【優生思想】 県立こども病院記念誌で「不幸な子供の生まれない運動」賞賛
2016年3月、兵庫県立こども病院が須磨区からポートアイランドに移転することを記念する冊子が編まれました。そのなかで、名誉院長である小川恭一氏が次のように述べていました。
「当時の兵庫県知事金井元彦氏は、小児医療に深い関心を持ち、「子供に障害が起こってしまってからでは遅すぎる。予防は治療に勝ることを真剣に考えるべき」という信念を持っておられ、本邦では初めてのユニークな県民運動となった「不幸な子供の生まれない施策」を展開されました」
この「不幸な子供の生まれない運動」は、兵庫県衛生部が1966年に始めた運動で、五体満足ではない子、すなわち障害を持つ子は不幸であるという前提に立った上で、「健康」という名の下に障害児の出生を防止しようという「啓発」です。端的に言えば、選択的中絶の正当化です。この県民運動に対して兵庫青い芝の会として当時より断続的に抗議してきました。50年経ったいま、こうした運動への反省もなく、評価するコメントは許されません。
障問連としても、この冊子の記述について、オールラウンド交渉で追及し、市民団体が提出した抗議文にも団体として賛同しました。9月の県交渉では、健康増進課より「当時の優生保護法の下で行われた運動であると思われる」との回答があったのみでした。11月の2度目の交渉でも、引き続き県の姿勢を問うていきたいと思います。
■兵庫県立こども病院 障害者不妊手術称賛?団体など抗議文
毎日新聞2017年10月31日 20時04分(最終更新 10月31日 20時20分)
http://mainichi.jp/articles/20171101/k00/00m/040/052000c
兵庫県立こども病院(神戸市)が昨年発行した「病院移転記念誌」に、かつて実施されていた精神障害者や知的障害者への強制不妊手術を称賛するかのような記述があったことが分かった。全国40以上の障害者団体や市民グループが1日、病院や県に抗議文を提出する。
問題の記述は小川恭一名誉院長の寄稿で、1970年の病院設立当初を振り返った部分。当時の金井元彦知事が「子供に障害が起こってしまってからでは遅すぎる」との信念から、「本邦では初めてのユニークな県民運動となった『不幸な子供の生まれない施策』を展開されました」と書かれている。
「不幸な子どもの生まれない運動」は66年に兵庫県が開始。障害児や遺伝性疾患を持つ子を「不幸な状態を背負った児」と位置づけ、精神障害者や知的障害者への強制不妊手術費用を県が負担して「出生予防」を進めた。運動は全国に広まったが、障害者団体が激しく抗議し、74年に県は対策室を廃止した。
抗議文では、障害者差別解消法が施行された現在なお、この「運動」を肯定的に取り上げていることを問題視。病院側に削除・訂正を求める。呼びかけ人の一人で脳性小児まひの古井正代さん(64)は「かつての抗議活動は何だったのか」と憤る。
抗議文に名を連ねた立岩真也・立命館大大学院教授(社会学)は「この『生まれない運動』の中心は医療でもなんでもなく、障害児の選択的中絶を進めようという運動だった。当該の文章はそのことにまったく触れていない」と批判したうえで、「鈍感と無知を知らせるためにも記念誌はそのままに、説明と釈明を加えることを望む」という。
県立こども病院総務課は取材に「病院設立の背景を説明したものと理解している。もらった原稿を掲載しただけで内容を評価する立場にない」と説明している。【上東麻子】
11月 4, 2017