【障害女性】 ハートネットTV 「シリーズ 障害のある女性」より
2016年7月5日、NHK「ハートネットTV」において、「シリーズ 障害のある女性」が放映されました。シリーズの第1回で、障問連加盟団体「Beすけっと」の藤原久美子さんが出演者の一人として取材されましたので内容をご紹介します。藤原さんは、当ニュースでもお伝えさせていただいているように、「DPI女性障害者ネットワーク」の一員として国連ロビーイングなど活発に「障害女性の複合差別」についての活動をされています。
「シリーズ 障害のある女性 第1回:知ってほしい!私たちの生きづらさ」
今なお厳しい環境に置かれている、“障害のある女性たち”。当事者団体の調査からは、家族や介助者から暴力や性的被害を受けても表面化しにくいことや、就労の難しさから貧困状態におかれやすいといった現実があきらかになり始めています。
【出演者】
藤原 久美子さん:病気のため30代で視覚障害に。41歳で出産 1児の母。
森崎 里美さん:脳性まひで手や足に障害がある。2人の娘を育てるシングルマザー。
三宅 遥さん:軽度の知的障害があり作業所で働く。3歳の娘を育てるシングルマザー。
永田 拓さん:相談支援専門員として三宅遥さんの生活をサポート。
加納 恵子さん(関西大学社会学部 教授):地域福祉や女性障害者問題が専門。ポリオにより手や足に障害がある。 (以上ハートネットTVホームページより)
(以下、抜粋して番組内容紹介)
【テーマ1:性的被害】
当事者団体が行った実態調査(DPI女性障害者ネットワーク調べ)でも、3人に1人が性的被害を受けた経験がある(回答者87人中35%)と答えている。番組では、森崎さんの経験をVTRとともに紹介。
ナレーション(以下N):脳性麻痺により手や足に重い障害のある森崎里美さん。大学生と高校生の二人の娘を育てるシングルマザーです。これまで一般企業の事務の仕事などで子どもたちを養ってきました。ところが9年前、当時勤めていた会社の上司から性的暴力を受けました。被害にあったのは会社の慰安旅行の帰り道。上司から酒を飲もうと誘われ、その後ホテルに連れ込まれました。抵抗したくても障害のため身体の自由がきかず、逃げられなかった森崎さん。上司は剃刀を手に性行為を強要しました。
森崎:信頼する上司だったんですよ。信じられなかったですよね。ある種。何が起こったのかわからない。逃げられる状態じゃない中で起こったことなので、私の身体的なこともありますし。当時、契約社員という立場で働かせてもらっていたので、加害者の上司も「更新ないからな」というふうに言ってきましたんでね。(なかなか被害を訴えるということはできなかったですかという質問に)話づらいですし、一番最初に、被害を訴えるっていう概念がなかったですよね。私さえ我慢すればいいっていう。
N:当時の勤め先は、100社近く受けてようやく決まった会社。二人の娘を育てるためにも仕事を失うわけにはいきませんでした。半年後、意を決して会社に被害を訴えましたが、会社側はその事実を認めませんでした。結局裁判を起こした森崎さん。上司による性的暴力があったことは認められました。しかし、事件後、体調不良で長く休んだことを理由に契約は更新されませんでした。
加納:まずは、基本は自分たちがそんな不当に扱われる筋合いはないと、ちゃんと自分の権利を自分で守る。それは「セルフ・アドボカシー」っていいます。侵害されたら怒っていい。どこかに訴えるなり、相談するなり。ただ(障害のある方が安心して相談できる環境は)、残念ながらまだまだ不十分だと思います。都道府県に「DVセンター」っていう形で相談窓口は設けてはきていても、障害のある女性の相談を想定していなかったりする。聴覚障害の方がいるのに電話相談窓口しかなかったり。障害がある女性ゆえの困難っていうことの理解を広めていくってことは重要だと思います。
【テーマ2:仕事】
就労の難しさが障害女性たちにどんな影響を与えているのか。単身世帯に関する年収調査(2008年のデータ)によると、障害女性の年収が一般男性の年収グラフと比べると4分の1という結果になっている。また経済的自立が難しい状況におかれているということが、いろいろな厳しさ(家庭の中でDVや性的な被害あっても、そこから逃げる手立てがないなど)につながっていくという指摘もある。
他にも、知的障害を持つ人が働く場合、本人が自分の状況やしんどさをうまく周囲に伝えられなくてしんどい思いをすることが多くある、という三宅さんの報告もあった。
(どうすればこの状況が変わっていくと思うか、という質問に)
藤原:やっぱり、企業の方とかね、「じゃあ障害者にどうしたらいいんだろう?」ってすごく悩まれたり考えたりされてると思うんですけど、「私たちに聞いて」ってすごくいいたいんですね。私たちがその企業の中に入っていくらでも言えることってあると思うんです。まず、障害者がそこにいないから企業の方たちにわからないのであって。ただスロープを出した、とかそれだけの問題じゃなく、じゃあスロープを置くお金や場所がないんだったら、どうやったらやれるのかなっていう対話の中で生まれてくるものなので、やっぱり付き合わないとわからないと思うんです。
【テーマ3:妊娠や出産に関する悩み】
N:視覚障害のある藤原久美子さん。現在10歳の子どもを育てています。妊娠がわかった時、思わぬ壁にぶつかりました。藤原さんは、「女は結婚して子どもを産むことが幸せだ」といい聞かされて育ちました。30代の時、Ⅰ型糖尿病の合併症により弱視になります。その後、40歳で初めての子どもを妊娠。ところが医師から出産には多くのリスクを伴うとして中絶を勧められました。
藤原:私、Ⅰ型糖尿病という病気があるので、奇形児であるとか障害児を産みやすいリスクがあると。プラス高齢出産でもあると。本当だったら「おめでとう」って言われるようなことなのに妊娠がわかった時の医者も、「おめでとう?なんですかね?」とみたいな感じで聞かれて。(自分の母親からは)やめてくれと言われた。「自分のこともできない状態でさらに子どもを育てるなんてできるのか」というような反対をされた。自分のみならず、自分のお腹にいるっていうだけでね、子どもの存在自体も否定されてしまった。障害者が生まれてくるってことに対して、決してこの社会って寛大ではない、っていうか喜んではくれないっていうのがある。やっぱり母も医者も私が苦労する姿を見たくないっていうことだったと思うんですよ。(振り返って)普通の妊娠出産と同じように、まず「おめでとう」って言ってほしかったし、「一緒に育てていこうね」って。やっぱり夫は言ってくれたんですよね。そういった「やっていこうね」っていう励まし、サポートがあったらもっと強い気持ちで乗り切れただろうなって思います。
N:それでも出産を決めた藤原さん。少しずつ周囲の理解を得ながら子育てをしています。
(続いて三宅さんの紹介)
N:軽度の知的障害がある三宅遥(はるか)さん。22歳のとき、未婚のまま娘の愛さんを出産しました。産みたい、という気持ちはあったものの、どうすればいいのか全くわからなかったという遥さん。真っ先に助けを求めたのが当時、生活のサポートをしていた相談支援専門員の永田拓さんでした。
永田:最初のころは「どうしたい?」って聞いた時は、ずっと「わからない」って言っていて。ある日ポロっと「私、産んでみたい」って言ってくれた。「産みたいけど、一人じゃ出来ないから、出来ないところを誰かに手伝ってほしい」って言ってくれて。
N:永田さんは関係機関(「相談支援専門員」「子育て支援センター」「保育園」「就労支援」「ホームヘルパー」「病院」「保健師」「福祉課」)に協力を呼びかけ、連携して遥さん親子を支える体制が整っていきました。遥さん親子をサポートするメンバーは、今も頻繁に連絡を取り合っています。心がけているのは本人の意思を大切にすることです。
永田:最初の時にはとにかく心配とか、何かあったら困るからっていうことで、周りの誰かがすぐ何かをやってしまおうみたいなところがちょっとあったと思う。今は、何かあるかもしれないけど、やっぱりお母さん自身に問題を解決する力をつけてもらえるようにちょっと見守ったりとか声をかけたりとかでお母さん自身が出来るようにしていくっていうところを、みんなほんとに大事にしてやってきてる。
加納:こういった豊かな子育てっていうのは、いろんな人が関わっていろんな子どもがいてっていう、そういったものが「普通」であって、その中での助け合いですから。
藤原:世話が出来ないから育児が出来ないわけではないと思います。障害者の自立っていう考え方の中には、「自分が決めることが自立だ」っていうのがある。自分が「この人にやってもらおう」とか自分で決めて指示をしてやってもらったっていうのは、全部「自分がやったこと」で「自立」。三宅さんも自分で選んでやってきたんだなって思いました。
【テーマ4:障害女性が自分らしく生きていくためにはどんな社会や環境が必要か】
森崎:私は、まず関わっていただきたい。そこからいろんなサポートや支援などいろんなものにつながっていくと思うんです。女性男性に関わらず。いろんな人たちがいるんだってことを知ってほしい。
藤原:私たちがどんどん社会のいろんな場面で、活躍する、出ていく、参画していくってことが大切で、私たちが出ていくことが「当たり前」になっていく社会。障害っていうのはそこに行くまでの間にハードルがあることが「障害」なんですよね。そのハードルがあるんだっていうところをまず取り除いていくようなことをみんなで話し合いながら、対等に一人の人間として認めて、やっていける社会になればいいな、と思います。
9月 1, 2016