教育

【報告】「ひょうご教育フェスティバル(第67次兵庫県教育研究集会)」に参加して

Mさん(インクルネット西宮:保護者)

 

2017年11月11~12日に、西宮市立浜脇小・中学校にて表記の集会が開催されました。県下の各地の学校での実践レポートが報告され、会場、助言研究者からも交え意見交換が行われました。

 

◆助言研究者からの意見

○一木玲子さん(大阪経済法科大学・協力研究所員)

・先生方も「仲間」がいるから、日々頑張れるのではないか。「仲間」がいなければ、人は誰ひとり、生きては

いけない。そんな仲間を子どもたちにもつくる環境が大事なのではないか。

・インクルーシブ教育について、他国は方向性がはっきりしているが、日本は方向性がはっきりしていない。ど

この場で学べばよいのか、本人や親は迷う。

・今後のインクルーシブ教育の方向性としては、親が安心して選べる普通学校をつくるべきで、子どもが安心し

て学べる環境を整える取り組みが必要。また全学童対象のユニバーサルデザインを構築することが必要。ユニバーサルデザインが増えれば、合理的配慮は減る。

 

○堀智晴さん(インクルーシブ(共生)教育研究所・協力研究所員)>

・最近、先生が求める答えに合わす子どもが増えている。先生の意図する答えを出す子がすごいか?

先生たちは教えたことがその子その子にどう理解されているか、どう学ばれているか、その子を尊重すべきだと思う。教育的ニーズも、先生や保護者の意図通りにしてはならない。

・例えば、「子どもが暴れる」=「本人は訴えている、要求している」のであり、その子のニーズととらえ、まず子どものニーズを見る、プラスに受け止めることが大事。問題行動は子どもが必ず何かを要求している。

・一人ひとり子どもは、ニーズ(要求)を持っている。子ども中心の普通学校で学ぶことで、社会は変わる。

 

◆教育フェスティバルの感想と私の子どもの学校生活

リポーターの先生方は日々現場で頑張っておられると思いますが、支援学級在籍の場合、交流は大事としながらも分離教育に対して特に何ら疑問をもっていない、真のインクルーシブ教育を知らない、など分離教育に肯定的な先生が多いように思いました。あるリポーターの方が、支援級在籍の子どもが交流から支援級に戻ってきた時、その子どものほっとした表情を見て・・・「交流はしんどい、この子には支援学級という場所は必要だと思った」と話されていました。研究員の方からも指摘されていましたが、なぜ交流に行くとしんどくなるのか、先生方はどうしたらその子が交流でしんどさを感じることなく、居心地良く過ごせるのかという視点で考えてくれていたのか。短絡的に考えておられたとしたら残念だなと思いました。

またK小の五年目の若い教師のリポートでは、子どもとどう向き合うべきか悩み、応用行動分析を専門としている大学の先生のアドバイスをもらうことで、子どもとより良い関わりを持てたと発表されていました。応用行動分析を知らない中で、支援学級の担任を任されるのは先生方にとってしんどいだろうなと思いました。全体的に先生方は、今現在行っていることがすべて正しいと思い込んでいるように感じました。既成概念を取っぱらって、今、自分たちがしていることは正しいことなのか、日々疑問を持ちながら、やっていって欲しいと思いました。2日目のみ参加しましたが、教室は参加者でいっぱいでした。リポーターの方々は一生懸命に発表をされている一方で、私の隣席の教師らしき人は寝ているし、じっと指の爪を見たりしている人もいるし、温度差も感じました。

 

私の息子は、現在、小学1年生。身体障害者手帳1級、療育手帳A。市教委の判定は支援の量からして西宮養護学校とのことでしたが、地域の小学校の通常学級を選択しました。

将来、今のこの地域で暮らしていく中で、西宮養護は校区外、近所の子どもたちは地域の小学校へ行くことになり、道を歩いていても「あの子、だれ?」とあまり知られることなく生きていくのは、親としては寂しい、自分の子どもの存在をもっと周りの人たちに知って欲しいという思いがありました。また通常学級か、支援学級かについては、かなり悩みました。言葉も話せない、ようやく独歩が何とかできるようになったけれどまだまだ不安定な状況の中、箕面市のA君や西宮のBちゃんがお友だちと楽しく学校生活を送っている話を聞いて、こんな学校生活を息子にも送らせてあげたいと思い、通常学級を選択しました。

また、3年保育の幼稚園にプレから通っていましたが、その中でやはり小さい時から長い時間を共に一緒に過ごすことでお互いを理解し合える部分が大きい、と実感したというのも通常学級を選択した理由のひとつでした。学習面については、通常学級ではついてはいけないだろうけど、自分が助けて欲しい時、手伝って欲しい時など自ら発信できるような、社会で生きていく力、社会性を伸ばしてあげたいという思いが強くありました。

入学当初は「何でこんなに小さいの?」「何でしゃべれないの?」など子どもたちからは質問攻めでしたが、毎日同じ教室でずっと一緒に過ごすことで、息子の手話のようなサインを覚えてくれたりと子どもたちが自然と理解を深め、関わってくれ、クラスの仲間として見てくれているのを日々感じています。例えば、クラスでの係は電気係(教室移動時の教室の電気オン、オフ)ですが、歩くのがみんなよりも遅いため教室への到着も遅くなる。暗いなか、誰も先に電気を着けようとせず、息子の役割として待っていてくれるのが親としては嬉しいです。また家の外へ出て、道を歩けば、地域の方やクラスのお友だちや、また学年やクラス関係なく、私が知らない子どもたちや親御さんから「○○ちゃーん!」とたくさんの声をかけてくれ、幸せな気持ちになります。昨年までの入学前にはなかった光景です(ちなみに、幼稚園は遠方で、同じ小学校へ通う子は一人もいませんでした)。

 

地域の学校へ行くことで、息子に身につけて欲しい力は、みんなの中で胸を張って幸せに生きる力、豊かに生きる力。そのために必要なものは、自己肯定感だったり、努力して何かをやり遂げたという達成感。誰かの役に立つという経験。同世代の仲間集団の一員として認められているという実感だと思っています。授業や給食、掃除などの課外活動、休み時間でも息子に出番や役割、居場所があるように学校には配慮をして欲しいし、また達成感の感じられる課題を工夫してやって欲しいと日々願っています。学校側もよくやってくれているとは思いますが、すぐに前例がないからできない、排除ではなく、どう工夫したら、みんなと一緒にできるのか、過ごせるのか、という視点で関わってもらいたいと常々思う日々です。

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