教育

【巻頭】 障害を理由とした定員内不合格に強く抗議する

凪裕之(障問連事務局次長) 

3月12日、権田祐也君が神戸市立楠高校を受験しましたが、不合格になりました。一次の試験に続き、二次の再募集の試験にも臨んだにも関わらず、不合格になりました。定員内であったにも関わらず、彼だけを不合格にしたことは、明らかに障害を理由に不合格にしたとしか思えません。障害を理由に排除したのなら、明らかな障害者差別であり、私たちは断じて許すことができません。なぜ不合格にしたのか、神戸市教委は、その理由を明らかにし、本人や家族に納得いくような理由を説明してください。

権田君は、淡路市の小中学校で、障害のない子と一緒にずっと学校生活を送ってきました。重い障害があろうとみんなと生活していくことは、彼が生きていく上でどれだけ大切なことなのか、彼自身が一番よく知っているでしょう。そして、彼の存在により、同級生にも共に育つことを大きく様々に培ってきたと思います。また今回、仲の良い同級生も楠高校を受験したとお母さんから聞きました。より一層、みんなと一緒に高校に行きたい、友達とも一緒に通いたいとの思いを強くしたにもかかわらず、そんな願いや友人との絆を、この不合格は断ち切ったのです。

権田君は、義務教育でない高校、選抜試験に臨むに際して、精一杯のことをやってきました。言葉として発せられない権田君は、意思疎通をするにも、通じにくいことがあったり、時間がかかったり、そのトレーニングをするためにも、莫大な時間、エネルギーを費やしてきました。受験を目標に何年も前から福祉職にも相談、訓練にも通い続けてきました。中学校も試行錯誤しながら試験の度に工夫してこられました。また、何度も何度も高校に足を運び、どこを受けたいのか、家族の大きな負担を覚悟の上で、悩みに悩まれた上で、楠高校しかないと、楠高校に行きたいと決められたのです。合格発表の日、本人とお母さんが自分だけの受験番号が見当たらない前で、数十分も佇んでいた姿を目にした人もいました。

私たち障問連と関係する障害者本人・家族は、30年あまり、障害があっても地域の小中学校へ、そしてそこで一緒に過ごした障害のない同級生と高校に行くことを実現してきました。点数がとれなくても、養護学校から受験しても入学させないと言われても、定時制高校などの門を叩き続け、高校に入学してきました。

昨年秋の楠高校の学級減の決定を受けて、私たち障問連は神戸市教育委員会と話し合いを重ねてきました。定時制高校の門戸を狭めることは、高校に行きたい数多くの障害者にとって大きな危惧を感じるからです。そして、重い障害があろうと、様々な加配や配慮で高校生活を送れるように話し合いをしてきました。その中で市教委は、障害をもっていたり、様々な生活環境を抱える生徒が生きていく育つ場としての定時制の楠高校の校風、存在意義をよく認識した上で、学級減になったとしても、「定員を超えることはない、あぶれる人がないよう最大限努力する」とはっきりと言いました。そして、定員内で不合格者を出す場合、高校が市教委に具申し、市教委は兵庫県公立高等学校入学者選抜要項に基づき、よっぽど履修できないことがはっきりしない限り不合格にしないと言い切りました。学校だけの合否判定だけでなく、市教委の判断もあることを示しました。また、障問連に加盟する教職員組合と県教委との間にも、基本的に「定員内不合格は出さない」と長年にわたり確認されています。

さらに、医療的ケアが必要な権田君にとって看護師配置が必要です。淡路では保育所の時から、小学校、中学校と看護師が配置されてきました。障問連として、看護師配置についても神戸市教委に強く要望し、出願の締め切り直前の段階で、「これまで市立高校に看護師は配置しなかったが、小中学校の配置制度を参考にしながら、合格した段階で速やかに検討する」と、市教委の前向きな姿勢が示されました。それらを踏まえ、私たちはよっぽどのことがない限り定員内不合格は出さないと認識しました。

楠高校においても、校長が権田君の中学まで行き本人やお母さんの思いを聞かれ、きめ細かく丁寧な受験の配慮、権田君の入学後のことについて真剣に考えられていたと聞きます。受験当日に際しても、彼が初めて顔をあわせる楠高校の先生もお母さんにギリギリまで配慮すべきことを確認したり、積極的に意思疎通し、試験が終わって出てきた君が、そんなに緊張することなく教室から出てきた姿を見て、お母さんも良かったと安心されていたのです。

しかし、それでも不合格にしたのは一体なぜなのか。1次試験の発表の翌日、本人とお母さんは点数の開示を請求されました。全て0点だったから不合格になったのかとお母さんは思われていたが、低いとはいえ点数は取っている。しかも選択回答しかできない権田君にとって、全て選択回答にして欲しいとの要望は認められず、最初から回答できない限られた試験である中で、それでも取った点数だという事を 高校や市教委は理解してくれているのか、障害に応じた配慮が十分になされていたのか、大きな疑問を覚えずにはいられません。

国において、現政権は経済再生とあわせ「人づくりは、国づくり」という教育再生を掲げ、教育の多様性を認めながらも、経済社会に即戦力となる子どもの教育をさらに推進させようとしています。そうすると、そこから弾き出される子どもは教育の必要はないと言うのでしょうか。定時制高校そのものや、そこに行きたいという障害者をはじめとする様々な生徒は排除していいというのでしょうか。定時制高校を残すことの意義を、神戸市教育委員会は本当に持たれているのでしょうか。神戸市教委は繰り返し、楠高校の実績は良く理解していると言うのであれば、障害生徒も含め多様な人が通うことのできる楠高校をなくさないでください。

なぜ権田君を不合格にしたのか、神戸市教委、楠高校校長は真摯に向き合い、誠意をもって話し合いの場を持って回答する事を強く求めます。

 

※次の新聞記事では、定時制の楠高校の意義が書かれています。

 

■心の扉を開いて 共に生きる兵庫 第1部「地域で暮らす」/26

定時制の灯を消すな 「心の楠高校は社会の縮図だ」 /兵庫

毎日新聞2018年4月2日 地方版

https://mainichi.jp/articles/20180402/ddl/k28/040/220000c

 

 

「楠高校を語りあう会」で、「定時制の楠高校は社会の縮図だ」と訴える佐藤栄男さん(左)=神戸市中央区で、桜井由紀治撮影

「定時制の楠高校は社会の縮図だ。昼間の高校を中退した人や障害者、高齢者らいろんな人が通っている。心の楠。こういう学校こそ残すべきだ」。重い脳性まひの障害があり、車椅子を利用する佐藤栄男さん(42)が声を張り上げた。3月18日、神戸市内で開かれた「楠高校を語りあう会」。夜間定時制の神戸市立楠高校(兵庫区)の卒業生や保護者、元教師ら約60人が集まり、夜のとばりが下りた教室で学んだ日々を語り合った。

楠は、障害者や学ぶ機会がなかった高齢者、在日外国人に門戸を広げた、県内でも数少ない公立普通科高校だ。生徒数減少で近隣校との統廃合が懸念された30年ほど前から障害者らを受け入れてきた。昨年度も全校で50人以上の障害者手帳所持者が在籍している。

一方、楠は今年度から1学年の定員を前年度までの120人から40人少ない80人に減らした。これに伴い、教職員配置数も減らされる。定員減の理由について、市教委は4年連続で入学者が80人を割ったことを挙げた。

教職員も減ってしまっては、これまで通り障害者らの受け入れができるのか。やがては統廃合され、楠の名前が消えてしまう恐れが出てくるのではないか。「夜間定時制の灯を消すな」。危機感を抱く佐藤さんらは、母校のために駆けつけた。

佐藤さんは養護学校に併設する施設で暮らしながら中学部まで在籍していた。だが、養護学校では、自分が満足できる教育が十分受けられなかった。本を読んでも漢字が分からず行き詰まる。漢字ドリルで独習するも限界があり、学齢期に地域の学校に行きたかったという思いを募らせた。やがて自立していく

 

ために学び直そうと決意。2002年、楠に入学した時は27歳になっていた。入学前年には、校内に設置されている識字学級に通い、1年間読み書きの基本を学んだうえでの高校生活だった。

学びは新鮮だったが、分からないことだらけでストレスがたまった。そんな時は、先生に話を聞いてもらった。ある日、同じ年の先生に「あなたは、自分だけがしんどい思いをしているような顔をして。そんなんじゃ、あなたの話なんか誰も聞いてくれないよ。もっと自分に優しくなりなさい」と諭された。独りよがりだった自分に気づいた。「楠の先生が素晴らしいのは、生徒にマイナス思考を持たせないこと。楠に来てよかった」という。

佐藤さんだけではない。ベトナムからの難民だった男性は、夜間中学から楠に進学。日本語を一から学び、体験を校内弁論大会で発表するまでに上達した。「日本に来た当時、内容が全く分からないテレビとにらめっこしていた生活からは、夢のよう」と振り返った。

楠では50歳以上の生徒を「熟年生徒」と呼ぶ。若い頃、学ぶ機会がなかった高齢女性は、先生や孫のような同級生とのふれあいの日々を懐かしみながら「学校をなくさないでほしい」と訴えた。

在日コリアンのオモニ(母親)は、パニックを起こす知的障害の同級生を実の母親のようにやさしく抱きしめた。「卒業証書が私の宝物」とほほ笑む。

8年前に卒業した元生徒会長の女性は「しんどかったのは仕事が終わった後の勉強。一番つらかったのは、生徒会を担当してくれていた、愛する先生が亡くなったこと」と涙ながらに亡き恩師との思い出を語った。

温かさ、優しさ、喜び、悩み、悲しみ……。さまざまな人がいろんな思いを抱いた学校生活は、健常者や障害者、熟年生徒らが共に学ぶ統合教育のあるべき姿でもあった。

【編集委員・桜井由紀治】

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