介護保障 書籍

【書評】 立岩真也著『介助の仕事――街で暮らす/を支える』(ちくま新書)

野崎泰伸

障害者界隈では有名な「重度訪問介護」(以下「重訪」)、しかしまだまだ世間的な理解は「介助=(高齢者の)介護保険」。この本の第6章までは立岩さんが重訪の従業者養成研修の講義で話された内容を基にしており、「使えない」(p.72)介護保険ではなく、「介護保険よりマイナー」だが「利用者にとってみれば使い勝手がいい」(p.74)重訪という制度に基づく介助に関する話である。

序で簡単に、「新型コロナウィルスのことで人と人とが懸命に距離を取ろうとしているこの年に、介助(介護)という、人の近くで人に対する仕事をすること、その仕事をしてもらって暮らすことについての本を出すこと」(p.8)が述べられる。第1章では、重訪のヘルパーという仕事、つまり「基本的には、本人=利用者のいるところに出向いて、比較的長い時間つきそって、その人の指示があれば、それに従って動くという」(p.26)仕事のおおまかな見取り図が描かれる。「もっと積極的にこの仕事のよさを言ってよいのかなと思います。何がいいかというと、とくに仕事の相手がきちんきちんと指示してくれるような人の場合は、介助っていうのは主体性がいらない仕事なんですよ、というか主体性がないほうがいいみたいな仕事なんです」(p.42)のようなことも指摘される。第2章では、ヘルパーの多様性が言われ、年取ってからでもできるし、主婦でも大学院生やオーバードクターでもできる、といったことが言われる。意外に思われるかもしれないが、実は田舎においてヘルパーの仕事は適していることも示される。第3章では、重訪という制度の成り立ちが説明される。介護保険との異なり、困ったことに役所のケースワーカーなどは知らない人が多いこと、交渉して支給量を増やすことも可能なこと、弁護士も支援していることなど、ここ兵庫県でも身近に起こっていることが挙げられている。第4章では、重訪のヘルパーが派遣される事業所(組織)を作り使うことについて、とくにCIL(自立生活センター)にページを割いて解説している。立岩さんの教え子で事業所を経営されている方々の話もある。第5章は「当事者運動の歴史」の話で、1970年代以降の青い芝の会の活動や、「家族をやめて、施設をやめて、街に出よう」(p.134)とするときに、生活保護を取って、ビラ作って介護者を巻き込む、大学に行って配る、「使える奴はどこかにいないか? それは大学だ」(p.135)。第6章では、少し理論的に、介助をめぐるお金の動きについて論じられる。最初はまったくのボランティアでかかわるが、ボランティアだとだんだんとしんどくなる、この状態をどうするか。そもそも、障害者の介助は筋論としてボランティアでよいか、という議論になる。立岩さんは、社会を市場/政府/家族/自発性の4つに分け、強制的に集めた税金を、民間の組織や自分たちが、働いてくれる人に払うというメカニズムで障害者の介助保障を図ろうとする。これは、自発性を否定しないし、家族に特段の義務を課すものでもない(pp.149-152)。また、病院・学校・職場でこの制度が使えないのはおかしい、とも言っている。

第7章では国立療養所に入院する筋ジス患者の地域移行の問題と「相談支援」の機能のしなさ(それは精神障害者にも言える)が問題にされ、第8章では「自己決定」「関係が大事」という言葉について、それがどの程度行けているのかを考えている。最後の第9章では、京都のALS患者の自殺ほう助問題を取り上げている。「その人は京都で一人暮らし、重度訪問の制度で24時間の介助を得ていた」ので「介助の人手もなく絶望して、とは単純に言えない」(p.213)例をどう考えるのか。

立岩さんは一貫している。介助制度確立のための運動はしばしば「ラディカル」な側から「ものとり」だと批判されるが、「反優生のために(制度を)取りに行く」と考えれば、何の対立もない、と言う(p.208)。介助を得て暮らす人、介助の仕事に従事する(したい)人、介助保障の運動に関心がある人、運動の歴史に関心がある人、必読の書だ。

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