書籍

【相模原事件を考える・4 書籍紹介】 『相模原事件とヘイトクライム』

野崎泰伸

「奪ってもいい命など存在しない」――青い地に白い文字でそう書かれた表紙が、鮮烈に感じられます。

著者の保坂展人さんは、現在は東京都世田谷区長。この事件が起こるや否や、ツイッターやブログで情報を発信したそうです。ブログの反響の大きさから、その内容をブックレットにしてみないかと編集者に言われ、執筆に取りかかられたということです。

「「事件そのもの」に触れるのは最小限にして、「事件の波紋」のほうを追いたいと思います。この事件の衝撃は、「事件そのもの」の残忍さに加えて、「事件の波紋」の広がり方や受けとめられ方にもまた、不気味な空気を感じる点にあります。私たちの社会は本当にこの事件を直視して、絶対くり返さない決意をこめて何かをくみ取るべき時だと、私は思います」(p.7)。

保坂さんは、容疑者が衆議院議長に送ったという「手紙」を分析し、次のように言います。

「手紙の文面の言葉は、「障害者に生きる価値はなく、社会のために抹殺されるべきだ」という優生思想そのものであり、ヘイトクライムという今回の犯罪の特異性を浮き彫りにするものです。それでも、容疑者が語る「障害者抹殺論」を、一般的な「常識論」や「暴力否定」で、どこまで否定しきることができるのでしょうか」(p.13)。

青少年だけではなく、大人までもが、こうした「社会のために障害者を抹殺したい」という容疑者の思想に同調しかねない、と保坂さんは危惧します。

「「許されない犯罪」、「ありえない犯罪」という表層の言葉では決定的に弱いのです。加害者が「普遍的正義」として掲げる歪んだ思想と論理に、もっと正面から向き合う必要を感じます。「なぜ、許されないのか」、「ありえない事件がなぜ起きたのか」という深いレベルまで降りていく必要があります」(p.13)。

かつて、青い芝の会が行動綱領として「愛と正義を否定する」という文言を掲げました。愛と正義の中に含まれるエゴイズムを否定していくしかない、そのように考えたのです。今回の事件は、まさに「社会のために」という「普遍的正義」の名のもとにおいて起こってしまいました。こうした「深いレベルまで降りて」こそ、はじめてこの事件に向き合うことができると言えるのではないでしょうか。

「歴史上、理不尽かつ不条理だけれども、大衆心理の情動をつかみ、残虐行為を繰り返すことを正当化し、「社会の進歩」として称賛するような出来事もあったからです」(p.13)。

近代的な優生思想が立ち現われたのは19世紀の後半であると言われます。優生思想の目的が、人間の改良を通して、社会をよくすることであることが知られていますが、この事件もまさにそのような考えで実行されたと言えます。ナチスドイツがユダヤ人虐殺の前に、医師たちが自発的に行っていた障害者の大量虐殺に目をつけ、民族浄化の名のもとに障害者抹殺を政策として行うようにしたことが、このブックレットでも述べられています。

「差別の反対は無関心」(p.51)とも言われますが、私は差別と無関心とはちょうどメビウスの輪のようだと考えています。裏表の関係かと思えば、いつのまにか無関心が差別に変わっているというように。ともあれ、事件を考えるうえで読んでおきたい一冊です。

(保坂展人著・岩波書店・2016年11月7日刊・520円+税)

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