資料集

障問連結成30周年企画 東俊裕さん講演集会報告

~2011年12月 障問連結成30周年企画 東俊裕氏講演集会報告~

障問連事務局

昨年になりましたが12/10ラッセホールにて開催した障問連結成30周年記念イベントとして開催した東俊裕さん(内閣府:障害者制度改革推進室長)の講演内容とシンポジウムについて下記に報告します。制度改革の流れ、基本法改正の意義、総合福祉法の骨格提言と今後、差別禁止法など、多岐にわたる内容について講演いただきました。総合福祉法については3月内に閣議決定の予定にも関らず、現在(1月末)にいたっても厚労省は法案内容を何ら明らかにしていません。国会も解散が喧伝され政治状況も不透明な中、制度の今後の動向がどうあれ、東さんのお話しにあった理念や当事者・支援者が今後何をなすべきなのか、を踏まえ地域での取り組みを障問連として活性化していく必要があります。

また、集会には神戸市障害福祉課長から挨拶を頂き、シンポジウムでは佐藤聡さん(NPO法人メインストリーム協会)と東さんとの対談、会場からの様々な意見・質問が続き活発に議論されました。集会には障問連加盟団体以外にも、県下各地から育成会、家族会、頸損連、共作連等、幅広い方々にも参加いただきました。兵庫県での差別禁止条例作りの運動とも連動して、障問連としても幅広いつながりを形成していきたいと思います。

 

12/10講演記録

国の情勢報告~障害者制度改革の現在

今後どうなる総合福祉法・・差別禁止法

東俊裕さん

(内閣府:障害者制度改革推進室長)

 

今日は30周年おめでとうございます。呼んでいただきありがとうございます。今日は、基本法の改正、骨格提言、差別禁止法と多岐にわたりますが、ポイントを絞り話させていただきます。

★権利条約の意義

ご存知のように2006年11月に国連総会で障害者の権利条約が採択されました。国連は人権条約の拡充に努めてきましたが、障害者問題は最後になりました。なぜ一番最後になったかと言うと、障害者の人権が世界各国の一般社会でなかなか認知されなかった事が背景にあります。しかし、障害者の権利条約は改めて人権と言う観点から障害者問題を洗い出し制度政策を生み直していくべきことになりました。それを受けて日本政府として条約にどう批准するかが大きな課題でした。批准というのは簡単に言うと、その条約の仲間に入る事です。例えば、個人と個人が約束すれば守る義務が発生しますが、条約も国と国との約束事ですから、その仲間に入ると、条約に書いてある事を国は実行していく義務が発生します。これは宣言と条約の大きな違いです。世界人権宣言や障害者の権利宣言とか色々ありますが、宣言はみんなで作ったものですが、簡単に言えば「言いっ放し」、法的義務は生じません。しかし条約になると全く異なり、国は即時的な実施あるいは一定期間かけての実施する義務が課せられます。日本政府としてどう批准するか、旧政権時代には障害者基本法の一部改正と言う形で批准できるだろうという話しが進んでいました。しかし、それに対して日本障害フォーラム(JDF)として「その程度の改正では不十分」だと反対の意思を表明していました。そうこうしている間に新しい政権になり、従来のやり方を変えました。政府がどうするかを決める前に、きちんと障害者の意見を踏まえた形でやっていく、障害者の権利条約には、障害者の参画、障害者に関連する色んな制度政策を作る時には、その過程に障害者が必ず参画していく事が大事だと書いています。

★推進会議の発足~第一次意見書

その精神を受けて2009年12月に「障がい者制度改革推進本部」を作り、その下に実際に障害当事者や関係者が入る「推進会議」を作りました。推進会議は2010年1月~多い時には月4回にもなりましたが、一回4時間の会議で委員の人も大変だったと思いましたが、当初どのように進めて行くのかが分からなくても、私から論点整理しました。この論点についてどう考えるのか委員に宿題を出して進めてきました。

皆さんにとっても例えば自立支援法等は密接に関連する法律ですが、それだけではありません。障害者が生活する上で色んな分野と関わっています。その色んな分野にも多くの問題があります。「こういった分野には・・・の課題があるから、○○○の方向で解決していこう」といった議論を推進会議で議論しました。それを取りまとめたのが6月に発表された第一次意見書です。政府としては、その第一次意見書を受けて、「こういった問題は・・・までに○○○の方向で改正していこう」といった改正のスケジュール表ができました。それを見ると大きな柱として、横断的課題では〈①障害者基本法の抜本改正 ②差別禁止法の制定 ③総合福祉法の制定〉。①の基本法の改正は既に8月に改正されました。②総合福祉法は来年の通常国会に提出されます。③差別禁止法は一番最後で、再来年の通常国会に出す。これは閣議で決めたものですから、各省庁はこれを守っていかなければならない。そんな大きな力を持っています。もちろんこの三つだけでなく個別分野として様々他の分野についても意見があり内閣府のスケジュールに記載されています。

★基本法改正への歩み

推進会議としては、第一次意見書(6月)後、基本法改正に向けて議論を進めてきました。12月には第二次意見書をまとめ、「基本法は○○○のように改正すべき」と示しました。基本法は内閣府が所管していますので、内閣府で改正することになりました。内閣府として最初の案を出しましたが、推進会議からは「何だこれは」と怒られました。第二次意見書とは違うと様々に批判され、その後内閣府の政務3役(大臣・副大臣・政務官)にも頑張っていただいて、再度政府原案として出す事になりました。それを決めたのが第三回の推進本部、ちょうど大震災の3月11日の朝だった。私はホッとして内閣府に帰ったら、グラグラと揺れ、エレベーターは止まり壁にひびが入り大変でした。その後1カ月は色んな事でストップしまして、4月に入りようやく国会に提出されました。しかし提出された法案については民主党をメインとした政権の原案ですので、与野党協議していただいて、他の野党と議論して、むしろアップする方向で改正されました。最終的には7月末に国会を通過して8月5日に施行されました。ただ、全面的な施行ではなくて政策委員会という監視機関については、まだ施行されていない。これは国の機関だけでなく都道府県も規定されており条例の改正が必要なので、来年の2月議会が終わった後ぐらいを予定して全面施行される見込みです。

★基本法改正で何が変わったのか?

では基本法がどう変わったのか? 僕も弁護士やっていますが裁判で基本法を使おうとしても、ほとんど裁判所は振り向いてくれない。なぜかと言うと、理念でしかない。理念では具体的な白か黒かの判断する時の根拠にはならない。従来の基本法でも差別禁止といった事は書かれてありました。しかし、それを根拠に裁判して勝てるかと言うと、なかなか勝てない。だから、こんな力のない法律の改正にエネルギーを注いでどうなるのかなぁという思いも個人的にはありましたが、議論する間に、基本法は何と言っても、色んな障害者関係諸法のトップなんです。しかも、そこで示された方向性は、各省庁を縛っていきます。そこから逸脱する事はできない。そういった意味で国民の権利義務に直接影響するという事よりも、行政の施策の大枠を形作るといった意味で、大きな力を持っています。基本法の改正には各省庁との間で色んな協議がありましたけど、全省庁の一定の理解の下に改正していきました。

★医学モデルから社会モデルへ

まず基本法で一番大きな変更点は、権利条約でも大きな問題になりましたが、「障害をどう捉えるのか」。「障害をどう捉えるのか」の考え方の一つが「医学モデル」、一つは「社会モデル」。相対立する二つの考え方ですが、権利条約では医学モデルから社会モデルに変えようと話し合われ、それが目的・前文に考え方として書かれています。基本法ではどうなったかと言うと、旧基本法では第二条に「障害者とは身体障害、知的障害または精神障害があるため、継続的に日常生活または社会生活に相当の制限を受ける者」。これは極めて医学モデル的な考え方です。皆さん、障害とは何と思いますか?ほとんどの国民がイメージとして「良いもの」とは思いません。例えば私も足が動かない手が動かない。他の人と比べて、○○がない、○○ができない、そういう事が障害と言うイメージです。だから社会は可哀そうだから放っときはしない、余力があれば助けてあげましょう、こういった考え方。そう言う点から見ると、旧法の障害の考え方はそのイメージに沿っているわけです。「継続的に日常生活または社会生活に相当の制限を受ける・・・」、その理由は障害があるからだと書いています。例えば私がちゃんと学校を卒業しても就職できなかったり人からバカにされたり異性と付き合う機会が少なかったり、要は一般の人と違う状況にある、そういう社会的不利は何が原因か、その原因は「あなたに障害があるから」と書いている。障害者が負う他の人と異なる不利益や違う取り扱い、そういった根本的な原因は社会にあるのでなく、その個人の障害にあるんだと書いています。これを医学モデルと言う訳です。そういう風な定義をすれば、何をすべきかで第二条「目的」に書かれています。障害者問題は、その障害を持つ個人の問題だから、その個人を助けるという事が基本法の目的、「福祉の増進」とされています。決して社会の有り様を変えるのが基本法の目的ではない訳です。だから、障害をどう捉えるのかによって目的は変わってきます。簡単な話です。障害者が不利益を被るのは、その障害者の機能的・能力障害にあるんだから、それを無くしていきましょう、障害を無くす事はできないけれど、専門家により他の色んな方法で支援して代替的な機能を発揮させて助けてあげて、他の人と同じ能力になれば社会的不利益は消えるという考え方です。そういう社会の支援が「福祉」になります。しかし、果してそうなのかが権利条約で問題になりました。

★障害の定義

確かに障害者は他の人と違う、私なら歩けないという問題はあります。しかし歩けない事が私が不利益を被る原因なのか・・・。階段登りなさいと言われても登れないけれども、そこにスロープやエレベーターがあれば登り社会参加できます。障害者は必ず社会に存在します。日本なら障害者白書では約740万人います。実はもっと多いです。手帳を持っていない発達障害や難病の人はカウントされていませんから。実態としては優に1000万人を越えると言われています。社会には、高齢者・子どもがいるように障害者も必ずいます。必然的に存在する社会の構成員、その人が社会に参加できないような社会の仕組みを作ってきたから、障害者は一般の人と違う生活をせざるを得ないのではないか。こういった考え方を社会モデルと言います。その社会モデルを取り入れないとダメだと、新しい基本法の定義になった。改正基本法では「身体障害・知的障害・精神障害(発達障害を含む)、その他の心身の機能の障害がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活または社会生活に相当な制限を受ける状態にある者」と変わった。変更点は二つ。旧基本法では障害の種類は三つだけ。今度は名前は四つになっただけでなく、その後が大事。「その他の心身の機能障害」。今まで三つしかなかったのが、ここに書いていない人はどうなるのか、制度の谷間を必ず生みます。それが四つになっても五つになっても、書けば書くほど、そこに含まれない人が出てくる結果が生じる。だから改正基本法では、発達障害が増えた事よりも、「その他の心身機能障害」と、名前は付かないけれど何らかの心身機能障害があれば、手帳があろうとなかろうと障害者なんだという事になります。

★社会変革を目指す、改正基本法

二点目は社会モデルとして、「社会的障壁により・・」と書かれている。障害があるだけでなく社会の障害者を排除する色んな障壁があるから不利益を受けるんだと。法文上にきちんと「社会的障壁」という文言が入った事により、基本法の目的も変わります。社会自体の有り様をきちんとしたものにしなければ、社会的障壁を取り除かなければ、障害者が負う色んな不利益は無くならないという考え方が定義に入ったので、目的においても「障害があってもなくても分け隔てなく共生できる社会を実現する」に変わった。旧法では「福祉の増進」、改正法では、福祉の増進も当然必要だが、それだけではダメだ、社会の障壁を無くさないとダメ。この問題は、例えばこれからできる総合福祉法が本当にバラ色のように素晴らしい法律が仮にできたとしても、いくら支援法が良くなっても差別はなくなりません。差別は社会の有り様を変えて行かない限りなくならない。それが基本法の言わんとする所です。ですから基本法のレベルではありますが、180度考え方を転換したと言えます。

★分け隔てない社会へ

「障害の定義」と「目的」をベースとして、次の第三条では、分け隔てのない共生社会ですから障害者も地域社会の中で生きるのが当たり前なんだよと、それを前提に、1項では「全て障害者は社会を構成する一員として社会経済文化その他あらゆる分野で活動する機会が確保されること」、2項では可能な限りと言う前置きは付いていますが「どこで誰と生活するかについての選択の機会が確保され、地域社会において他の人々と共生する機会を妨げられない事」とあります。全国740万人の障害者の内、50~60万人の障害者は一生の中の長い期間を精神科病院や入所施設にいて、一般の社会から遠い所で生活しているけれど、それは本来の姿ではないよと言われています。ただ、100%は難しいから「可能な限り」と限定の文句はありますが、基本的にはそういう事です。また3項ではコミュニケーション。今日も手話通訳や要約筆記して頂いていますが、手話は言語であると決まっていますが、コミュニケーションの問題は、人が水を飲みご飯を食べるのと同じように基本的な事で、これを抜きに人とつながって生活する事はできません。次の4条に差別禁止とされ、「合理的配慮がなされなければ差別」とされています。こういった点で権利条約が示す大きな点は基本的には盛り込む事ができたかなと思っています。もちろん、推進会議からはまだまだ不十分だという指摘はありますし、第二次意見との乖離・格差もある。

その他、各論でも色々入りました。防災と防犯で震災の問題も入ったし、知的障害者が警察官の言うままに自白調書を取られて危うく冤罪になりかけたという事件があるので、そういった場面での問題も取り上げられています。

★政策委員会の意義

そして、最後に第4章「政策委員会」について紹介します。これまでの旧法に基づいてあつたのが「中央障害者施策推進協議会」、略して「中障協」と言いますが、基本法に基づいて「基本計画」を作るんですが、その時に意見を述べる事ができるというのが基本的なお仕事だった。しかしそれでは障害者の意見が国の政策に反映できないので、今度の「政策委員会」は、基本計画について意見を述べるだけでなく、それに関係して調査・審議、必要なら内閣総理大臣、関係大臣に意見を述べたり、そして例えば地域移行とか、決められた事がちゃんと実施されているかどうかを監視する。そして必要が認められる時には「勧告する」、そんな権限を有する事になります。実は政府の中にも色んな審議会がありますが、勧告権のある審議会はあまりありません。だから、よくご存知の方は「よく勧告権が入ったね!」と言われます。ですから制度改革は5年間が集中期間ですが、問題は5年間で全て解決する事はあり得ず、その時々に問題は起きますから、政策委員会がきちんと監視し障害者の意見を反映させていく恒常的な機関になるという意味で、ここは非常に大きな改定だったと思います。以上が基本法に関する事です。

★総合福祉法部会の取り組み

次に、総合福祉法の骨格提言に関する事ですが、自立支援法が違憲だと訴えた原告団との間で、国・厚生労働省は基本合意文章を結び和解しました。合意文章には「自立支援法は廃止する」とあり、それもあり、自立支援法に代わる法律を作る部会を2010年5月に立ち上げました。立ち上げる時に委員が55人と聞いてみんなびっくりしました。こんなに多い人数で議論ができるのか。しかし問題は人数よりもむしろ55の立場がある、意見は多様で時に対立的なわけで、何が決められるのかと心配や批判もありました。議論する問題を小分けして作業チームを作り議論して頂きました。また、総合福祉法だけでは片付かない問題として、児童と医療と就労という分野があるので、その三つの分野については総合福祉部会の委員と推進会議の委員とで合同作業チームを作っていただきました。

骨格提言の全体像は三つの部分があり、まず1つ目が「骨格提言の内容」として10の分野に分かれて書いています。2つ目が「総合福祉法の制定と実施への道程」として、これまでの支援費制度から自立支援法に移行する際にも色んな経過規定や新体系移行への準備がありましたが、それに加えて今回つなぎ法ができ、その上で総合福祉法になると言うと、現場はコロコロ変わってたまらん訳です。だから混乱がないように、どうやってスムーズに繋いでいくかを議論した部分です。3つ目が総合福祉法には収まらない医療や児童に関する問題について合同作業チームの結論が書いています。

★立場・意見の対立を乗り越えて・・・

こういう形で総合福祉法の骨格提言が8月30日にまとまりましたが、その前の部会が8月9日でしたが、その段階ではかなりシビアーな議論がありました。「こんなまとめしか出さないなら退席する」といった感じにもなりました。実はその前々回からまとめの作業に入り部会三役は素案を作りましたが、その素案に対して会議でも膨大な意見が出ますし、書面でも膨大な意見書が出されました。その意見に基づき何とかバージョンアップしたものを9日に提出しましたが、厳しい状況でした。しかし、30日は思ったよりもスムーズにまとまった。なぜかと言うと、9日にみんなに意見を爆発させた事がよかったのかと思います。これまで、例えば「施設を解体すべきだ」と言う人、「いや、施設は絶対に必要だ」と言う人が一同に集まって目の前で議論したことはないんです。もちろん最初から意見が対立する事は分かっています。しかし、同じテーブルで議論し合うと本当に相手の立場、一体何を大事にしているのか、本音の所が分かってくるようになる。当然意見の対立が無くなることはないんですが、でも一定の方向で大枠の所でまとまるのはどこか、具体的にどんなやり方で実施するのか、そんな議論ができました。それもあり、9日以降も関係者に色んな形で集まってもらって議論を続けていて、8月30日にまとめられました。ある意味、委員の皆さんには、「ここでまとまらなければどうなるのか」といった意識が次第に出てきたと思います。政府は「障害者問題については障害者若しくは関係者が意見をまとめて下さい」と我々の方に投げたんです。しかし投げられた問題について、自分たちの問題でさえまとめられないのか、できなかったら「あなた方がまとめられなければ、政府が代わってまとめましょう」となる事は間違いないわけです。だから、推進会議を立ち上げたこと自体が何だったのか、歴史の流れを押し戻す事にさえなりかねないなと、次第に皆さんがそれぞれの立場で思うようになってきたので、何とかまとめる事ができたのではないかと思います。やっぱりみんなで集まって議論する、立場や意見の違う人たちであっても一緒になって議論する事が非常に大事な事だと思います。それは国連での権利条約の議論の際にも同様でした。

★制度の谷間を生まない

それでは、総合福祉部会での一番大きな枠組みでの合意は何かと言うと、簡単に言うと「地域移行」。すぐさまできないことは分かっている。しかしながら本来は他の人と同じような生活ができる、そういう仕組みを作る、そういう事が大きな方向なんだという事は、施設関係者の方自らが言われていました。そんな大枠の中で、自立支援法とは違った新しい仕組みを提言しました。具体的には、障害の種類として、自立支援法は三障害ですが、難病や発達障害で手帳も持っていない人はどうするのとなるので、基本法で改めたように包括的な形に改めるために、入口の所で「制度の谷間を生まない」と書かれています。

★新たな支給決定の仕組み

次に支給決定ですが、ご存知のように日本で福祉サービスを受けるためには障害程度区分の認定を受けないといけない。手帳とは違う程度区分を前提にそれに相応する福祉サービスが支給される仕組みですが、果して本当に必要なニーズを提供できるのか。例えば知的障害・精神障害の分野においては、第一次判定が変更される割合は4~5割です。半分も変わる仕組みが果して妥当なのか、仕組み自体がそぐわないんではないか。知的・精神障害の方も、そこできちんと必要とされるニーズが拾い出せるようなガイドラインを作ろうという話になりました。それだけでなく判定項目は、例えば「手が動かないからご飯が食べられない、トイレができない、入浴ができない」、○○ができないからそこで困る部分をどうしましょうかと言う事、日常生活動作の中でできない部分はある意味よく見えてきます。しかし社会参加と言う部分はほとんど判定項目にはありません。例えば私がもっと重度になってコップも自分で持てないとなったら、家の中ではヘルパーさんが来るでしょうけど、手が動かなくても話しができれば内閣府の仕事は続けたいと思いますが、内閣府に行っても昼ごはんも食べるしトイレにも行かないといけない。けれど内閣府にヘルパーさんに来て下さいと言ったら怒られますよね。家のヘルパーだから。ボランティアでしかできない事になる。普通の自立とは、一般的に言って学校を出てお勤めに行って結婚して子供ができて・・・と言うものです。障害者が一般就労しようとしても困難がある、そこを支えてもらえたら普通の自立ができるのに、自立支援法ではそう言う事は知りませんとされている。いわゆる社会参加という面ではとても弱い。だから家での生活だけでなく社会参加する場面で色んな困難があるわけだから、そういう困難さをきちんと拾い出して色んな支援を提供していくシステムを念頭においてガイドラインを考えて行く。しかしガイドラインは標準的、最大公約数的なものにしかなりません。ガイドラインは国でも地域でも作りますが、国は最低のものを作り、地域で独自な物を作る必要性があるのは、先日東北でお聞きしたら、例えば冬のサービスと夏のサービスとではかけるエネルギーが全然違うと聞きました。雪のない夏の移動サービスと冬の雪が沢山積もった時の移動サービスとでは全然違います。そういった意味でサービスは社会・自然環境、また社会資源の有無にも大きな影響を受ける事もあって、色んな地域差があるから、そう言った事へも反映が必要です。基準はあくまで最大公約数的なものですから、当然そこから漏れる人がいて、そこは個別的に「協議・調整」していく必要があると言われています。これは、それほど突飛な事ではなく、今の自律支援法でも一応標準的な物は用意しながら個別的な話し合っていくと実務的には運営されていると思います。だから問題はどこが異なるかと言うと、「協議・調整したら希望だけ支給され、青天井になる」と議論されてますが、決して他人よりも良い生活を認めるという事ではない。「他との平等」という上限はある。「協議・調整」によりお金がドンドン使うという事はあり得ず、ガイドラインを基本とした協議・調整になって行きます。

★程度区分は大きなハードル

厚労省が程度区分にこだわる理由は、程度区分は色んな機能を現行の自立支援法の中で果たしている。それはサービス支給の前提として機能している。例えば「程度区分4以上でなければ○○は支給されない」とか。程度により選べるサービスが決まる。これは、程度区分が良いかどうかは別として、支給決定という意味で機能を果たしている。しかしむしろそれよりもお金がらみの部分で程度区分は機能している。訪問系については国庫負担基準があり、これは程度区分をベースに決められている。負担基準を維持しようと思うと、その前提として程度区分が必要になる。国庫負担基準を廃止しろという意見もあり、程度区分も廃止すると国としては予算をどうコントロールするのか、財務省的に言うと困ってしまう。もう一つのお金の問題として、施設入所・日中活動も程度区分により加算があります。加算と言う意味で程度区分が使われるのは良いと思いますが、財政コントロールという面からすると、施設系は定員とかありコントロール可能ですが、訪問系は定員もありませんから把握できず、国庫負担基準と程度区分は財政コントロールのためには必要不可欠なもので厚労省が固執する所で、これを変えて行くのは大きなハードルになると思います。現在の所、厚労省と話し合う機会がありませんので見えないところです。

★支援サービスの体系

次に「支援サービス体系」ですが、これまでの自立支援法の体系は、支援費よりも前を見ると、在宅サービスは1981年以前はなかった。国際障害者年で厚労省も在宅支援に少しは目を向けてきた。しかしそれは「措置費」とは違う枠組み。そういう事を考えると、自立支援法の居宅介護等は義務的経費に入れたので、それなりの成果は生み出しています。しかしながら自立支援給付と地域生活支援事業の二つの枠、特に自立支援給付の中には訓練等給付と介護給付に分かれています。この訓練等給付は極めて医学モデル的な組み立てです。就労継続A型とかB型とか言われていますが、特にB型では何年働いても「訓練」なんです。「あなたは一人前じゃないよ。訓練しないといけない」といった事が「訓練等給付」なんです。一般的な社会での「訓練」はせいぜい半年とか一年とか期限があるのが当たり前で、終わったら通常の仕事に入る。しかし考え方として「訓練」とは能力向上するまでですから、このB型は一生涯訓練なんです。ありのままで良いという社会モデル的な発想とは違うわけです。しかも、訓練で物事が解決すればいいですが、何十年と授産という言葉から始まってそこにずっと居る状況です。そこで働いているわけですから、それをどう支援するのか正面から考えればいい、そんな事が議論のベースになっています。また地域移行と言っても具体的にどうするのか、それについては地域生活の資源整備の問題としても一項を設けて提言しています。

★差別禁止法について

最後に差別禁止法の話ですが、去年の11月に部会を立ち上げ議論してきました。何を議論したのか。簡単に言うと「何が差別か」について議論しました。「皆さん、差別しても良いと思う人はいますか?」と聞いたら誰も手を上げません。では「あなたが悪いと思っている差別は何か、一言で答えて下さい」と聞いたら、誰も何も言わない。要は、差別は悪いと思っていても具体的に何が差別か分かっていない、これが日本国民の状態なんです。これでは差別は無くなりません。だから、誰にでも分かりやすい差別の物差し・定義を法律で作る事が求められます。部会では「差別とは何か」を議論しました。世界の差別禁止法を参考に議論を続けています。総則的な議論から始まり、今は労働・政治参加・司法、昨日は公共交通や建物の差別について議論していました。来年の8月位には差別禁止法についての骨格提言を出そうと思っています。難しいのは、差別の定義を作ったとしても救済の仕組みをどうするのか、です。障害者問題だけでなく従来から「人権擁護法案」、これを民主党政権は国会に提出すると言ってます。来年提出される事になれば、この中に障害者部分の救済の仕組みが入るという形になれば、差別禁止法自体では独自の救済の機関は作らない、しかし人権救済法自体が成立しなければ、差別禁止法の中で救済の仕組みが必要になります。法務省サイドの動きを待っている所です。そういう状況です。

★各地での条例制定の意義

ところが条例においては、ご存知の通り千葉県から始まり北海道・岩手県・さいたま市・熊本県と制定され、他の都道府県でも長野県では知事が変わり前向きになり県主導でタウンミーティングも始まります。また沖縄県でも運動が高まっていますし、神戸市でも具体的に動き出されていると聞いていますので、国の動きとは別個に地方でも取り組んでいただきたいと思います。差別禁止法の積極的な意味で言うと、差別と言う問題は障害種別に係わらず、障害者が生きて行く上で何度も何度も味わいます。障害種別により味わう差別の形は異なりますが、根っこは同じです。だから差別禁止法をみんなで一緒に作っていこうという動きを作り、お互いが体験したものを出し合っていくと、「えっあんたもそうなの」と、それまで「障害があるから仕方がない」と諦め心の中に貯め込んできたものが、自分だけでないんだと、社会に問題があるよねって、ある意味人権意識がみんなの中で生まれてきます。そしてそこで集めた事例を一般の人にちゃんと発信していく、それを見ると「えっこんな事があるの」という事例が一杯あります。そういう事例があると多くの人が知れば、これはおかしいと感じる障害のない人が一杯出てきます。そういった事実を集めるのは皆さんしかできません。皆さんの共同作業の中で障害種別を越えた連帯や地域自体をどう変えていくか、これまで「行政何とかしてくれよ」という行政との関係が障害者運動だったが、それだけでは障害者の生活は変わらない、自らが地域を変えて行く、地域から逃げない、そういった地域社会との共生という課題を障害者自身が受け止めて、積極的に社会に働きかけていく、そういった契機になっていくのではないかと考えます。これが大きな意義としてあると思います。国で差別禁止法ができたとしても、恐らく救済の部分は地域の条例ほどきめ細やかなシステムはできないと思います。やっぱり差別の問題は隣の人との関係です。だから角を付き合わせ続け問題を引きずって行く事が決して解決ではない。基本は話し合うベースを作り、互いに理解し合い解決方法を探って行く形のものを地方自治体での救済のペースにしていただきたい。それでも解決しなければ国の裁判を使う、こういった国と地方の役割分担が必要ではないかと思います。皆さん、地方の動きも踏まえながら自らの地域を変えていただければなあと思います。

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