【報告/事業所交流会】 映画『道草』上映会とトーク会の報告
野崎泰伸(障問連事務局)
2/16(日)、神戸市勤労会館308で、映画『道草』上映会と、上映後のトーク会を行いました。当日は雨天でしたが、上映会には62名、トーク会には44名が参加と、予想を上回る来場があり、また、事業所外からの一般参加もあり、うれしい驚きでした。
12時開場、12時半から上映がはじまり、映画は14時過ぎに無事終了しました。以下、14時半からのトーク会の報告です(映画のネタバレあります)。
■3名の方のトーク
・山田剛司さん(社会福祉法人えんぴつの家)
この映画は、東京の岡部さん中心に、重度知的障害者の1人暮らしの実践を描いたもの。一度、この映画の監督である宍戸さんと対談したことがあるが、この映画は「1人暮らしの良さ」を主張しているわけではないとのこと。とくにグループホーム(以下GH)文化の強い関西においては、GHとの違いや、GHの持ち味みたいなものを考えてほしい。
映画で出てきたヘルパーは、かかわりの長いつきあいの人が多い。「支援者と障害者」という関係性ではない。ヘルパーと利用者というように制度化され、固定化されてしまうと、自然な関係性が作れない。「公平性が保てない」という考えは、「1対1の関係性」をつぶしてゆく。
・田中義一さん(NPO法人生活支援研究会)
90年代初めから青い芝の会の障害者とかかわってきた。彼らは「施設に行きたくない」と明確に言い、自立生活のモデルを作った。しかし、つきあっていくうちに、指示が上手く出せる障害者と、そうではない障害者(とくに親元で生活する障害者)がいることに気づき、自立生活モデルが万能ではないことがわかった。人づきあいが苦手でも、同じやり方はできないかもしれないが、参考にはできないものかと思っていた。
やがてGHの取り組みが広まっていった。そこで出された身体障害者からの違和感も大切にしたい。「1人暮らしは寂しい」というような理屈で、「施設の延長」であるGHを正当化してはいないか。
重度知的障害者の1人暮らし、ガイドヘルパーでは考えないのではないか。だとすれば、誰が1人暮らしを切りだすのか、親か、それとも事業所か?
・川田晋さん(NPO法人ぱれっと)
映画のような1人暮らしの形態は、賛否両論あるだろう。私たちの法人内部でも分かれている。私は入所施設で勤めていたが、「ここで一生が終わる、最期を迎えるというのはどうなのだろう」と思い、地域に拠点を移した。GHから1人暮らしに移る際には、対人関係も問題となる。そのあたりの見極めが相談支援業務には求められる。
・司会より/栗山和久さん(NPO法人遊び雲)
2019年上期の実績で、兵庫県で重度訪問介護を使っている知的障害者は42名、精神障害者は3名です(資料:障問連の対兵庫県交渉)。ただし、神戸市はゼロ人。このなかでも「重訪を使って1人暮らし」という人はいない。知的や精神だと「どうしても重訪が必要か」と行政に言われる。10年ほど前の伊丹市の知的障害者の親へのアンケートでは、「入所施設が必要か?」という問いに「今すぐ必要」と答えた親が3割、「いずれ必要」が8割もいる。こうした現状を踏まえつつ考えていく必要がある。
・山田さん/
1人暮らしか、それともGHかという「形態そのもの」が問題なのか、それとも、本人の生活から見たライフスタイルが問題なのか。「本人のニーズ」ということで言えば、重度の知的障害者より、ある程度主張ができる中軽度のほうが必要性が高い。重度の人の「生活を引き受けること」が必要で、そのための「腹のくくりよう」が求められる。
その後、3つのグループにわかれグループワークがなされ、①1人暮らしとグループホーム、②支援の関係性、③兵庫県ではどうなっているの??、といったことが各グループで話されました。報告者は「②支援の関係性」に加わりましたが、各人自己紹介、感想を述べあった後、映画で出てきた「公園の中で知的障害者が奇声を上げたときに、止めようとする支援者」の場面を挙げて、議論がなされました。「一律の指示か、臨機応変か」「来た人と向き合う支援か/均質化した支援か」「制度化された関係性の問題点」を中心に、議論が進みました。ヘルパー同士の横のつながりの大切さといった指摘や、コミュニケーションの多様性、言語化できない人の気持ちに着目した発言もありました。他のグループでは、「重度知的障害者の1人暮らしは、まずは制度の整った都会でやってくれ」「GHの不自然さ」「知的障害者に対して親のようにふるまう支援者をどう考えるか」といった発言や議題もあったようです。
3月 7, 2020