差別禁止条例 障害者春闘

障害者権利条約批准記念集会 障害者春闘2014

障害者権利条約批准記念集会 障害者春闘2014

~障害者権利条約を踏まえ

共生社会に向けた地域社会を推し進めよう!~

障問連事務局

表紙でもお伝えしました通り、322日(土)、標記の集会および障害者春闘のデモ行進を催しました。障害者権利条約を批准したという意義は大きい、しかしながら2013年に制定された障害者差別解消法は、権利条約を骨抜きにされた、「中身のない、スカスカのザル法以下の法律である」と大谷さんは評しておられます。地域自治体において障害者の差別を禁止する条例をいかに中身のあるものにしていくかが大切であると、大谷さんは私たちに訴えかけられました。

◆大谷恭子さん講演録

■ハードルが高かった「障害者」の権利

障害者権利条約は2006年に国連で採択されました。本当はもう少し早く採択されるはずでした。皆さんもご記憶あると思いますが、1981年国際障害者年、それに続く国連の10年、そして1994年「障害者の機会均等化に関する標準規則」が発表されました。これは本来その時に条約として発表される予定でした。ところが残念ながら条約にはならなかった。理由は、障害者の権利を条約と言う法的な規範性のあるもので国連で提起するには抵抗が強く、流れました。私は1978年に弁護士になってから「女性差別撤廃条約」「こどもの権利条約」「人種差別撤廃条約」、たまたま大きな人権条約の批准に立ち会いました。女性・こども・人種という人権条約にわが国も批准したけれども、国連レベルでも障害者人権条約はそれほどハードルが高いんだと思い知らされました。なかなか大変だった。このまま陽の目を見ないのかと思っていました。そしたら2000年になってから形を変えて大きな流れになって再び登場してきました。障害者自身が中心になって、「私達を抜きに私達のことを決めるな」のスローガンを共有しながら、彼ら自身が権利条約を作り求めた。実は私は、国際障害者年からの10年、その後「標準化規則」に至る19931994年頃、まだまだ障害者自身が運動の中心に居たとは言えなかった。それから数年を経て障害者自身が確実にエンパワーメント、力を付けてきた。そして国連の障害者権利条約の案文を作る作業部会に障害者自身が入った。そういう法律や条約に健常者でも面倒だと思われる作業部会に知的障害者も関与した。彼ら自身が自分たちに分かる言葉で、自分たちに分かる表現で、そして自分たちのことを決めろと求めた。これはとても画期的なこと。

■権利条約の画期性・1――特定の生活様式を強制されないこと

この障害者権利条約の基本は、まず障害者自身の手により作られたものである事。そして障害者自身の自己決定、これをメインに据えた事。これが10年待った甲斐のあるぐらい画期的なことだと私は思います。「私達を抜きに私達のことを決めるな」はただのスローガンではなくて、あらゆる場面に障害者がいる事を明らかにしたという意味ですごく画期的なこと。障害のある人は意見さえ聞かれない。そこに居たいのか、出たいのか、決める時に、聞かれたとしても彼らの意見は一番最後。本来一番最初に聞かれるべきなのに。でも、この障害者権利条約は、とにかく「あなた自身のことはあなたが決める」が中心に据えられている。そしてその延長線上に、「あなたは特定の生活様式を強制されません」が権利として保障されている。朝何時に起きるのか、今日はどんな服を着るのか、何をしたいのか、それが規則正しく決められている、所謂「施設」。特定の生活様式を強制されないという事が、人権条約の一文に書かざるを得ないぐらい障害者の生活は強制されていたという事なんです。こんな事は普通の人は考えない。誰からも強制されないから。でも人権は奪われた時に権利になります。朝何時に起きるか、どんな服を着るのか、権利として意識される事も無く、極々普通の事です。「普通の事」が奪われた時に「権利」が発生します。それを取り戻す為に。新しい人権はそうやってできてきました。例えば「環境権」。環境はそれまでは意識されなかった。目の前にある空気、川の水、これは極々普通にあるものであって、川の水は誰のものでもない、みんなの物。でも、ある時、それが汚染されている事が分かった時に、「この川の水を汚さないで」という権利が発生します。これが環境権です。それと同じ様に、普通の生活が許されてこなかった障害者がいる。だからその人達にとって普通の生活を取り戻す、それは人権として保障しない限りは取り戻す事ができない、だから権利として書き込む必要がある。

■権利条約の画期性・2――地域で生きる権利

もう一つ。「特定の生活様式を強制されない」と同じように、「地域で生きる」事。障害の無い人にとって、生まれて家族としてそこで育ち、そして地域の子どもたちと学校に行き、自らの人生を選択して地域を離れるか留まるのか。しかし障害のある人はそういう事が許されていない。施設に収容される、もしくは療育としてその地域や家族から離れざるをえなくなる。そしてハッキリするのは小中学校で分離される。特別支援学校に集められる。障害者にとって地域は権利として主張しない限りは取り戻すことができないもの。普通の人にとって普通にあるものが手に入らない、だから権利条約では「地域で生きる」「特定の生活様式を強制されない」、これを権利として保障する必要があるという事になりました。

障害者春闘講演風景

 

■「合理的配慮」

自己決定しその尊厳が保障され地域で普通に生きる為に、具体的にどうしたら良いのか、権利条約では決めています。今までお話した事は共通の理念。それを具体化するにはどうしたら良いか。それも権利条約は、一つ一つの権利の場面で具体的に保障していきます。しかもそれを保障する為に、ある意味、横軸として「合理的配慮」という概念を提起しました。これが分かりにくいと言われますが。障害のある人が地域で普通に生活するためには、ただそこで生まれ生活するだけでは権利を実現した事にはならない。そのためには社会が何らかの配慮をしなければならない。病気の人、移動に困難な人、耳の聞こえない人、目の見えない人、知的障害のある人、精神疾患のある人、「それらの人が地域で生活するのは権利だよ」と言っても、「居ていいよ」だけで終ったら、それは生存さえ保障されない事になりかねない。ではどうすれば良いか。そのためには社会がその人に合わせて変わる事。「変更と調整」をかける。これが合理的配慮です。今までは障害のある人が地域で普通に生活する、これは「障害者の完全参加と平等」と長らくスローガンとして言われてきました。そのためにどうすれば良いのか、「リハビリや治療を受けて特別な教育を受けて社会に入ってらっしゃい」、これが今までの完全参加です。障害のある人が頑張って社会に合わせて出てきてねという発想。そして頑張った人だけが社会には入れるよという発想です。あくまでも障害者の努力に委ねられる。治療や教育やリハビリの効果によって地域に統合される。権利条約ではそうではない。あなたはあるがままで良い。もちろん治療を放棄するわけではない。障害の無い人と同じように必要な医療は保障される。変わるべきは社会です。その社会に課せられた義務、それが「合理的配慮」です。具体的に言えば、知的障害者の人には分かりやすい表現で、分かりやすい言葉で、彼らの理解の上に進む事。車椅子の人にとっては自由に移動できるように地域が変わる事。それぞれの障害に応じて地域生活が可能なように地域が変わる事。それが合理的配慮です。しかも合理的配慮は社会の義務ですと権利条約では位置づけています。障害者が普通に生きるために社会が義務付けられた、非常に重要な事です。

今までも障害者の権利宣言は沢山ありました。「あなたには・・・の権利があります」と勇気と自信を与えました。でも、あなたが持っている権利を実現するために私が何を努力しなければいけないのか、障害のない人、周囲の人が何を努力しなければならないのかに関しては、あまり問われて来なかった。でも、今回はハッキリと社会の義務ですという事を明記しました。そしてその義務が果たされていない事、それは差別ですと言い切りました。社会に義務付けられた調整と変更、その調整と変更を社会がサボタージュした、その事によって障害のある人の権利が実現できず、その事によって障害のある人に不利益が発生した、それは障害のある人がない人に比べて差を付けられた事になるから差別なんですという事になりました。とても大きな転換です。

そして障害者権利条約は実はその合理的配慮を要求するのは、障害者個々人、一人ひとりの権利であると位置づけている。法律的には合理的配慮を事前に調整しておく事を義務とする事も可能だった。例えば「バリアフリー法」もそうですが、可能な限り段差を解消する、これはある人の特定の障害者のために設けられたのではなく、障害のある人が暮らしやすい街にあらかじめ作っておきましょう、これがバリアフリー法です。そういう方法も可能でしたが、障害者権利条約はもう一歩先を行きました。そのように事前的に準備しておくだけでなく、たとえ準備が間に合わなくても私のために用意して下さいと要求する権利を認めた。この違いは重要です。バリアフリー法なら一日何千人以上の乗降客がある場合にはエレベーターの設置は義務付けられていますが、田舎の少ない駅には義務付けられていません。でも、そこに車椅子の人が生活している、私はこの駅を使いたい。でもバリアフリー法ではやらなくても良いとされている。でも権利条約は、その地域にその人がいて、その人が要求している限りは保障しなさい。その人が駅を使えるように何らかの配慮をしなさいという事になっている。

但し、「過度な負担」、とってもお金がかかる時には変えても良いとされている。その人がどうしてもエレベーターを付けて欲しいと要求します。でも、その町にはお金がない、財政逼迫のためできません、と言う事ができます。では何もやらなくても良いのではありません。合理的配慮は「変更と調整」という幅のある概念です。お金がないなら、駅員さんが付いて手を貸して下さい。その事により駅が使えるようにして下さい、という事になります。過度な負担がある場合には合理的配慮をしなくても良いと言われている事が、何もしなくても良いように誤解されている事が多いですが、負担がある場合には、対案方法を探る、エレベーターが無理なら垂直移動が可能となるように人の手により移動する、駅員さんがすぐ対応できるようにブザーを付けたり張り紙をしておく、これは過度な負担にはならない。過度な負担があるとされても合理的配慮を要求する個人の権利は消えない事を御理解下さい。

このように当たり前に地域で普通に生活する事、これを私たちは「インクルーシブ」「インクルージョン」という形で大きく理解したいと思いますが、もちろんこれは条約上の文言でもありますが、これを実現するために「合理的配慮は必要」であり、それは「社会に課せられた義務」である。これは全ての権利に関してそうです。教育、雇用、移動、選挙、司法あらゆる場面においてインクルーシブと合理的配慮が保障されなければならなくなりました。

■合理的配慮以前の「直接差別」について

さて、もう一つ。合理的配慮が提供されない事は差別ですと先ほど言いました。もう少し前の段階では、「直接差別」、これは「区別・排除・制限・その他不利益な取り扱い」、これが差別である事は当然です。この区別・排除・制限は、他のあらゆる権利条約に入っています。例えば人種の名によって区別・排除・制限していけない。ですから、国際社会においては差別とは何かと言えば、区別し排除し制限する事、これが差別だという事は1965年の人種差別撤廃条約以来、ずっと一貫している事。しかし、わが国ではなかなか浸透しない。日本では性によって区別しないで下さいと言うと、「男と女を分けてどこが悪い!」「男子トイレと女子トイレを一緒にしろ!」とよく言われます。何を考えているのかと思いますが、今でもそんなレベルの議論です。そして障害者の差別に関しても、区別・排除・制限はその人それぞれの障害によって区別し排除する事は明らかに差別でしょと私は思いますが、日本社会はなかなか認めようとしません。でも権利条約では明確に書いています。合理的配慮をする事は区別でも何でもありません。その人のために社会が変わるのだから、その人を区別した事ではない。その人がそこに居続けるために社会が変わるんです。「区別はしないで、でも配慮はして下さい」。それをしなかったら差別です。これは教育も雇用も全てにわたり当てはまります。

■障害者差別解消法はスタートラインに過ぎない

それでは昨年成立した差別解消法によりわが国ではどうなるのかが大きな問題です。このように権利条約で何が差別なのかを明確に規定していますが、にもかかわらずわが国には差別禁止法にはなかったので、わが国はどうしても受け皿として差別禁止法と言う新しい法律を作る必要がありました。そうでなければ条約を直接適用する事になり現場が混乱するので受け皿としての国内法整備をする必要があり差別解消法が成立しました。内閣府に設けられた障害者政策委員会で差別禁止法をどのような法律にするのか議論し提言してきました。しかし、残念ながら政権が交代し差別禁止法はできないのかと思っていたら、最後の最後で障害者団体が粘り、この機会に作らなかったら差別禁止法はできないという危機感も含めて大きな運動を起こしていただき、何とか昨年6月に、差別解消法という法律ができました。権利条約を批准するためには整備しておかなければならない最後の法律として成立しました。但し残念ながら現政権が自信を強めていくギリギリの所に駆け込んだ逃げ切り法律のような状態ですから、できあがった法律は総論しかなく、何が差別なのかの具体的な提起もなく非常にスカスカな、ざるにもなっていない法律です。でも、とりあえず枠組みは作り、合理的配慮しない事は差別だと定義され社会の義務だとも定義されました。但し、合理的配慮に関しては実は1965年以来、国際社会においては一致している「区別・排除・制限」という言葉はどうしても入らなかった。なぜここまで抵抗するのか、本当にわが国は区別したがる国です。何かに付けて理由を付けて区別する。今回成立した差別解消法も、私は最後まで差別とは「障害を理由とした区別・排除・制限・その他の不利益な取り扱い」とせめて形として法律の文言として入れないと、あまりにも抽象的過ぎると内閣府で意見を述べてきましたが、最後の国会審議の場面でも、「区別・排除・制限はあまりにも抽象的過ぎわが国の法律ではそのような定義を使った事がないため、その文言は使えない」という理由で入らなかった。そんな事はない、国際社会では1965年以来ずっと言ってますよと言っても、日本の法律にはないと認められなかった。但し、日本の法律にはそういう言葉は無いとされてきた「共生社会」、共に生きる社会を構築する事、そして「分け隔ての無い社会を作る事」、この文言が改正された障害者基本法の目的に入り、差別解消法の目的にも入りました。差別とは何か、定義の所には「区別・排除」等の言葉は入りませんでしたが、法律全体の目的の所に「共生社会を構築するため」しかも「分け隔ての無い生活」を保障するための法律ですという事が明記されました。差別解消法は非常に不十分ですが、大きな一歩だったと思います。

■ガイドラインと地域での取り組みについて

そして非常に不十分な法律ですから、これからが勝負です。何が勝負か? この法律には具体的な中身がなく、現在、「ガイドライン」を作っています。内閣府の政策委員会の意見を下に国レベルで「基本指針」を今年の6月頃までには案として作成され、その基本指針に基づいて各省庁、障害者の生活に密接に関わる部局が「ガイドライン」を策定する事になっています。具体的に差別とはこういう事です、合理的配慮とは何か、に関してガイドラインは今年の夏以降に具体的になってくると思います。ほとんど同時進行していますので秋口にはガイドラインが正式に発表されます。そしてさ来年度には一年間の周知期間を終えて全面施行になります。

今すべき事は、法律の中で定義できなかったガイドラインをどのように具体化していくのかが求められています。でも申し訳ありませんが現在内閣府政策委員会の委員を務めていますが、内閣府が作成する基本指針は大したものになりそうにない。それに基づくガイドラインも更に大したものになりそうにはありません。ですから枠組みはできたが中味はこれから作る、中味ができたらどうやって底上げしていくのか、それがこれから問われてきます。まだまだ改善の余地はあります。ガイドラインを可能な限り良いものにするために、兵庫においても例えば教育委員会がガイドラインを作成する際に皆さんも参加して意見を出していく等、まだまだチャンスはあります。そういうチャンスはあると思いますが、全体の流れはあまりよろしくないので難しい情勢にあると思います。その中でも、各地域で兵庫県や神戸市で各地域ごとに別個に条例を作る事ができます。通常、条例は法律を越えてはいけないとされていますが、この差別解消法は「上乗せ・横出し」しても良いとされ、法律を越えても良いんです。すでに都道府県レベル、市レベルでも条例はできています。まだまだ取組んでいく余地はあります。

それからもう一つ、ある意味ここに最後の望みを託すしかないと思うのは、差別解消法は権利条約を批准するに当たっての国内法整備として作られました。今後、条約に批准したので、わが国の障害者の人権状況が国際社会からチェックを受ける事になります。国連にある「障害者権利委員会」からチェックを受けます。2年以内にはまず政府がわが国の障害者の人権状況について政府として国連に報告義務があります。それに対して障害者団体がパラレルレポート、もう一つの報告レポートを出すことができます。そして国連はその辺、非常に公正なところですから、政府レポートと市民からのパラレルレポート、二つを見比べながら、本当はどうなんだと審議し、勧告を出す事ができます。これが批准して2年以内という事になるので、2014年から2016年の間に1回報告します。それ以降は4年に一回は政府レポートが出される事になり、障害者団体も意見を出し続ける事が可能です。実はわが国は様々な人権条約に批准した後、なかなか人権条約が求めている水準に合致した国内法整備はできていない事が多かった。国内法整備が追い付いていません。見切り発車的に批准しました。その後、市民団体みんな頑張って国連にレポートを出し続け、そして法改正と言う形で国内法を変えてきました。私が関わった典型的な例として、女性差別撤廃条約に批准した時に制定した「雇用機会均等法」。雇用に関し性による全ての差別を禁止するという条約だったのに、1985年成立した雇用機会均等法は「差別しないように努力する」という法律だった。それはないでしょうと、条約では「禁止」なのに「努力する」になるのか、本当におかしいと思いました。それから国連から何度も勧告を受けて、1997年にようやく全面禁止になりました。そのためには女性団体が国連に何度も行き審議に参加して「おかしい」と言い続けわが国の法律を変えさせました。残念ながらわが国は自力では法改正できません。中には何度勧告を受けても変わらない問題もありますが、外圧を受け続けやっと変わってきたのが今の状況です。そんな経過を考えると、障害者権利条約も批准したが、差別解消法はスカスカ、それでもスタートする。必ず2年後には国連に市民レポートを出す、そして勧告を引っ張り出し、それをテコに法改正をし続ける。そして国際社会の人権水準に何とか近付ける、この作業を引き続き努力して取組む必要があります。

各地で条例を作る事、そして国連にもレポートを出し続ける事、まだまだ課題の多い法制度ですが、それでも法律の枠組みができ、一応、権利条約と言うテコを得たという意味では、今年が大きな第一歩だと思っています。これからも皆さんに頑張って頂き、ドンドン差別解消法を大きく育てようと、これからも取り組んでいただきたいと思います。

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