優生思想

【報告】 DPI日本会議総会&全国集会in京都開催報告

藤原 久美子(自立生活センター神戸Beすけっと)

 

DPI日本会議の総会&全国集会が、6月3日(土)・4日(日)にルビノ京都堀川で開催された。

「誰も取り残さないインクルーシブな社会に!」という大会テーマは、国連の持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)のスローガンと重なるもので、2日目全体会第1部で、紺屋健一氏(JICA)からSDGs実現の取り組みについて報告があった。第2部では、基本法改正に向けてのシンポジウムがあり、尾上浩二(DPI)からその必要性とDPI改正案が公表され、竹下義樹氏(日盲連)からは政策委員会の位置づけ、加納恵子氏(関西大学・DPI女性障害者ネットワーク)からは障害女性の複合差別問題、本條義一氏(精神家族福祉会)は意思決定支援や欠格条項問題、そして久保厚子氏(育成会)が、コミュニケーション支援、成年後見制度に関する課題を挙げられた。最後に尾上氏から、障害者権利条約と反する国内条項をもつ法律を改正する必要性が語られた。

午後からは5つの分科会が設けられた。京都府条例には障害女性の複合差別が書かれていることから障害女性の参加を積極的に呼びかけ、韓国からも当事者5名が来日していた。彼女らも参加する『障害女性』、他にも『地域生活』『教育』『情報保障、コミュニケーション』といった、いずれも興味深い分科会が開催されていたが、私自身は特別分科会1『相模原事件が問いかける優生思想』に参加した。

 

■精神医療の方にいかない/歴史を知る/「仕方がない」を問い続ける

まず立岩真也氏(立命館大学)から基調講演があり、そこで3つの点について話があった。1点目は精神医療の方にいかない、ということ。精神障害者が犯罪と全くつながりがないとは一概に言えないかもしれないが、貧しい人が裕福な人より犯罪に走りやすいからといって、捕縛され施設に収容されることが正当化されることはない。容疑者は犯行に至る前に批判に値する言動をやってきていて、それを施設側も把握していた。後になって精神障害者をターゲットにするのはおかしい。2点目は障害者が殺されてきた歴史を知るという事。障害者差別は他の属性による差別、例えば門地・家柄等々といった差別と違い、能力による差別で、優劣をつくるということはむしろ進めてきた社会。相模原市というと、2004年に母親がALSの息子を殺したが、嘱託殺人ということで執行猶予つきの判決が出た。その後母親はうつ病になり、夫に「死にたい」と言うようになって、息子殺害から5年後に夫が妻を殺したという事件があった。この地域は先駆的な自立生活運動もあったが、一方で在宅福祉が進まなかった地域でもある。また、1963年に作家水上勉が公開書簡『拝啓池田総理大臣殿』を出してから、日本の社会福祉が著しく進んだことは学ぶが、一方で同じ人が同時期に障害者の生殺を国の審議会で決定すべき、と発言もしていたことは学ばない。正義を語る人たちが人を殺すことに加担することもある。そして、障害者殺しは日本に限定したことではなくどこの国でもあって、ドイツで障害者の大量殺人が行われたことも国民は知らなかった。しかし当時関わった人たちが世代交代でいなくなり、20年も後になって後継者たちが暴き出してわかってきた。障害者殺しの思想の系譜は消されてきたということをもっと認識しなくてはいけない。そして3点目に、正義と言わないまでも、「仕方がない」とされていることが本当に仕方がないのか?ということを問い続け、そこに行かない道筋を何度も作ることだと語った。

 

■「無視しないでほしい」

この後、利光恵子氏(優生手術に謝罪を求める会)から、『優生保護法』(1948〜1996)により、不良な子孫の出生を防止するという観点から、記録に残るだけで16500人もの人たちが強制不妊手術を施された歴史と、現在にも及ぶ影響について語った。次に加古雄一氏(神経筋疾患ネットワーク)が、着床前・出生前診断および現在進みつつあるゲノム解析による遺伝病の発生確率を調べる検査にも警鐘を鳴らし、同ネットワークから直近に出された声明文も読み上げた。そして小泉浩子氏(JCIL)は松田光博氏(ピープルファースト京都)と一緒に登壇。JCILは身体障害者が多いが、昔から色んな障害者が当たり前にいた環境だったこと、重度訪問介護を使いながら自立している知的障害者の実践例を報告。松田氏は「施設や病院に自由はない。やまゆり園の人たちはなぜ施設に入ったのか?話を聞いてくれる人はいなかったのではないか?」と問いかけ、「(自分は)無視されるとイライラして暴力的になる。」小泉氏「私もだいぶやられた時代があった」と仲良く話す姿が印象に残る。彼の口から何度も出たのは「僕たちのことを無視しないでほしい」という言葉だった。

 

■「終活」の名のもとに切り捨てられる障害者・高齢者

指定発言ではDPI尊厳生部会長の中西正司氏から、八王子市のリビングウィルの報告があり、介助者を使って地域生活していた仲間が脳の病気で倒れて、医者から「死んでいるのと同じ」と言われ、会ったこともない親戚が「気管切開を勧めたのはお前か!」と文句を言ってくる。障害者や高齢者が適切な処置を受けることが困難になってきたことについて語った。また京都新聞社の岡本記者からも、『終活』というパンフレットが京都市から配布され、救急隊員が駆け付けた時に延命措置を行うかどうか、事前に書いておいて冷蔵庫などに貼っておくのだという。抗議しても「多くの市民から支持されている」と言われることなど問題提起があった。

 

■「何とかなる」ということを伝える活動にはいろいろあってよい

最後に立岩氏から、容疑者が生まれ育った時代は、貧困がリアルになった危機感で、手のかかる人を見ていると正しいかどうかは別として、甘いこと言ってたら自分たちもやっていけないという危機感がある。では、このような社会にどう対抗していくのか?それには、大したことない、大変じゃないという事をはっきり言っていく事。例えば人手が足りないと言うが、定年制度は人口がどんどん増えていく中で、ポストが無くなるから次の世代に譲っていく制度。働けるのに働く場がないシニアや専業主婦などが働いていけるような仕組みにしていく。事件後、「障害があってもこんなに幸せ」とにこにこ笑っている姿をメディアも取り上げていたが、幸せだろうと不幸であろうとどちらでもいい。何とかなるということを伝えていく。自分は調べて考えるという役割を、これからも果たしていく。それぞれに自分がやれることをやっていけばいい、とのことだった。

そして司会の見形信子氏(CILくれぱす)が、「自分達も加害者となることがある。今日学んだことをそれぞれの場に持ち帰って、活動していこう」と締めくくった。

障害者殺しの歴史を知り、知った人が語り継ぎ、今また「支援」の名のもとに同じ過ちを犯していく事に警鐘を鳴らしていく。延命措置をするかどうか、何も自治体が呼びかけなくても、尊厳死法を作らなくても、今すでに選ぶことはできるのだ。しかし各個人が選択することと、自治体などが率先して行う事は違う。公的に行うことの意味をもっと慎重に考えるべきで、優生保護法も地域ぐるみで行ったことで被害者が増え、一般市民に「障害者は子供を産むべきでない」という偏見を植え付け、それが未だ払しょくされてない中で、社会の閉塞感がまた差別を助長する状況につながっている。話せる人は話し、書ける人は書くことが必要だが、そこだけに偏らない。障害者団体もまた能力主義に陥ってしまうのではなく、伝える方法は話すことだけではない。地域に当たり前にいる姿があること。そこには当然悲しみや苦しみや怒りもあっていいわけで、障害者だけが常に良い人で笑って生活する必要もないのだ。

それこそが『誰も取り残さない』社会であり、そこに向けて今自分がやるべきこと、その方向性が示されたと感じることができた。

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