差別問題一般

【特集】 障害者と戦争・3

10月の拡大事務局会議にて、障問連として以下の声明を出すことを確認いたしました。

 

私たちは「安全保障法」に反対し、即時に撤廃を求めます

障害者問題を考える兵庫県連絡会議

9月19日未明、安倍政権は、多くの反対の声を無視し「安全保障法案」を強行採決した。私たち「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」(障問連)は、この暴挙に強く抗議するとともに、速やかに同法の撤廃を強く求めるものである。

私たち障問連は、兵庫県内の障害者団体と民主団体、労働組合等により1981年に結成された。その結成集会で、「私たちは、戦争、貧困、そして人間性を奪ういっさいの抑圧が障害者を排除し、抹殺の道へと追い立てることを身をもって知っている。私たちは、これらを維持し推進するいかなる勢力とも闘い、反戦、平和、反抑圧、反差別の立場を強く訴える」とアピールを発した。

今回の「安全保障法案」は「積極的平和主義」の名の下、極めて曖昧な「存立危機事態」に対して、「自国防衛」を目的として、自衛隊が海外に赴き、「後方」であれ他国との戦争を可能とするものである。それは国会審議でも明らかなように憲法違反であるだけでなく、戦争の下では、必然的に女性、子ども、そして障害のある人たちが最も傷つき生命を奪われる事は明白であり、私たちは決して容認することはできない。

「戦争の合理性は破壊と殺戮」とされる。70年前、「日本は木造家屋が多く密集しており焼夷弾で焼き尽くせば工場等も一挙に壊滅できる」と、米軍は日本全土で無差別空爆を行い、私たちが暮らす兵庫県でも空襲により1万人以上が死亡、2万人以上が負傷、20万戸以上の家屋が損失している。その下で、障害のある人が、どんな思いで、いかに過酷な状況下で傷つき亡くなっていたのだろうか。戦後70年を経てもなお、戦争による障害者の被害の全貌は明らかにされていない。

 

戦争へと向かう国家体制の中で優生思想が強化される。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺はよく知られているが、実はその前に何万人もの障害者が「生きるに値しない命」としてガス室へと送り込まれ、「安楽死」させられたのだ。そしてドイツだけでなく日本においても、「悪質な遺伝性疾患を有する、精神障害者、知的障害者、身体障害者の増加を防ぎ、健全なる者の増加を持って国民素質の向上を図る」と、1940年に国民優生法が制定され、民族の復興のため国に役立つ優秀な人間を育成することが国家使命とされたのだ。そのような優生思想の強化は障害者の生存を脅かすものである。国民優生法は、戦後も優生保護法として継続し、同法が廃止されるまで16000件以上の強制的な不妊手術が行われた。今年6月、その被害者である障害者が日弁連の人権擁護委員に対し初めて人権救済の申立を行った。その元凶となった国民優生法が、安倍総理の祖父である岸信介氏が閣僚時代に成立している。安倍総理は戦後70年を経て、すでに亡くなられた人も含め被害者に謝罪するべきではないのか。

 

障害者にとっての戦後70年は、高度経済成長期においても「重度障害者全員の施設収容政策」が、精神障害者に対しては治安管理対策として劣悪な精神病院への隔離政策が、教育においても分離教育が、それぞれ一貫して推進されてきた。2009年からの「障害者制度改革」により2014年国連障害者権利条約への日本政府の批准へと至り、ようやく地域での共生社会、人権施策が法制度として整備されたのだ。その間、障害者が、その家族や仲間が、必死に時に命をかけて生存権を訴え、共に生きる社会の構築を求め続けてきた、そのような戦後70年であったのではないか。

また私たち障問連として、神戸市の施設に入所する元台湾国籍の重度身体障害者から「国籍の違いにより障害年金がもらえない」という告発を受け、障害年金の国籍条項の撤廃を求め、微力ながら取り組んできた。日本の地で生まれ育ったにも関わらず、国籍要件により障害者が生きて行くために最低限必要な障害年金も支給されない現実を通して、いかにこの国が外国人に冷酷であるのかを、私たちは知った。当事者の多くは、かつて戦前から日本に強制連行あるいは移住してきた韓国・朝鮮人、中国人の子孫である。戦後補償を巡る裁判は幾多にも継続され、今なお多くの課題は解決されていない。

さらに近年、周辺の特定の国に対する嫌悪感情を煽る言動は止むことなく強化され、露骨な差別言動を街頭で繰り広げる「ヘイトスピーチ」も何ら規制されずに放置されている。国連から何度も勧告を受けているにも関わらず、人権侵害を規制する政府から独立した第三者機関の設置も、具体的には「人権侵害救済法」として閣議決定されながら、日本政府は制定しようとはしない。それが日本の戦後70年の歴史と現実ではないのか。

 

憲法違反の疑いが極めて強く、法案の中味をめぐっても答弁が二転三転しているにもかかわらず、「安全保障法案」は強行採決された。なぜ拙速に成立せねばならなかったのか。その背景には安倍総理の強い野望である「戦後レジームからの脱却」を実現するため、戦後70年の節目にどうしても成立させたいという強い意志によるものである。そして「戦後レジーム」から脱却し、「新しい価値観」を持った「誇りうる日本/美しい国日本」作りを安倍総理は目指しているのだ。私たちはそんな価値観や国を求めてはいない。日本社会には当たり前に様々な立場の人が生きている。それぞれに戦後70年の歴史や思いが多様に存在している。70年という長い年月が経過してもなお解決されていない諸課題は現存している。国籍や民族の違い、障害の有無、様々な違いを乗り越え、いかに共生できる社会を構築できるのか、それが私たちの願いである。そして、その前提となるのが、前の大戦への痛苦な反省の上に立った、憲法9条が示す平和主義である。その根幹を揺るがす「安全保障法」に対し、私たちは強く抗議し撤廃を求めるものである。

 

2015年10月9日

 

11月1日付東京新聞朝刊の「特報」記事に、「戦時下障害者切り捨て」と題して、「ナチス20万人を虐殺」、「日本 施設から追い出し」とする詳報が掲載されています。それによると、ナチスドイツのある医師は、民族共同体の利益のために、生きるに値しない障害者たちを喜んで安楽死させたと言ったという記録が残っているそうです。また、日本においても、都立光明学校の子どもたちは、国民学校が次々と疎開するなか、最後まで取り残され、疎開できたのは終戦のわずか3ヶ月前のことだそうです。「ごくつぶし」だとされ、毎回の食事も申し訳なさそうに食べていたそうです。

新聞記事には、「障害者を切り捨て「強い国」を目指した揚げ句、敗北した」ともあります。戦力にもならない人たちを「生きるに値しない」として排除していったのです。このところの社会保障の切り捨ては如実なものとなっています。私たち障問連は「反差別・反戦」の立場から、上記のように、安保関連法の即時の撤廃を求めるものです。(野崎泰伸/障問連事務局)

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