事務局より

【巻頭】 相模原事件から2年 ~「障害者の命を軽んじる」あり方を問い続ける~

栗山和久(事務局)

蒸し暑い季節が本格化し、7月を迎えます。今月26日、あの神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で19人もの障害者の命が奪われた事件から2年を迎えます。報道を見る限り、植松被告の裁判はまだ始まっていません。事実認定では争われる余地はないにもかかわらず、裁判所は何を躊躇しているのでしょうか。被告の刑事責任能力は2017年1月頃に精神鑑定により責任能力があると判断され起訴されたのに、かなり以前の報道では再度の精神鑑定を行うとされていました。植松被告が何故あのような犯行を行ったのか、裁判を通じて明らかにされ、被告自身が持つ優生思想が断罪され、社会全体に根深く存在す優生思想そのものも裁かれなければならないと思います。同時に、同事件についてのマスコミ報道は極端に減っています。それに抗する意味でも「リメンバー7.26神戸アクション」の方々の呼びかけにより「障害者を殺すな 7/22神戸デモ~やまゆり園事件を忘れない」が行われます。ぜひご参加ください。

そして「障害者の命が軽んじられる」あり方は、三田市知的障害者監禁事件、そしてその裁判にも如実にあらわれ、それに対する抗議の取り組みが行われています。今号ニュースでは6月16日三田市での集会報告、裁判傍聴の報告を掲載しています。「いこいの場ひょうご」の高瀬さんの原稿にあるよう、長年にわたる「国・社会による隔離政策の結果」により生み出されたものがいかに根深いのか、しかし「決して挫けない」とアピールされています。

また優生思想を法として行われた旧優生保護法に基づく強制不妊手術の凄まじい実態が、立ち上がられた原告の方々の証言やマスコミによる調査報道により明らかにされつつあり、その一端を今号ニュースで報告しています。しかし、その事実の衝撃さだけでなく、日本という国の意志として、「障害者はあってはならない」との優生政策が戦後においてもいかに強く貫徹されてきたのか、そして旧優生保護法は廃止されたものの、何らの反省もされず、被害者の痛切な長年の訴えが訴訟として起こされて、初めて、ようやく顕在化したのです。戦後補償等の問題とも同質にあり、この国の非道さを痛切に感じます。私も微力ながら「抗いの種」として抗し続けたいと思います。

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