介護保障

【介護保障/近況】 入退院から自立生活へ――神戸での新たな生活が始まる

淡路にいた凪です。昨年1年近く脳性マヒの2次障害で首の手術、リハビリで入院していました。

3月末に退院し神戸の長田区で自立生活を始めました。以前の職場の拓人やBeすけっとの近所です。2次障害で歩行困難となり常時車いすでの生活、利き手である左手の動きも制限され、現在ほぼ24時間介護の生活を送っています。入院時から淡路島に戻ってどういう生活ができるか、福祉の制度の多さや日常的に制限の少ない神戸や大阪での生活をしていくのか悩みました。正直、地域性というものが、どうしようもなく立ちはだかりました。淡路島でこれから生きていけるような基盤は殆どなく離れよう、先行き不安もありましたが、Beすけっとの井奥さんはじめ生活支援研究会の野橋さん、障問連や今までの阪神間の多くの仲間の皆さんのおかげで、現在に至っています。

しかし、介護体制は整ってきたものの、神戸市から支給される時間数は十分ではありません。僕の希望する介護プランでは就寝してもトイレや寝返り、体温調整などで介護が必要、昼間の食事時間帯以外でもトイレや家事、諸々の用事をするためにも細々した介護が必要で、生活介護を除くほぼ24時間で要望しているし、実際の生活もそうしています。しかし、長田区は深夜帯の寝ている時間は介護が必要なのか、家事などでそこまで時間が必要なのか、などと言う具合で時間数がかなり削られています。削られた足りない部分は、自費でとりあえず今までの貯金を切り崩してやっています。現在、月200時間以上足りません。当然自費の負担も限りがあり、どこまで希望する時間数まで縮められるのか、それとこれからの自費の軽減と収入面が自身の課題になってきます。最終的には長くなりそうですが、必要な介護時間数の確保を強く求めていきます。

事業所ヘルパーの調整できない時間帯や自費を減らすためにも、今、少しですが友人などを頼って介護ボランティアで関わってもらっています。今の制度がない一昔前、もっと重い障害をもった自立障害者の諸先輩の方々の必死さが、ほんのほんの少しだけ実感できたような気がします。その苦しみは、まだまだはかりしれないだろうけど。僕は幸い、これまで出会った人たちのおかげで、今の生活ができていると感じています。しかし、事業所ヘルパーだけじゃいけない、もっとボランティアで介護に関わってくれる人見つけらなあかんなあ、井奥さんや野橋さん、以前から関わってくれていた人たちの協力で、介護者募集もお願いしています。

その一つとして、7月2日、被災地NGO恊働センターで、井奥さんと話をする場をいただきました。参加は、震災関連でNGOに関わっている人たちや学生、解放同盟など様々な市民団体の人たちです。このセンターは、阪神・淡路大震災以後、被災地での様々な活動を通しての提言・提案を発信し続けています。その中で、「まけないぞう」といわれる被災者の人たちが作り手となって広げているタオルを作業所商品と組み合わせて販売する取り組みや同世代の反差別の当事者たちと一緒になって人権をテーマとしたイベントや学習の場で関わらせてもらいました。

7月2日は、このセンターがずっと継続的に行っている「寺子屋」という学習の場で「障がい者について学ぼう~気軽にボランティアをしてみよう~」というテーマで話をする機会をいただきました。大きなテーマでしたが、これまでの僕の経験談と介護者を求めていることを話し、井奥さんが僕の内容の導きや彼なりの視点、自立生活についての考え方を話しました。参加者20人ほどでしたが、知っている顔ぶれの人には、改めて自分のことを伝えられたし、新しく出会った人にはボランティアでつきあえるよう連絡先も伺えました。これからもこのようなつながりを大切にし、広げていきたいです。

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