優生思想 新聞記事から

【優生思想】 相模原事件を考える

野崎泰伸(障問連事務局)

 

7月26日、相模原で起きた障害者施設における連続殺傷事件について、京都新聞から取材・インタビューを受けましたので、以下、記事を掲載します。

 

◆立命館大非常勤講師 野崎泰伸さん 「優生思想 人ごとではない」

『京都新聞』2016年8月7日 相模原事件を問う

 

現実によく聞く考えだな。

障害者の命を軽んじる容疑者の思想に接してまず思った。私自身、脳性まひのため、身体障害者手帳1級を持っている。マンションのエレベーターでは、一緒に乗ることを避ける健常者もいる。容疑者ほど明確でなくても、意思疎通のできない障害者に対し、「生きていても意味がない」と感じた経験のある人は少なくないのではないか。

今回のような大量殺人にまで至った事件は他にない。しかし容疑者の思想を、「訳の分からない考え」として人ごとと捉えることには違和感がある。優生思想を批判する報道が多いのは望ましいが、いつからこんなに障害者に優しくなったのかという思いも湧く。障害のある胎児の中絶など、優生思想と通底する行為は社会のあちこちで見受けられるからだ。

容疑者の心に障害者を抹殺する計画が生まれたきっかけは何か。事件のあった相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」では夜間、利用者20人あたり職員1人だったと聞く。容疑者には、職員が十分にケアできず、障害者がみすぼらしく見えて、哀れに思えた時が多かったのかも知れない。

だが容疑者の行動の背景に、精神疾患を想定するのは慎重でありたい。現状では分からないことが多い。確かに彼の行動は異常だが、異常さをすぐ精神疾患と結びつけ、措置入院の強化につなげることは新たな差別となりかねない。

こうした事件を繰り返さないために何ができるか。地域で普通に障害者が暮らせる社会を地道に作っていくしかないと思う。パラリンピックで活躍する人だけでなく、淡々と生活する障害者の存在もよく知ってほしい。命の尊さは能力とは関係がない。

社会で暮らす一人の障害者として、事件を契機に健常者に保護されるような立場へ追いやられるのは嫌だ。防犯を理由に障害者を目の届く範囲で保護したり、施設の警備を強化したりすれば、結果的に障害者から健常者を遠ざけ差別の温床となってしまう。まさに容疑者の思うつぼだ。(聞き手・広瀬一隆)

 

■インタビューを受けての感想

正直に言って、こうした事件でインタビューを受けるのは、気が滅入りました。けれども、依頼が来たとき、それでも何か言わなければ、と思いました。私はずっと「障害者などいないほうがよい」とする思想(そのように主張する学者もいるのです)を批判的に解剖してきたつもりでしたので、こうした事件が起きたのは、そうした意味でもショックでした。約1時間半、さまざまなことを尋ねられましたが、800字できれいにまとめてくださいました。新聞本体では、当日着ていったピープルファースト兵庫大会の記念Tシャツが鮮明に写っていました。

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