優生思想

【声明】 先端医療技術及び生命倫理に対する見解

先端医療技術及び生命倫理に対する見解

日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会

会長 福永年久

私たち青い芝の会は、1957年結成以来、60年近く障害者差別と闘ってきました。

その中でも、1971年神奈川県で起きた母親によって障害児が殺された事に対する減刑嘆願運動に対する問題提起として告発しました。また国では、1940年成立した国民優生法が1948年に優生保護法、そして1996年の母体保護法として現在も続いているが、障害者を排除抹殺する価値観が残っている。

現在の社会を見るならば、私たち障害者を「社会的弱者」と決めつけ、抹殺しようとするこの動きは、「人間の定義」を健全者に置き、社会的に価値のある人間、つまりは「社会的労働力のある者」が生きていく価値のある人間で、それ以外の者は「人間」ではない、「無駄な命」なのだと言わんばかりのものであると受け止めています。またこれは、国の財政難を理由に医療費等の財出削減をもくろんでいるようにも思われます。これは福祉や医療に予算を割かずに済む方法として「役立たずの状態になった者には死を」という政策方針であると言えます。更には重症の患者を「死体」と判断して殺していく「脳死・臓器移植法」の拡大の動きも加速しています。

そもそも人間の生のあり方を尊厳のある状態と尊厳の無い状態に分けて考えること自体が障害者差別につながるものであります。人に死を選択させ、死を強要させるような社会は、命の選別を合法的に行う社会であり、断じて許されるものではありません。

このように人間の命の価値を社会的な一定の能力で決定する優生思想が蔓延する健全者社会は、ますます強化されようとしています。それを更に露骨に現すものとして出てきたのが、尊厳死法制化の動きや出生前診断、着床前診断、遺伝子診断です。私たちはこのような優生思想を肯定しながら日々「進化」を続けている医療技術に対しても危うさを禁じ得ません。

私たちは、このような考えから以下に述べることを見解とします。

どのような状態で生きる者であろうとも人間としての命の平等性を認め、何よりもまず第一に命を守る社会を作っていかなければならないし、障害者をはじめ、誰もが排除されることなく安心して生を全うできる社会を目指していくべきです。

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