教育

【教育】抗議文:みんなと学ぶ権利を奪うな!

凪 裕之(障問連事務局次長)

 

●傷心の一年間

昨年、兵庫県内で定員内不合格だったのは、神戸市立楠高校を受験した一人だけだった。なぜ、障害が重いだけで不合格になり、高校に行けないのか?この一年、その彼と親が、何度も何度もその理由を問うてきた。不合格にされた上に神戸市教委や楠校長に答えを求めるのにどれだけ苦しい思いをしてきたか。一年間どれだけ苦しめられてきたか。障害があるがために、なぜここまでも苦しまなければならないのか。不合格から彼と家族はどん底に突き落とされた。泣き崩れ、家族共々苦しみ、悩む日々が何か月も続いた。そして今年もまた挑戦することに本当に意味があるのか、受験が近づくギリギリまで葛藤の日々が続いた。

彼がオープンハイスクールや識字教室に通い続けて感じてきた楠高校の雰囲気というものは、嘘だったというのか?校長や教師たちの冷ややかな目線を感じながらも、楠高校の生徒や識字教室のボランティアの教師や生徒たちの暖かく受け入れてくれる空気、彼の感じた楠高校のその姿は幻想だというのか?彼は、今年もまた精一杯の力を発揮して楠を受験した。楠や市教委のこの一年間の対応について大きな疑問と不安を感じながら、それでも本人の強い意思で再挑戦した。3月12日、前日の高熱を押して、どうしても受験して、楠高校に行きたいという思いで。

 

●校長の事前訪問と不合格理由

一昨年の11月、受験を前に楠校長が中学校を訪問し、本人と母親に会った。この事前訪問について市教委は当初、オープンハイスクールの時に校長が不在で本人と親から申入れがあったため訪問したと答えた。しかし、本人と母親の事実確認でそんな申入れがなかったのが明らかになると、市教委は「合理的配慮の提供のために行った」と校長を擁護した。さらに、その時の校長の楠高校受験を諦めさせるような発言内容、つまり「看護師配置は難しい」「部外者が学校に入ると他の生徒がパニックを起こす。校長の私ですら入れないのだ」「私の力ではどうにもならない」「なぜ楠高校がそんなにいい学校なのか」などと自分の学校に疑問を持たせるような発言などが明らかになっても、校長は「現状を伝えに行っただけだ」と言い、市教委も「合理的配慮の提供のため」との強弁を繰り返した。市教委は市議会議員に「特別支援学校の選択肢も示し、丁寧に説明したが、本人らにはわかってもらえなかった」とも説明しているらしい。いったい何が合理的配慮か。校長は楠受験を諦めさす言葉だけを並べ立て、入学した時のことや配慮などについての言葉は微塵もなかった。あるのは、何としても不合格理由を障害だと認めない強弁だけである。

受験の時、彼はイエス、ノーの意思表示だけで答えられる、限られた選択肢問題では、半分ほど取った教科もあったことが本人と親の開示請求で明らかになった。二次試験合格発表だった昨年3月28日、それを指摘する親に校長は、「点数は関係ない」と言った。「では、どうすれば合格できるんですか」と問うた親に校長は「この一年で劇的に成長するとか・・・」と応えた。「劇的に成長」、この言葉は重度障害者として生きる彼と親にとってどれほど残酷なものであるか。彼だけでなく、私も含め社会で障害者として生きる者の存在を否定するものではないのか。「校長には身内に障害者がいて、特別支援学校にもいた、そんな校長が言うはずがない、校長はすばらしい人格者だ」と擁護し続ける市教委に、父親が「あんた、空飛べますか。飛んでみなはれ。人の子をなんやと思うとるんや。これ差別以外に何があるんや。」と迫りると、市教委は黙るだけだった。そして、不合格の理由は「能力と適性を備えているか総合的に判断」と繰り返すだけで、彼や親はもちろん私も到底納得できず、許すことができない。

 

●私の学校生活から現在

私自身、30年ほど前の1988年、みんなと同じ高校に行きたいと思い、県立高校を受験した。高校は事前に「合格点があっても不合格にする」と言ったが、結局定員内で合格した。教育に携わる多くの人の力があったからだと、今にしてつくづく思う。また、小中学校と健常者と一緒に生活してきたからこそ高校に行きたいと当時の私は思えたのだ。彼も同じだった。健常者と一緒に学校生活をする、それはきれい事ばかりではない。しんどいこと、上手くいかず腹が立つことだってある。誰にだってある、そういう経験ができるのが本来の学校や社会ではないのか。彼も、小中学校時代、彼とのコミュニケーションも十分にせず、何もできない子としか見ない教師の無理解に遇ったりしたこともあった。

私は、同級生からは「お前だけ特別扱いせえへんからな。凪は甘え過ぎや。生意気で調子のり過ぎや」とよく言われたが、それでも一緒に騒いだり、野球やサッカーなども私が入ることで新しいルールを考えてくれた。宿題などもよく教えてくれた。数年前の厄年の同窓会でも、「お前とよう喧嘩したなぁ。けどお前に会えて良かったわ」と酒を飲み交わしながら、言ってくれた。もしも、特別支援学校やその後の障害者施設だけでの生活をしていたら、果してそんな人間関係ができただろうか。

私は大学生の頃、阪神淡路大震災があり、被災した障害者の支援活動に関わった。当時、就職氷河期で、就職活動も必死だったがすべて駄目だった。健常者並に社会で認められたい、当時の私はそう思って障害者採用枠で何十社も面接していた。教員や公務員試験も受けたが、どこも不採用だった。しかし同時に、災害で他の被災者の救援活動をしている障害者たちにも惹かれていった。そしてボランティアのNPO活動から始まり、神戸と淡路の障害者の地域生活を支える活動や仕事を約20年してきた。その中で、知的障害者や重度の障害者が地域社会でしっかりと生きていくとは・・・、と問われ続けてきた。

私自身も生れつき障害者だったが、40代になって脊椎が悪化して、はじめて車いす生活になった。入院約1年を経てかなり身体の動きが効かなくなり、常時介護が必要になった。退院後の生活を考えた時、私は福祉施設を利用するより一人暮らしの生活を選んだ。それは、私が小さい頃から地域の学校で、色んな人に揉まれ、社会に出てからも一緒に生きる仲間らの活動に関われたからこそだと思う。一緒に生きてきた仲間らがいたからこそ、今の自立生活ができているんだと思う。自立生活と言っても、常に介護者がいる。しかし、介護者に私自身の意思を伝え、それで私のやりたい生活を続ける。健常者である介護者にどう伝えるか、日々考え、悩んだりもするが、学校生活で障害者と違った立場の人間と関わり、学んだことが今の私の力となっていると思う。介護者でも、仕事として来るヘルパーとボランティアで関わる知人とではつきあい方も違ってくる。そんな違いも考えながら、私は日々の生活をしている。現在、神戸を中心に障害者個人の相談や団体に関わりながら、自立生活も上手くいかないこともあるが自分のペースで生活している。

 

●日本は本当に前進しているのか

高校の門を閉ざすことは、その後のその人の生きる力や人とのつながりを奪うことになる。障害をもつ人間と関わらずに生きていく人の何と多いことか。バリアフリーとか、インクルーシブとか、共に生きる、とか言われて久しいが、障害をもつ人間と関わらずに生きていく人の何と多いことか。また障害者がどうやって生きてきたかということを、どれほどの人間が知っているのか。何も知らず、気づかず、社会が動いていることが本当に悔しい。

障害者権利条約が日本でも批准され、障害の定義や障害者の権利が明確にされた。長い間、日本社会では、「障害」は「医学モデル」とされてきたが、そうではなく「診断名等ではなく生活の中での困難さに焦点を当てる視点を有するべき」とされている。私自身も幼い頃からリハビリが嫌だったが、頑張って健常者に近づきたいと思っていた時期が長くあった。しかし、そうではないんだと、地域で生活しているいろんな障害者に出会い気づかされた。

障害者基本法の改正、権利条約の批准、障害者差別解消法の施行など障害者を取り巻く法整備もなされてきた。しかし、障害者が社会の中で生きやすくなったかといえば、そうではない。障害者がいない学校や職場がこの日本の社会ではまだまだ続いている。障害があっても、みんなと一緒に学び、働くことができる者はほんの一握りに過ぎない。やはり、障害者だけ分けられる社会が続いている。いくら法律が整えられても、実際の社会が旧態依然としていたら何も変わらない。いやむしろ悪くなっているのではないだろうか?法律だけあって、それ以下のこともしなければ、それ以上のことは考えようともしない、そんな仕組みになってしまっているのではないか。本当に悔しい。

 

●楠高校と神戸市教委を許さない

障問連は、一昨年10月、ちょうど彼が楠受験を決める頃、楠高校が学級減と教員削減により、障害者がこれまでのようには行けなくなるのではと危惧し、交渉を始めた。当初市教委は、私たちの主張に理解を示すふりをし、「楠高校の良さは十分にわかっている」「看護師配置はこれまで高校にはなかったが、合格したら検討する」「受験の時の配慮は十分に努力したい」などと答えていた。

だが、この一年、楠高校の校長や教師たち、神戸市教委は何をしてきたというのか。不合格にされた本人たちに向かって、校長が「劇的に成長」という酷い言葉を浴びせ、「公平性」と「総合的判断」を繰り返すだけで、何をしてきたというのだ。

今年2月13日、私は連名で神戸市議会の「文教こども委員会」に陳情書を提出し、当日口頭陳述した。高校のインクルーシブ教育のための環境整備と定員内不合格を出さないことを陳情事項とし、口頭陳述では楠の不合格とその後の教育委員会や校長の対応、言動の酷さを訴えた。何人かの委員も私の陳述を受け市教委を追及したが、市教委は「総合的判断」を繰り返すだけで、障問連との話し合いも不要だと答えた。神戸市教委によるいじめ自死隠蔽事件も合わせ、議員の追及もあったが、審議打ち切りが多数を占めた。私の陳情は却下された。

楠高校や神戸市教委はいったい、何のためにあるんだ。何のために、誰のために仕事をやっているんだ。組織を守るためだけか?個人の人生を無茶苦茶にしておいて、隠蔽を繰り返し、事実をうやむやにして組織を守れるわけがない。「これまでのような楠高校は必要ない、潰していくんだ」と、そこにエネルギーを使っているのか。統廃合を支障なく進めるためだけに力を注いでいるのか。そのためには、重い障害のある生徒を抱えることは厄介なので、諦めよ、そう思っているのか。だが、障害者をはじめいろんな境遇にある人間を排除しておいて、教育現場が良くなるはずがない。廃れていくしかない。

去年に続き、今年も「総合的判断」と言って不合格というのか。

3月27日、権田祐也君は2次試験で兵庫県立湊川高校をはじめて受験し、翌28日合格した。昨年の一次、二次と今年の一次、三度も神戸市立楠高校は彼を不合格にし、県立湊川高校は一度の受験で合格できた。この違いは何なのか、しっかりと問いたい。

楠高校は、明らかに障害を理由に入学を拒否しているだけだ。

神戸市教委および楠高校は、障害が重くても楠高校でみんなと学ぶ権利を奪うな。

障害者の生きる権利を、もう脅かすな。

「総合的判断」で一人の障害者の人生を無茶苦茶にする、生きる権利を奪うことを、私は断じて許さない。

 

◆権田君の高校生活
県立湊川高校に権田君が入学して早1か月を迎えます。看護師の配置が5月の後半ぐらいからようやく配置されることが決まったそうです。しかし介助員、学習支援員については学校長や教頭がアチコチニ働きかけても見つからず、障問連としてもこの間支援していただいた様々な人に依頼している状況です。高校入学の高い壁があり、さらに入学しても十分な支援体制が整備されていない事は大きな課題です。そして権田君のお母さんがずっと付き添っている状態を早く改善する必要もあります。この間、県教委にも働きかけ、教職員組合の方も相談したり、水面下で取り組んでいます。

◆高校入学をめぐる全国状況
「障害児を普通学校へ全国連絡会」機関誌で、権田君の事も含め全国で厳しい中闘われた高校入学の状況が報告されています。東京・大阪・埼玉では支援した全員が合格、北海道や神奈川県からも速報として合格の知らせがあったと言います。しかし障害の重い児童については愛知県、熊本県、沖縄県、千葉県、香川県から定員内の不合格、香川県では定員40人で一次二次あわせて17人が受験し、うち合格者が8人、不合格者が障害児を含め9人という、一体誰のために高校はあるのかと報告されています。神戸で2月22日に開催した緊急集会に駆けつけていただいた熊本のSさんも不合格、沖縄県では県議会で保護者が陳述したり、沖縄県の差別解消条例に基づき調整委員会が動き県知事名での提言もありましたが不合格、県教委は「一定の点数が取れる子を選抜する」との姿勢は変えず大きく定員割れする中、不合格と報告されています。『福祉労働』(現代書館発刊)次号でも高校入学の全国状況が掲載されます。

◆神戸市教委への抗議の取り組み
4月26日、この間支援していただいた関係者に集まっていただき、権田君の近況報告と共に神戸市教委への今後の取り組みについて急きょ打ち合わせしました。全員の日程がなかなか合わず参加できなかった皆様には申し訳なく思います。早急に抗議文を作成し提出し、それから行動を始めます。引き続きご支援よろしくお願いします。

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