精神障害者 優生思想

【優生思想/精神障害】 相模原事件から1年

野崎泰伸(障問連事務局) 

◇報道を中心に

この7月26日で、「津久井やまゆり園」で起きた障害者連続殺傷事件から1年になります。この間の報道を見ていきますと、当初の1ヶ月は、識者の意見も交えつつ、障害者の尊厳を否定するものであるといったもの、またナチスのT4作戦への言及なども見られました。「生きることの無条件の肯定」といった思想的な含意のあるもの、新自由主義や経済効率優先の社会の問い直しなど社会制度にかかるものの一方、措置入院に当初から疑問を投げかけていた記事もありました。

2016年9月以降は、新聞記事は減ってきますが、雑誌において特集が組まれたりもしました。『現代思想』『紙の爆弾』『創』『AERA』『週刊金曜日』『世界』などが特集を組んだり、臨時増刊号を出版したりしています。書評誌である『週刊読書人』においても、2016年10月7日号の「論潮」欄で、社会運動論の研究者である大野光明氏が「内なる優生思想に向き合う」という文章を寄稿されています。

次に新聞報道が多くなるのは2016年末から2017年始にかけて、そして事件から半年を迎える2017年1月26日前後でした。被害者家族の思い、施設職員の葛藤などが語られたりもしました。

半年経ってから以降は、いわゆる「森友・加計問題」への注目が集まる中、事件に関する記事は激減した印象を受けます。それと同時に、2月20日に出た容疑者(当時)の精神鑑定の結果を経た同24日の横浜地検による起訴を受け、精神保健福祉法の「改正」の是非へとシフトしていきます。『週刊金曜日』2017年5月19日号の記事では、差別思想から個人の妄想の問題へとすり替えられることそれじたいの問題について指摘したものもあります。国会で取り上げられた精神保健福祉法の「改正」に関する問題点についても、(私にはそれらの構造は酷似しているように思われる)いわゆる「共謀罪」をめぐる論戦についての報道の影にかすんで、多くは報じられませんでした。

ちょうど1年目を迎えつつある東京新聞2017年7月23日の記事には、被告から新聞社宛てに6月の消印で合計3通の手紙が寄せられた、とありました。その文面を見れば、障害者に対する差別的な思想はいまだに変わってはいないということがわかります。「手紙で植松被告は「私の考える『意思疎通がとれる』とは、正確に自己紹介をすることができる人間」と定義。意思疎通がとれない重度・重複障害者は安楽死の対象にするべきだと、事件当時からの差別的な主張を繰り返した」「手紙では重度障害者を「幸せを奪い、不幸をばらまく存在」などと主張」「殺害を思い立ったきっかけに、大統領就任前のトランプ氏の選挙演説と、過激派組織「イスラム国」の活動をニュースで見たことを挙げた。「世界には不幸な人たちがたくさんいる、トランプ大統領は真実を話していると強く思いました」とも記した」とあります。被告のこのような考えは、社会的にまた世界的に浸透してしまっているとも言え、被告ひとりだけの問題ではなく、社会的な価値そのものが問われなければならないと、改めて感じます。

最近では、雑誌『教育』2017年6月号で、「相模原事件は問う」という特集を組み、教育の文脈において、そもそも人と人とが向き合い、理解し合うためにはどのようにすればよいかについて考えています。また、樋澤吉彦氏の「相模原障害者殺傷事件を契機とした精神保健福祉制度の動向」(名古屋市立大学『人間文化研究』28号、2017年7月)においては、神奈川県と厚生労働省が出した「報告書」を分析し、池田小学校事件から医療観察法を制定させた流れと酷似していることについても触れられていました。

 

 

以下、生活支援研究会理事長の野橋順子さんが、同会ニュースに書かれた文章を許可を得て転載いたします。

 

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相模原事件を忘れない!

野橋順子(生活支援研究会理事長)

 

 

相模原事件から一年が経とうとしている。

施設で19名もの障害者の尊い命が奪われた事件だ。毎月リメンバー7・26というアピール活動をしている団体があり、時間があれば極力参加している。でも最初の頃に比べれば、確実にビラ取りが悪く、マスコミにも取り上げてもらえず、この事件がなかったことかのように世間から忘れ去られようとしている。そのアピール活動では、参加する時にみんなそれぞれの思いを書いたプラカードを付けているが、私はそれに必ず「障害者の命を軽視しないでください」と書いている。

私は、この社会の人々は「障害者なんていない方がいい。何も出来ないし、役にも立たない」という差別的な思いを、相模原事件の犯人同様に多かれ少なかれ持っていると思っている。かく言う私も、高校生の時に障害者と健常者の大交流キャンプや障害者のデイで障害者の仲間に出会うまでは、自分が障害を持ちながら、障害者を差別していた。訓練施設で自分より重度な障害者に出会うと、私の方が手足も動くし勝っている、もっと頑張らなければと本気で思っていた。いわゆる優生思想だ。学校も普通校に小、中、高と行き、本当に大変だった。変な字を書く、変な歩き方をするなど、あらゆることでイジメられた。学校以外でも、幼少期の頃に訓練を目的として施設に入所させられていたが、施設での生活は悲惨だった。トイレに行きたくなっても忙しいから待ってと言われ、何時間も待たされて失禁してしまう。楽しみがなく、家族と面会することだけが楽しみだった。基本的な生活、飲むことや食べること、排泄も自由にできないし、会いたい人にも会えない、本当に人権が守られていないと思う。亡くなられた19名の障がい者の方々も同じような気持ちだったと思う。

私は障害者だということで、自分の障害を、動かない身体を恨んだ。健常者になりたかった。恨みごとを書きたい訳ではない。それだけこの社会には、健常者がいいとされている優生思想がはびこっている。

危うく私もそれに汚染されながら人生を歩むところだったが、キャンプやデイで、ありのままの自分を受け入れ障害があってもいいと言うメッセージをもらい、やっと私は自分の障害を受け入れることが出来た。デイでは私より重度な障害者がたくさんいた。その中で、「ホ」くらいしか発語が出来ない障害者が印象的だった。例えば、ありがとうと言うだけで十五分くらいかけて文字盤で話していた。私はそれまでの人生、話せることが偉い!と思い、話したくないことまで無理して話していた。でもたくさん話す私より、その障害者のところに人々が集まり衝撃を受けた。その障害者の方に、「野橋、肩の力を抜け」と言われ涙が出た。私はこの社会にはびこる優生思想に流され、身も心も本当にボロボロになっていた。高校の時に障害者の仲間に出会い、早25年余り。本当に出会えて良かった。

でも社会の人々は、障害者に出会う機会がない。学校も就労も、障害者と健常者は分けられている世の中。その中で、差別や優生思想の考え方など消えるわけがない。障害者と関わらなくても生きていけるから、自分に関係ないと思ってしまう。この競争社会の中で、優生思想の考え方をなくすと怖いという人もいるだろう。また差別解消法が昨年から出来たけど、全然意味を成していない。確かに昔に比べ、バスや電車にスロープやエレベーターがついて乗りやすくはなったけど、障害者が乗ってきたら明らかに嫌な顔をする。障害者じゃなくて介護者に話しかけるなど、差別は消えた訳ではない。

私はこの相模原事件には様々な問題が含まれていると思う。一人一人の中にある優生思想や差別が引き起こした事件だと思う。それが変わらない限り、同じことが繰り返されると思う。だからこそ、小さい頃から障害者と共に生き、きれいごとではなく、自分の差別意識に向き合う必要があると思う。学校だけではなく、施設に行くのではなく、地域に暮らし、障害者と健常者が接する機会が増えることが大事だと思う。

障害者をひとくくりにして、不幸な存在だと言わないでほしい。精神障害と聞くと怖い存在と思い、知的障害と聞くとバカなどと思い、身体障害と聞くと介護が大変と思い、障害だけで見ないでほしい。一人一人の人格を見てほしい。

みんな大事な命であり、かけがえない。私は障害者として色々あったけど、生まれてきて良かったと思っている。

私は19名の障害者の方の御冥福をお祈りすると共に、その方の分まで社会に訴えていきたい。

 

 

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朝日新聞「天声人語」で、青い芝の会(とは書いていませんが)に言及がありました。「被告の男の思考そのものも異常だと片付けることができるのか、という問い」こそが、私たちが社会に対して問うていくべき問題であると思います。

 

■(天声人語)やまゆり園事件から1年

2017年7月26日05時00分

http://www.asahi.com/articles/DA3S13055903.html

 

1970年、横浜市で脳性まひのある2歳の女の子が母親に殺された。施設への入所を断られ、将来を悲観しての犯行とされた。母親の境遇を思いやる地域住民らが減刑を求めて運動を起こす。しかし、これに異を唱えた人たちがいた▼「母親を憎む気持ちは毛頭ない。だが罪は罪として裁いてほしい」。脳性まひの当事者らが思いを意見書で訴えた。切実な言葉が本紙に残る。「減刑になることは、僕たちの存在が、社会で殺してもいいということ」「かわいそうだから障害児を殺した方がいいという、そんな愛ならば、いらない」▼半世紀前の訴えを、男は想像すらできなかったろう。相模原市の「津久井やまゆり園」で19人の命が奪われた。事件から、きょうで1年になる▼あまりにもむごく、異常な犯行だった。しかし今も答えが出ないのは、被告の男の思考そのものも異常だと片付けることができるのか、という問いではないか▼「彼は正気だった」。和光大名誉教授の最首悟(さいしゅさとる)さんが事件後にそう語っていた。「いまの日本社会の底には、生産能力のない者を社会の敵と見なす冷め切った風潮がある。この事件はその底流がボコッと表面に現れたもの」。障害のある娘と暮らすゆえの重い言葉であろう▼言語障害があるならあるまま、喋(しゃべ)れるなら喋れるまま、お互いの存在を認め合う関係を――。あのとき声を上げた一人である故・横田弘さんが著書で述べている。問われているのは、当たり前のことができるかどうかである。

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