代表よりあいさつ
福永 年久 (ふくなが としひさ)
1952年7月15日生まれ
蟹座
血液型 A型
徳島県出身
生まれて7ヶ月目に発熱、その結果、脳の神経が麻痺、脳性麻痺と分かり、4歳半まで徳島市で生活しました。
その後、神戸に引っ越し、7歳の就学時を迎え、普通学校に行ったが、校長からこんな子供が来る学校ではないと言われ、養護学校を紹介され、行ったが300人中50人しか入学することができませんと言われ養護学校にすらも入学する事が出来ませんでした。
就学憂慮免除になり、教育を受ける権利を奪われ、家で勉強することになりました。19歳の時まで勉強をしていましたが、母親に障害者グループに入れと言われ、自分の就学闘争をやることになり、夜間中学に入る戦いを2年間行い、やっ と入学することになりました。しかし、現在の教育の在り方に疑問を持ち、日本脳性マヒ者協会・青い芝の会に入りました。結局、夜間中学は3ヶ月でやめ、本格的に障害者運動に入っていきました。
1981年国際障害者年には厚生省の国際障害者年の委員になり、ガイドヘルパー制度をメイン事業に提案し、採用されました。
青い芝の全国委員を務めてきましたが、兵庫県には障害者の地域拠点がなく、親子心中、すなわち障害者殺しが頻繁に起こっていました。そこで、特に1986年には姫路市でひびき作業所を作り、地域拠点としました。
1988年には西宮で阪神障害者解放センターを作り、特に教育問題を中心に取り組んできました。
1990年には神戸の東灘区で六甲デイケアセンターを設立しました。
1992年には、障害者自立生活センター神戸Beすけっとを発足、介護派遣事業を行なっています。
1995年1月17日、阪神淡路大震災があり、西宮と神戸で被災地障害者センターを立ち上げ、障害者・老人の救援活動を行なって参りました。
避難場所の救援活動状況を調べ、老人の入浴や、障害者の入浴、壊れた家の片付け、作業所の復興を進めましたが、残念ながら阪神障害者解放センターの一人が家の下敷きになり、亡くなりました。私自身、復興活動を展開する中で全国各地で講演を行い、救援活動のお金を作るなどしましたが、残念ながら過労で倒れ、脳梗塞になり、寝たきりの生活を3年間送りました。
1999年には神戸の被災地障害者センターがNPO法人を取り、ヘルパー派遣を行なっております。2002年12月には阪神障害者解放センターもNPO法人となり、「障害者生活支援センター遊び雲」という事業所名でヘルパー派遣を行なっております。
障害者問題を考える兵庫県連絡会議は、兵庫県に住む障害者のみなさんの声を聴きたいと思います。障害者として生きていく中で様々な壁にぶつかるでしょう。一人でなんとかしようとするのもいいですが、障害者にも仲間が大勢います。ご相談くだされば仲間が励まし、知恵を出し合い、いっしょに闘います。みなさまの心の声を言葉にして聴かせてください。
障害者問題を考える兵庫県連絡会議 代表
阪神障害者解放センター 代表
NPO法人障害者生活支援センター遊び雲 代表
NPO法人拓人こうべ 代表
NPO法人ゆめ風基金 理事
NPO法人 共に生きるネットワーク まなびや 理事
兵庫いきいきコープ 理事