優生思想

【意見】 私たちは誰もが生きたいと思う社会を望む ~ 京都ALS障害者の殺害事件について ~

相模原事件から4年目を迎える日、DPI本会議や全国自立生活センター協議会、「ともに生きる社会」を考える神奈川集会・実行委員会の連名で、「・・・事件から満4年の今日、私たちは、改めて事件の風化を阻止し、障害によって分け隔てられないインクルーシブ社会の実現を目指して行動していくこと事を誓う。そして、社会のあらゆる人々に、ともに考え行動していくことを強く期待する」等の声明が発せられた。その声明文の中で、以下、今回の京都の事件について指摘されている。

「・・・7月23日に京都でALS患者の安楽死事件が発覚し、2人の医師が逮捕された。7月24日の京都新聞の報道によれば、『医師2人のうち大久保容疑者は「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿し、高齢者への医療は社会資源の無駄、寝たきり高齢者はどこかに棄てるべきと優生思想的な主張を繰り返し、安楽死法制化にたびたび言及していた』という。

今後より詳しい真相の解明がなされると思うが、植松死刑囚の考え方との共通性に強い危機感を抱く。この事件を契機に「尊厳死の法制化」を議論する必要性に言及する声も出始めているようだが、私たちは、かねてから現状での尊厳死法制化に反対しており、今回の事件においても、ご自身がALSの当事者である舩後参議院議員が発信された『「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切です。どんなに障害が重くても、重篤な病でも、自らの人生を生きたいと思える社会をつくること』をはじめ、他の「生きる」選択をされた多くの当事者の方々が発信されている声を重く受け止めるべきと考える。

 

ALSの障害者の嘱託殺人について思うこと

野橋順子

 

衝撃的なニュースが入ってきた。京都にお住まいのALSの障害者が「死にたい」とSNSに投稿し、反応した医師が「死ぬ」ことを勧め「手伝います」と申し出、そして会ったこともないその医師により多量の睡眠薬を投与され「殺害」されたというニュースだ。報道された最初、私はよくわからなかったが、知り合いの障害者から「大きな問題になっている」と聞きインターネットで検索をしてみた。するとネットでは事件報道に対する多くの意見が上げられていた。私の血圧は上がり、その夜はあまり眠れなかった。理由は、社会のコメントがひどいものだったからだ。

「そんな状態だったら死んでも仕方がない」

「安楽死を認めるべきだ」

「老人も体が動かなくなったら安楽死を認めて殺してあげたほうがいい」・・・

こんなコメントが大半だった。そこには大きな優生思想を感じる。コメントから「何もできない者は死んだ方がいいんだ」と、そういうメッセージが聞こえてきて私は怒りと共にとてもしんどかった。

この事件が起きたのは2019年10月。報道ではALSの障害者が1年ほど前から死にたいとブログを頻繁に更新していたとのことだった。家族の人は全然異変に気づかずに元気だと思っていたそうだ。私も障害者だが、小さい頃は自分の障害に悲観していて、なんでこんな体に生まれてきたんだと思い、親に泣きながら訴えた。話したら、親は泣きながら「ごめんね、ごめんね」と言うだけで、余計に私の心が痛んだ。だから親に対しては元気に振る舞っていた。自分が障害を持っていてしんどいことなど親には言えるわけはない。今回の事件は私の子供の頃とリンクして心が痛かった。その人は死にたいと言うことを、自分の障害を悲観していると言うことを誰かに相談できなかったのだろうか。私も小さい頃はその悲観的な思いも誰にも言えず、自分だけで抱え込みずっと死にたいとか、生まれ変われたらどんなに良いだろうとずっと思っていた。誰も相談相手がいないと言う事はしんどいことだ。私自身も心の病気に少しかかっていた。でも大きくなり周りに相談相手や実際に生き生きと生活している障害者に出会うことができ、しかもピアカウンセリングであなたは障害があるままで素晴らしい」と言ってもらえて、立ち直ることができた。今回の京都の人にはそんな相手がいなかったのだろうか、本当に悔やまれる。ALSと言う病気は進行性のもので、だんだん自分の障害が重くなることへの恐怖もあって、死にたいと言うふうになったと報道されていた。私も最近になり歳をとり以前のように自分の体が動かなくなってきた。先日はヘルパーがいない時に、トイレで1人でこけてしまって2時間位起き上がれなかった時がある。本当にしんどくて自分の体を恨んだ。でもそのことを聞いてくれる友人や障害者の仲間がいて本当に癒された。できていたことができなくなっていく事は本当にしんどいことだと思う。自分自身も経験しているが受け入れがたい苦しみがある。その中でALSの障害者は死を選んでしまったのだ。死を選ぶ前にできることがなかったのか、何回も書くように本当に悔やまれる。

私自身の経験を通じて、人ごととは思えなくてニュースに書きたい!みんなに伝えたいと思った。けれど事件をめぐる状況や社会のコメントを見たら、安楽死の問題など優生思想の意見があふれている。例えば芸能人が自殺したら、新聞やテレビでは惜しむ声、生きていてほしかったとの意見が多く出される。なぜ今回の事件では安楽死の話になるのか。「死にたい」と思うのは生きづらく感じる社会の問題であるとなぜ報道しないのか。国会議員の舩後さんが「命の選別はしてはいけない、どの命も大事である」と自身の経験を通して言ってくれていた。ただその声を本当に受け取ってくれた人がどれだけいるのか、インターネットの書き込みを見ていると本当に不安である。

ネットでの意見を見て、社会にはびこる優生思想の考えが広がっていると愕然とした。相模原事件、出生前診断もできる病院が増えていこうとしていてる事、そして今回の事件、私たち障害者が殺されようとしている。この社会はどんどん私たちにとって生きづらくさせられて行っている。

 

私たちは不幸ではない、勝手に決めつけないでほしい! 勝手に殺さないでほしい! 何もできないと決めつけないでほしい! 命に優劣をつけないでほしい。周りが障害者を受け入れ、一緒に生きていこうと言う姿勢を示してくれれば、障害者が生きやすくなるし、死にたいと言う気持ちになったとしても、そこに生きていてもいいんだよと言うメッセージがあれば、生きていけれるのだと思う。あまりにもこの社会はそういうメッセージがない。それが腹立たしい。

周りに死んでしまいたいと言う障害者がいれば、生きていてくれて嬉しいと言うメッセージを伝えて欲しい。切にこの事件を受けてそう感じた。

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