【報告:2017年障害者春闘】 ~4/1忘れへん!! 相模原障害者殺傷事件 様々な立場から事件の本質を問う!!~
障問連事務局
4月1日に今年度の障害者春闘を開催しました。テーマは相模原障害者殺傷事件について、100人を超える参加者がありました。以下はその記録です。精神障害、知的障害、身体障害、そして支援者の立場から、それぞれ発言をいただきました。
■状況報告 ~事件にかかわる最近の動き~
吉田明彦(リメンバー7.26神戸アクション 呼びかけ人)
呼びかけ人の1人である吉田です。まずこの事件に関して、色んな事が起きている。1つは殺された人たちの名前が伝えられない問題がある。報道、ニュースで伝えられないだけでなく、これから始まる裁判でも名前が出てきません。その問題について見ていきます。殺されたのが障害者だからという理由です。裁判もAさんBさんというように名前が出ないまま裁判が最後まで行く事になろうとしています。これは最初に事件が報道される時に神奈川県警が名前を出しませんと発表した時の元々の文章です。これを見ると分かりますが、新聞とかテレビで殺された人の家族が「出さないで」と言っているから名前が出ないんだと聞いたりしていると思います。でも神奈川県警の説明を見ると違います。「今回お亡くなりになった入所施設は知的障害者の支援施設であり、ご遺族のプライバシー保護等の必要性が極めて高いと判断しました」と、誰から頼まれたわけでもなく、まず神奈川県の警察と神奈川県が自分で、殺されたのが知的障害者だから名前を出さないと決めたんです。ニュースの伝え方と違います。二番目の理由として、「また、ご遺族からも警察が報道対応するに当たっては特段の配慮をして欲しいと強い要望がありました」と書かれています。この後、やまゆり園の元職員の人たちが遺族の人たちに順番に聞き取りをして発表しています。遺族の中には名前を出しても良いと言っている人たちが何人もいることが分かりました。だから遺族がみんな名前を出さないでいいというのは実は違います。
これは事件のあとから日本の中でも、世界中でも障害者、家族、支援者達が、なんで殺された人たちの名前が出て来ないんだというふうに言っています。そして、その事を書いた文章の中で世界中で一番読まれてきたのが、スザンヌ鎌田さんというアメリカに住んでいる人の8月1日の文章です。英語で,題は「彼らの名前を言って下さい」。車椅子の写真の下に「私は誰かが彼らの名前を言ってくれることを待ち続けています」と書かれています。この人は、今はアメリカにいますが、お子さんが18歳になるまで日本に住んでいた人です。そのお子さんは障害児でした。高校を出る時に日本の自治体からは、もう施設に入るしかないから施設を見て下さいと言われた。そして日本では、なんで名前が出て来ないのかと障害者への差別が強いんだと書いています。
2月24日に容疑者は起訴されましたが、その時に裁判が名前が出ないままされるんだと分かりました。東京新聞の報道では「横浜地検が今後の裁判で起訴状を朗読する際などに被害者名は呼ばず、Aさん等の匿名での審理を裁判所に求める検討をしている事が捜査関係者への取材で分かった」。どうして裁判を匿名でできるのか。そんな事は法律違反じゃないのか。性犯罪やレイプとかそういう時にしか裁判は匿名でしかやってはいけない。それ以外にも例外として特別に名前を出さないやり方があるというのが1か所だけ法律上ありますが、無理やりこれを当てはめようとしているようです。
もう一つはやまゆり園の建替え問題です。あんな恐ろしい事件があった津久井やまゆり園で同じ場所にもっと立派なやまゆり園に建替えてそこに戻そうという計画が進んでいます。神奈川県の障害者の人たちが一生懸命頑張って、東京や静岡や埼玉の人たちも応援に行き、私も応援に行ってますが、みんなで建替えじゃないようにするように取り組んでいますが、まだ建替えは進んで行く見込みです。9月に横浜でピープルファーストの大会がありました。大会の全国実行委員会の人たちが知事に会いに行っています。黒岩知事が頑張って下さいと、「障害者である前に人間だ」と色紙に書いて送っています。大会の時にも知事が来て挨拶をしました。素晴らしい挨拶でした。そこだけ見ると神奈川県知事は知的障害当事者の声をよく聞いて考えてくれる人だと思えます。しかし同時に知事の動きを見ると、同じ9月12日に津久井やまゆり園の家族会が知事に会いに来ています。「津久井の同じ儀所で建替えて欲しい」という要望書を出しています。この時に知事は建替えると決意したそうです。ところが9月21日になって、ピープルファースト大会に知事が来られました。大会のスローガンには「私たちの声を聞いて」「入所施設を無くして」とあります。「障害者である前に人間である。自分たちの事は自分たちで決めるという考えを大切にして、困難を抱えていても地域で当たり前に暮らす社会を作り出すようにご尽力され、心から敬意を表するものであります。・・・このように障害者の皆様と共に生きていく社会を一個一個造ろうと前へ前へ前進していく中で、こんな事件が起きてしまいましたが、我々は今まで積み重ねてきたこういう流れを後退させるわけにはまいりません。確実な一歩を皆さんと更に更に前進させていく事を、お誓いして歓迎の挨拶とさせていただきます」と、知事は素晴らしい挨拶をしました。
さて、その2日後の9月23日に黒岩知事は津久井やまゆり園の建替えを発表をしました。60億円から80億円をかけて4年後、平成32年度に新築します。主要な棟を全面建て替えし、再生のシンボルとなる全く新しいイメージの建物を作り、建替える事により事件に屈しないというメッセージを発信するとのことです。黒岩知事はピープルファーストの大会では、障害者も共に生きる社会を作ります、皆さんを応援しますと言いましたが、同時に建替え計画を進めるわけです。
建替え問題は年末から本格化します。まず第1歩は12月26日にやまゆり園の献花台が無くなりました。神戸アクションでも桜田さんが「献花台が無くなるのは寂しいです」とアピールしました。私は皆さんの花を献花台に持って行きました。ピープルファーストの東京の佐々木さんの「絶対に忘れない」という色紙もありました。呼びかけたら障害者の仲間が20人ぐらい来られました。でも献花台は無くなってしまいました。なんでそんなに急いで献花台を無くしたのか、正月が明けたら建替えをドンドン進めていくためです。
津久井やまゆり園の再生基本構想~建替え計画の公聴会が1月10日に開かれました。多くの障害者が参加し、私も参加しました。「家族の声と障害者の声は違います」と、ある当事者は訴えました。翌日1月11日に黒岩知事はすごく怒って記者会見しました。「建替え計画が間違っていると言われる事は心外だ」「施設の職員と家族が建替えて欲しいと言っている、だから建替えを判断した」と。記者の方が「入所している障害者の人の意見を聞くべきだと言われているが、どうなのか」と知事に質問したところ、「私は施設に何回も行って、やまゆり園の入所者にも何回も会ってます。その上で意思確認の作業は非常に難しいと痛感せざるを得なかった」と知事は回答しました。黒岩さんは知的障害者の人たちの、これからどこに住みたいかを聞く作業は難しくてできないことだ、家族の皆さんの意見が本人の意見である、入所者の皆さんと家族の意見が違うとは思わない、そう知事は説明しています。ものすごい差別発言ですね。しかし、この知事の発言はものすごい反発を受けましたので、1月27日に神奈川県は建替えを再検討すると発表しました。その日、神奈川県のホームページの動画で、知事は「皆さんのご意見を聞いて夏まで計画は延期します」と言ってますが、しかし謝る事は無く全く同じことを説明しています。考えは変わっていません。
その後、どのように見直していくか、そのための検討部会を神奈川県は立ち上げましたが、その中に当事者は1人しかいない事、建替えの計画は全く撤回されていない事、入所者の意見の確認は4年間かけて実施するというもので、聞き取ってから計画を考えるのではなく同時に進みます。それと、当事者の意見を聞いていないのは、やまゆり園だけの問題ではありません。神奈川県の障害者施策、障害者計画を作る時に、全く障害者の意見は聞いていない。
やまゆり園だけでなく、もっと大変な事が起きています。2月14日に着床前スクリーニングが始まったと報道されました。妊娠する時に受精卵を検査して全く障害が無いと分かった受精卵だけを子宮に戻すというもの。ものすごく恐ろしいです。これが子どもが産めない、流産するという人たちへの治療という名目で、日本で始まってしまいました。本当にひどい。ここから先に待っているのは、受精卵のゲノム変種と言って、受精卵そのものを改造して障害を無くす。障害者を差別するのでなく、障害者が生まれさせないようにする事が進んでいます。
次は精神保健福祉法の改正案が2月28日に国会に提出されました。精神保健福祉法の対象は知的障害者と精神障害者です。この人は危ないなと捕まって精神病院に無理やり入れられるのは知的障害者と精神障害者です。だから、今行われているのは、やまゆり園の事件を理由として知的障害者だからという理由で殺されてしまった、そんなひどい目に遭った知的障害者が、今度は、この人たちを野放しにしたら危険だということで、精神障害者と一緒に精神病院に入れてしまおう、そして退院した後もずっと監視していこう、そんな法律がこれから国会で議論されます。
■それぞれの立場からの発言
○命の大切さを再認識して欲しい
岸田茂樹(兵庫ピープルファースト)
皆さんこんにちは。私は「兵庫ピープルファースト」の岸田茂樹といいます。ピープルファーストとは知的障害のある当事者が話し合って意見を言い合って自分たちの事は自分たちで決める障害者団体です。毎年全国大会が行われ、今年は広島であります。兵庫ピープルファーストは神戸・淡路・西宮・川西・尼崎のメンバーを中心に活動しています。1月に集まり1年の計画を立てて、担当の人を決める会議をしたり、虐待や制度の事を知る勉強会をしています。他には花見、遠足、バーベキュー、クリスマス会、たまには忘年会をしています。災害に遭った仲間の応援支援カンパをしたり、全国大会への応援支援のカンパ活動もしています。たまに講演の依頼があれば、講師として行く事もあります。最近、仲間への虐待が頻繁にあります。命を大事にしていない人が多くいます。一生に一度の人生やから、死ぬ時まで大切に障害の有り無し関係なく生きていく、命の大切さを再認識して欲しい。障害のある人も楽しく生きているから暖かい目で見てくれたら有り難いです。
事件を見て思ったけど、事件のあったやまゆり園の残っている仲間の心のケアがされているのか、大切だと思っているが、事件が起こる度に行政や県が防犯カメラとか締め切る、閉鎖するような環境になっているが、それはおかしいと自分の中では思っています。障害のある人は、不幸でなく、個性だと思っているし、不幸な人は誰ひとりいないと思っています。そう思ってない人が不幸だと自分は思っています。最後に、ピープルファーストの言葉ですが、「障害者である前に1人の人間だ」。僕は全国大会の実行委員会をさせてもらっていますが、最近、命の大切さが軽く見られているので、大会のスローガンに「命を大切にしろ」を入れて欲しいと全国実行委員会にお願いしたところ、入れてもらう事ができて、ありがたいことです。全国実行委員会をして思う事ですが、左も右も分からないので、1障害者として、この事件、他にも多くの事件が起ったりしていますが、それについても闘っていくつもりなんで、よろしくお願いします。
○私たちは生きた心を持った人間だー!!
芝田鈴(兵庫ピープルファースト)
事件について、私たちは知的障害というハンディを持っていますが、生きた心を持った1人の人間だー。私たちも言いたい事や思っている事、意見や質問はできるんだー。
ハンディのある私たちにも何もできない、言えないと思わないで。今回の事件も同じだ。ハンディのある人を人間と見ないとは変だー、許せない。
私たちは生きた心を持った人間だー。
好きでハンディを持って生きているのではないと思っている、そんな私だけど、できない事や分からない事は確かにある、そこで手を貸して下さい。どうぞ兵庫ピープルファーストの手を貸して下さい。
私も1人の人間だ、施設に入りたくない。ハンディのある人の意見を聞いて。施設に閉じ込めるな。
何もできないと言わないで。私も自立はできた1人のハンディのある人間だ。だからくだらない話しでも話しをしてるんだから、話しを聞こう。意見を言わせて、思いを聞こう。私たちだけでなく健全なあなたたちも、覚えて欲しいと思います。私にとっては、あなたたち健全な人の言うことを聞くばかりでなく、言う事を聞かされるだけではなく、私たちの言う事を聞いてくれない、それはおかしいと思います。神戸市に障害者ばかりいる施設を襲うというメールが来ました。この事を聞いて私は初め、嘘でしょ・・・何を言っているのか、私たちの存在を認めよと言いたい。あんな事件を起こす前に、私たちに会いに来て、思いを聞いてくれたら、質問に答えたりできると思う。そしたら事件は起こらずに済んだと思う。
○支援者の人たちは上手に聞いて下さい
住田理恵(兵庫ピープルファースト)
知的障害の人が意見を言える機会をもらえている事にとても感謝しています。それは身体障害者の色々な個性のある人が日本各地で色んな意見を言っています。もっと知的障害の人も、この人だけというのでなく、色んな知的障害の人も意見を言って行く事がとても大切なことだと思っているので、個人的には1週間ぐらい前から、行きたくないと緊張していますが、知的障害の人がこうやって意見を言う機会をもらえていることに感謝します。
相模原事件の事で私が一番ムカついている事を話します。その前に、殺された19人の人の冥福を祈りたいと思います。私が一番ムカついているのは、重度障害者、特に知的障害者の人を狙っての犯行という所に一番ムカついています。知的障害の人も身体障害の人も精神障害の人も、また健常者も高齢の方も同じ重さの命です。障害があっても、生きたいように生きたいです。地域に住んだり、それはグループホームだけでなく、1人暮らしをしたりとか、地域の学校に行ったりとか、一杯遊んだりとか、恋愛をしたりデートしたり、結婚したり、子育てしたり、活動も一杯やりたいです。そんな事を一杯やりたいというのを言えない人たちを狙っていうところに一番ムカついています。知的に障害があってもこういう風に生きたいのですが、そんな風に生きたいよう生きようと思うと、今の社会では一杯問題があります。私でも分かっている範囲では、知的障害の人に家を貸してくれる大家さんがいないとか、親の思いとか、介護の時間数とか一杯あると思います。学校の受け入れもすごく聞こえます。近所の住民も、こんな人が来たら恐いとかいうのも聞いた事があります。本人の経験知もあるかなと思っています。一杯問題があるのは、私の位置からも見えますが、それでも周りから本人が大変な思いをするし、そんなニーズは無いと聞こえてくる事もあります。それはすごくムカつきます。私が1人暮らししたいとか結婚したいとか、私が思っている事で、それぞれ理由は違うと思うのですが、そんな風に思っているんじゃないかとか、そんな風に思っても普通やんなという角度で見てもらいたいと思います。
もう一度言いたいと思います。知的に障害があっても地域で暮らしたり、それはグループホームだけじゃなくて1人暮らしとか、地域の学校に行ったりとか、友達を作ったり出会いや別れがあったり、恋愛をしたり一杯テートしたり結婚したり子育てしたり活動も一杯したいです。ピープルファーストは司会者も話す人も知的障害で、進むのもすごくゆっくりですが、岸田君が言ったように色んな活動をしたり、一昨年は1000人の人が集まり神戸で全国大会をやりました。知的に障害がある人も、こういう集会で話しをさせてもらったり、街頭でアピールしたりとか、通信で社会に発信していく事はとても大切なことだと思います。今日こうやって前に出て喋っている私たちが特別話しができる人だとは思っていません。意見が言えるのも支援者の人たちがいるからです。支援者の人たちは上手に聞いて下さい。イライラしないで下さい。どんなイメージを持っているのか探って下さい。どんな思いで話しをしているかを探って下さい。みんな勇気を出してしゃべっているので、その事を自信につなげて下さい。最後に、すでにピープルファーストジャパンとか全国で仲間が活動しています。今までも皆さんに応援してもらっていますが、引き続き応援してもらうと、とても嬉しいです。
○入所施設には絶対に行きたくない!!
桜田厚子(兵庫ピープルファースト代表)
兵庫のピープルファーストの代表の桜田厚子です。今日は相模原事件について、みんな聞いて欲しいです。19人の仲間が亡くなって悲しいです。相模原事件では、元職員から知的障害者や身体障害者が暴力をふるわれて、嫌な気持ちです。犯人は障害者はいない方がいいと言いました。こんなことを言われて悲しい。やまゆり園は入所施設でした。入所施設は暴力ふるわれても家に帰れないから、私は絶対に行きたくはありません。でも、今もやまゆり園には入って帰れない仲間がいます。他に全国の入所施設に入っている人は一杯います。辛くても恐くて出ると言えない人がいると思います。だから事件は終わっていないと思います。最後に、私がピープルファーストで頑張っている事は、去年のピープルファーストの大会ではスローガンを発表しました。「職員はえらそうにするな」を発表しました。ピープルファーストは会議で司会をしています。司会はレジュメを読む時は難しいが頑張っています。私はピープルファーストのみんなの楽しい雰囲気を作っています。どんどん新しい友達もできるようにしたいと思います。新しい仲間にももっと聞いて欲しいと思います。よろしくお願いします。
○死ぬまで社会に対して訴え続けていきたい
石地かおる(自立生活センターリングリング)
自立生活センターリングリングの事務局しています石地と言います。先ほど吉田が「リメンバー7.26神戸アクション」の話をしていましたが、私も呼びかけ人をしています。私が相模原事件を知ったのは昨年7月26日の早朝ですが、私は朝起きたら最初に携帯でフェイスブックを見ますが、その中で知りました。すごい衝撃を受けて19人もの人が、しかも障害を理由に殺される、私はすぐ理解する事ができなくて、とっさにテレビを見てはいけないなと思いました。映像を見ることで容疑者の顔も出てくるかもしれないし、遺体が運ばれている所がでてくるかもしれないし、その施設がどんなに山奥にあるのかもテレビで映るかもしれないし、テレビを見たら自分の精神的なものが壊れてしまうんじゃないかと思って、一切テレビを見る事を止めました。それぐらい私にとっては衝撃的なことでした。有識者という人たちはこの事件について好き勝手な事を言います。まず匿名報道だったり、障害を持っている人は殺されても差別を受け続ける、この事件がどうして起きたのかの解説を色んな人が意見を言うわけですが、施設の労働環境があまりに悪過ぎて、容疑者の人がそういう行動に出てしまったとか、介護者が足りないという問題にすり替えられていく事は、非常に腹立たしい事です。それから神奈川県の黒岩知事が施設を建て替えていくという事で、知的障害者に対して意思疎通ができない人と言いつつ、青い芝の人たちによる「母よ、殺すな」という運動があって、子殺しの問題、それから出生前診断、お腹の中の赤ちゃんが障害があると分かった時点で産まない、殺してしまう、本来こんな問題と全く同じではないかと、事件が起きてからずっと思っていました。私は自立生活をして地域に出てきて20年が過ぎましたが、障害のある人が施設に入るのが当たり前というのが、進んだこんな時代であっても、まだ言われ続けられなければいけないことに、自分のやってきた運動のひ弱さを感じたし、本当に当事者の声として、当事者から訴えて行く必要を感じました。
事件から1カ月がたち、8月から神戸アクションとして何か社会に対して自分たちの思いを訴えようと、やろうと思いました、私の他に呼びかけ人は2人。仲間と一緒に行動できる事を誇りに思っています。この事件は、容疑者の色んな事が押し出されていますが、私はそうは思っていません。私たちがずっと運動を始めてから、障害者はいなくなった方が良いという世間一般の考えと闘ってきたわけで、現実は何も変わっていない。あの容疑者だけが特別な事を言っているとは思わない。「障害者は不幸を作る人」とか「税金ばかり使って無駄だ」とか、いま初めて聞いた言葉でなくて、ずっと前から言われ、私は親からも言われた事があるし、恐らく特別支援学校でも先生がそんな事を言っているのを聞いた事があります。だから私はあの容疑者に関心が無くて、そういう世の中に対して、これから障害者が自分の思いを発信していく、本当に社会を変えないと危ない事になるなと思っています。
匿名についてですが、もし私が被害者だとしたら、私は障害があるわけですから、一歩間違えば被害者になっていたかもしれないので、その事について考えてみました。もし私が殺されたら周囲の人はどんな風に言うのかな、例えば「介護が大変やったもんな・・・」という風に多数派の人は言うんじゃないかなと考えました。すごく自分の存在が否定された、価値のない人間として思われている、恐怖と同時にふざけるなという怒りも同時に湧いてきました。介護する大変さ、支援する大変さとか、そこにばかり世間の同情は行く。戦後最大の事件と言われているのに、殺された19人がどんな人だったのか、どんな歴史を歩んできた人なのか、この人たちを失って悲しいとか、そういう報道は全く出て来なかった。あんな風に殺されたにもかかわらず、周囲が大変だったと解説されることに、ものすごく尊厳が傷つけられていると思いました。
なぜこの事件が起きたのか、私が思っているのは、1つは分離教育、障害のある人と無い人を分けて学校に行かせることで、全く世間の人は障害者と出会わない。それから施設隔離主義で障害のある人は大人になったら施設で暮らすのが当たり前になっている、この2つがこの事件を起こした最大の理由だと思います。
私は出生前診断の事をずっと一生やっていきますが、この相模原事件の事も同じことなので、ずっと一生、死ぬまで社会に対して訴え続けていこうと思います。
■指定発言
○精神保健福祉法の改正に反対します
船橋裕晶(自立生活センターリングリング)
自立生活センターリングリングの船橋裕晶といいます。精神障害の当事者です。相模原事件をうけて改正されようとしている精神保健福祉法についてお話したいと思います。
まず最初に言いたいのは、相模原事件の真の問題は社会の人々全員にある優生思想である、ということです。国はまず何よりも最初に、市民に植えつけられている、また国自体が持っている優生思想とか、差別心にメスを入れることが必要なんだと思います。そして施設を全廃して、誰もが地域で暮らしていけるシステムを作ること。いろいろな人が混ぜこぜに生きていく社会を作ることだと思います。
けれど今回の事件で国は、措置入院を経験した精神障害者が起こした事件であって、精神障害者を管理していけば二度とこのような事件は起こらない、という方向で解決しようとしています。事件が起きたその日にも、塩崎厚労大臣が関係省庁と再発防止の検討を早急にしないといけないといって、次の日には措置入院後のフォローの充実が必要との指摘も当然あると発言。最初からこの事件を、措置入院を経験した精神障害者の犯行というふうに位置付けて精神保健福祉法の改正に向けて動き始めています。改正の趣旨には、「相模原市の障害者支援施設の事件では、犯罪予告通り実施され、多くの被害者を出す惨事となった。二度と同様の事件が発生しないよう、以下のポイントに留意して法整備を行う」、といっています。つまり精神保健福祉法を治安維持の方法に用いると宣言しているわけです。しかも「事件は被告人の自由意思に基づくもので、精神障害によるものではない」と結論付けているので、矛盾しています。にも関わらず、根拠がないのに法律を改正しようとするのはまったく間違っていると思います。
そして改正されれば、専門家で構成された代表者会議が作られて、そこには警察も入っていきます。治療は本人のためであって、治安維持のためではないというふうに厚労省はいっている。退院後の計画支援と、聞こえのいい言い方をしていますが、「支援」というならばなぜ警察がそこに入っていくのか。警察が入るということは明らかに治安維持を目的としているのではないでしょうか。
本当に精神障害者にとっての支援というのであれば今すぐにでも長期入院している患者を退院させて、地域で自立できる体制を作ることだと思います。どこに住むかとか、誰と住むかとか、どんな医者にかかるかとか、どんな支援がほしいとか、薬を飲むか飲まないかとか、それは本人が選択することであって、強制的に国や医療がするべきことではない。ましてや、監視されることではない。引っ越した後も、その情報を行政や病院、警察にまで知られるというのはあまりにひどい人権侵害。これを監視と呼ばないでなんと呼ぶのか。
退院後の支援計画の作成も義務付けられる。そこに当事者の参加は「必要に応じておこなわれる」となっていますが、当事者が必要に応じてしか参加できないというのはまったくおかしいと思います。私たち抜きに私たちのことを決めないでください、といいたい。退院に際して退院後の支援計画を作るということになると、手間がかかるし、人手がかかるし、手続きも遅れる。そうすると結局、計画は作られないということになりかねないし、そうなれば入院患者はますます長期化していくということになります。これは、地域移行とはまったく逆方向にいっています。
精神保健法を治安維持に使うと、一般市民の「精神障害者は何をするかわからない」とか「そんなやつは拘束しておけ」とか、そういう差別と偏見が助長されます。「共に生きる」どころではなくなると思います。それは措置入院の人だけじゃなくて、すべての精神障害者の問題だと思います。
強制的な治療というのは、心に大きな傷を残して自尊心奪いまったく自信が持てなくなります。これは医療ではないと僕は思います。悪法である心神喪失者等医療監察法というものがありますが、これで入院して退院した人は10年で4000人くらい。そのうち58人が自殺しているそうです。58人というのは遺書があったり、はっきり自殺とわかる人で、死因がはっきりしてなかったり、自殺を図ったけど一度命を取り留めて病院で死んだという場合は含まれないので、潜在的にはもっともっとたくさんの人がいるはず。でも58人だとしてもこれだけ自殺しているというのは、医療監察法で強制入院になった人の心にはぬぐいがたい傷を与えて自尊心が無くなってしまった結果じゃないかと僕は思います。アメリカに似たような退院後の継続の管理システムがあるそうですが、アメリカでは退院後に継続的に医療が管理しても、目立った成果がないという報告もあるそうです。
これらのことからも、今度の精神保健福祉法の改悪で、強制的な継続医療をおこなってもそれは支援にはならないし再発防止にもなりません。今度の精神保健福祉法の改悪は自由を奪って拘束するシステムに他なりません。障害者権利条約には「障害を理由に自由を剥奪してはいけない」と書いてあります。いま国は自己決定できるとか、問題をおこさない人は普通に暮らしていってもいいけど、ちょっと問題を起こすなら隔離してしまおうとか、刑罰の対象にしてしまおうという動きがあります。問題を起こしそうな人は事件になる前に隔離して拘束しておく。暴力団だって問題を起こしますよね。でも事件を起こす前から監禁なんてされていません。精神障害者だけを事件を起こす前から監禁・拘束・監視するのはまったくおかしな話だと思います。これは精神障害者だけの問題ではなくて、誰もが思想をチェックされて危険とみなされれば警察に情報を流されて拘束されるということになっていきます。こんな法律を許すなら誰もが自由を奪われるということにつながっていく。精神障害というのは誰でもなる障害です。ということは措置入院も誰もがなる可能性があるということ。
僕はピア・カウンセリングもやっていますが、ピア・カウンセリングをしていて思うことは人が自分の障害を受け入れて自分らしく誇りをもって生きていくということは何よりも大きなエンパワーメントだと思いますし、そのために必要なのは、その人を本当に大事に思うという人の心であったり、人からの支えであったり、自分も人を支えていると感じることだと思います。社会は、いろんな人がいていいんだと思います。いろんな人とつながりがあって自分が生かされているし、そして自分も貢献している。社会がゆるやかで、どんな人も受け入れる社会だったら誰もが生きやすくなるはずだと思います。だがら、国が一番やらなければならないのは地域移行にもっと予算をつけて、人権が尊重されて、地域で暮らす場が確保されて、長期入院から解放されて自立していける社会の仕組みです。だからわたしは精神保健福祉法の改悪は絶対許しません。以上です。
○みんなで共に暮らせる、ゆったりと生きやすい社会へ
高瀬建三(いこいの場ひょうご)
皆さんこんにちは。精神障害者の高瀬と申します。わたしはいま、障害者のヘルパーと、精神障害者の解放運動のための社会変革を求めて社会活動をおこっています。かつてわたしは、生活保護を20年間受けておりました時に、大阪西成区の釜ヶ崎で活動しておりました。その時に、生活保護をもらいながらそういった活動をするというのは素晴らしいことやないか、と同じく活動をしていた友人から言われました。わたしは、ちょっと待てよ、そういう捉え方あるんやろかと思いましたけど、その人はそう思ったみたいです。わたし自身は国からお金をもらって活動している、という感覚はなかったですけど、いまゆっくり考えてみると、そういう社会活動であるとか寄せ場の炊き出しであるとか、日雇労働者の医療・福祉の手伝いとか、路上生活者の夜周りであるとか、体験してきて思うことは、自分たちが出来ることはすすんでやればいいんじゃないか、たとえ下手であっても、と思いました。
わたしはいま、ヘルパーをしております。自転車で行ってますが、天神川と天王寺川の二つの川を越えて、いま住んでいる宝塚市から伊丹市を通って再び宝塚市に入る30分、往復60分を自転車という交通手段を使ってヘルパー活動しております。
その時に、伊丹市の伊丹天神川病院という精神科病院を通ります。伊丹天神川病院というところはそんなに大きな病院ではありません。中くらいの精神科病院で、伊丹市の桜の名所です。たくさん花見に来られます。伊丹市や宝塚市からも。その病院は窓に鉄条網もあって、「とても危険な場所だよ」と外にアピールしているみたいに鉄格子もあります。それを市民も見るんです。中からわざわざ桜を見ようという気分にはなれないだろうけれど、嫌でも見えるわけです。鉄格子の中からみる桜と、お酒や美味しいものを持って行って見る桜と、どれほど差があるだろうかと思うときはあります。
そういうふうにしてわたしは日々暮らしておりますけれど、今日はこういった場を用意してもらって本当に感謝しています。わたしたち精神障害者もやっぱりゆっくりゆったりぼちぼちとでないと生きていけません。今の社会のように情報があふれかえって、世の中のスピードが速過ぎると息がつまります。そのことは逆にいえば、わたしたちのスピードに合わせることで、今みたいに疲れたりイライラしたりキレるといった状態から、多くの人々がゆったりと生きやすい社会で、みんなが共に暮らせるようになるんじゃないかなと思っています。
今日はアール・ブリュットの絵の話もしたいなと思っていました。最初、この話はちょっとずれるのかなと迷いましたが、いやいややっぱり精神障害者の精神病の治療の一環から始まった芸術であるし、日本では知的障害者がその分野で一番注目されているし、東京オリンピックに合わせて東京でもアール・ブリュットの美術館が出来るということで、この話は絶対欠かせないと思って来ました。でも今日いろんな人の話を聞いてきて、自分の中で軌道修正があったので、アール・ブリュットの話は今日はしません。
わたしは個性にあった生き方をしたいと思っています。ただし、強い者、すぐれた者だけが生きる権利があるといった優生思想や冷淡主義の考えはこの中には含みません。マイノリティに合わせた生き方や社会をもっと築き上げていきたいなと思っております。
しかし昨年の7月26日に起きた相模原障害者殺傷事件では容疑者には、「障害者は不幸しか生み出さない」という憎しみの感情があり、それが繰り返し報道されました。多くの障害者の命を奪ったあとの言葉ですから、わたしたちは驚き怒り、やっぱりそうなんかと思いました。それは、わたしたちの心の中にも、なにかそういったものがあるんじゃないかなと思うんです。みんなだとは言いませんけども、かなり多くの人が心の中に「人より強くありたい。自分だけは違う」そういった考えが少しでも残っているじゃないかと思っています。
この事件の容疑者は精神鑑定の結果、「パーソナリティ障害」という決定がくだされました。パーソナリティ障害というのは、考え方や感情などが偏っている状態をいいます。そして刑事責任能力を減じる精神病や精神障害とは区別されている場合が多い、と新聞報道ではありました。ほんとにそうかな、と思いました。パーソナリティ障害というのは広い広い意味で言うと精神障害、精神病に入ります。かたや、狭い範疇で言うと統合失調症、昔は精神分裂病といっておりましたけれど、統合失調症とか、そううつ病とか、神経症であるとかの狭い範疇で言うと入りませんけれど、広い範疇で言うと精神病にパーソナリティ障害は入ります。なぜそういったまわりくどいややこしい疾患名を付けたのか。わたし自身不思議な気がしましたし、いまとなってはずいぶん腹立たしい気持ちでいっぱいです。そういった疾病名をつけておいて、先ほどの船橋くんの話にもありましたように、塩崎厚労省大臣が「精神障害によるものじゃない」といいながら、なぜ法律を変えようとしているのか。納得できない。共に生きるという共生社会じゃなくなる、ということもあります。こういったいろんな腹立ちがあります。先ほどの伊丹天神川病院を見ていると、国がいっている「施設から地域へ」という言葉とは本当に程遠い。
今日ここに一緒に来ている兵庫県精神医療人権センターのメンバーである吉本さんと、病院訪問をしています。その中でよく見られるのは、知的障害者が精神科病院に多く強制入院させられているという事実があります。食べてはいけない物を食べる異食とか、いろんなことがあるからここに入れられているという説明を職員からは受けるわけですが、その職員がかなり得々として答えるわけです。なんでやろ、と思うわけですけど。なんで知的障害者が精神科病院に入って、治るとかええことあるんやろか、目的があるんやろか、社会から排除されていって仕方なく入っているんじゃないだろうか。精神科病院に強制入院させてられている知的障害者に対して複雑な想いがあります。
今回の事件の容疑者について、法廷でいろんなことが明らかになるでしょうか。わたしはあまりならないと思います。日本の法律は、余りにも裁判が短か過ぎます。見せしめに殺すということはやめてほしいと思います。動機をちゃんと解明して、もっともっと研究していかなければならない部分はあるかなと思います。
わたしたち精神障害者の生きづらさはいつまでどこまで続くのだろうか。とても悲しく悔しい想いで考えます。今日これからわたしたちはデモに向かいます。そこでいま巷にあふれることの何が本当で何が嘘なのか、ということを多くの人に伝えていきたいと思っています。以上です。
○利用者と施設職員との関係性を越えて、世の中を変えていく
山田剛司(社会福祉法人えんぴつの家)
皆さんこんにちは。山田剛司といいます。障害者の介護をしたり施設職員をしたりしています。今回の事件は容疑者が施設職員だったということで、容疑者ってまだ犯人と決まっているわけではないんですけど、まぁおそらく彼が犯人である可能性が濃く、施設職員が今回の事件を起こしちゃったということで、同じ立場の施設職員、介護に関わる人として話をさせてほしいなと思います。
僕が障害者と関わり始めた時に、最初に、障害者の人が踏切の事故で死んじゃう事件があって、それについて福永さんが「これ以上仲間が殺されてたまるか!」って叫んだのがすごくいまも残っていて、今回の相模原事件でたくさん障害者が殺されたときにも福永さんの叫び声が頭をよぎりました。その後、青い芝の会っていう障害者の、澤田さんとか、福永さんとかのグループの人たちから、僕たち健全者に対して「あなたたちは差別者だ」って言われたり、ピープルファーストの桜田さんとかに職員はエラそうにすんなと怒られたりして、自分の立場が障害者を差別したりする側の人間なんだっていうことをより意識させられました。
今回相模原の事件があった時に、相模原の事件について、えんぴつの家の今日も来ておられる芝田鈴さんと話をした時に、芝田鈴さんから「ヤンボーは大丈夫やろな?」って言われました。ヤンボーっていうのは芝田鈴さんから僕があだ名でそう呼ばれてるんですけど。芝田鈴さんは容疑者が施設職員だっていうことで、僕も施設職員だっていうことで、重ねて問うてきはったわけですね。僕、ちょっとドキッとして。芝田鈴さんとはもう25年くらいかな。喧嘩もしながらですけど長い付き合いで、まぁ施設職員と利用者っていう関係もありますけども、友達?とか、仲間?みたいな、同い年でもあるんで、思ってたんですけど。やっぱり自分たちの仲間、障害者が殺されたっていう事件があった時に、芝田鈴さんから僕が施設職員たってことで、かぶされて問われてきたっていうことに関して、ちょっとドキッとしたんですよね。なんて返そうかな、「そんなこと大丈夫よ」って返そうかなって思ったら、すぐに芝田鈴さんから「ま、ヤンボーは大丈夫やろな」って言われてちょっとホッとしたんですけど。でもその問いかけは、僕に自分の立場を考えさせられるものでした。
僕たち、施設職員や障害者と関わる人間っていうのが、どうしなきゃいけないのか、どうしたらいいんだろうって考えたんでそんなことを少し話したいと思うんですけど。1つは、簡単に言っちゃうと介護だけしとったらあかんと思うんです。もちろん介護は大事なんで、時に手足となり、時にアドバイザーとなり、時に黙って見守ったり、寄り添ったりっていうことはもちろん大事なんですけど、僕たちはそれだけをしとったらええんやろか、って思うわけです。もちろん介護は、その人の生活を保障していく手段ではあると思いますが、やっぱり僕らは障害者と共に生きていくっていう、仲間として関係作りをしていかないといけないと1つは思います。もちろんしんどいこととかつらいこととか、喧嘩とか意見がすれ違ったりということもあるかもしれませんが、今までお互い分けられていた世界の中から出会って、一緒に生きていこうっていう仲間としてつながりをつくっていくってことが一つ大事かな、仲間として関係作りをしていかなきゃいけないなと思います。
もう一つは、自分たちだけ仲良くなるんじゃなくて、そこにたくさん人を増やしていかないといけないかなと思います。今までの話の中にもありましたけども、相模原事件の容疑者の人は「障害者なんていない方がいいから殺してしまえ」って言いました。そこまで思っていなくても、「やっぱり障害者って嫌だな」とか「障害者とは関わりたくないな」とか「本当はいない方がいいのにな」と思っている人はたくさんいると僕は思っています。そういう人たちに、心を入れ替えてもらわないといけないと思うんです。そのための活動を、障害者の当事者の方たちと共に、僕たち施設職員や介護に関わるヘルパーの方なんかは一緒にやっていかないといけないと思います。そしてそれに関わる人を増やしていくということも一緒にやっていかないといけないと思います。
僕も施設職員として、毎日、えんぴつの家にきてみんなと楽しく一日を過ごして、一日終わって帰るっていう、日常はそういうことですし、ヘルパーの皆さんも決まった時間におうちに行って介護をしてさようならって言って帰ってくることが多いと思うんです。それはそれで毎日のすごく大事なことです。それ以外に、僕たちはその施設や事業所とか、ヘルパー派遣事業所として、何か世の中を変えていったり、心を入れ替える人を増やす取り組みとか、実際に障害者と関わっていく人を増やすってことをやっていかないといけないのかなと思っています。
僕自身なんですが、今までもそういったことをやってきたつもりでした。でも今回の相模原事件で、なんか今までやってきたことがグラグラっと崩れたというか、潰されたみたいな、壊されたみたいな気にちょっとなったんですけども、今日も含めてこういった場にたくさん人が集まって、いい世の中にしていこう、差別のない世の中にしていこうという人たちと出会ったり、他の場でもそうですけど、話をしたり聞いたりしていると、「負けてられんな」と思います。やっていかなあかんと思います。皆さんと一緒に立場は障害者と、そこに関わる介護者という立場ですけど、そういう立場をお互い越えつつ、あるいは越えられないところを背負いつつ、一緒にやっていけたらいいと思っています。皆さん、今後も頑張ってやっていきましょう。以上です。
○隠され続ける障害者という存在
野橋順子(障問連事務局次長)
わたしの方からもこの相模原殺傷事件を受けて、いろいろと感じたところがありました。この当日資料の冊子の中の原稿でも書かせていただきましたが、他の方も何回も言ってくれた通り、匿名報道は本当におかしいと思っています。わたしが仮にこういう事件で殺されたとしても、生きてきた経過とかいってほしい。名前とか隠されたくない。生きてきたってことを発表してほしい。なぜ障害者だけが隠されないといけないのか。その裏にあるメッセージとして、「障害者なんていなければいい」という感じのメッセージが隠されているのではないか。
わたしは甲子園球場によく行くんですが、そして球場モニターに観客が映るのをよく見てるけど、障害者だけがなぜかそこに映らない。わたしたちはやっぱり隠されてるんやなという思いがあって、すごく悲しくなる。同じ人間として見られてないんだとまだまだ思うことがあります。
吉田さんのお話にあったように、この社会の中で本当に優れた命だけ残そうとする、障害者なんていない方がいいという、判別されていくような感じの本当に恐ろしいことがいま起ころうとしている。一人ひとりの心の中に優れている方がいいんじゃないか、と思う気持ちが自分の中にもあるんじゃないかと問うてほしいんです。
どんな命でもいいじゃないか。高瀬さんが「この社会はスピードが速い。やっぱりみんなゆっくりしたペースで、どんなペースでもいいから過ごしていたらもっと生きやすい社会になるんじゃないか」とおっしゃられていたのがすごい印象的で、どんな障害を持っていても、どんな命も大事にされる世の中になってほしい。そのためには一人でも多くの人が声をあげていかないといけない。石地さんのお話にあったように、外に出て発信していかないといけないと思っています。わたしもみんなと一緒に声をあげていきたいと思っていますのでみなさんよろしくお願いします。
■会場から
「ちょうど去年の今、差別解消法が始まったにも関わらずこういう事件が起きてしまった」「匿名報道自体が差別であるという問題意識が大事」「つい最近、神戸市の障害者施設を襲うという強迫メールが市に届いた事件も起こっている。世の中にそういう目で見ている人がまだいるという自覚が障害当事者にも必要。障害者自身がもっと社会に出ないといけない。介護を付けていても、『利用者さん』としてだけでなく、街に出てバスや電車に乗り、お店にどんどん入っていって自分の姿をみせていく方がいい」「効率を追求するような社会が不寛容の雰囲気を生んでいる。社会の風は厳しいけれど、障害当事者が地域で生きていく姿をみせていくのが大事になってくると思う」「どうしたらこのシンポジウムの内容のようなことを一般の人たちにも関心をもって聞いてもらえるか考えていくのも大事」「優生思想については、日本ではほんの20年前まで『優生保護法』があったことを忘れてはいけない。法律がなくなっても人々の心の中には優生思想は残っている」「障害者とそうでない人が共に生活し、共に学び、共に働く、という環境が大事。障害があっても特別支援学校などではなく、普通学校で小さい時から共に育つことこそが必要」といった、身体障害当事者、精神障害当事者、障害者の親御さんなどの発言がありました。
■デモへ~参加者の感想から
最後に司会の野橋さんから、「わたしたち障害者も、そうでない人も、この相模原殺傷事件を受けて、今日のシンポジウムのタイトルどおり、この事件を『忘れへん』と、みんなで街の人にアピールしていきたい。この事件を忘れたら駄目。わたしたち障害者をもう殺さないでくれ、どんな命も大事にしてくれということ。ピープルファーストも『障害がある前に人間だ』と言っている。命は障害者も健常者も関係なくすごく大切なもの。さっき会場から発言があった通り、知り合いじゃない人たちがどう思っているのか、ということも含めて街に出て行ってアピールしていかないと、このフロアーだけで話していてもみんなわからないと思う。このあとデモ行進しますので一緒にアピールしていきましょう。今日、たくさんの人達の話をきけて本当に良かったです」という言葉で終わりました。
加盟団体であるえんぴつの家の職員、梁瀬亜希子さんが、障害者春闘に参加された感想を同団体の機関誌に書かれておられましたので、以下、許可を得て転載します。
「4月1日に三宮で行われた障害者春闘に兵庫ピープルファーストのsさんと一緒に行ってきた。相模原障害者殺傷事件がテーマで、知的、精神、身体障害者当事者や支援者がそれぞれアピールしたが、当事者の生の声を聞けたことがやはりよかった◆「(やまゆり園の建て替えに関して入居者に意見を聞いたけど意向が確認できないから家族の意見を聞くという神奈川県知事に対して)意思表示できない人なんて一人もいない。家族の意見と本人の意見は違う」「健全者はわたしたちに言うことを聞けとばかり言うのに、わたしたちの意見は聞いてくれない」「ここで話している私たちは話せる特別な存在なのではない。自分の意見を言う仲間がいたり、それを応援する支援者がいるからできているのだ」「支援をする人は当事者の話をゆっくり聞いてほしい。発言できたらそれを自信につなげてほしい」…すべてがぐさっと胸にささった◆どの当事者の発言も大切で重いのだが、やはり<圧倒的に本人の意見をないがしろにされがちな存在>で、だからこそ今回の事件の標的となったとも言える知的障害者の当事者の声が胸に響く。お前らの言うこと聞かされてばっかりやねん!…毎日毎日そうですよね…ゆっくり当事者の話を聞いてますか?…うーん…自信を持てるように応援してほしい!…で、できてないかも…◆いちいち指摘がまっとうで気が引き締まるとともに、こう支援していけばいいんだな、という指標をもらえたようにも思う。支援をする者はやはり当事者の話をもっと聞くべきなんだと改めて思った。当事者に言われてハッとさせられたことで得た気づきは自分の中に深く残るものである◆しかしながら、ピープルの当事者の発言の堂々たる様に、毎度ながら支援者の私が励ましをもらっている。どんな人でも堂々と意見を言ったらいいんだ、そしてそうやって自己主張することからしか始まらないんだ、ということをいつも当事者から教えてもらっているように思う◆山田さんが支援者の立場から、「支援者は介ゴだけやるんじゃなくて、当事者と一緒に運動することが必要」と言っていた。介ゴだけする支援者じゃなく、黒子に徹するときは黒子だけど、当事者から学びながら自分で考えて行動もする支援者でありたいと思った。そしてそれがまた己の当事者性を作ることにもなるのだと思う。」
5月 6, 2017