政治

【報告】 戦争させない、9条壊すな! 5・3兵庫憲法集会に参加して

野崎泰伸(障問連事務局)

 

5月3日、三宮の東遊園地にて標記の憲法集会があり、自治労兵庫県本部からの要請により、「障害者の立場から」ということで、障問連にスピーチ依頼がありました。当日は、主催者発表9000人参加、雨の予報が外れ時折太陽も顔をのぞかせるぐらいに天候も持ち直しました。

14時からの開始でしたが、到着した13時半にはすでにシンガーの高石ともや氏が歌を披露されていました。開始時刻の14時になると、司会の小山乃理子氏が登壇、高石氏が引き続き演奏されました。主催者あいさつでは弁護士の羽柴修氏が「人を大切にしない」安倍政権を批判され、続いて立憲民主党の桜井シュウ氏が兵庫の3人区ですべて改憲勢力に取られてしまったことを挙げ「少なくとも1人は護憲議員を」と強調されました。そして、「東京・有明での憲法集会を断って来た」という講談師の神田香織氏が講談を披露、地元・福島県での住民の分断に触れ「一刻も早く原発の停止を」と訴えられました。

参加者からの訴えでは、まず若者から市川英恵さん。神戸大学の総ボラで復興住宅に足しげく通われ、住民に寄り添い、卒論では阪神淡路大震災の借上復興住宅の問題点を取り上げられ、その卒論は単著にもなっています。スピーチでも、復興住宅から立ち退きを迫られる住民の人権問題を語られました。続いて被爆者から、芦屋原爆被爆者の会の千葉孝子さん。自身の生い立ちを踏まえ、憲法の戦力放棄、核兵器廃絶に関連し、ICANのノーベル平和賞受賞の意義について触れられました。

私は、「障害者の視点から憲法を問う」というようなスピーチをしました。それはとりもなおさず、憲法の原則に内在するはずの貴重な洞察に着目しつつ、これをより深く解釈していくということです。まず、「障害者に基本的人権はあるのか?」と問わなければならない現状があることを問題にしました。その背景には、憲法では、すべての人々に基本的人権があることになっていますが、実態として、障害者には健常者と同等の基本的人権はないこと、具体的には、障害があれば特別支援学校に行かされ、卒業後は親元で過ごさざるを得ず、親亡き後は山奥の施設に入れられること、さらには、親に殺されてしまう障害者すらいることを挙げました。

2016年4月、障害者差別解消法が施行されたが、同年7月には、相模原市の障害者施設において、19名の障害者が殺されるという、非常に痛ましい事件が起きてしまったことを挙げ、障害者を支援するのに障害者だけを施設に集めて管理するのがよいのかどうかということ、そして、被告が言ったとされる「障害者は社会に不幸を生むことしかできない」という価値観を問いました。「障害があるがゆえに学ぶ場所、働く場所、住む場所を決められることは許されない」とし、「適切な支援があれば、健常者と同じく、地域社会で生きていけることは、障害者の先輩たちが手本として示してきた」と述べました。「憲法で保障される平和的生存権が障害者にもあるならば、社会が障害者に生き方を強制したり、生きることそのものを諦めさせたりすることは、決してあってはならないのです」。

その上で、憲法だけでは障害者には届かない。憲法だけでは「障害があって生まれてきたこと、障害者として生き切ることのよろこび」を感じられない、ということも述べました。憲法と併存する形で、旧優生保護法が1996年まで存続していたこと、新型出生前診断、安楽死や尊厳死の議論に見られるように、世の中の役に立たない「無能力」であると名指された者に対し、社会は死へと突き落としているのが現状だと述べました。憲法において、能力による差別は記されていないということがあぶり出されていくことも指摘しました。

しかし、私は憲法を「どんな生であっても、無条件にその生を肯定する」という契機をはらむものである、と思っていること、今年1月に、旧優生保護法下で強制不妊手術を受けさせられた方が、それは憲法違反であるとして国を相手取り提訴されたことに触れました。そして、「障害者の視点から憲法を考えるということは、この健常者中心主義の社会を問い直すことと等しい」ことだと締めました。

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