【女性障害者】 複合差別の実態とは
【女性障害者】 複合差別の実態とは
この社会において、マイノリティ属性を複数持ち合わせている方がいます。今回はそのなかでも、女性障害者に焦点を当ててみたいと思います。以下の原稿にもあるように、女性障害者は、女性としての生きづらさ、障害者としての生きづらさとが、単純な足し算ではなく、二重三重の生きづらさとなって現われます。女性障害者が女性として扱われないという問題は、本人の性自認や性指向を無視するという点においても、非常に問題です。女性障害者の問題は、現在の社会における性差別の問題をある面において実に映し出しているとさえ言えそうです。また、ジェンダーという構造が、障害者の性を不可視化させているとも言えそうです。
JR西日本において契約社員をされていた脳性マヒ者である森崎里美さんは、職場でセクハラを受け、裁判に提訴しましたが、敗訴してしまいました。下記原稿をいただいた藤原さんたちが中心になって開催する「女性障害者のためのピアカウンセリング」に、森崎さんも来られ話されます。残念ながら募集は締め切られましたが、藤原さんたちの取り組みも合わせてご紹介します。
女性障害者問題とは NPO法人自立生活センター神戸Beすけっと 藤原 久美子
「女性」であり「障害者」であるという事、それは女性の生きにくさと障害者の生きにくさを併せもつことを意味します。それも単純に「1+1」ではなく掛け算のように2重3重の生きにくさとなるのです。例えば障害のない女性の場合、女性団体等が運営するDVシェルターに入れますが、障害のある女性は身体障害者施設に入ることになっています。誰でも自由に出入りできる施設では、安全性は担保されません。本来なら女性のための法律と障害者のための法律の両方から権利性を認められるべきですが、女性の法律には障害者が、障害者の法律には女性という視点が、ほとんど抜け落ちているというのが実情です。
その理由の一つに、国や地方自治体が行う調査では、性別の記載項目があっても、その他の項目との性別クロス集計がほとんど行われていないことが挙げられます。このアンケートに男性が○人、女性が○人答えたという集計だけにとどまっています。これでは実態が明らかにされません。まずは国が実態を可視化することが求められます。
2012年にDPI女性障害者ネットワークがまとめた『複合差別実態調査報告書』では、性的被害を受けた女性が35%もいたことがわかりました。
「自分が黙ってさえいれば、周りは困らない、自分さえ我慢すればいいのだ」と誰にも言えずにいた重いが綴られていました。自分を介護する人がいない、収入がないといった理由で、被害を受けていても家をでられないのです。障害女性の平均年収は92万円という調査結果もあります。個人の問題だと思ってあきらめていることが表面化を阻み、実態をさらに見えにくくしているのです。表面化しないことが、まず問題なのです。
今年1月に日本が批准した障害者権利条約の第6条には「障害のある女性および少女」についての独立した項があり、複合差別に留意すべきことが書かれてあります。しかし、権利条約に批准したからといって、実際に実行力のあるのは国内法であり、改正された障害者基本法には「性別」「性差」という言葉が3か所入っただけです。これではなぜ不十分かと言うと、この言葉だけでは例えば男性には就労支援を、女性には家事支援を、といったこれまでの性別役割に基づく解釈がされやすく、さらに性差を広げてしまうことになりかねないからです。
人はそれぞれ様々な立場を複合的に生きているので、複合差別は女性障害者に限ったことでないのですが、なぜ特別な配慮が必要かというと、性別役割分担においては男性にはリーダーシップや決断力というのが求められ、経験する機会が多くある中で自然に身に着けていくことができます。しかし、女性が同じことをしても「でしゃばり」「偉そうに」といった評価を受けやすく、男性より一歩下がって選ばれるのを待つということのほうが高く評価されがちです。今でも、夫を支える控えめな妻は良妻とされています。
このような状況では様々な団体での意思決定機関がほとんど男性になりますし、そうなると女性の意見を取り入れにくくなります。裁判所や国の決定機関などに女性がほとんどいないことは、女性の視点が入らないということです。
内閣府の障害者政策推進会議では当事者が入って議論がなされましたが、障害のある女性当事者はたった1名だけでした。
森崎さんのセクハラ裁判で、1審敗訴となった理由の一つに「抵抗しなかった」というのがありますが、彼女の身体状況を見て、しかも相手は手にカミソリを持っている状況で、どうしてそんなことが言えるでしょうか?以前15歳の少女が「大声をださなかった」という理由で合意とされた判例があるそうですが、例え障害がなくても、本当に恐怖を感じている時、果たして声をあげたり、明らかに体力がある凶器をもった男性に対して抵抗できるかどうか、女性なら答えは明白ではないでしょうか?
さらに彼女の場合、まさに障害女性ならではの行動をとるのですが、それが不利に働きます。森崎さんが性暴力を受けた後も、メールを交わしたり関係を続けたということです。でも彼女の背景を考えると、その行動も容易に想像できるものなのです。当時彼女は2人の子供をもつシングルマザーで、職場では健常男性の中にたった一人の障害女性であり、契約社員という立場でした。「職場にいられなくなったら困る」ということ、そして幼い頃から「可愛がられる障害者でいろ」「人一倍がんばれ」と言われてきたのです。嫌でも迎合メールをし、強要されれば断れなかったという、立場の弱い女性だからこその背景があるのですが、結局性暴力は初回のみあったと認められ、その後は合意とされてしまいました。このことは同じ障害女性として、とても悔しく思っています。
以上のように障害女性ならではの生きにくさというのはありますが、実は女性障害者の問題に取り組むことは、女性すべてに共通することであり、また男性すべての問題でもあるのです。意思決定機関に女性が参画するためには、数を増やすことは合理的配慮ですが、それだけでなく、同時に女性が関わりやすくなるように、例えば長時間労働のあり方を考える必要があり、それはまた過労死という社会問題をも同時に考えることにもなります。
またこれまで同じ女性であっても、障害があるないによって分け隔てられてきました。日本社会の中で女性に求められるものは、家事・出産・育児・介護といったケア役割であり、障害のある女性はそれらを遂行できないものとして、期待されず排除されてきました。ある先天性の障害女性は「女性、男性、そして障害者性というのがある」、と言います。つまり性の無い存在として扱われてきたことを表しています。
私自身、子供の時から「早く結婚して健康な子供を!」とずっと言われてきたのに、障害をもった途端誰からも言われなくなりました。それは肩荷が下りたと同時に女性として扱われていないのだという寂しさも感じました。
男性であっても期待される男性役割が困難な人や、ケア役割を行っている人の生きづらさがあると思います。幼稚園の送迎に行く父親や親を介護する男性に、非常にストレスが高いこともまた性別役割分業による抑圧です。こういった立場にある男性は、女性より一層孤立しやすいと言えます。本当は『男性』『女性』『障害の有無』にこだわるのではなく、一人一人の状況に応じた適切な支援があることが、目指すべき社会ではないかと思います。
女性障害者のためのピア・カウンセリング(注:申し込み終了企画)
(以下、「草の実通信」http://r-mado.sblo.jp/article/101856950.html より抜粋)
わたしたちは、ふだん「障害者」ってことにスポットをあててしまうけど、「女性」であることにも注目して、話を聴きあいませんか?
また今回はゲストに森崎里美さんをお呼びして、彼女が告発した2つの裁判についてお話を伺います。「女性」であり、「障害者」であることの生きづらさを語っていただきます。
そして彼女も交えて、同じ女性障害者の立場で話してみましょう。
ピア・カウンセリングを知っている人も知らない人も、大丈夫です!
日時 2014年8月24日(日)13:30~8月25日(月)16:30
※全2日間・宿泊を伴います(但しピアカン経験者は部分参加も可能です。ご相談ください。)
場所 しあわせの村 研修館(宿泊は宿泊館)
参加対象 障害や難病をお持ちの女性でピア・カウンセリングに興味のある方
(手帳の有無は問いません)
リーダー 寺田 さち子氏、藤原 久美子
ゲスト講師 森崎 里美氏
参加費 10,000円(宿泊費・行事保険を含みます)
定員 8名程度 ※ 申込者多数の場合こちらで選考させていただきます。
食事 館内にレストランや売店がありますので、そちらで各自おとり下さい
コンビニエンスストアはありません。
申し込み締切 2014年7月18日(金)
※ 手話通訳・文字通訳・点字資料・託児など必要なかたは、できるだけ早くお知らせください。
※ お申し込みのあった方には7月25日(金)頃までに連絡をさせていただきます。
それまでに連絡がない場合はお問い合わせください。
申し込み方法 (締め切り終了のため割愛)
森崎さん関連集会
「閉ざされた扉を開けるまで――8/31JR西日本セクハラ裁判報告集会」
8月31日、14時~16時、尼崎市立小田公民館多目的ホール、資料代実費
8月 1, 2014