国/県の制度 差別禁止条例

【報告】 障害を理由とする差別の解消に向けた地域フォーラム

星屋和彦(障問連事務局)

 

今年7月29日に「内閣府・兵庫県」主催により、兵庫県民会館けんみんホールにて、表記のフォーラムが開催されました。国において平成28年4月に施行された障害者差別解消法について、その円滑な施行はもとより、障害を理由とした差別解消を推進するための各地域での取組促進と気運の醸成を図る、という趣旨で、前半は基調講演と兵庫県の取り組み報告、後半は民間事業者の実践例報告とパネルディスカッション、という構成で行われました。以下、報告します。

 

■基調講演――ともに生活する大事さ

基調講演は、「障害者支援の現場から障害者差別を考える」と題して、障害者差別解消支援地域協議会の在り方検討会構成員であり、中核地域生活支援センター長生ひなた所長の、渋沢茂さんによる講演でした。

渋沢さんは、以前、槇の木学園という知的障害者入所施設で働いておられたそうです。ちょうどこのフォーラムが「相模原事件」のあとに開催されたこともあり、事件のことに触れられていました。渋沢さんがその施設で働いておられた時には、渋沢さんご本人とご家族であるパートナーやお子さんと、その施設に一緒に住んで入所者と共に生活しておられたそうです。お子さんは、自然と日々入所者との関わりも多く、普通に接しておられたとのこと。その中で、お子さんなりに、「誰それさんは好き・仲良し」「誰それさんは嫌い」と入所者に対して感情が出来てきた。それは、障害者だからどう、ということではなく、同じ場所に共に生活する人達に対して自然と発生する感情で、入所者それぞれの方に一人ひとり個別の人として接していたということ。一方、相模原の事件加害者は、「障害者」を型にはめ、ひとくくりに「障害者」としてしか認識できていなかったのではないか、というお話をされていました。障害者だけを「障害者」としてひとところに「集める」のでなく、障害者・健常者の区別なく、小さい時から当たりまえに共に生活していくということがどれほど大事か、と感じさせられるエピソードでした。

渋沢さんは現在、千葉県に13か所設置されている、中核地域生活支援センターの一つで働いておられます。中核地域生活支援センターは、千葉県地域福祉支援計画に基づいた千葉県独自の事業で、子ども・障害者・高齢者など対象を横断的に捉え、全ての地域住民の地域生活支援の民間拠点として、地域生活支援・相談・権利擁護を行っているそうです。

また、千葉県では「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」という障害者差別禁止条例も作られています。

法にしろ、条例にしろ、大事なのは一つ一つの事例に向き合う相談体制を作ること。そして地域協議会などネットワークで事例を皆で考え、おこったことを共有・蓄積していき、それを相互理解と啓発により社会化していく、という一連の機能がとても大事、というお話でした。

 

■県の取り組み――解消法がらみの施策

次に、兵庫県の取り組み報告として、兵庫県健康福祉部障害福祉局障害福祉課主幹で障害者権利擁護担当の野田政裕さんからお話がありました。

県としては、平成28年2月に「兵庫県障害者差別解消推進要綱」を策定、また「兵庫県職員対応要領」も策定し、県職員が差別解消法に基づき同法の趣旨を踏まえ適切に対応するための指針を定めています。また職員対応要領には、検証システムも設け、3年サイクルで職員の評価指標や行動目標の設定などを行っているそうです。

また、国によって差別を解消するための支援措置として県や市に設置を推奨されている(必置ではない)「障害者差別解消支援地域協議会」を、兵庫県としては設置。そして、障害当事者の参画や開かれた政策形成を目指し、県独自の措置として「障害者委員会」を設け、障害者委員会から差別解消支援協議会に意見提案などできるような仕組みも編成しているとのこと。

相談窓口としては、「障害者差別解消相談センター」を平成28年4月に開設。4月~6月の3カ月で累計86件の相談件数があったそうです。相談形態としては電話が一番多く、相談者の障害種別としては身体5割、知的1割、精神4割の内訳だそうです。

兵庫県としての差別解消法に対する取り組み姿勢としては、「障害者と事業者等の話し合いを通じた相互理解を前提に、差別された側が一方的に非難・制裁を与えるものではなく、解消法は障害者が過度な権利擁護を行うための武器ではない」「事業者等による“おもてなし”による創意工夫が基本」「これらの理解の上での解消法の運用により、差別解消を通じた共生社会を創ることができる」と野田さんはおっしゃっていました。

まだ始まったばかりで、それが差別なのかどうなのか、合理的配慮とはどんなものがありどこまでなのか、など障害当事者自身もなかなかわかりづらい状況かと思います。県は、差別解消相談センターや障害者委員会はもちろん、弁護士による法律相談窓口、各市町の自立支援協議会など様々なルートからの差別・合理的配慮の事例を集め、分析し、データベース化していき、県民や事業者へのガイド事例集などを作ることにより、また普及啓発として「障害者差別と人権問題を考える政策プレゼンテーション・コンテスト」を開催するなどにより、差別解消の推進・理解促進を目指していくとのことです。

 

■事例報告①――「振り分けは必要悪」

後半の取り組み事例報告として、まず姫路聖マリア病院小児科顧問兼室長の宮田広善さんから「性別・年齢に配慮した合理的配慮等の取り組み 障害児支援について」と題したお話がありました。

出だしでいきなりインパクトがあったのは、宮田さんが「地域社会や、学校、そしてクラスに力があれば、施設・特別支援学校・特別支援学級は不要。いまはまだその力がないので、必要悪として存在している」とおっしゃったことです。長年小児科医療に関わってこられ、兵庫県障害福祉審議会委員も務め、医療型障害児者施設開設準備室長もされている方の発言だけに重みがあります。

障害児の支援を考える際に、まず、その支援は児童施策なのか障害施策なのか。児童施策と障害施策の協働の課題として取り組むのか、それとも双方が手を出さない「空白地帯」にするのか、そこに行政の理念と姿勢が問われる。そして双方手を出さない「空白」とすることこそ差別ではないか。平成26年に出された「障害児支援の在り方に関する検討会報告書」にも、子ども子育て支援制度と障害児支援の関係として、「子ども子育て支援(児童施策)が中心」とされているそうです。そこには「障害児」である前に、すべての児童は「子ども・児童である」という考えを基本に、「子ども」としての支援を受けた上で、障害固有の支援が必要な場合は障害児施策で上乗せ(後方支援)していくということだそうです。

宮田さんからは続いて姫路市の障害児支援の現状報告として、宮田さんも所長を務められた姫路市総合福祉通園センター・ルネス花北を通してのお話がありました。センターは、障害種別によってわけるのではなく、児童に対しても成人に対しても、すべての人のニーズに合った適切なサービスをライフステージに応じて提供できるようにと、児童発達支援センター、リハビリも含む医療センター、地域生活支援・相談事業、成人部門として就労継続B型や生活介護、地活センターなどが一体化した施設だそうです。

姫路市の保育所に、「発達の気になる子はいますか」というアンケートをとったところ、児童の20%にあたる人数が「気になる子」としてカウントされたそうです。しかし、統計上、全国的にみても全児童の20%も障害児はいない。保育所職員は、それだけ「広く」捉えてしまう傾向にあるということがわかります。小さい時から、発達に遅れがあるかも、と振り分けられ、地域の学校に行けなくなるのは問題があるが、姫路では実際に「障害児」として分離するのではなく、「ちょっと気になる子」への敷居の低い子育て支援体制を作ろうとしているそうです。そのために例えば、宮田さんたちセンターの職員が保育所を訪問し、フリーの職員さんを募って、その保育所の支援のキーパーソンとなるコーディネーターとして研修しているそうです。また、姫路市中央保健センター内に「ぱっそkids」として、子どもの発達に関する気がかりなこと、子育ての中で心配なことについて、親が気軽に相談できる子育て支援の場があります。そこは利用の条件もなく、利用者の名前も無理には聞かない、誰でも利用できる場になっているそうです。

宮田さんは「当たり前を当たり前にする支援が必要」とおっしゃいます。宮田さんのおっしゃる「当たり前」とは、子どもは遠い施設ではなく家庭に近い環境で育つのが当たり前、両親が働いているのなら障害児であっても保育所に通うのが当たり前、成人すれば重度の障害があっても親元を離れて「地域」で暮らすのが当たり前。そのために、徹底した育児支援・家庭支援が必要であり、保育所への専門的支援の拡大も必要であり、24時間を地域の社会資源で支えるため在宅支援の整備が必要ということでした。

 

■事例報告②――障害女性と出産・子育て

取り組み事例報告として、次に、自立生活センター神戸Beすけっとの藤原久美子さんからお話がありました。このニュースでも何回かご報告させていただいているように、藤原さんはDPI女性障害者ネットワークの一員として、「障害のある女性への複合差別」の課題に積極的に取り組まれていて、そのことを中心とした内容になりました。

女性ネットでは、政府の調査統計に障害者の「ジェンダー統計」を取り入れることを整備するよう、働きかけているそうです。実体験として、障害女性への複合差別があるとわかっていても、現在のように障害種別や障害程度による統計しかなく、障害者の性別による差異がわかる統計としての数値がないと、国に政策提言しても生かされないという現状があるためです。藤原さんたちの働きかけにより、兵庫県の基本計画策定の際にはジェンダー統計を出してもらったそうです。

また、「差別」に関して、まず「中途障害で障害をもったとたんに周りの態度がかわる。私自身の中身はなにも変わっていないのに」というご自身の体験談が語られました。以前は周りから「早く結婚して子ども産んだら」と言われたが、障害を持つと急に何も言われなくなった。そして、いざ妊娠した時には、医者や母から障害を理由に堕胎を勧められる。言っている方は決して悪気も無く差別する気もなく「あなたのためを思って心配している」「何かあったら困るでしょ」という感じで、「愛がある」発言をしているのだが、言われている障害当事者にとって、時によっては自分の存在そのものを否定された気持ちになるくらいしんどいこと。昔から今に至るまで、障害児は「愛」の名のもとに殺されてきた歴史がある。障害児を殺してしまった母には同情が集まるが、殺された障害児には同情もない。そこには「障害者は生きていない方がいい。死んだ方が幸せ」という、いまだになくなっていない思想がある。そのことへの抗議が障害者解放運動の原点の1つになっている。しかし、障害者は「不便」なこともあるけれど「不幸」ではない。障害があることによって否定される命があってはならないと強く訴えたい、というお話でした。

そして、藤原さんが実際に出産してからは、沐浴も授乳も、どうやったらいいか対話しながら看護師たちが一緒に考えてくれ、上手くいった。その、押し付けではなく、対話しながら一緒に解決策を考えるというのが大事。こうして無事に産まれた子ども(娘さん)とは当然ずっと共に生活している。すると、小学生になった娘さんには、視覚障害者への配慮がごく自然に身についている。差別解消法にある合理的配慮の「配慮」も、決して上から目線で「思いやり」を授けるのではなく、大きく言えば「一緒に何かしたいときの調整、共に生きていくための調整」なんだと思うということでした。

 

■パネルディスカッション

最後に、宮田さん、藤原さん、そして内閣府障害者施策アドバイザーの尾上浩二さんもパネリストに招き、渋沢さんコーディネーターで「障害者差別解消を推進するために」というパネルディスカッションと質疑応答が行われた。ただ、時間があまりなく、パネラーに言い残したことを一言ずついただくという内容でした。

宮田さんからは、就学前検診(就学時健康診断)について、姫路市では就学指導委員会にかけるかどうかは一方的に決められるのではなく、親の判断しだい。しかも、教育委員会が「どこそこの特別支援学校でないとダメ」とは言わないようになっていて、様々な進路やサポート体制を考える場になっている、と特別支援教育一辺倒ではない姫路市の体制を強調されていました。

藤原さんからは、障害女性の複合差別に取り組む中で、いろいろな場所で同じように複合差別を受けている様々なマイノリティ女性と出会うことが多くなった。1つのマイノリティの課題に取り組むことで、他の人の背景や差別がわかってきた。障害女性の複合差別を考えることは、障害を持つ男性の生きづらさを考えることでもあり、障害のない人の抱えている様々な生きづらさにもつながるということ。複合差別に取り組むことはすべての問題につながっていく、ということでした。

会場からは、「熊本の震災の被災地に行ったが、避難所の仮設住宅がひどい。全くバリアフリーが考慮されておらず、阪神淡路、東北と続いた大震災の教訓が全然生かされていない」というご意見や、「いま日本には210万人の外国人が住んでいるが、その中の障害者が把握、認識されていて、平等な支援が受けられているのか」というご意見があり、また、障害女性への差別に絡んで「兵庫県には『性暴力被害者支援センター・ひょうご』という団体も出来ているので活用してほしい」という関係者からの呼びかけもありました。

震災の避難所仮設については、尾上さんも「なんちゃってバリアフリーにしかなっていない。車いす常用者ではなく、家の中では車いすを降りて生活している人を基本に置いているのがまちがっている」という発言をされていました。

渋沢さんからは、障害者差別解消に向けた取り組みについてのまとめとして、千葉県の障害者差別禁止条例に絡めてのお話がありました。千葉県で県民アンケートをとったところ、20%が条例のことをしっていたそうです。ただ、千葉県条例は国の差別解消法とのリンクはまだまだこれからとのこと。一方、差別解消法の悪いところとしてあげられるのは、相談窓口がないことだが、それを兵庫県として相談窓口を設置しているのは、県としてきっちり取り組んでいるのではないかと思う、というご意見でした。

渋沢さんの知的障害者入所施設で生活されていたエピソードにしても、藤原さんのお子さんのエピソードにしても、そして宮田さんの施設・特別支援学校・特別支援学級は環境さえ整えば不要なのではないか、という問題提起にしても、障害者への差別や偏見を生むのは幼いときから健常者と障害者が分け隔てられ、接することが少なく、障害者を一人の人間として知らないことが大きな原因のひとつではないか、と思わされました。今後、障害があってもなくても同じ場で共に生活し、共に学ぶという環境を作っていくのに、差別解消法がどう活用されていくのか。また、障害女性の課題を含め、様々な課題を、差別解消法をもとにどのような解決に向けた「話し合いを通じた相互理解」にもっていくことができるのか。まだ始まったばかりなので、身近な県内の動向に注目していきたいです。

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