【教育】 川崎就学訴訟判決の最大の過ちについて
本年3月18日、神奈川県川崎市に住む小学2年生の光菅和希くんとその両親とが、地域の小学校へ通学することを早期に認めるよう訴えている川崎就学裁判の判決が下されました。判決は、「原告らの各請求をいずれも棄却する」というものでした。和樹くん自身は、現在は世田谷の小学校で通常学級籍を得たようですが、この判決は到底容認できるものではありません。この裁判を担当されている弁護士の大谷恭子さんが「川崎就学訴訟判決の最大の過ちについて」と題された長文を発表されています。全文ご紹介したいのはやまやまですが、紙面の都合上、とくにインクルーシブ教育の意義について書かれたところを抜粋して紹介させていただきます。
川崎就学訴訟判決の最大の過ちについて(抜粋)
2020年5月11日
弁護士 大 谷 恭 子
2、 人権としてのインクルーシブ教育に反することについて
(1)インクルーシブ教育についての誤解
判決は「インクルーシブ教育は特別支援学校での教育を排除するものではないから、特別支援学校での教育は、インクルーシブ教育の理念に反するものとはいえず、原告和希のインクルーシブ教育を受ける利益を侵害するものであるとも言えない」とだけ判示した。
これは唖然とする内容である。しかもこれの根拠として判決が引用しているものは、文科省の主張する「障害のある児童生徒等に対する一貫した支援について」(文科省通知)と教育支援資料から、共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)概要によれば、「障害者権利条約24条は障害者が障害に基づいて教育制度一般(general education system)から排除されないことを定めているところ、権利条約24条の「教育制度一般」には、特別支援学校が含まれるとし、その後この解釈が変更されたことを認めるに足りる証拠はない」と言い切っているのである。
まず権利条約24条が規定する、general education systemは、教育制度一般と訳されるべきではなく、一般的な教育制度と訳されるべきである。これは、障害者権利条約の仮訳段階で、文科省が意図的に誤訳したとして障害者団体から多くの非難を浴び、最終的に公定訳としては、「一般的教育制度」と変更されている。判決はどこを見てその後変更されたことを認めるに足りる証拠はないなどと言ったのか、原告提示の障害者権利条約においてはそのような訳は使っていない。教育制度一般とすると、確かに特別支援学校を含む制度との解釈となるが、一般的教育制度とは、通常の教育制度、すなわち多くの子どもたちのための教育制度(メインストリーム)ということになり、特別支援学校は含まれない。よって、教育制度一般なのか一般的教育制度なのかについては、インクルーシブ教育制度をどのように理解するかについては大きな違いが存することから、批准のための障害者制度改革の時点で仮訳は見直され、公定役となったのである。にもかかわらず、こんなところで否定された仮訳が生きているとは驚きを禁じ得ない。
障害者権利条約は、インクルージョンを尊厳、無差別に続く一般原則(3条)にあげ、重ねて、24条教育において、インクルーシブ教育として詳細な規定を置いたものである。すなわち、第1項において、教育ついての障害者の権利を宣言し、この権利を差別なく機会均等に保障するためにあらゆる段階の教育においてインクルーシブ教育制度を確保し、さらに2項(a)において一般的な教育制度から排除されないこと、(b)自己の生活する地域社会においてインクルーシブで質の高く無償の初等・中等教育を受けること、(c)個人が必要とする合理的配慮が提供されること、(d)必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること、(e)完全なインクルージョンという目標に合致する効果的で個別化された支援措置が取られること、と規定している。この詳細な規定から、まずはすべての障害のある子が一般的教育制度、多くの子が就学している地域の通常の学校制度から排除されることなく、小中学校、高校の初等・中等教育が保障され、その中で合理的配慮と必要な支援が受けられ、加えて、限定的な場面として、「学問的及び社会的な発達を最大にする環境において、完全なインクルージョンという目標に合致する効果的で個別化された支援措置」も認める、という構成になっている。要するに、原則としてすべて障害のある子は一般的な教育制度である地域での小中学校での教育が保障され、特別支援学校への措置は、まさに、(e)項に規定された限定的な条件の下で「効果的で個別化された支援措置」として認められる、という構成を取っている。
これを全く無視し、しかも否定された仮訳を根拠に、特別支援学校は「教育制度一般」に含まれるのだから、「特別支援学校の教育はインクルーシブ教育の理念に反するものとはいえず」とか、「インクルーシブ教育を受ける利益を侵害しているものであるともいえない」などと判断することは、最初に結論を決めたうえで牽強付会に屁理屈をこじつけたに過ぎない。これだけで、この判決の水準の低さが露呈している。
(2)和希は小学校で障害のない子どもたちと共に学ぶことを求めていること
判決の不思議なことは、特別支援学校はインクルーシブ教育の理念に反するものではないからインクルーシブ教育を受ける権利を侵害しているとは言えないなどと判示しながら、原告和希が、地域の小学校で同年齢の子どもたちとの教育を求めていることについては何ら触れていない。実は、特別支援学校がインクルーシブ教育の理念に反するか云々が問題なのではなく、原告らが求めているのは、小学校で同年齢の子どもたちと学びたい、学ばせたいということである。この希望について、特別支援学校もインクルーシブ教育の理念に反していないなどということは何ら答えになっていない。そこには明らかに同世代の子どもたちはいないからである。
なぜ障害のある子が地域の学校から排除されるのか、これについての明快かつ合理的な理由が付されなければならないが、判決はこれについては、5条判断として、市教委に裁量権があり、その裁量権の範囲で、障害の状態、専門家の意見を重視し、教育ニーズを障害の医療モデルで判断し、必要な教育支援は特別支援学校が適合的かつ整合的であるとし、地域の教育体制も整備されている状態ではないと認定し、その他の事情として安全も確保されないと、ことごとく原告らの希望を排斥した。ここでは、和希君が同世代の子どもたちと共に学ぶ機会を奪われることの不利益については全く考慮をしていないのである。
要は、判決は、障害のある子が障害のない子と共に学ぶことは人権として保障されなければならないということについては一顧だにしなかったのである。個々人の人権であることを認め、該人権を侵害する結果となる処分だからこそ、その裁量権の範囲が問題となるのであって、これを無視し、適法だから、かつ特別支援学校もインクルーシブの理念違反していないから、などということは全く答えになっていない。
6月 11, 2020