事業所交流会

【報告】 第13回事業所交流会の報告

野崎泰伸(障問連事務局)

7月15日に行なわれた「事業所交流会」は、「中堅職員」に照準する形で村上さん(NPO法人ウィズアス)、梁瀬さん(社会福祉法人えんぴつの家)、田中さん(NPO法人ぱれっと)、星屋さん(NPO法人自立生活センター神戸Beすけっと)から報告をいただいた。

そもそも「中堅職員」とは何か? わからないのだが、勤続年数や年齢にとらわれず、障害者とかかわりを持ったきっかけや、その後仕事を続けていくモチベーションとなったことが聞け、非常に有意義な集まりであったように思う。

 

■自然なかかわりとしての障害者介助

村上さんは、友人の家族に要介助者ができたことをきっかけに、介助の世界に興味を持つ。当時、無資格でも介助派遣を行っていたBeすけっとと出会い、そこで大学生のTさんの通学介助に入る。「授業のときは一緒でなくてもよい」ことが、村上さんとTさんとの良好な距離を保てていたのかも、と村上さんは言う。その後、勉強家だったTさんは、東京や大阪に自立生活の実際を見学しに行くようになる。ある日、Tさんは、DPI札幌大会に行くが、札幌で出会った障害者に感銘を受け、自分も札幌で自立生活をしようと思ったという。村上さんはそうしたTさんに入れ込み、札幌での自立生活の支援の礎を築く。一時は「札幌に引っ越そうかと思った」とも言う。村上さんが神戸に帰ったとき、Tさんから「村上君がいなかったら札幌で自立生活できていなかった、ありがとう」と言われる。そのことが村上さんの印象に強くあるという。

 

■自分の価値観の枠を揺るがすものとしての障害者介助

梁瀬さんは、大学3年のとき、えんぴつの家パン工場で働いている知的障害者のSさんに、ピープルファーストの奈良での大会に誘われ、知的障害者の「枠にはまらなさ」に強く影響を受ける。現在の職場であるえんぴつの家デイケアセンターは、重度と呼ばれる知的障害者が多いが、重度ゆえ「社会の価値観の枠にはまらない」と言い、そこが梁瀬さん自身の居心地の良さや安心感につながるという。

田中さんは、測量の仕事をしていたが、神戸の山奥にある施設にたまたま派遣され、そこにいた障害者たちと仲良くなったという。上司から「機械を触らせるな」と言われていたが、園生たちが興味深そうに見てくるので、機械の使い方を教えたという。その際、園生に唾を吐きかけられたり、噛みつかれたりした経験が「おもしろかった」という。田中さんが「痛い!」と言ってもわからなかったので、田中さんが逆に園生に噛みついたところ、「ごめんなさい」と謝ってくれたという。以降、「施設でよいのか」「日中の通所だけでよいのか」「大規模な法人でよいのか」という疑問を持ちつつ、職場を転々としながら、現在のぱれっとを共同で設立された。

星屋さんは、8年ほど営業の仕事をしていたが、「必要のないところに無理にでも必要性を作りだしていく」営業職に疑問を持ち、「必要とされる」ところ、ということで「単純に福祉業界を選んだ」という。そんな星屋さんに、当時のBeすけっと代表で兵庫青い芝の会会長でもあったSさんの介助という「洗礼」が待っていた。文字盤や「「ホー」とも聞き取れない」声に圧倒され、後に知ったという介助者手足論や青い芝の行動綱領に強く刺激を受けたという。その後も、「ナスカの地上絵みたいな」絵文字盤でコミュニケーションをする方や、重度の身体と知的の重複障害をもつ方の介助にもかかわる。あるヘルパーからは「利用者に何かあったらお前のことを俺は訴えるからな、覚悟しとけ」という手厳しい注意も受けたという。Beすけっとのなかには相談相手はいなかったが、他の事業所に相談できる人たちがいたのは心強かったとも言う。それまでの施設や自立生活に関する考え方、常識が覆された。また、実際に施設や親元を出て、まさに一人暮らしをしようとする障害者につきあえたこともうれしかったという。そして、障害者や介助者の中には、他の社会問題にかかわっている人たちも多く、そのような問題にも関心が持てたのはよかったことであるという。

 

■介助者も手助けを受けながら働く

そのなかでも、梁瀬さんからは、興味深い論点が提示された。それは「支援する人たちも助けられてよい」という視点である。梁瀬さんは、「職員とメンバーとに分けられ、支援する、支援される関係だけであってはならない。えんぴつデイでは、メンバーに必要な介助はもちろんするが、それだけではなく、職員もしんどいことがあり、それを補ってほしい。人に助けてもらいながら働きたい」という。フロアからは、「そのときにシフトはどうするのか?」という質問があったが、「そんな具体的なことではなく、まずは職員がしんどいときに、しんどいと言い合える職場環境を作っていくことが大切だということ」と梁瀬さんは答えていた。

介助者も人間である以上、しんどいことがあるのは当然のことである。たとえば、感情労働としての介助の側面は、ケアする者を精神的に追いこんだりもする。そのとき、配慮できるような職場でありたい、梁瀬さんの提起は、そういうことではないのか。ただ、1対1の介助の場合には、どうしょうもなく行き詰まったりもするし、梁瀬さんの提起のようなことが実現するのは、デイケアのような集団介助でないと難しいかもしれない。しかし、「介助者も支援を受けつつ働く」という論点は、今後考えられるべきことであろうと私は思う。

 

■みずからの存在の承認、存在意義と「中堅どころ」

4人の報告のどれにも通底しているのが、「みずからの存在価値の確認の場としての職場」ということだったのではないか。村上さんは、きっかけをくれたTさんの「ありがとう」、梁瀬さんは、職員のしんどさの承認、田中さんは、障害者とかかわることが「自分にとって」面白かったことの確認、そして星屋さんは、「必要とされたかった」ことである。こう書くと、「障害者は健常者に存在承認を与えるための道具ではない」という批判もあるだろう。だが、事態はそれほど単純なものであろうか。

あえて「中堅どころ」という言い方にこだわってみれば、その先輩たちは障害者と共に制度もないなか、文字通り死を賭して生活してきた。だが、一歩引いて見るならば、こうした活動が健全者である先輩たちの「存在証明」であったとも考えられる。さらに、介助をビジネスとしてだけ捉える後輩からは、給与の低さを嘆かれる。「給料上げろ」は「存在価値を金銭的な見返りとして受けとりたい」という、それは真っ当な指摘であると思いつつも、星屋さんが言われたように、「先輩の活動を知っているからこそ、そう後輩に言われるのはしんどい」という気持ちにも共感できる。

サッカーのワールドカップも終わったが、ポルトガル代表でレアルマドリード所属のロナウド選手の年収は8000万ユーロ(約100億円)、これは教師やソーシャルワーカーの平均的な年収の2000倍であるという。これが妥当な金額であるかどうかの議論は、必然的に「この社会が価値を重んじるものがあるが、それは道徳的に正しいのか」という議論になるだろう。私たちの社会は、ロナウド選手の何に価値を置いているのか? 翻って考えると、障害者を排除してかまわないという社会的な価値観があるとき、障害者と共にあろうとする人たちの存在証明は、いかにしてなされるべきだろうか? 今回の事業所交流会では、「人間の価値とは何か」「障害のある人たちを私たちの社会はどう迎え入れるべきか」「社会はいったい何を価値とするのが道徳的に正しいと言えるのか」というようなことを改めて突きつけられ、考えさせられた。

 

以下、参加された水谷さん、川田さんの感想です。

 

 

☆事業所交流会に参加して

水谷佳奈子(NPO法人阪神・障害者人権ネットワーク)

この仕事を始めてから14年になります。事業所交流会には参加したいと思いながら、2人の子どもの予定と自分の都合の調整がなかなかつかずでしたが、中堅向けの今回、しかも友人もパネラーの一人ということで思い切って初参加させていただきました。一緒に連れてきた息子はなかなかの騒ぎっぷりでしたが、皆さん温かく受け入れて下さり最後までいることができました。

パネラーの方々が等身大で語って下さった話は、自分と重なる部分がたくさんありました。学生時代に濃い関わりはあったものの、職員として携わるようになって2年足らずで出産し、それ以降はパネラーの方々のように組織の屋台骨となるような働き方は一切できていません。しかし今振り返れば、そういう状況だったからこそ細々とでも続けてこられたのかもしれないと思ったりもします。この仕事を続けてきた理由としては、キーマンとなる人との出会いや、自分と相手の障害者の気持ちが通い合った瞬間などが共通して話題に上りましたが、話を聞きながら私自身に置き換えてみたくなり、思い出した出来事があります。

障害のある息子が小1の頃、私は初めての夏休みに途方に暮れていました。気分転換に作業所のキャンプへ連れて行きました。息子の世話でアップアップの私でしたが、子ども好きの人も子ども嫌いの人もそれぞれがそれぞれのやり方でお喋りできない息子と関わり、身勝手な存在をそのまま受け入れてくれたあの2日間、私は作業所のメンバーに間違いなく救われました。この日のような、私もこの人たちに支えられているという実感の積み重ねが、目まぐるしく変化する日常の中でもここで続けていこうと思う原動力につながっているのだろうと思います。

交流会のグループ討論では、初めて会う方々とお話しすることができました。仕事の内容も、この界隈に入ってきたきっかけも違う方々でしたが、それぞれお話しされる言葉は刺激を受けることが多く楽しい時間でした。一旦この仕事から離れてまた戻ってきた方が元職場に戻った時に感じた気持ち(自分がいない間にこの職場の人が踏ん張って作ってきたんだなあという気持ち)は、自分が育休明けで戻った時に感じた気持ちと通じるものがありました。子育ての先輩ママさんもいて、交流会のテーマとは別に話してみたいと思ったりもしました。

小規模な職場では続けてきた年数が同じくらい(いわゆる同期)という人は少ないなかで、他の現場で自分と同世代(とくくってしまうのも変ですが)の方たちが、紆余曲折ありながら試行錯誤しながら日々踏ん張っているという事実を目の当たりにして、私はとても勇気づけられました。どんな形であっても長年関わり続けていくことで見えてくるものはあって、それは続けた者しか分からないご褒美のようなものなのかもしれません。もちろん、組織を担っていく立場になってくると、プレッシャーに押しつぶされそうになるのも事実で、でもそんな気持ちもこの場所で共有できたことで少し心が軽くなりました。

この翌日、職場の先輩に交流会に行って将来への不安の話も出たことなど報告したら「まあみんな通ってきた道や」というようなことをこれみよがしに言われました。簡単に片づけんといてや!!と思いつつ、しんどそうにしていた時(今も?!)の先輩の横顔も思い出されたのでした。

また参加したいなと思います。

 

☆パネラーの皆さんの話を受けて

川田晋(NPO法人ぱれっと)

グループワーク 3班の報告・・・

 

訪問系事業が中心で且つ、メンバー的には経営(運営)側の人が集まっての意見交換となりました。

自己紹介から始め、まず話に出たことは、まず経営的な課題。人的な余裕のある環境が作れない。処遇面では改善を行っているが、人的余裕の無さより、休みが取れないなどの課題が改善されない。制度の問題もあり先を見越した運営が求められるなども意見として出ています。そのような経営的な課題を抱えた中で、発表者の話を聞いた感想などが出されています。

現場で中心的に活動しながら、運営の事を考えないといけない立場となっている。これは大変なことだと思われる。

やりがいを示しながら、給与保障を行い、休みも保障しないといけなく、人間関係にも関わる。ここは(経営サイドとしても)何とかしていかないといけない。

昔の流れにはついていけない所が出てきているところへの理解が必要になってきている。

先人から思いを教えられてきた人(今日の発表者の方など)とそうではない人が、主張し交われなくなっている。ギャップがもめる(問題となる)原因になってきている。

時間の無さは、職員間の会話する時間の無さにつながり、コミュニケーション不足になってきている。

先人から引き継いだ理念や、自分なりの理想や思いややりがいを持たれている人の話だったと思う。この人たちが中心で活躍できるような環境を築いていくことが(特に運営サイドからは)必要だと感じました。

以上、報告します。

 

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