差別禁止条例

【報告】 兵庫県労働局主催:障害者差別を考えるセミナー参加報告

【報告】 兵庫県労働局主催:障害者差別を考えるセミナー参加報告

藤原久美子 (自立生活センター神戸Beすけっと)

 

12月5日、新長田ピフレホールで開催された「障害者差別を考えるセミナー」は、多くの参加者で会場はいっぱいだった。

日本は今年1月に権利条約を批准し、また昨年成立した障害者差別解消法の基本方針が作成されつつある中で、兵庫県の労働局が県民や一般企業の関係者に向けて開催する初めてのセミナーであり、その関心の高さがうかがえた。

 

□地域で生きることの再考~イタリアの実践から学ぶ

講師一人目の野村恭代氏は、「地域であたりまえに暮らすことを再考する「ともに生きる」まちづくりのために」と題し、イタリアのトレントという都市の取り組みを例に話をされた。イタリアは精神病院を無くす先進的な取り組みをしていることは有名だが、このトレントも一般の病院の中に5~6床程度の精神科のベッドがあるだけで、それもほとんど空いている状態とのことだった。

この街でも障害者が地域で住もうとすると、摩擦が起きることがある。施設コンフリクトとは次のように定義されている。

(1)施設とその周辺住民との間で発生し

(2)施設とその周辺住民との目標に相違があり

(3)それが表出していることにより

(4)当事者がその状態を知覚している状態である

(出所:『精神障害者施設におけるコンフリクトマネジメントの手法、地域住民との合意形成に向けて』明石書店2013年)とされている。

この施設コンフリクトが起きた時、日本的な考え方では事業者や行政から住民に理解を求めるように説得するのが一般的である。しかし、トレントではこういった場合に、ウッヘ(UFE)とよばれる専門家が話し合いに入る。そして住民側の代表は自治会の代表とか民生委員といったそれまでかかわってきた人でなく、その時かかわれる、またはかかわるのがいいという人、例えば隣に住んでいて関わりやすいなどといった普通の住民が話し合いに臨む。

UFE「専門家である当事者及び家族」(以下ユーエフイー(エキスパートユーザーズアンドファミリーメンバーズ)が正式な専門家になるには、当事者であるというだけではなれない。経験を伴う知識を持っていてそれを活用できる、他者とのコミュニケーションを取ろうとする、そして自分の調子が悪いときにその対処法を身に付けているといった条件がある。行政機関等で働いていることで、同じ立場のロールモデルとなり、当事者に希望を持たせることができ、市民への啓発にもなるという。

地域住民の反対理由は、当初は説明がなかったという手続きに問題があるように言われるが、段々と「地価が下がる、危険がある」といった本音がでてくる。本音で話してこそ合意形成ができる。だからコンフリクトというのはマイナスではないと捉える。日本ではコンフリクトは避けるべきという意識があるが、信頼のない安心はなく、合意形成では絶対的な安心というのが得られる。そして大概は無知や偏見からくるものであることがわかる。支援する側される側が固定されるのではなく、例え障害者でなくてもトラブルは起きるので、その時調子の悪い人のために毎朝30分くらい話し合いをして、他者のプライドを傷つけない支援を行うとのことだった。

最後に早川和男氏『居住福祉』の紹介があり、衣食の基礎である住まいが人間の尊厳を守る社会の基盤であるとしてその重要性を語られた。人はただそこにいるという場があるだけでなく、その人らしく生きていける居住の場が必要で、専門家は自分たちが居なくても解決していけるような支援をしていくことが必要とのことだった。

 

□発達障害者の課題

2人目の講師は、広野ゆい氏。「働く障害者への合理的配慮について考える発達障害当事者からのメッセージ」と題し、まず発達障害についての説明があった。

それだけ発達障害が見た目にわかりづらく、また周囲に理解されにくい障害であるということである。すでに頑張っていてストレスがたまっている状態なので、2次障害として適応障害など精神的疾患を伴うこともある。広野さん自身も「うつ」で病院に通って薬を飲むことで「うつ」の症状が楽になったが、例えば整理整頓できないといった特性は変わらず、それが発達障害であることが、後にわかったという。

これまでも自分にそういった特性がったということは何も変わらないが、2005年に発達障害者支援法というのができて、『発達障害者』となった。

自分が認知することで対処ができ、周りに知ってもらうことで必要以上に自己を否定することもない。

仕事上での合理的配慮は、その人の能力を発揮できる支援であり、決して「何度言ったらわかるんだ」と怒鳴るのでなく、一緒に話せる環境をつくることが大事とのことだった。

そして職場では難しくても、地域の中で同じ生きづらさを感じている仲間とセルフヘルプグループに関わると情報交換できる他に、そこにはモデルがたくさんいて、自分が周りからどう見られているかもよくわかって自己認知できるという。

 

□合理的配慮の意味

以上の2人の話から感じたことは、やはりお互いをよく知ることからだと思う。そもそも分離教育の中にあって、いきなり職場で共に働けと言われても戸惑うのは当然のことである。そして合理的配慮は、お互いを知ることで自然にでてくるものであるとも思う。

私の娘は現在9歳なので、9年間視覚障害のある母親と暮らしていることになるが、彼女がまだ幼くて言葉でうまく伝えられなかった時は、ジェスチャーで伝えようとしていた。でも私にそれが伝わらないことがわかると、手を撮って私の手で形を創ったり、手のひらに文字を書いたりと、その時その時の彼女の持てる知恵をもって、私に伝えようとしてくる。いつの間にか覚えていったことで、特別私が教えたことではない。こちらが合理的配慮を求めなくても、彼女の『伝えたい』という思いが、知恵を生み出す。それが証拠に、別に伝えたいと思っていない時、一切そのような便宜は図ってはくれない。しかし本来合理的配慮というのは、このように相手に伝えたい、一緒にお店に入りたい、一緒に旅行したい、といった気持から自然にでてくることなのだと思う。だから入店拒否をするな、というのではなく、障害のある人も一人の客として大切にする気持ちがあるなら、段差にはスロープを、なければ抱えてでも店に入ってもらいたいという気持ちからでてくるものであってほしいと思う。職場であればなおさらである。毎日毎日当事者がずっと合理的配慮を求めるというのは、結構しんどいことである。障害者差別解消法の基本方針素案に、「明らかに合理的配慮が必要とわかる場合は、当事者からの要望がなくても合理的配慮をする」といった文言が入ったが、特に就労の場においては重要だと考えるので、ぜひ本案にも書き込まれるようにしてほしいと思う。

そして一番怖いのは、こんなにしないといけないなら障害者とは関わりたくないと思われることである。内閣府の政策委員会での事業者からのヒヤリングでは、多くの事業者から「今やれることはすでにやっている。まだ充分でないかもしれないがお金も人手もない。」といった後ろ向きな発言をしていた。しかし合理的配慮は何も障害者に限ったことでなく、2階建以上の建物に必ず(費用もスペースもかかる)階段が作られるように、ごく当たり前になされるべきものだと認知されることが必要であると感じる。特に日本人は就労の場で権利を主張することは苦手だが、すべての人が自分にとっての合理的配慮を求めるようになることが、現在の労働環境そのものも変えていけるものになると思う。それによって育児や介護をしながらの就労にも理解ある職場となっていくのだと考える。

障害者が就労の場に合わせるのではなく、就労の場を変えていけること。それが障害者が就労することの意味になるのではないかと思う。

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