精神障害者 優生思想

みなさんはこの事件を覚えていますか 相模原市障害者殺傷事件について

2017年(ねん)4月(がつ)1日(にち)

障害者問題(しょうがいしゃもんだい)考(かんが)える兵庫県連絡会議(ひょうごけんれんらくかいぎ)

代表(だいひょう) 福永年久(ふくながとしひさ)

 

2016年(ねん) 7月(がつ)26日未明(にちみめい)に相模原市(さがみはらし)の障害者施設(しょうがいしゃしせつ)「津久井(つくい)やまゆり園(えん)」で障害者殺傷事件(しょうがいしゃさっしょうじけん)が起(お)きました。

お亡(な)くなりになられた方々(かたがた)のご冥福(めいふく)をお祈(いの)りし、負傷(ふしょう)された方々(かたがた)に心(こころ)よりお見舞(みま)いを申(もう)し上(あ)げます。また、同施設(どうしせつ)に現在(げんざい)もなお入居中(にゅうきょちゅう)の皆(みな)さんが心(こころ)に負(お)った傷(きず)を想像(そうぞう)すると、つらくて冷静(れいせい)ではいられない思(おも)いです。

私(わたし)たち「障問連(しょうもんれん)」は障害者(しょうがいしゃ)への差別(さべつ)を許(ゆる)さず、地域社会(ちいきしゃかい)で共(とも)に生(い)き、共(とも)に学(まな)び、共(とも)に働(はたら)く社会(しゃかい)の実現(じつげん)を目指(めざ)し集(あつ)まった、障害者団体(しょうがいしゃだんたい)・市民団体(しみんだんたい)・労働組合(ろうどうくみあい)などによる連絡会(れんらくかい)です。私(わたし)たちは今回(こんかい)の事件(じけん)を知(し)り、強(つよ)い怒(いか)りと恐怖(きょうふ)を感(かん)じています。

今回(こんかい)の事件(じけん)がなぜ起(お)きたのかについて、TV(てれび)や新聞(しんぶん)、ネット(ねっと)等(など)で様々(さまざま)な議論(ぎろん)がなされています。その多(おお)くは、容疑者(ようぎしゃ)がいかに異常(いじょう)で残忍(ざんにん)であるか、特殊(とくしゅ)な思想(しそう)の持(も)ち主(ぬし)であるかを語(かた)りあげています。しかし、今回(こんかい)の事件(じけん)を彼(かれ)の特殊性(とくしゅせい)の問題(もんだい)として片付(かたづ)けてしまう態度(たいど)にこそ、この事件(じけん)の本質(ほんしつ)があるのではないでしょうか。

障害(しょうがい)があることが理由(りゆう)で、学校(がっこう)や会社(かいしゃ)やお店(みせ)や公共交通機関(こうきょうこうつうきかん)など、至(いた)る場所(ばしょ)で存在(そんざい)することを拒(こば)まれる社会(しゃかい)です。重度(じゅうど)の障害(しょうがい)をもてば、尊厳(そんげん)を持(も)って生(い)きることは許(ゆる)されず、尊厳(そんげん)を持(も)って死(し)ぬことだけを許可(きょか)する法律(ほうりつ)が作(つく)られようとしている社会(しゃかい)です。そんな社会(しゃかい)の中(なか)で生(い)きる彼(かれ)が、「障害者(しょうがいしゃ)はいなくなれば良(よ)い」という差別思想(さべつしそう)に陥(おちい)ったのは、ある意味(いみ)、不思議(ふしぎ)ではありません。彼(かれ)のやったことは、まったく肯定(こうてい)できるところがありませんが、彼(かれ)の思想(しそう)を特殊(とくしゅ)だと切(き)り捨(す)てている限(かぎ)り、同(おな)じことが起(お)こり続(つづ)けるのではないでしょうか。このような事件(じけん)を二度(ふたど)と起(お)こさない方法(ほうほう)は、彼(かれ)を異常者(いじょうしゃ)と認定(にんてい)して納得(なっとく)するのではなく、「障害者(しょうがいしゃ)はいなくなれば良(よ)い」という思想(しそう)が本当(ほんとう)に荒唐無稽(こうとうむけい)に思(おも)える社会(しゃかい)を創(つく)ることのみです。そのためには、障害者(しょうがいしゃ)が生(う)まれてくることも、地域社会(ちいきしゃかい)で当(あ)たり前(まえ)に暮(く)らすことも阻害(そがい)されない社会(しゃかい)を実現(じつげん)させることが、本当(ほんとう)の問題解決(もんだいかいけつ)ではないでしょうか。

世間(せけん)では「弱者(じゃくしゃ)を狙(ねら)うのはひどい」という言葉(ことば)が繰(く)り返(かえ)されています。今回(こんかい)の事件(じけん)は、たまたま殺(ころ)した相手(あいて)が障害者(しょうがいしゃ)だったのではありません。障害者(しょうがいしゃ)だから殺(ころ)したのです。障害者(しょうがいしゃ)だから殺(ころ)しても構(かま)わないと思(おも)ったのです。社会全体(しゃかいぜんたい)が、障害者(しょうがいしゃ)を「弱者(じゃくしゃ)」と決(き)めつけ、ただ守(まも)られるだけの力弱(ちからよわ)い価値(かち)の小(ちい)さい存在(そんざい)であるような印象(いんしょう)を作(つく)りあげていることが、障害者(しょうがいしゃ)の命(いのち)を軽(かる)いものとして扱(あつか)い、殺害(さつがい)に至(いた)る思考(しこう)をひきおこさせたとは言(い)えないでしょうか。

また、今回(こんかい)の犠牲者(ぎせいしゃ)の方々(かたがた)の実名(じつめい)は報道(ほうどう)されませんでした。私(わたし)たちはその報道(ほうどう)のあり方(かた)にも多(おお)くの疑問(ぎもん)を感(かん)じます。なぜなら障害者(しょうがいしゃ)のことを、人格(じんかく)を持(も)つ一人(ひとり)の市民(しみん)としてみていない考(かんが)え方(かた)が、社会(しゃかい)の中(なか)に潜(ひそ)んでいるからです。

今回(こんかい)、1(いっ)箇所(かしょ)にたくさんの障害者(しょうがいしゃ)が集(あつ)められていたからこそ、大量殺人(たいりょうさつじん)につながったのは事実(じじつ)です。もし、それぞれの人(ひと)が、一人(ひとり)ずつ介助者(かいじょしゃ)をつけて自分(じぶん)の家(いえ)で暮(く)らせていたら、このような事件(じけん)は起(お)なかったでしょう。また、地域(ちいき)で重度(じゅうど)の重複障害(じゅうふくしょうがい)の人(ひと)たちが楽(たの)しく暮(く)らすことができていたら、誰(だれ)も「障害者(しょうがいしゃ)だから不幸(ふこう)」などの決(けつ)めつけをしなかったかもしれません。

最後(さいご)に、今回(こんかい)の容疑者(ようぎしゃ)が精神病院(せいしんびょういん)に措置入院(そちにゅういん)させられ、退院後(たいいんご)にこの事件(じけん)を起(お)こしたことを理由(りゆう)に、措置入院(そちにゅういん)の制度(せいど)の判断基準(はんだんきじゅん)が下(した)げられるのではないかということが懸念(けねん)されます。しかし、措置入院(そちにゅういん)そのものが人権侵害(じんけんしんがい)の要素(ようそ)を強(つよ)く持(も)っていることを忘(わす)れてはなりません。彼(かれ)が精神疾患(せいしんしっかん)であったかどうかはわかりませんが、精神疾患(せいしんしっかん)を持(も)つ人(ひと)が、その人(ひと)の治療(ちりょう)のためではなく、社会(しゃかい)の安全(あんぜん)のために本人(ほんにん)の意志(いし)を無視(むし)して安易(あんい)に病院(びょういん)に拘束(こうそく)されるのだとしたら、それはあってはならないことです。重度心身障害者(じゅうどしんしんしょうがいしゃ)と精神障害者(せいしんしょうがいしゃ)が闘(たたか)わされる必要(ひつよう)はないのです。どちらも権利(けんり)を侵害(しんがい)されているのです。必要(ひつよう)なのは、障害(しょうがい)への認識(にんしき)が変(か)わることと、両者(りょうしゃ)への質的(しつてき)、量的(りょうてき)に十分(じゅうぶん)な支援体制(しえんたいせい)です。

私(わたし)たち「障問連(しょうもんれん)」は、この事件(じけん)を忘(わす)れず障害者(しょうがいしゃ)も健常者(けんじょうしゃ)も共(とも)に生(い)きる社会(しゃかい)を目指(めざ)ます。

ぜひ皆(みな)さん一緒(いっしょ)に考(かんが)えていきましょう。

障害者差別解消法(しょうがいしゃさべつかいしょうほう)施行(しこう)されて1年経(ねんた)ちました。しかし、差別(さべつ)は、相模原事件(さがみはらじけん)のような大(おお)きな事件(じけん)だけでなく、身近(みぢか)なところでまだまだたくさんおこっています

神戸市(こうべし)でも差別解消窓口(さべつかいしょうまどぐち)設置(せっち)されています。一人(ひとり)悩(なや)まずに窓口(まどぐち)への相談(そうだん)をし、ひとつひとつ差別(さべつ)をなくしていきましょう。

神戸市(こうべし) 障害(しょうがい)を理由(りゆう)とする差別(さべつ)に関(かん)する相談窓口(そうだんまどぐち):078-322-0310

 

このビラに関(かん)してはこちらまで連絡(れんらく)ください。

 

障害者問題(しょうがいしゃもんだい)を考(かんが)える兵庫県連絡会議(ひょうごけんれんらくかいぎ) (生活支援研究会(せいかつしえんけんきゅうかい) 内(ない))

TEL(でんわ):078-842-3299  FAX(ふぁっくす):078-842-3354

E-mail(いーめーる): info@shoumonren-hyogo.jp

 


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