【報告】 7/15 「障害児が高校でも共に学ぶ教育を実現しよう」 集会報告
障問連事務局
7月15日、神戸市障害者福祉センターにおいて表記の集会が開催されました。ゲストに竹迫和子さん(障害児を普通学校へ全国連絡会/運営委員)をお招きし、障害児の高校進学の取り組み状況と神戸の取り組みへの助言をしていただき、もう1つのテーマとして権田君のこの1年間の闘いそして現在学ぶ県立湊川高校での学校生活の報告をいただき、最後には神戸市での取り組みを今後どのように行っていくのか、参加者からも意見をいただき話し合いました。遠方から来ていただいた竹迫さん、ありがとうございました。
■竹迫さんの講演内容
○埼玉では県庁に泊り込んでの闘いが・・・
竹迫さんは学校教員時代から活動に参加され、1980年代後半から「0点でも高校へ」と知的に障害のある人たちの受験が全国各地で始まり、埼玉での「どの子も地域の公立高校へ・埼玉連絡会」が1987年に結成された時からこの運動に関わられてきました。1988年春には3人が受験しましたが全員定員内不合格とされ、5月にはそれに抗議し入学を求めて2泊3日県庁に泊まり込での闘いのエピソードも紹介されました。その後、埼玉県ではとりわけ定員内不合格に関し県教委との協議を重ね、2001年には「定員内不合格はあってはならない、その生徒を受けとめきれない学校や教育委員会の課題である」と県教委と確認し、現在もいった「可能な限りその全員を入学許可候補者とするよう」という通知を毎年1月に各高校に通知しているとのことです。
○全国の高校進学の状況
千葉では一昨年選抜要項に「定員遵守」と明記されたにも関わらず、医療的ケアが必要な障害児が定員内不合格になり、そして今年も神戸市だけでなく千葉県・愛知県・熊本県・香川県・沖縄県で障害を理由とした定員内不合格が出され、他の県でも定員内不合格を出さないようにという通知が出されていても守られていません。その理由が「校長の総合的判断」です。定員内不合格が出されていないのは、東京・大阪・神奈川ぐらいではないか、とのことです(※今年度の高校進学状況は『季刊福祉労働163号』現代書館発行を参照ください)。
そして障害者権利条約にあるように、「一般的な教育制度から排除されない」「他の者との平等を基礎として、自己の生活する地域社会において・・・中等教育を享受することができること」が合理的配慮をする目的であるにもかかわらず、その配慮をして落とすというような事態が起きていると話され、看護師配置が約束されながら不合格になった千葉県の事例、知的障害のある受検者に意思疎通の配慮はされながらも不合格になった愛知県や沖縄県の事例を紹介され、神戸市と同様、「能力と適性」「総合判断」の名の下で適格者主義が根強く存在している事が指摘されました。
○高校で一緒に学ぶことは、
地域で共に暮らすこと
竹迫さんは最後に、「・・・障害者権利条約の批准を契機として国内法も整備されて言葉の上では共生社会の実現と言っていますが、現実には分ける教育の延長で、社会のシステムも細かく分けられてきて、地域に居ても共に働く、暮らすことはむずかしくなっています。
地域で生きていくためには、小さな時から一緒に育ち学ぶことが不可欠です。分けられて学んでも社会で一緒に働き暮らすことはむずかしいことが現実化しています。津久井やまゆり園事件では改めて障害者が街の中で姿を見せることの重要さ、そのためには一緒に育ち学ぶことが大切であると再認識しました。保育園や幼稚園、小学校、中学校で一緒に学んで、高校で途切れさせることなく一緒に学んでいくことが共生社会をめざしていくためにも欠かせない課題であることを訴えていかなければなりません。高校で学ぶことをめざす取り組みは、周囲との関わり作りの一環とも言えるのではないでしょうか」と締めくくられました。
○「神戸市立楠高校入試発表における警察の導入について」
(障害児を普通学校へ全国連絡会)
高校の入試発表時に校舎内外に10人ほどの刑事がいて、中にはビデオカメラを回す刑事もいたという事態について、たいへん驚き、疑問・不安を感じています。そもそも定員内にもかかわらず不合格とすること、しかも明らかに障害を理由とする不合格はあってはならないものです。事前にきちんと話し合いの場も持たず警察を導入してまでそれを押し通すことはとても教育に携わる者の行為とは思えません。定員内不合格はおかしいと問題意識を持って訴えることがあたかも問題行動であるかのような印象を与えることにもなり、今後の高校の教育活動への影響が懸念されます。近年学校を巡ってもさまざまな事件や指導上の問題が起こり、学校と警察の連携が強まる傾向にありますが、教育的な配慮に基づき慎重でなければならないと思います。とりわけ今回のような警察の導入は教育現場であってはならないことです。
以上のメッセージが竹迫さんから紹介されました。ありがとうございました。
■神戸市教委から話し合い拒否の文書回答
神教委学第489号 令和元年7月4日
障害者問題を考える兵庫県連絡会議
代表福永年久様
神戸市教育委員会事務局
学校教育部学校教育課長
「抗議ならびに要望書」に対するご回答
貴団体より5月23日付でいただきました「抗議ならびに要望書」に対し、以下のとおりご回答申し上げます。
合否判定については、学力検査点、内申点及び調査点等に基づき、その校の教育を受けるに足る能力・適正等を総合的に判断した結果であり、兵庫県公立高等学校入学者選抜要綱に基づき、合否判定委員会における協議を経て、当該高等学校の校長が決定したものであります。また、兵庫県立湊川高等学校の合格に関しては、他の自治体に関することであるため、神戸市教育委員会としては、お答えをする立場にないことをご理解ください。当該校の合格発表時の対応についても、特に不適切な対応はないものと考えております。
その他のご要望につきましては、これまでご回答申し上げたとおりです。以上のとおりご回答申し上げますので、ご理解のほどお願い申し上げます。 以上
■集会発言:「神戸市教委に話し合いを求めたい」(権田君のお父さん)
こんにちは。昨年、一次試験、二次試験、定員内不合格という大変悔しい結果に終わり、障問連さんの方で日程の調整していただいて、2回ほど、神戸市教委と話し合いさしていただいたんですが、まあ、予想通り納得できる返事もなく、その場に校長も出席していなくて、話し合いの場に校長を連れて来いと、本人と話させてくれというように要望は何度もしたんですけど、校長は出て来ないままだったんです。それでまあ家族とだけならばということで、また調整の方をして頂いて、昨年11月にやっと校長に、ぼくその時初めて会うことが出来たんです。
受験前の個別訪問のことであったり、「劇的に成長すれば来年入れる」という暴言ですね、その詳しい話を校長から聞きたかったんですが、「そんなつもりで言うたんではない」「個別訪問も学校の現状を報告しただけ」と、何も悪いことはしてないという逃げばっかりです。一番腹立つのは「劇的の成長すれば来年受かるんちゃうか」という発言。ほんまに腹がたっとったもんですから、「そんな言葉を言ったんであれば、その言葉について謝罪せえと、謝罪だけでもしてくれ」と言うたですが、それも聞けず、悔しい思いでその話し合いも終わったんです。
それでいろんな皆さんに知ってもらうために、新聞社の人に世話になったり、テレビの方でも報道していただき、色んなところから神戸市教委に圧力をかけていただき、弁護士さんも市教委の方に行って話していただいりですね、色んな方法で市教委に圧力をかければと、がんばって動いてくれたと思います。感謝しております。
それで今年ですね、どうかなあと思いながらも、本人がもう一度楠を受けたいという希望を示しましたので、もう一回やってみいと。結果は分からんけど一生懸命やってみいということで、一次試験を受験しました。しかしまたまた残念な結果に終わりました。で、発表の当日ですね、不安が大半でしたけどね、恐る恐る学校に行けば、校門には「関係者以外立ち入り禁止」と張り紙があったり、校舎の2階からビデオで撮影されたり、これで結果は見えたなと。校門に入って、この光景にはぞっとしました。それで校舎に入り発表を見たら、やはり祐也だけの番号がない。去年ぼくは仕事で発表には行けなかったんで、母親には大変辛い思いをさせたので、今年は何とかして見に行こうと思って行ったんですけど、番号がなくほんまに悔しいというよりも、何とも言えない腹立たしさだったです。それで校長に会わしてくれと言うたんですけど、すぐそこに校長はおったんですけども、「会う必要はない」「市教委の方もそう言うてます」と。「誰がそんなこと言うねん」と聞くと、「市教委が校長に会わんでもええと、親と会わんでもええと言うてます」いうことを、教頭の方から聞く。それで応援していただいた皆さんと一緒に神戸市教委の方に行き、話聞かせと言ったんですけども、「担当者おりません」とか、逃げとったんですね。話し合いも出来なくて、その時の対応した人に、多数の刑事を入れるとはどういうことだと説明を求めたら、「はい、わかりました」言う返事をもらったんです。また、障問連さんの方で日程調整して、その話し合いはしていただけるんかなと思ってたんですが、先ほどありましたように、話し合いする必要はないという紙だけですませようとしとんのかなあと。「話し合いはします」と約束はしていただけに、なんちゅう対応しょんのかという腹立たしさでいっぱいです。この先もですね、機会があればですね、ぼくらだけでは日程調整出来ないんで、障問連さんの方でまた機会を与えて頂ければ、ぼくも言いたいことはありますんで、言えたらいいかと思っております。
そうですね、やっぱし警察ですわね、ぱっと見たときの、警察まで入れて、何か暴動でも起こすんかというね、そんな扱いされたんかなと思ってね。発表の時に「カメラは誰が決めて撮りよんですか」と聞いたら、「警察からのアドバイスがありまして撮影はしてます」という返事はあったんですけども、何でそんなことする必要があるのかなと思ってね。答えは一緒かも知れないですが、不合格になった理由、警察のことをもう一度聞きたい。
■集会発言:「湊川高校での生活」(権田君のお母さん)
たくさんの方々に応援していただいて、何とか湊川高校の方に合格できまして、4月から通わしてもらってます。祐也に看護師を一人つけて、学習支援の方も一人つけていただいて、身体介護という形でもう一人つけていただいて、その方は毎日ではないんですけども、今は看護師さんと、5月の終わり頃から正式に配置してもらって、通わしてもらっています。
初めは支援の方、看護師さんが決まるまでということで、学校に送って行ってもそのままついて、学校が終わるまで私がべったりつくという感じで、学習の方も私が横にいて、休み時間もついて、医療行為的なところも私がして、というのが4月に入学してから5月の終わるまで毎日続きまして。本人は楽しくて学校へ行きたいんですけど、私的には少しハードで、家のこと放ってきて下の子どもも実家に預けて、実家が学校から15分くらいの所にあるんですけど、実家で夕食も宿題も歯磨きもさして、パジャマも着てから、学校終わったら連れて家に帰るっていう生活でした。
湊川高校は完全給食ですけど、夕方5時の時点では本人がちょっと食べるのは受け付けなかったりするので、その時は注入するっていうか、栄養を胃の方へ注入して、学校終わって帰ったらごはんを食べさせて、お風呂入れてという流れでずーとこう続いてます。午前中にリハビリがある日とかは特にハードで、もう学校の先生の方に「私がけっこうハードで限界です」とポロっと言ってしまったこともありました。「本人皆勤ですし、無理しなくていいですよ」と学校の先生は言って下さるんですが、それは学校に来なくてよいということかなと思って、じゃあ祐也は学校に行けないんかなあと。本人は学校へ行きたくて、行ったらすごく楽しくて、もう友だちの中に居るのがすごく大好きなので、学校へ行くとにニコニコニコニコして、学校終わって帰るのに車に乗った瞬間にウーウー怒ってきて、「友だちとさっきバイバイ言うたやん、もうみんな友だちも帰ってるよ」と言っても、帰りたくないというくらい、もう学校が大好きです。学校に行き始めてから体調が良くなったかなあというくらい、行きたい気持ち、意欲が強く、去年の1年間とこんだけ違う、目の色も違いますし、去年は自分の行き場所がなくて、本当にしんどい一年だったんだと改めて感じました。この顔見てると、ちょっとやそっと私がハードでもここは頑張ってあげよかな、連れて行ってあげよかなという感じで、その顔見たら疲れも飛ぶていうくらい楽しく学校に行かしてもらってるような感じです。
関わってくださる方、すごく一生懸命関わってくださっていて、私は最初に1週間くらいにこういう感じでお願いしますって引き継ぎました。何人かの支援に来てくださってる方、その前からどんなふうに学校生活されてるのって聞いてくださっていた先生方もいらっしゃたんですけど、すごく皆さん一生懸命やってくださって、学校の先生方も支援の先生がついてくださっているので、どちらかというとお願いしているという感じです。
いろんな先生に毎日ついていただいて、クラスにはすごい明るく楽しい生徒もいて、授業中に先生にいろいろこう、ちょっかいかける生徒もいるんですが、その子の話を聞いて笑いながら横の支援の先生もちょっと授業の話をしてくださったり、書いてくださったりして、教えてくださってるていう感じですかね。もう大きな声でゲラゲラゲラゲラ笑ってます。
送迎は私がしています。下二人の学校が終わったと同時に「行くでー」と言って4人で車に乗って、送り迎えだけなので下の二人も学校に連れて行って、学校に行ってその時間にごはん食べれないので、栄養剤を胃に注入して,それからお願いしますって感じで、授業が始まるときには帰ります。最近下二人の方も学校の友だちがいろいろ相手してくれるので、学校へ行くのが楽しくて、知らない間に学校の給食のメニューをチェックしていて、「キムタクごはん」ってメニューに書いてあって、「お母さん、キムタクごはんって何?」って。「何やろ?分からへんわ」「先生に食べてええか聞いて」聞いてみると「じゃいいよ」言ってくださって、食券を買って初めて食べて。最初ビビンバみたいなものかなあ、キムチとかたくあんとか入ってるかなあと思ったら、もう一緒に炊いてあるのでごはん自体は茶色なんですけど、でもキムチと豚肉とたくあんも入って、けっこう人気メニューらしくて、それを食べて「おいしー!」(笑)と下二人の方が感動して、おかわりしてとか、そんな場面もあったりしました。
友だちも最初の頃は学校に居ても、いつも見られているだけの存在だったんですけど、最近は他の学年の子とかも、私たちを見て、「祐也とこの妹やな弟やな」とか、「また来てる」とか、祐也のベッドが置いてある部屋とかをのぞいてくれる先輩とかもいて、「こんにちは」と言って入って来てくれたりとか、「おはよう」と同級生も入って来てくれたり、けっこうやんちゃな子ほど毎日必ず「早いなあ」と言いながら自分の髪の毛を早めに直し、「ほんじゃなあ」って出て行くとか、そういう場面、日に日に声かけてくれる生徒さんも増えています。
最初、私もつかせてもらった時ハードやったけれども、学校の雰囲気も分かったし、こういう生徒もいるんだ、こういう名前なんやなあ、声かけてくれるんやなあというのも名前とかも覚えれて。最近は祐也が早く行ける日は早く行って、休み時間とかでもちょっと友だちと私が世間話をしながら、会話にちょっと祐也を入れようとして、こうやって聞いたらこうやって返事するんよと伝えたりとか、選択肢を言うたら「うん」とか「うーん」と答えるねんと説明したら、みんな「えー!」とか祐也に興味を持ってくれて、友だちも増えたりとかで、「この子しゃべられへんのん?」と聞いてくれたりする人もいたりして、「言うてること分かってるんやで」と言うと、「えー!」とか・・・そういう感じのやり取りをしてもらってて、友だちとも良い関係がちょっとずつ、ちょっとずつ、声かけてくれる子も増えています。
ちょうど先日は期末テストの後に球技大会があったんですけど、ソフトボールやったんです。見とんだけかなあと最初は思いながら、ちょっとでも何かできたらありがたいけどなあと、親としてはやっぱり思っていて、前の日にちらっと担任の先生にも「ちょっとだけ何かしらで参加するのは難しいですか」とお話ししてみたんです。「うーん・・・」、そこから返事がなかったんで、無理かなあと思ってたんですけど。やんちゃな友だちとかにも「ちょっと参加できたらお願いしたいんやけど」、「難しいかなあ」と言いながらちょっと声かけさせてもらったりして。そしたら当日、増住先生がついてくださって、うまいこと子どもたちの中にそっと入れたり、声かけてくださったりして。友だちが打ったボールにそこから代走で一塁まで走るいうのをしていただいて、そしたら友だちが「そこから俺押すわ」って言って、途中から代わってくれて、結局最後ホームベースまでに走って点数入ったっていう。この子にとってはそれ一つがすごい大きい経験やなあと思いながら、ほんまにこう友だちに押してもらったりしたのが、その時が初めてやったんですけど、少しずつ友だちとの距離もこういい感じになってきています。
今までは保育所からみんな持ち上がりだったので、自然と子どもたちの中で出来てたことが、ぽーんと高校に入ってどうかなと思ってたんですけど、別に嫌なことをする子どももいないし、逆にちょっとちらちら見て興味あるなあていう方もいらっしゃたりとか、そんな感じです。
8月 6, 2019