政治

【国の政治動向】 ~安全保障法案から憲法「改正」 ~「1億総活躍社会」と社会保障の削減~

栗山和久(障問連事務局)

■今後の政治状況  ~安全保障法案から憲法「改正」~

DPI日本会議議長の平野みどりさんが、同団体機関誌『われら自身の声』の新年あいさつで、以下のように述べられている。

「・・・さて、2015年は、戦後70年の歴史的な節目の年でした。テレビなどのメディアも、様々な番組を編成し、当時を振り返りました。中でも、私たちは、戦前、戦中、戦後の障害を持つ人たちの過酷な運命に思いを馳せる機会を得ました。当然、戦争が多くの尊い命を奪い、多くの障害を持つ人を作ってしまう暴力装置であることは論を待ちません。身体や心に傷を負い、苦しみや痛みの中で戦後を生きてきた方々を始め、戦前、戦中、十分な支援を受けるどころか、戦争遂行の『お荷物扱い』されてきた人たちの過酷な状況は想像に余りあります。そんな中、昨年9月に安倍政権下で強行採決された安全保障関連法は、あの時代へのまさかの逆戻りにつながりかねない法律です。戦後、積み重ねてきた、『施しの福祉から市民社会で当たり前に生きていくための人権の福祉』への努力の水の泡にならないよう、監視し行動する必要を感じます」。

障問連として何ができるのか、法案撤回を求める声明を公表し、昨年末には「シールズ関西」を招き人権シンポジウムを開催しました。安全保障法案の強行採決に続き、安倍政権は7月参議院議員選挙を視野に入れ、憲法「改正」に踏み出そうとしている。下記『毎日新聞:社説』の、特に最後の言葉を肝に銘じたい。

「・・・首相は参院選に向けて『1億総活躍社会』の実現や『新三本の矢』をアピールするはずだ。選挙前までは経済最優先を訴え、選挙が終わると国論を二分するような政策の力で押し切る。安倍政権の政治手法の特徴である。今年の参院選で同じことが繰り返されてはならない。結果次第で憲法改正という戦後最大のギアチェンジに直結する選挙になるからだ・・・(中略)・・・憲法が国民に特定の価値観を押し付けるものであってはならない。日本の伝統は守られるべきだが、憲法による保護を一番必要としているのは普遍的な人権だ。すなわち最も基本的な国のルールである憲法の改正論議は、国民がいかに暮らしやすい国にするかをベースに組み立てられるだろう。憲法が求めるのは抽象的な事ではない。自由に小説や音楽が楽しめるのも、差別は行けないと多くの人が考えるのも、外国との関係を良くしようとする力が働くのも、憲法が基になっている。憲法の議論ではそんな生活者の実感を大切にしたい。憲法は権力者のものでなく、私たちのものだ。」(1月4日 毎日新聞社説より抜粋引用)。

 

■日本社会全体の貧困化

経済大国とされながら日本は、「子どもの貧困率」(2016年度)が16,3%と過去最悪を更新し、OECD諸国でも低位にあり、有業の母子家庭の貧困率が諸外国でワースト1、無業の母子家庭の貧困率を上回り、「日本は、仕事をすることが貧困率を下げることにならない唯一の国」と評されている。また、高齢者の貧困問題では、全生活保護世帯約162万のうち65歳以上の高齢者世帯は約78万と半数以上を占め増加傾向にある。さらに生活保護受給世帯を除いて、年金等の収入が年155万円程度までの高齢者が約1100万人も存在する。流行語大賞にもノミネートされた「下流老人」は藤田孝典さん(NPO法人「ほっとプラス」)の著書名による。「内閣府の調査を見ると日本人の9割が自分は中流だと答える。しかし、ほとんどの人が近い将来簡単に下流に転落する状況ですよ、ということを社会に訴えたいと思っていた」(『福祉新聞』1月4日号)と動機を述べ、ご自身が運営する困窮者支援団体に相談に来られるのは、「みんな普通に働いていた人たちばかり」という。

貧困問題の根本には、社会のセーフティーネットが破壊され、雇用環境の悪化、不十分な年金制度、そして生活保護制度を利用できるにもかかわらず、様々なハードルが利用を妨げていること、申請を援助または権利として生活保護が受給できる情報を発信するだけでも貧困が緩和される世帯は少なくない。安倍政権を支える自民党議員による、2012年芸能人家族の生活保護受給に端を発したバッシングから、段階的な削減が進められ、生活保護を敵視する世論が根強く存在する事も壁としてある。

また介護保険制度も2015年度からの報酬改定により、全体としてマイナス2.27%、特養ではマイナス約6%と、福祉事業者に大きな打撃を与え、政府は2020年度の基礎的財政収支の黒字化に向け、財務省の強い意向により、次の報酬改定(2018年度)でも介護報酬のさらなる「引き下げ」を既に打ち出しており、また「生活保護」「障害福祉」「子ども子育て支援」についても「見直し」の論点が提示されている。次項にある4月からの「障害者総合支援法」の見直しの方向性の背景もここにある。

 

■社会保障削減と「1億総活躍社会」の欺瞞

現政権が続く限り、今後とも社会保障削減は止まることはない。しかし、その政権が「1億総活躍社会」とのスローガンが掲げている。いかに欺瞞であるのかは明白であろう。介護を要する高齢者が住み慣れた地域を離れ「特別養護老人ホーム」への入所を進める事が「1億総活躍社会」に必要とされている。かつての障害者の施設収容施策と何が違うというのだろうか。そんな「1億総活躍社会」など要らない。誰もが安心できる社会の実現のため、根本的な社会の変革、社会保障の拡充こそ必要ではないのか。

2015年国勢調査の速報値によると、前回調査(2010年)と比べ、福島県の人口は約11万人の減少で、過去最大の減少幅。しかし男女では格差があり、「母子での県外避難者」が多く、女性の減少幅が3%以上男性より上回っている。言うまでもなく、原発放射能漏れ被害による。さらに、現在も「全域で避難指示」が継続している浪江町、双葉町は人口はゼロ。しかし、同じ「全域で避難指示」の飯館村には41人いる。それは「寝たきりなどのために避難せずに特別養護老人ホームに残っている人」(「毎日新聞」12月26日)という。これを「棄民」と言わずに、何と言うのであろう。「活躍」など、どうでもいい。国は「避難」を「指示」したのなら、この41人の高齢者を、他の人と平等に「避難」させるべきであろう。国民の「安全」を使命とする政府として。

この3月11日で、東日本大震災から5年目を迎える。

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