名古屋市など全国にいくつかある。根拠法令は同じなのに自治体によって対応が分かれる事態に、当事者が納得しないのは当然だ。何より障害の有無にかかわらず共に学ぶ「インクルーシブ教育」の流れにも逆行する。川崎市教委には「前例がなく難しい」と決めつけず、真摯(しんし)に先行例に学ぶ姿勢が求められる。

障害者19人が殺害された「津久井やまゆり園事件」の後、県は差別のない共生社会に向けて憲章を制定した。そのためには障害を理由に学ぶ場を分けることなく、共に学び、育つ教育の推進が不可欠だ。県教委にも後押しする重い責務がある。(成田 洋樹)

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