優生思想

【優生思想】 相模原市津久井やまゆり園障害者殺傷事件の初公判の報道を聞いて

野橋順子(障問連事務局次長)

 

相模原事件の初公判が1月8日に行われました。私は情報番組グッデイを録画し家に帰りテレビを見て本当にむかつきました。

植松被告が昨日の法廷で開始から数分で暴れだして休廷になったこと、その後再開されたけど植松被告は出てこなかったと報道されていました。暴れたことも「演技ではないか」と言っていた人もいました。私もそう思ってしまいました。刑を軽くするための演技ではないのかと。

今回は異例の裁判で、傍聴席に亡くなった方の被害者家族の席を設けているとの事でした。ちゃんと被害者家族に本人の口から謝罪してほしいです。

弁護士は植松被告が刑事責任能力がないと言うことで無罪を主張しています。本当におかしいです! 19名の人を殺していて何が無罪でしょうか!「大麻の陽性反応が出たから刑事責任能力がない」と言われていますが、そんな事は絶対にないと思います。植松被告の考え方や主張は本当に障害者を差別しています。留置場に接見に行った人がインタビューされていましたが、植松被告が言っていた事は、「僕が人生の中で一番大事な事は、時間とお金だと思う。それを世間から奪う障害者を殺してあげたんだ」という風な発言をしていたらしいです。しかも障害者は人ではなくて「モノ」だと言い、「意思表示ができない障害者は生きていても仕方がない」という発言で、実際に殺された19人の障害者も声をかけて返答できるかどうかで選別して殺したそうです。この主張のどこに、責任能力が取れないということになるのでしょうか。自分の意思で殺したとしか思えません!

障害者は時間とお金しか使わない意味のない迷惑な存在でしかないと言う植松被告に本当に怒りを感じます。私たちは生きていてはいけない存在なのでしょうか。時間とお金しか使わない厄介で意味のない存在なのでしょうか。本当に本当に悲しくなりました。

私は小さい頃から親に介護されてきて、確かにこんな体に障害者で生まれて申し訳ないと思った時期もあったし、こんな体に生まれなければよかったと思った時期もありました。ヘルパーにも気を遣って、私の介護がなかったらもっと好きなことができるのにごめんねと思った時もありました。

でも、親に「順子が生まれてきて良かった」と言ってもらえた時は本当に嬉しかったです。今でもその時のことを思い出し泣けてきます。ヘルパーにも「ごめんね」と言ったら、「謝らなくていいよ当たり前やから、できない事は手伝ってもらったらいいんじゃない」と言われた時、本当に嬉しかったです。私はいろんな人に助けてもらいながら、障害がある中で地域で暮らしてこれました。

私は親元を離れて自立生活を始めて今年で22年になります。それでも今年の正月にも、ヘルパーさんに「ごめんね私のヘルプに来なかったら、家族とゆっくり過ごせたのにね」と言ってしまいました。介護者不足の中で同じ人ばかりに来てもらうと、こういう思いになってしまいます。だからといって障害者を殺したらいい、いなくなれば良いという発想にはならないと思います。

障害者の存在が悪いのではなくて、介護現場の人手不足はこの社会の問題であると思います。その辺を考えずに、障害者を殺してしまえばいいと思い実際に殺した植松被告の発想は本当に短絡的なものだと思います。

しかし実際にこの社会は、本当に介護者不足で親が障害者の子供の介護疲れで子供を殺してしまったり、実際介護をしているヘルパーが障害者のヘルプに疲れ虐待をしてしまったり、障害者が自分がいなくなれば家族もヘルパーもしんどくならないのにと悲観的に思ってしまうことも事実です。だから、これは終わった事件にしてはいけないのです。第二第三の植松被告のような人が現れるかもしれません。そうならないためにも社会全体で考えないといけないのです!障害者も健常者もしんどくならない社会をどういう風に作っていくかを。

そして植松被告が主張する「意思疎通ができない障害者はいても仕方がない」という発言。これは誰の中にでも眠っている優生思想の考えだと思います。私も昔はそういう障害者の人たちに出会った時は、この人たちは何が幸せなのだろうと思ってしまったことがあります。でもそういう障害者の人と付き合っていくうちに、意思疎通が難しくても好きとか嫌いがわかってきたり、その障害者の人たちがいなかったら寂しかったりして、今では私にとって大事な存在です。

テレビでも言っていたけど、意思疎通できるかできないかは関係は無い、その人がいることでその人を愛している人がいるし、亡くなることで悲しむ人がいるし、障害者はモノではなく人だと言ってくれていました。

本当に今日のテレビを見て、障害なんてなければよかったと思ってしまっていた昔の自分を思い出し、悲しくなり、そしてそんな社会ではなく障害があってもなくても共に生きる社会を作っていくことこそ大事なんだと改めて思いました。亡くなった19名の障害者のためにも、この問題を風化させたくないし、何よりも植松被告に謝ってほしいです。

事件は2016年7月に起こりました。そこから3年あまり経ち、今後20数回裁判をして3月16日に判決を迎えます。これだけの事件なのに初公判から結審までの間の期間が短いのも気になります。もっとこの事件を世間にアピールしてほしいです。3年前の事件からだんだん報道が少なくなり、これだけの事件なのに本当に悲しくなります。またインタビューされる人も障害当事者ではなく、障害者家族とか専門家とか弁護士とかで、もっと障害当事者の意見も聞いて欲しいと思いました。

皆さんこの裁判に注目してください!障害者も健常者も関係なくみんなが幸せに生きれる社会を共に作っていきましょう。

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