人権シンポジウム

【報告】 人権シンポジウム2016 ――殺されていいいのち、差別されていい民族や出自はない!!

野崎泰伸(障問連事務局)

(写真:生活支援研究会Facebookページより)

2016年12月4日、13時半より兵庫県民会館にて人権シンポジウムを開催いたしました。今年度のテーマは、今年7月、神奈川県相模原市で起きた津久井やまゆり園での障害者殺傷事件で、この問題をさまざまなマイノリティの立場から考えていこうとするものでした。全体進行の凪事務局次長から、「この問題は根が深い、言葉にしてもどこかひっかかりを覚える、当事者間での相違がある、しかし忘れてはいけない事件である。来年の障害者春闘でも同じテーマで考えたい、各地で取り組んでほしい、今日をきっかけに考えていただければ」という挨拶があり、続いて司会の原田徳子氏(ひょうご部落解放・人権研究所)から、「この事件は言葉にならない衝撃を与えたが、言葉にしていくのが第一歩であると考える」という言葉がありました。

 

 

■無関心と忘却こそが事件を生んだのではないか

 

一人目のシンポジストは野橋順子事務局次長でした。野橋氏は冒頭、「19人の殺された障害者のことを思うと…」と話すと、涙で言葉が詰まり、次の言葉がしばらく出てきませんでした。それほどに、容疑者に対する怒り、障害者が殺されなければならない状況に置かれた悔しさ、そして、社会に対するさまざまな憤りがあったのだと推測します。

野橋氏は、この事件が「施設で行われたこと」について言及します。どんな思いで生きてきたのか、どんな思いで殺されていったのか。「この事件の背景には、障害者が施設に入れられ人間らしい生活をできていないこと」にあるのだと述べます。障害者はいらないという優生思想の下、障害者が「隠されてしまう」ことを指摘し、それが亡くなった方の実名が出されないことの要因ではないかとも述べていました。出生前診断による障害児の中絶にも同じ構造が見られる、と言います。

また、精神障害者をひとくくりにする社会も怖い、という指摘もあり、近親者に言っても通じない、やっぱり怖いものは仕方ない」と思考停止してしまう現状が報告されました。野橋氏は、「健常者は優生思想に侵され過ぎである」と喝破し、そのことが障害者との相互理解をなくさせ、接点を奪っていくのだと言います。そしてそうした態度が障害者への無関心、忘却を生むのだと指摘します。こうした状況では、今春施行された障害者差別解消法など届くわけがない、人の気持ちが変わらなければ、事件は再び起こると述べ、当事者がきちんと言っていかないといけないと述べました。

最後に野橋氏は、社会はこの事件のこと、ひいては障害者のことなど忘れさせようとしているので、「なかったことにしたらダメだ」と結んでいました。

 

 

■ヘイトスピーチの時代で起きた相模原事件

 

二人目のシンポジストは金和子(きむ・ふぁじゃ)氏(在日コリアン青年連合)でした。金氏は、ヘイトクライムの時代において、相模原事件を健常者としてどう向き合うかという趣旨で話されました。

金氏は、韓国籍の在日コリアン3世で、大学まで日本の学校教育を受けて育ちました。家庭では物心ついたころから韓国人であること、それは恥ずかしいことではないことを教えられていましたが、学校教育での「我が国は」「I am a Japanese.」という記述に、自分が含まれていないと感じてきたそうです。

自分は存在していないことになっている、しかし、人権の授業で突然のように登場する「在日」…。本名で生き、差別と闘う在日にたいして、「水野和子」で生きている私は縁遠い。感想文にも何を書けばよいかわからない。

高校生になって、リバティおおさかで勤める被差別部落出身の女性学芸員の講演を聞き、それがはじめて共感できる話だった、「部落問題では自分は被差別側だが在日問題では差別する側」という話を聞き、差別は誰もがかかわる問題であると理解したと言います。

金氏は大学1回生のときに、在日・日本人・韓国人がともに歴史を学ぶ場に参加します。通称名で参加するも、そこではじめて「ふぁじゃ」と呼ばれる経験をしたそうです。「名前とは「名乗る」より先に「呼ばれる」があることに気づ」かれたそうです。ではなぜこれまで一度も本名で呼ばれてこなかったのか、そこには日本社会の問題があると金氏は指摘します。

金氏が影響を受けた本として、横塚晃一『母よ、殺すな!』を挙げられました。「在日は、日本名を使えば、日本人のように生きることができてしまう。でもこの力強い障害者運動のように、私は被差別者であることを強く自覚して、差別のある社会と、向き合って生きていきたい」。

社会に出るときに、差別に直面した例も話されました。営業先では「北朝鮮のスパイでは?」と言われ、転職、再就職にあたっては本名を言った途端「外国人は雇わない」という露骨な就職差別に遭ったそうです。

インターネット上でも攻撃され、怖くなって離れてしまったそうです。街頭のカウンターデモにも1回しか行けていない。自分の存在が脅かされるという感覚がヘイトスピーチの怖さ。「よい韓国人も悪い韓国人も殺せ」という言葉は、「無条件」(北も南も)の「抹消」(死ね)を呼びかけている。「人を侮蔑することを楽しんでいる」と指摘していました。

相模原の事件については、容疑者の思想の恐ろしさ、また「殺せ」が本当に殺されてしまったというところに、ヘイトクライムの時代を生きる恐怖がある、と述べられました。そしてそこにあるのは、障害者に対する一方的な見方であり、金氏は「強い憤りと悲しみを覚える」と加えました。また一方で、殺すのは賛成しないが、「優生思想は合理的である」という人の存在を指摘され、さらに障害者への冷たい視線が、排除と抹殺の思想に通ずると指摘されました。

最後に、ヘイトスピーチ問題と障害者殺傷事件との共通の課題に、「周囲との「温度差」とどう向き合うか」という問いがある、と述べられました。「表現の自由があるから」や「介護も大変だから」といった言葉で思考停止に陥るような論理が、いかにマジョリティの視点であるかということに気づいてもらわなければならない、と述べられました。そのためには、マイノリティの視点を発信し続け、真っ当な「怒り」を共有する仲間を増やす必要がある、と締めくくられました。

 

 

■法の整備に逆行する差別の時代を読み解く

 

三人目のシンポジストは北川真児氏(部落解放同盟兵庫県連合会)でした。北川氏は、今年11月に衆議院を通過した部落差別解消推進法制定への取り組みを、社会情勢と自身の歩みとを踏まえつつ報告されました。

北川さんご自身は、尼崎の戸ノ内で生まれ、中学の時には神戸に引っ越されたそうです。両親が被差別部落出身で、高校卒業ぐらいから運動には顔を出されていたとのことです。2004年から県連の専従に、その当時というのは、2002年に、33年間続いた「同和対策事業特別措置法」が終了した時期だということです。1975年に、全国地名総鑑が刊行され、それに対して糾弾闘争が行われました。それによって大企業ではほとんど差別はなくなったものの、中小企業ではまだ差別が行われているのではないかと述べられました。しかし今年2月に、鳥取ループを名乗る団体によって地名総鑑を復刻、4月1日にアマゾンから販売すると宣伝されました。出版阻止闘争を行い、差し止め仮処分が出されるも、オークションで売られたり、それを阻止するも、今度は無料ダウンロード可能にしたりして、出回ってしまったのではないかということです。また、今春、全国的に差別投書があったようで、大阪では4月、隣保館に1800枚の差別文書が投函されたようです。容疑者は捕まったが、不起訴処分になった地域があったり、有罪でも侮蔑罪で罰金9900円という軽いものだったり、とのことです。

こうした事件が起こる時代背景を、北川さんは以下のように分析します。すなわち、2000年代に入り、本格的なインターネット時代に入ることにより、差別の匿名化がはじまることによって、人権意識の希薄化を助長したのです。それにともない、差別事件は突発的ではなくなり、続発的で悪質化していくのです。また、政治や社会が反動化、右傾化、新自由主義化していくことも、ヘイトスピーチや相模原事件を生む温床になったのではと北川さんは指摘します。

そんななか、部落差別解消推進法がこの11月、衆議院を通過しました。北川さんは、この法律に関して、日本においてはじめて「部落差別が許されない」と明記された理念法であるなど、一定の評価をするものの、部落差別が定義されていない、人権委員会の設置がないなどの問題点も指摘されました。今年は、障害者差別解消法・改正障害者雇用促進法や、ヘイトスピーチ対策法が施行され、昨年にはLGBT超党派議員連盟もでき、さらにはアイヌ民族に対する法案の検討もなされています。しかし、安倍政権は人権政策の前進や差別禁止などの包括的な法制定には否定的な態度であり、あくまで個別的な法で対応しようとしています。こうした差別禁止を掲げる法制定の裏には何があるかを見ていく必要がある、と北川さんは述べられました。

相模原事件に関しては、東京での差別ハガキ事件を思い出した、と北川さんは言います。2003年に東京食肉市場に送られてきた差別文書で、「東京食肉市場というと聞こえがいいけれども要は屠殺場、ブタ殺しの職エタのバカどもへ。…ブタのほうが食えるのでエタを殺したほうが社会のため」「部落民のくせに名前に「誉」などとつけやがって」というものを送ってきたそうです。住んでいた同じアパートの住人たちに、「ここに部落の人が住んでいますよ」と言い、追放させたそうです。逮捕後も、「自分は体制側の人間、殺してもよいと思った」と言っていたようです。

 

 

■さまざまな立場からの発言

 

休憩後、指定発言として精神障害当事者2名から、「何かあると精神障害者のせいにされ、つらい」と言った意見や、相模原事件後の海外や日本の取り組みが紹介されたりしました。また、ネオナチや米国トランプ氏など、世界の流れへの恐怖、優生思想の問題、学校教育から障害児が分けられていることへの疑問、反差別共闘の必要性、当事者とは被差別者ではなく日本社会全体ではないのかという意見、差別解消法ができたけどまだまだ、健常者として相模原事件の問題にいかに向き合うか、などといった意見が出され、それぞれが持ち帰って考えるのによい機会になったのではないかと思いました。

 

人権シンポジウムの写真

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