加盟団体

【加盟団体(事業所)紹介】 これからも「共に生きる社会」にこだわって

第4回  NPO法人 ぶったぁ福祉会(淡路島)

中谷勇一

1972年、当時の住民運動や社会運動に少し関わりはありましたが、20歳の時に仲間たちと、社会的にもっと抑圧されている人たちがいるのではないかと相談し、淡路島内にある五色学園(現在の五色精光園児童寮)という知的障害児童の人たちの施設を訪ね、毎月訪問しました。「なぜ彼らはここにいなければならないのか、家族と一緒に暮らせないのか、地域の学校に行けないのか・・」、様々に疑問に感じ、そのような現実を「ガリバン新聞」として発行し地域に配布しました。滋賀県のびわこ学園や近江学園も訪ね障害者福祉を考え始めたことが、現在に至る私の原点にあったのです。

 

それから7年後の1979年、淡路町に住む障害のある人と家族、仲間たちが、「共に生き共に学ぶ」町になってほしいとの願いから「障害者の教育と生活を町で進める会」という小さな会を作りました。

 

養護学校が義務化される中、みんなで知恵を出し合い、励まし合いながら就学運動を行い、地元の保育所、幼稚園、小・中学校に入学していきました。障害のある子どもたちは、保母さんや先生に助けてもらいながら、クラスの一員として学校生活を送ることができました。

 

学校卒業後も、地域で生きるための場として淡路島の最初の認可作業所として「共同作業所ぶったぁ」を立ち上げ、養鶏を始めました。作業所は設立当初は公的支援もなく苦しい状況が続き、ようやく県から助成金が下りましたが、職員2名で230万円と運営も厳しい状況でした。しかし、職員も数名だったが、できるだけ作業所に閉じこもらず外に出ることにこだわりをもってやってきました。生き物を飼うことの難しさに悪戦苦闘しながら、卵を各家庭や学校に配達することで、沢山の人たちとつながることができました。

 

時代の変化と共に福祉の世界も変わってきました。障害者自立支援法ができ、法内事業をするために、「NPO法人ぶったぁ福祉会」を立ち上げました。そして「障害者の教育と生活を町で進める会」は次の段階へ進むために解消しました。

 

今では26人のメンバーと25人の職員が集まる「ぶったぁ」になりました。2008年からグループホーム「ここから」が始まり、2009年から作業所は、就労継続支援B型と生活介護を運営する「障害者支援センター・ぶったぁ」へと移行し、さらに2011年からもう一ヶ所のグループホーム「歩歩」がスタート、そして2014年には聖隷淡路病院西側のテナントに「食堂・ひとやすみ」がオープンしました。

 

作業所を作るために山に入り、荒れた畑地を切り開きながら鶏舎を立てていた頃には想像もしませんでした。グループホームを作り、障害のある人の生活を丸ごと受け入れることになるとも考えていませんでした。

 

現在、事業にも追われる日々ですが、冒頭に紹介した五色精光園児童寮は今もあり、幼い知的障害児童が親元を離れ施設での生活を余儀なくされています。正直悔しい思いです。また、私たちのグループホームには淡路島内の様々な地域から来られています。ホーム利用者のガイドヘルプの利用は淡路市の人は利用できるのに南あわじ市の人は利用できません。淡路島内にはヘルパー派遣事業所も少なく地域で生活するための支援がとても不十分です。これからも「共に生きる社会」にこだわって活動していきたいと思います。

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