差別問題一般

【LGBT法案】    多様な性が尊重される社会へ

野崎泰伸

自民党は今国会での「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」(LGBT法)の提出を見送る方針である。法案じたいの問題(なぜ「差別禁止」でなく「理解増進」なのか)や、このような「理解増進」にとどまる法案すら提出が見送る方針であるなど、問題点は数多くある。そのうえ、この法案を議論する自民党の審議会において差別発言があった。このことこそ、自民党内の問題にとどまらず、LGBT等性的マイノリティ当事者がこの社会においていかに生きづらいものであるかを示したものではないのか。

私たちの性的な指向は異性のみへと向かい、また私たちは出生時の戸籍の性別と同じ性別を自認するものとされている。言い方を変えれば、異性のみを性愛の対象と考え、生まれたときから自分の性別は変わらないと思う、そのような社会に私たちは生きている。そのような社会こそが、同性や両性を性愛の対象としたり(あるいは、他者に対して性的欲求を抱くことが少ない、またはまったく抱くことがないAセクシュアルの人々もいる)、出生時の性と異なる性を自認したりする人々を排除していると言える。人間の性や性的指向などまったく多様であるにもかかわらず、この社会における特定の性規範によって、ある種の性的指向や性自認をもつ人々を排除しているのである。これは、健常者こそ正しい身体や精神の規範であり、そうした規範こそが障害のある人々を差別し排除するという社会構造と並列してとらえることができる。その人の生のあり方(そこには当然、その人にどのような性的指向があるか、どんな性であると自認しているのかが含まれる)が問題なのではなく、ある特定の生のあり方を問題視する社会のほうが問題なのである。「多様な性を尊重する」ということは、そういうことであるはずだ。

上記5/14の自民党内における審議会で、以下のような発言がなされたという。

「道徳的にLGBTは認められない」

「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」

これらは、LGBTを生きる人々の存在を根底的に否定するような発言であり、断じて許すことはできない。ある種の性的指向や性自認をもつ人々を排除するような社会において、政治家たちのこのような発言は、こうした排除や差別をなくすものなのではなく、さらに助長するものである。「理解増進」を図らなければならないのは、この人たちのほうなのではないのか。

加えて、法案の目的に「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」と記されたことに関しても、「社会運動化・政治運動化されるといろんな副作用もあるんじゃないでしょうか」と述べ、難色を示したという。「副作用」とは何のことなのか。当事者たちが差別に反対するのは、差別を是認している社会や政治を変えなければならないからであって、社会運動化・政治運動化されると困るのは、既存の特権にしがみついているからではなかろうか。この社会において、異性のみを性愛の対象とすること、生まれ持った性別に違和感を持たずに生きることが、特権であるということはなかなか気づきづらい。しかし、そのような特定の性規範を外れてしまえば、この社会においては非常に生きづらい。こうした政治家たちの発言は、政治家自身の特権だけでなく、この社会における性規範制度そのものが、特権に支えられるものであることを示しているだろう。

LGBTをめぐる生きづらさは、この件にとどまらない。自民党の杉田水脈議員は、一貫してLGBTに関して「生産性がない」と主張している(杉田氏は兵庫6区から日本維新の会で比例当選している)。また、経産省のトランスジェンダーの職員が、自認する性別用のトイレの使用制限を受け提訴した裁判は、東京高裁で逆転敗訴、経産省の主張を大筋で認めた。LGBT法の見送り方針は、この流れと軌を一にするものであり、LGBTの人々の人権は無視され続けている。どのような性的指向があろうとも、また、どのような性自認をしていようとも、そのような人々の人権を侵害し、存在を毀損するような社会や政治に、改めて「No」を突きつける必要がある。

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