障害者春闘

【報告 2016年度障害者春闘 シンポジウム】 ~みんなで知ろう、広げよう、そして活かそう! 障害者差別解消法~

障問連事務局

今年度の障害者春闘、施行後2日目にあたる差別解消法のアピールを目的として、4月2日に兵庫県民会館にて開催しました。以下、報告にあるよう DPI日本会議副議長であり現在内閣府の担当官として活躍される尾上浩二さんをメインゲストにミニ講演をしていただき、続いてシンポジウムとして兵庫県内で差別解消条例を、この4月1日から施行した明石市、来年1月からの施行を目指し現在検討中の宝塚市から担当者をお招きし、尾上さんを交えて行われました。そしてシンポジウムの終了後には、県民会館から三宮の花時計前までデモ行進を行いました。

尾上さんの熱い思いをお伝えしたく、事務局として頑張ってテープ起こししましたが、膨大な分量ですので、今回は尾上さんの講演を先行して報告し、次号で明石市、宝塚市の発言記録を中心に報告します。以下、ぜひご一読下さい。

 

【講演記録】  差別解消法は、私たちのこれからの取組にかかっています!!

尾上浩二(DPI日本会議副議長)

 

皆さんこんにちは。ご紹介をいただきましたDPI日本会議の副議長の尾上と申します。よろしくお願いします。お手元の資料と、スライドを使用しながらお話をしていきたいと思います。

今日、障害者差別解消法と地域での取り組み、という内容でお話をしますが、この4月1日、昨日から障害者差別解消法の施行という、本当に施行ほやほやの法律についてのお話をさせてもらいます。まだ始まって1日という法律なんですが、実はこの法律を作るまでに20年以上の闘いがあった。差別解消法の法律以前から言えば、30年40年の差別との闘いがあったわけです。日本でも差別禁止法が欲しいなぁといって、やっぱり20年くらいかかったんですね。そうやって、やっとできたのがこの差別解消法なんです。そういったこともあって、一昨日、3月31日に東京で障害者差別解消法施行記念パレードということで、700人くらいの人が集まりました。そして、昨日も神戸でも行われたそうですが、全国各地8か所くらいでチラシ配りをしたり、パレードをしたり、あちこちでこの障害者差別解消法をまずは祝おうじゃないかと、色んな取り組みをしていただいています。しかし、この差別解消法を生かすも殺すも、私たちのこれからの取り組みにかかっている、というような事をこれからお話をします。

 

■自己紹介~私の歩み

障害者差別解消法が目指すべき社会は何か、それは「分け隔てられない共生社会」ということだと思うんです。私自身の障害者差別解消法にかける想いを少しだけお話させていただきます。今日も電動車椅子でこちらまで参りましたけど、子どものときから脳性麻痺という障害を持って生まれ育ちました。私が活動を始めたときに、脳性麻痺の先輩に囲まれまして、「尾上はあんまり脳性麻痺っぽくないな」「言語障害あんまりないしもアテトーゼもあんまりないし、エセCPじゃないか」と言われてきましたが、こう見えても正真正銘の脳性麻痺です。

私自身が過ごした生活史は、まさにその当時の脳性麻痺者の典型でした。子どものときに養護学校、今でいう特別支援学校に行きまして、そのあと肢体不自由児施設、障害のある子どもだけが集められた施設。そのあと、中学校から地域の学校に行きました。そのあと大学に進んで、その時に「青い芝」というか障害者運動の先輩と出会い、以降、駅のエレベーター設置運動や「福祉の街作り条例」、あるいは自立生活支援、ということに取り組んできました。今から約10年前の2004年にDPI日本会議の事務局長に選出していだたきまして、以降10年少しの東京暮らしが続います。この10年間というのは本当にいろんな激しい動きのあった10年ではありましたけど、ある意味やりがいのある10年だったかなという感じがしています。

 

■差別解消法にかける私の思い

特に、私にとってこの障害者差別解消法の制定まで何とか持ち込めたっていうのは、やっぱり感慨深いものがあります。なぜそう思うかというと、この障害者差別解消法の考え方、あるいはその元になっている障害者権利条約の中には、「合理的配慮をしないことも差別なんですよ」と、そういう考え方があります。この合理的配慮という言葉を聞いて思い出すのが、私が中学校に入学する時の体験なんですね。私が小学校を過ごしていた肢体不自由児の施設のスタッフの中に、出来るだけ地域に戻したい、在宅に戻したい、そう思って支援をしてくれた人がいました。もう今から40数年前ですからね、地域の学校でいう考え方はまだまだ珍しかった。私はその頃なんとか松葉杖で歩けてたんですけども、私くらいの障害程度の子どもでも、やっぱり地域の学校に行くのは大変だったんです。小学校6年の2月から3月、2回ほどその中学校の教頭先生と校長先生と話し合いをしました。私と母親と、養護学校の担任の先生が付いてきてくれたんですけど、すんなり話が通ったわけではなく、2回ほど話をもちました。特に、2回目のときに、教頭先生が「じゃ、尾上くん。一度、階段上がってみなさい」って言うんですね。で、私はその頃、何とか松葉杖で歩けていたんですが、今から40数年前には学校にはエレベーターどころか階段に手すりもなかった。最近、若い子の前で言うと、尾上は大阪の人間やから「話しを盛ってるんやないか」と思われるんですが、40年前は本当になかったんですね。で、階段に手すりもなかったから、壁に身体をすりつけるようにしてえっちらおっちら上がっていった。まぁなんとか階段が上がれるんですね。「じゃ、4月からこの中学校に来てもらいます。でもね、歩けないからといって普通学校に入った限りは特別扱いしませんよ」と言われました。

 

■次の世代の子どもには同じ苦労はさせたくない

さて、権利条約や差別解消法では、合理的配慮はエコひいきや特別扱いではなくて、むしろ「平等な扱いをするために合理的配慮をする」ということなんですね。合理的配慮をして、初めて平等なんだという考え方。でもね、今から40年前、合理的配慮の「ご」の字もありません。その当時、合理的配慮みたいな考え方がないとどうなるか。特別扱いしないというのは、学校は何もしませんよ、という対応でした。「じゃお母さん、念書書いてください」。3つありました。

念書①「階段の手すりなど設備は求めません」

念書②「先生の手は借りません」

念書③「周りの生徒の手は借りません」

この3つ約束するんやったら入れてあげましょう、そういう風に言われました。私の母親は納得していたとは到底思えないんですが、サインをしないと入れてもらえないんで、サインして入学を認められました。が、実際に苦労する事たくさんありましたけど、でもそれ以上に家のすぐ近くに同じ学年の子がいる、友達がいる、そのことが私にとって大きな世界の広がりを感じる時でした。やっぱり地域の学校に行って良かったなと思うんです。でも私の母親が書いた念書、今から思えばこれ差別解消法があったらあんな念書書かされずに済んだんだな、と思うんですね。なぜか。わたしの母親が書いた念書というのは、要は「合理的配慮は一切求めません」宣言なんです。合理的配慮を一切求めないならば、入学させてあげましょうということだったわけなんです。別に、私が言うことすべて認めてくれと言ってるわけではないんですよ。でも、そもそも合理的配慮を巡って話し合いのスタートラインすら作れなかったと。そんなこと言うんだったら別の学校に行って下さい、ということだったわけですよね。

こういったことは別に尾上だけが特別に苦労したわけではなくて、多くの障害者が共通の体験として持っているんではないでしょうか。もう、次の世代の子どもたちには、同じような苦労をさせてたくない、そういう想いがあって障害者差別解消法を作ってきたんだということを押さえておきたいなと思うんですね。

 

■権利条約の批准に不可欠な差別解消法

この差別解消法がいきなり出来たわけではありません。長年の運動があり、とりわけ「障害者権利条約の批准に向けて不可欠な法律なんだ」と、ずっと言い続けました。権利条約に日本政府が批准したのが2014年、今から2年前。その批准するにあたって不可欠な法律、ということで出来たのが今日の障害者差別解消法です。この障害者権利条約は、世界中の障害者が集まって作りました。国連の委員会に集まった障害者が、発言をするときに共通のスローガンで言った言葉があったんですね。「私たち抜きに私たちのことを決めないで ~ Nothing about us without us~」。この精神を今後も大切にしたいと思うわけなんです。この「私たち抜きに私たちのことを決めないで」という考え方に基づいて作られたのが、権利条約であり、障害者差別解消法だということをしっかり押さえておいてほしいと思います。

今日、配布しているスライド資料、外務省が作ったスライドの中に「条約締結に先立ち、障害当事者の意見も聞きながら国内法の整備をしていきました」とあります。それは、障害者基本法の改正、障害者総合支援法そして障害者差別解消法の制定、雇用促進法の改正、こういった一連の法律があって初めて条約が批准できました。このように外務省が出している文書で示されています。

では権利条約を批准するっていうのはどういうことか。今日後半、明石市の報告をされる弁護士さんを横に置いて恥ずかしいんですけど。憲法の98条くらいに、憲法と法律と条約の関係を書いている条文があるんです。実は日本の憲法っていうのは一番の最高法規です。まぁそれが危うくなってるんじゃないかとも言われたりしてるんですが。で、障害者差別解消法や総合支援法といった様々な各法律がありますね。権利条約がどこにあるかというと、憲法よりはさすがに下だけど、個々の法律よりは上なんです。ここに条約を批准することの大きな意味があるんです。つまり、条約を批准する意味は、世界に向けて、「日本政府はこの条約に書かれていることを守ります」ということを約束するわけです。約束して、それと違反する法律があれば変えていかなければならないということなんです。批准するために、差別禁止ということを法律の中に入れなければならないということで出来たのが基本法であったり差別解消法であったり雇用促進法だと。なので、その大元にある権利条約を、エッセンスだけ、キーワードだけ覚えて帰ってもらえたらいいかなと思うので説明します。

 

■障害者権利条約とは??

権利条約の大きな意義の1つ目は「パラダイムシフト」。例えで言うと、昔、多くの人が、天が回ってると思ってたんですね、天動説。でも今、小学生でも地動説、地球が回ってることは知ってますよね。そういう一つの時代の社会常識というか、一つの見方、これを「パラダイム」っていうんですけど、これを大きく変えよう。それが何かというと、障害の捉え方を「社会モデル」に変えようと。「社会モデル」の反対側にあった旧来の考え方が「医学モデル」。障害者個人に原因があるという考え方。そうじゃなくて社会との関係で障害者が感じている生活のしづらさや社会参加のしづらさが生まれてるんだというのが「社会モデル」。

そして2つ目が「インクルーシブな社会」。これまでは障害者だけ集めて別の世界を作ればいいみたいな時代が、わたしの子どもの時代なんか明らかにそうだったわけですが。そうではなくて障害のある人もない人も一緒に共に、そういうインクルーシブな社会、ということですね。

わたし、生粋の浪速っ子なので、このインクルーシブ社会・・・誰も排除したりされたりしない、最初から一緒の社会って言葉で思いついたのが、「お好み焼き」なんです。混ぜ焼きともいうんですが、いろんな具材入ってるから旨い。これアメリカではサラダボールといわれる。僕は大阪の人間なんで、サラダボールみたいにちょっとしゃれたものより、お好み焼きの方が合ってるんです。このお好み焼き社会を作ろうということがインクルーシブな社会ということなんです。

3つ目が「無差別・平等」。権利条約の中に34~35回出てくる言葉に「他の者との平等を基礎として」というのがあります。他の者とは誰なのか。障害のない人のこと。障害のない人との平等を基礎にする。つまり障害者に特別な権利を与えるものではないけれど、障害のない人が当たり前に享受している権利を障害者が享受できないとおかしいということなんです。そのためには合理的配慮などの調整をしないといけないと権利を行使できない場合がある。そういう「無差別・平等」、「社会モデル」、「インクルージョン」、こういった3つのレベルでパラダイムシフトをしていこうというのが権利条約です。

 

■~社会モデル・インクルージョン・差別禁止~

権利条約が言っている「社会モデル」とは、障害者の社会参加が難しい、不利になる、これはなぜか。障害者が「何々ができない」ことにあるのか、社会の側が障壁を作っていることに問題があるのか、ここには大きな考え方の違いある。

次に「インクルージョン」。実はフランス政府の資料なんですが、フランス政府がインクルージョンの説明ということで、これくらいのを日本政府も作らなあかんよなと思って紹介をしたいなと思います。①「排除=エクスクルージョン」。何かというと、障害のない人だけの世界があって、その外側に障害者を排除する。

②「隔離=セグリケーション」障害のある人とない人を分ける。日本はこういうのが好き。

③「統合=インテグレーション」。これって健常者の社会がまずあって、そこに障害者が「すんません入れてください」みたいな感じがする。

④そうじゃなくて最初から障害のある人もない人もごちゃまぜ、これが「インクルージョン」、これが権利条約の目指す社会。こういった社会を目指していこうということなんです。

次に「障害に基づく差別」。権利条約の第2条の中に定義ということで書かれています。大事なのは3点ありまして、障害に基づく「区別」「排除」「制限」。そういった障害のない人と異なる扱いが問題ですよ。そして障害のない人に比べて不利にする・不利益な取り扱い、そして合理的配慮を行わないことが差別の中には含まれますよ。こういった権利条約の差別の定義、これが大元にある。これがあって差別解消法が存在している事を押さえておいてほしいと思います。

 

 

■差別解消法の元になる権利条約と障害者基本法

「なんで差別解消法の話やのに、延々と権利条約の話をしているのか?」と思われるかもわかりませんが、今後いろんな運用をしていく、あるいは実際に差別解消法を施行していってやっぱり足らざる部分って出てくると思うんですね。その時にどこに立ち戻るのか。われわれは障害者権利条約に立ち戻って権利条約にはこう書いてるではないか、そこからさらにバージョンアップしていく。そういう意味で基準をどこにおくのかというので、権利条約をしっかり押さえておきたい。

権利条約に基づいて作られた法律の一つが、障害者基本法。2011年に改正をした法律です。例えば、この中の障害の定義。障害っていういのは、社会的障壁との関係で制限を受けている人を障害者というんですよという「社会モデル」をこの基本法に取り入れた。これが元になって差別解消法や明石市の条例なんかも、ちょっとプラスのバージョンがあったりするんですが、だいたい基本ベースはここにまずあります。基本法にはもう一つ大事なこととして、第4条「差別の禁止の原則」という条文があるんです。でも「原則」だから、原則を元にあれやりなさい、これやりなさいというのは難しいですよね。この原則を具体化していく法律が必要だ、ということで作られたのが差別解消法ということになります。

 

■差別解消法の構成

この差別解消法が禁止する差別は大きくいって2つあります。1つは不当な差別的取り扱いの禁止。「車椅子の方、入店お断り」とか「盲導犬・聴導犬連れている方はお断り」、そういったものは行政機関も事業者も法的義務として認められませんよ。そして2つ目に「合理的配慮の提供」。「合理的配慮をしないことは差別ですよ」と、ちゃんと合理的配慮を提供してくださいよ。国や地方公共団体、あるいは国立大学なんかもそうですけど、そういったところには法的義務。一方、民間事業者には努力義務。ということになっていますが、努力義務だから何もしなくてもいいということではなくて、ちゃんと分野毎のガイドラインを作っているので、ガイドラインに基づいてしっかりやるべきことをやってくださいよ、そういった作り込みの法律です。

正式名称が長い名前で、「障害を理由とする差別の推進に関する法律」、長いので障害者差別解消法とだいたい略して使っています。概要を見ていきますと、全体で、6章・本則26条になる法律です。日本の法律の中ではかなりコンパクトな部類です。確か総合支援法には170の条文があります。それに比べると26条。逆にいうと具体的な運用や解釈というのは、基本方針や対応要領・対応指針、そういったものに委ねられてるところが非常に大きい法律なんです。昨日から法律は施行になっていますが、施行3年後、2019年には見直しますとされていて、つまり現在の形が差別解消法の完成形だとは誰も思っていないんです。むしろそうではなくて、3年間しっかり走らせて足らざる部分をしっかり見直しさせていく。そのためにこそ、いろんな地域での取り組み、条例制定をはじめとした地域での取り組みをぜひ頑張っていきたいなと思っています。

 

■差別解消法の目的は「分け隔てられない共生社会」の実現

障害者差別解消法でしっかり押さえておきたいのは「第1条 目的」です。この障害者差別解消法の目的がどこにあるかというと、こんなことが書いてあります。「障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、共生する社会の実現に資することを目的とする」。この一番最後のところ、「障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会」、実は権利条約が言っている「インクルーシブな社会」のことなんですね。なぜそう言えるのかというと、私、この議論をしていた時の政府の委員会に委員として参加していました。「この法律の中にインクルーシブ社会の建設と入れてくれ」と、法律の素人やから怖いもの知らずで言ったんですね。じゃあ、休憩時間にダッーと内閣府の人間が走ってきて「尾上さん、カタカナ用語は法律用語になりません」って言うんですね。「要約筆記や手話通訳は情報コミュニケーションって言うやないですか」と言うと、「いや、あれも法律用語では『意思疎通支援』です」→「余計わからへんがな」と言い合った事を思い出します。「コミュニケーションも法律用語にならへんのやったら、インクルーシブやインクルージョンていうのは、僕が生きている間にはならへんかな・・・」と思いました。委員会に弁護士さんに相談して、「じゃあ、インクルーシブ社会を自分たちで定義してしまおう」ということで、できたのが「障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会」。これまでともすれば分け隔ててきた社会という歴史があるわけでしょ。共生しようと思っても偏見があったり差別があったりすると共生しにくいよね。分け隔ててきた歴史があるからこそ、分け隔てられることのない共生社会を作っていくには差別解消法が必要不可欠ですね。つまり差別解消法の目的は共生社会の実現にあるんだということをしっかり押さえておいてほしいなと思いますね。

 

■障害の定義~社会モデル

次に「障害の定義」。「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう」とされ、これがこの法律の対象になる障害者です。この文章のポイントは2つありまして、1つは前半の、身体・知的・精神・発達、最近でいう4障害に加えて、その他の心身の機能障害ということで、この中で例えば難病というか長期の慢性疾患とかそういう何らかの機能の変調がある人で、そういう意味で「制度の谷間」というのが「その他の機能障害」ということですね。後半、もう1つのポイントは、「障害及び社会的障壁により」このわずか10文字ぐらいのところにギュッーと障害の社会モデルということが埋め込まれているんです。あんだけ頑張って「社会モデル」についてワァワァ言って法律にしたらわずか10文字か・・・という感じはあるんですが、しかし大事なんです。障害者が受けている日常生活や社会生活の制限というのは、その人の障害だけではなくて社会的障壁との関係で生まれてるんですよ。ここに社会モデルの考え方が示されている大きなポイントです。

社会モデルということをもう少し考えてみましょう。冒頭に言った通り、私は今日も電動車いすでここまで来ているんですけど、障害をない人にパッと見てもらって「障害ってどこにあると思いますか?」と聞くと、「車いす乗っている」とか「歩けないから」と答えられます。「アーやっぱり車いすって不便だな、障害があって階段が上がれないんだな」て見えますよね。でも、ある日、階段の奥にエレベーターが出来ました。そんな建物あるのか?って思われるかもしれませんが、実は参議院会館ってあるんですが、もし議員周りされる機会あったらぜひ一回行ってみてください。階段の左奥の方にエレベーターがあるんです。10年前までなかったんです。参議院会館は昔行くの大変やったんですけど、いまはエレベーターがあってスイスイスイと上がれるようになりました。あー10年前まで大変やったけどいまは2階に上がれる。でも、わたし自身は何も変わってない。エレベーターが付いただけ。環境が変わった、ということですね。

足が動かない、歩けない、だから階段上がれないんだな、そういう風に見るのが「機能障害」「医学モデル」。ところが階段の横にエレベーターが付くと上がれます。この階段しかない状態を「社会的障壁」。で、社会的障壁による制限によって車いすで上がれなかったんだな、という捉え方をします。これが「社会モデル」の考え方。障害は個人の中にあるのではなくて、社会の環境あるいは社会とその人の機能障害との関係、相互作用の中にある、という捉え方を権利条約はしています。

 

■健常者も合理的配慮を受けている?!

さらにもう一つ、「他の者との平等」について言いますと、「じゃあ健常者って言われる人には障害がないんだろうか?」、本当かなと思うんですけど。今日、兵庫なんでね、この話しをすると思い出すのがJR尼崎駅なんですよ。石橋さんとワァワァ言ってた頃なんですけども。尼崎駅が1992年くらいに確か新しい駅舎に建て替えた。ちょうどいろんな法律が出来始めるくらいだったので、尼崎駅にはエレベーター付くやろうと思っていたら、最初付けない計画だった。「何考えとんねん!」「あんたらな、エレベーターのない駅は造るかもわからんけど、階段のない駅は造らへんやないか」とワァワァ言うてたんですね。「階段のない駅は造らないじゃないか!」と言うと、当時のJR、ぽかーんとして「なにふざけたことぬかしとんねん」いう顔ですよね。でも、本気で言っていました。なんでかと言うと、階段のない駅、そうですね縄梯子だけとかね。脚立だけの駅、あったら使いたいですか? 車いすだととても上がれないし、車いすでなくても健常者と言われる人でも縄梯子の駅なんて使いたくないよね。ロッククライミングとか登山部の人は登れるかわからんけど、それ以外の人使えないですよね。やっぱり絶壁では健常者上がれないんですよ。歩ける人にとって階段はあって便利だな。階段は歩ける人にとっての合理的配慮なんです。健常者の場合、階段のある駅は当たり前と思われてますよね。配慮をいちいちしなくても、当たり前に最初から内蔵されてるからなんです。つまり、同じ機会、権利を行使するために必要な配慮が合理的配慮。障害者だけの特別な権利ということではなくて、むしろ障害のない人が当たり前に享受している権利を障害のある者にも享受できるようにしよう。そのための調整が合理的配慮だ、ということですね。階段やドアの幅、60cm以上なのはなぜか。大人の身体にとって40cmは狭すぎるからなんです。でもわたしたち車いすにとっては60って狭いんですよね。80ないとだめなんです。そういうふうに社会の多数派であるマジョリティである健常者と言われている人に合わせていろんな社会の仕組みが出来てる。ところがわたしたち障害者、少数、マイノリティいうことでそのためのいろんな調整をしないといけない。それが合理的配慮だということです。

 

■「社会的障壁の除去」が差別解消のキーワード

社会的障壁というのが一つキーワードだというのがわかりますね。差別解消法ではこういうふうに書いてます。「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物」、さっきの階段しかない駅とかねそういう物理的なバリア。制度的なバリアもあります。これは3年前くらいに成年後見というのを受けると選挙権がはく奪される法律ありました。これはいま改正されて権利が回復されたわけですが、同じように地方公務員法とかいろんな中に欠格条項というのがある。障害者だからなれませんよ。これが制度的障壁。そして「慣行」、例えば議会傍聴しようと思ったら白杖は議場には持って入れません。多くの議会でそういう議会規則があったんですね。ついこの3月末に国会の職員対応要領で白杖は当然認められるという話になって、やっぱり国会のそういうものが変わるとねあちこちの地方議会の規則も一挙に雪崩うって変わっていきました。やっぱり法律ができるということはそういうことなのかなと正直そういう気がしています。そしてあと「観念」、観念上の障壁というのはグループホームへの反対運動とか、そういう障害者関係のいろんな支援の機関を作るのを反対と。これなんかほんとに観念上の障壁ですね。こういった社会的障壁を取り除こうと、そのための一つが合理的配慮。あるいはそのための環境整備。社会的障壁の除去というのが差別解消法のキーワードになってるということを押さえておいてください。

 

■基本方針の各条文から考える課題

それで、基本方針というのが、去年の2月に政府全体の方針ということで作られました。障害者政策委員会というところで11回くらい議論して作って、それを受けて対応要領・対応指針を作って、試行してました。差別解消法で禁止している差別の1つは「差別的取り扱い」。障害のある人お断り。こういう何々だから何々、わざわざ何かの条件をつける、作為って言うんですかね。作為的差別である差別的取り扱い。もう1つは合理的配慮の不提供。合理的配慮の調整をしなかった不作為の差別。この2つが差別解消法には書かれています。で、差別的取り扱いの方については、行政機関も民間事業者も法的義務。一方、合理的配慮は民間事業者については努力義務となっていますが、ただし雇用については事業者も法的義務。ここらへん条例ではどうやっていくのかというのもひとつのポイントになっていくかもわかりませんね。

で、ガイドラインが9条から11条、国とか地方公共団体、つまり行政職員向けの対応要領というもの、民間事業者向けの対応指針というのを作って、もういま用意しているわけですけども。

差別解消支援措置ということで、「第14条 相談及び紛争の防止等のための体制の整備」いうことで、この障害者差別解消法を作るとき時には色んなハードルとの闘いの中でなんとか成立しました。当時の政府が言うのは、「行政の肥大化は避けないといけない、だから新たな相談機関は作らないんだ」という言い方でしたけども。でも、だから何もしなくていいってわけじゃなくって、相談体制を明確にする。あるいは法律上作らないと言っているだけで、自治体それぞれ作るのは当然それは進めていっていいことなわけですね。相談や紛争のための体制整備っていうのは、やっぱり差別解消法の足らざるものの一つで、これをどうやって地域で補っていくのか、っていうときのポイントになっています。

「15条 啓発活動」、「16条 情報収集」、そして「17条 差別解消支援地域協議会」っていろんな関係者が集まって、紛争解決をしていくための後押しをしていこうというそういうネットワークを作ろうといったことが書かれたりしています。

 

■「建設的対話」と「代替措置」

基本方針というのが先ほども言いました通り、去年の2月に閣議決定になりました。「差別解消法の基本方針の概要」です。全部で5章立てになっていますが、今日は時間の関係もありますので、合理的配慮の考え方について少し押さえておきたい。「本法における合理的配慮は、権利条約における合理的配慮の定義を踏まえ、行政機関等及び事業者が、その事務・事業を行うに当たり、(ここからですね)個々の場面において、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において・・・・」まぁ、負担が過重でないものはちゃんと必要かつ合理的な取り組みとやってくださいよ、ということが書かれています。さて、ここの「意思表明」ということをどう考えるか、重要です。でも、「権利条約の定義を踏まえて」と言っていってるけども、権利条約には意思表明云々というのは書かれていなかった。2つ目のキーワード、「建設的対話」。合理的配慮の考え方で、「代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるものである」。法律の文章ってやっぱり長ったらしいですよね。何かというと、建設的対話とは、話し合いをして、必要かつ合理的範囲で柔軟に落とし所を探して、障害者も障害がない人同じように活動することができるような変更や調整をちゃんとしてください、社会的障壁を除去してくださいよ、ということなんですね。

去年、私が体験した例なんですが。私はあちこちで講演とかよくしてるので、あちこち泊まり歩くんですね。最近だと、大手のビジネスホテルがバリアフリールームもできたりして、そこのあるチェーン店なんかではシャワーチェアーも貸してくれると、インターネットで表示されたりしています。そういうのまだまだ珍しくて。私にとってみれば、実は子どものときに医療の実験台みたいな生活を送らされてきて、手術をして膝が曲がらないんですね。なので、湯船に入ろうと思うといったん浴槽で腰を落ち着けて、姿勢を安定しないと、エイヤっとドボンっと決死のダイビング状態でお風呂に飛び込むことになるんですね。なのでわたしにとってみれば、部屋に入れるだけじゃなくて、シャワーチェアーというのがお風呂に入るときには必須なんですが、なかなか大きな大手のホテルでも、シャワーチェアーまで持ってるとこ少ないんですよ。で、あるところで「シャワーチェアーをお持ちですか?」「いやぁうちにはそういうの無くて・・・」。でも寒い日だったんで、シャワーで済ますの寒いな、お風呂入りたいな・・・。だいたいそういう交渉ごとに慣れてるんで、「あ、じゃあ水に濡れてもいいようなパイプ椅子お持ちじゃないですか」。だいたいどこでもスタッフ用の椅子は持ってるんですよ。「あーそれはありますけど、お客さんに貸し出しするようなものでなく、古いものですから」「いやいや古い方が濡れてもいいからいいんです。無い方がぼくにとって困るから」「お客様の備品リストにはなくてね…」とかいって、「じゃちょっとお待ちください」って、10分してもう一回電話かかってきて、たぶん上司に相談したんでしょうね、「今から持っていきますんで・・・」。

 

■正当化理由?? 過重な負担??

もちろん、最初からシャワーチェアー用意してもらう方がよりいいですよ。でもその時、夜の10時。「今からどこかでシャワーチェアー探してきてくれ!」って言ってもたぶん見つからないし、そういっても過重な負担になるだけ。過重な負担っていうか実際に解決しようがないですよ。でもこうやって話をするとね、なんやパイプ椅子貸すだけでいいのかと思われるかどうかわかりませんが、かたや客の備品リストにないものは一切貸せません、そういうふうなマニュアルがガーンとあるとしたら、目の前にパイプ椅子あっても「いや貸せません」となる可能性だってあるわけですよ。そういったことをちゃんと調整してください。「過重な負担だから何もしなくていい」ってわけじゃないんですよ。そうじゃなくって、過重な負担じゃない範囲でやるべきことはちゃんとやってくださいっていうのが合理的配慮の考え方。過重な負担を超えない範囲でやるべきことをやろう、というところがポイントだろうと思います。

こういった考え方含めて、全分野で対応要領や対応指針を作ってきました。日本の省庁っていうのは多いですね。38省庁もありました。特に宮内庁とか、何かなーと思ったら、皇居とか京都御所、そこにみんな観光とかで行ったときに駐車場どこに作るかとかね、スロープを渡すとか。宮内庁まで対応要領作ったのは、わたしにとっては感心したところでね。20事業分野で対応指針という民間事業者向けのものを作ったりしました。政府全体で基本方針を決めたっていうのは大きいことなんだなって思いました。まぁ悪く言えばコピペというか、基本方針の考え方をそのまま踏襲をしてるともいえるんですが、一方で政府全体で決めたものだから、各省庁勝手なことを書けないというのもあるんですよね。具体事例で、各省庁の特色が出ています。ここらへんは時間の関係もあって紹介を省きますけど、35ページくらいに各省庁が事例紹介しています。

ちょっとぜひ押さえといてほしいのが、内閣府だけでなくいろんな各省庁でパブリックコメントを受けて付け、加えたのがこういった文章です。正当化理由とか過度な負担、これをどういうふうに考えるか。「あー、とにかく人手が足らない、今忙しいから障害者の受け入れなんて無理無理!」・・・そんな一般論ではだめですよ。正当な理由に相当するか否か、具体的な検討をせずに正当な理由を拡大解釈するというのはだめですよ。あるいは、具体的な検討をせずに過重な負担を拡大解釈するなどして損なわないでくださいね。先ほど言いましたね、要は出来ることは何か真剣に考えてくれって話。こういったものが作られてきました。

 

■法律と条例は「車の両輪」

各自治体、兵庫県においても、あるいは各市においても、対応要領を作っておられると思います。加えて自治体で取り組まれているものが「条例」です。2014年3月の時点で、11~12自治体くらいでした。千葉県から始まって、あちこち広まりまして、国立市とか徳島県、去年の12月段階で17くらい。この3月の議会で成立した条例がけっこう多くて、2月3月に山形県、大阪府、大分県、宮崎県、栃木県とか、市で言うと仙台市や名張市。そして兵庫県では明石市。

数えるのが大変なくらい、この2月3月でたくさんできたという状況です。加えて3年後見直しの間に、条例が出来たり、あるいはさらに条例の見直しをされるところも出てくるということです。

いろんなところの条例の特徴を見ますと、差別の定義であったり、障害のある女性の複合的差別、これ京都なんかもそうですが、そういった上乗せ横出しみたいなことをされたり。あと紛争解決のための斡旋や、助言のための機関とかね、調整委員会みたいなものを条例で根拠付けておられるような自治体もあったりする。実は「法律と条例は車の両輪」だっていうのが私の持論なんです。条例が差別解消法を上回るほど、それをはるかに超えるような横出しをするそういう条例が出来れば出来るほど、差別解消法の足らざる部分がクリアーになる。3年後見直しにも大きな影響を与えるんじゃないかと思います。尾上なりに注目した点っていうのが、いくつかあげておきます。

障害者の定義。先ほどもいった通り基本法の社会モデルを踏襲しているのが今の流れですが、難病など「制度の谷間にある障害者」を各自治体がどう表していくか。二つ目が差別の定義と各分野規定。例えば「生活のおける差別」、「教育における差別」とは何か。そういったもの、千葉とか埼玉とかいろんなところで作られたりしています。あと、紛争解決の仕組み。相談や助言、斡旋、調整や調停委員会。実効性の確保ということで、勧告や公表。あと訴訟支援、これ千葉県なんかもそうですね。「訴訟支援+合理的配慮の公的支援」というのをやられるところもあったりします。差別解消法と条例が相互に補う関係で言えば、1つが障害者の定義、2つ目が差別の定義、3つ目が紛争解決の仕組み、4つ目が実効性の確保。

最初に、20年越しの運動で勝ち取りましたという話をしました。それで現在、差別解消法を昨日から施行して、そんなん当たり前やんかと思われるかもわかりません。実は2003年の1月時点で、差別解消法、あの当時差別禁止法と言ってましたが、もう差別禁止法の目は無いかなと、8割9割思った時期がありました。そこから必死で正直巻き返して、なんとか勝ち取ったのがいまの障害者差別解消法の姿であります。従って、決して満点とかこれでパーフェクトなんてこれっぽっちも思ってないわけですね。むしろ、差別禁止部会に比べて、差別の定義の部分であったりとか、各則の規定であったり、事業者への合理的配慮が努力義務止まりであったり、紛争解決の仕組みがない、こういった部分がやっぱり宿題としてあるわけですね。しっかり3年後見直しの中でやらせていきたいと思っております。

 

■「福祉のまちづくり条例」からバリアフリー法という前例

そういった点を踏まえて、条例での上乗せ横出しの広がりがね、差別解消法の見直しへのインパクトになっていくんじゃないか。実は、障害者分野で先例があるんです。2000年に交通バリアフリー法が出来ました。実は1991年くらいに「幻のバリアフリー法案」ってあったんですよ。石橋さんと一緒に運輸省交渉とかよく行ってた頃の事ですが・・・その当時おもろい課長補佐がおってね、アメリカから留学帰りの。ちょうどアメリカでADA法が出来て「日本にはそんな法律ないじゃないか!」ってワァーって責めたら、「いや私もそういう法律必要だと思いますよ」って。売られた喧嘩で言ってしまったのかなと思って、後で聞いてみたら、「私も、実はアメリカの大学院で学んでいたら、すごい障害のある学生がたくさんいた。合理的配慮ってことも知ってる。日本でなぜそういう法律がないんだって思ってた。だから皆さんのいうことよく分かる」・・・そういう人がいたんですね。それで、その人間が、「鉄道駅舎エレベーター設置法案」という法案要綱って作ったんです。法律を作るのは大変で、法制局っていうところの審査通らないと出せないんですね。その当時、法案要綱まで作ったのに、法制局から、「これは法律事項ではありません」。法律事項ではありませんっていうのはあっちの世界では「死刑宣告」だって言われてるんです。「何を考えてこんないらない法律案をつくっとるんだ」という意味なんですって。

それで、1991年に幻の法案が流れてしまって、僕らどうしたか。大阪や兵庫で、全国初の街づくり条例を作って全国に広げていって、やっと2000年にバリアフリー法が出来たんですよ。その条例づくりがなかったら、バリアフリー法は2000年に絶対出来てないですよ。そういうふうにしてわれわれはこの世の中を変えてきたんじゃないですか。同じように差別解消法の足らざる部分、3年後見直しをしっかりさせていくためにも、地域での取り組みをさらにもっと進めていきたいな、と思います。

 

■最後に・・・関西から発信していこう

差別解消法は社会全体での取り組みということで重要です。狭い意味での福祉に限らない社会全体の人権問題として取り組んでいこう。合理的配慮という時のキーワード、意思表明や建設的対話というのは差別解消法では書かれています。意思表明というのはどう考えるかというのは、あとの宿題として、いずれにせよ障害者自身が自分たちの権利主張をもっと言いやすくできるようにしていくっていうのはすごく大事なことですね。エンパワーメント、権利教育っていうのがますます重要かなぁと思ったりします。大阪では、身体障害と知的障害で医療的ケアが必要な女性、彼女が地域の学校に行って、いま地域で暮らしている、そんな人がいます。そんな彼女の実践、まさにこういったような、子どもの時から一緒に学ぶ、その中でお互いがエンパワーメントされていくことが大事かなと思います。そのためにも啓発活動、そして紛争解決の仕組みが重要です。地域協議会なんかもぜひ活用してもらえればな、と思います。また合理的配慮ための環境整備としてのバリアフリー施策とか、情報アクセシビリティっていったようなこれらの点についても、色んな対行政交渉で要望する施策にも密接に関係してきますが、「環境整備」って言葉をちょっと覚えておいてください。一番最初に言いましたが、差別解消法や権利条約が目指すのはインクルーシブな社会、これはいろんな違いや多様性を認め合う、みんな違ってみんな一緒、という社会だと思うんですね。そういう社会こそ本当の意味で、しなやかで力強いっていうか。ぼく大阪の人間なんで、いろんな人がごちゃっといてる方がおもろいやないか、と。おもろい社会。「おもろい」と言うと、他では「けったいな」と思われがちなんですが、関西で「おもろい」というともっと豊かな価値がありますよね。つまり障害者差別解消法っていうのは、本当の意味でいろんな人がいてる、いろんな人の価値を認め合える。本当の意味での「おもろい社会」になっていくのかなって思ったりします。そういう、良い社会を作っていくには、大阪とか兵庫とか、この関西での条例作りがぜひ次は全国の障害者差別解消法を大きく変えていくそういった取り組みにつながっていくことを期待してわたしの話しに代えさせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)

 

 

【補足:質疑応答に対する尾上さんの話】

 

※会場フロアーから、「精神障害の実験台にされてきた差別の歴史」「遊園地などで言われる『安全性』」「エレベーターはあるけれど遠回りしないといけない」・・・等の質問が出されました。

 

 

医療の実験台であったり、これまでの歴史の中で障害者が体験し感じてきたことがあります。そういった事を変えていく闘いの一環として、この差別解消法があるという意義はしっかり押さえておきたいと思います。

■安全性に対して・・・「転ばぬ先の杖」文化を見直そう

正当化事由として過度な負担にあたるかどうかですが、具体的に事業者が検討しているかどうか、そのプロセスが重要だと先ほどもお話ししましたが、障害を理由とした差別として、「おまえは障害者だから、車椅子に乗っているからダメだ」と、そんな事が実際にあります。DPIとしても支援した裁判の中で、精神障害者の手帳を持っていると告げたら、それまで全く問題なく利用できていたインターネットカフェが、「うちは障害者手帳を持っている人の利用は一切お断り」と、理由もなくいきなり拒否され、人権擁護委員とか色んな所に入ってもらって、私たちの権利擁護センターに相談が来て、それでも解決できずに結局裁判になりました。原告勝訴になったんですが、その時点では差別解消法もなかったので、民法上の「公序良俗に反する」と勝訴しましたが、このような障害を理由とした直接的な差別の背景として、「もし何かあったら・・・」「あなたのためを思って・・・」、そんなことが多くあります。

例えば、つい10年少し前までは乗車拒否が当たり前にできる規則がありました。「車椅子をたたんで一般座席に移りなさい。車椅子のまま乗車するのは本人にとっても危険だし、周囲の人にとっても危険だから乗れません」、そんなことが当たり前のようにあった事を思い出して下さい。「もし何かあったら・・・」、とても抽象的ですよね。私が18歳の時に車椅子の仲間と一緒に映画館に行きましたが、入館拒否にあった。理由は連休期間中で混雑していて、「もし何かあったら・・・」と言うんです。しかし例えば、もし隕石が落ちてきたら障害のあるなしに関わらずどうにもなりませんが、一般の人には「もし何かあったら」とは決して言いません、障害者にしか言わない。安全性と言うなら具体的に説明しなければいけないし、その上でどのように調整したのかというプロセスが重要だと思います。

その意味で言うと日本のテーマパーク的な所は、あまりに過剰な、と言うか排除的な性格を持ったマニュアルが多いと思います。例えば、有名な某テーマパークでは、アメリカと日本では同じ障害でも乗れる物が違います。アメリカは基本OKなんです。日本の文化には「転ばぬ先の杖」、障害者の先回りをして、「何かあったら、何かあったら」と何もさせないような文化が社会も障害者も慣れてきたことがあったのではないか。この「転ばぬ先の杖」的な文化を変えようというのが差別解消法の意義だと思います。その観点から様々な慣習やマニュアルを全部見直さないといけないと思います。

■「環境整備」~社会全体をデザインし直そう

もう一点。差別解消法で「環境整備」とされる部分。その都度の対応でなく環境そのものを整備する事。エスカレーターしかなく車椅子では遠回りしないといけないことですが、日本の場合、とにかくエレベーターやスロープがどこかにあれば良いという発想だった。でも問題は他の人と一緒に使えるかどうか、その点、ユニバーサルデザインとか言われるようになりましたが、日本のバリアフリーはまだまだ弱い。「誰でも、どこでも、共に」というバリアフリーの思想、インクルーシブナ社会に向けたバリアフリーの在り方を見直さないといけない。この問題、それが差別解消法上で差別かどうかというよりも、差別が起きないような、合理的配慮を提供しやすくなるような環境整備が必要です。このように色んな事を差別解消法が直接解決できなくても、それをきっかけとして見直し・提言していくような運動を、私たち当事者の側からもしていかなければならないと思います。手前みそですが、私はずっと大阪でバリアフリーの運動をしていましたが、「迂回率」という言い方をしていましたが、「迂回率」をできるだけ減らしていく事を目標にしていました。例えば電車の乗り換えの時、歩ける人が100mなら、車椅子の人は2~300mも迂回しないといけません。それを同じにするべきだと訴えてきましたが、今日、差別解消法が施行されている中で、迂回率やその他色んな課題をもう一度見直していく、社会全体をもう一度デザインし直すのが差別解消法だと思います。このように全体的に押さえつつ、具体的にどのように運動を展開していくのかが課題だと思います。差別解消法ができて終わりでなく、法律のスタートと共に、私たちの運動のスタートでもある事を強調しておきたいと思います。

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